Archive for category EMT

Date: 7月 24th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その9)

アナログディスク再生でカートリッジを交換すれば、音の表情が変る。
ひとつひとつにそれぞれの音の表情があり、ひとつとして同じ音(表情)で音楽を鳴らすモノはない。
だからオーディオマニアはカートリッジをひとつでは満足できずに、いくつも持ち、
レコードによってカートリッジをつけ替え調整して聴く、ということも苦とすることなくやっている。

特に人の声の表情は、よくわかる。
もちろんどんな楽器の音(表情)であろうとカートリッジを替えれば変るわけだが、
人の声、それも気に入っている歌手の声であるならば、その変りようは、より敏感に聴き分けられる。

音の表情は大事なことである。
けれど、そこばかりに気をとらえすぎてはいないだろうか。
音には音の構図がある。

まず音の構図がある程度きちんと再現されているべきだと私は考える。
そのための音のデッサン力の確かさを、
私はガラード301+オルトフォンSPUよりもEMT930stにはっきりと感じた。

なにもガラード+オルトフォンと比較して気づいたことではない。
EMTのアナログプレーヤーの音の良さは、この音のデッサン力の確かさにあることは、
初めてEMTのプレーヤー(930st)を聴いたときから感じていた。

EMTのプレーヤーがもつ音のデッサン力の確かさは、
演奏者ひとりひとりのデッサンが確かなのもそうだが、
それ以上に全体の音の構図、そしてその構図の中でのそれぞれの演奏者の提示の仕方も含めて、
音のデッサン力が確かだといえる。

その3)で書いている、それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、
という感じとは、この音のデッサン力の確かさによるものである。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その8)

たまたま松田聖子のディスクで、EMTの930stとガラードの301+オルトフォンSPUとを聴き比べたから、
松田聖子について書いてきたわけだが、
これが私自身が熱心な聴き手であるグラシェラ・スサーナだったら、
930stと301+SPUのどちらを選ぶかとなると、これもためらうことなく930stを選ぶ。

前回、親密感について書いた。
私は熱心な松田聖子の聴き手ではないから、そこでは親密感を求めない、とした。
だから930stをとる、と。

グラシェラ・スサーナに関しては熱心な聴き手だ。
彼女の歌い方からすれば、そこに親密感はあってほしいとは思う。
けれど、親密感というよりも、もっと求めるのは、私ひとりのために歌ってほしい。

このことは女性ヴォーカル、それも気に入っている女性ヴォーカルのレコードを鳴らす場合に、
多くの聴き手(男ならば)が求めていることだろう。

ならば親密に鳴ってほしいのかといえば、私はそうではない。
グラシェラ・スサーナにしても松田聖子にしてもプロの歌い手である。

私が望むのは、あくまでもプロの歌い手が私ひとりのために歌っている、
そういう感じで鳴ってきてくれたらうれしいのであって、
プロの歌手が聴き手に媚びているような親密感で歌ってほしいとは思っていない。

親密より濃密に歌ってほしい。
そしてなによりも930stと301+SPUの聴き較べてあらためておもったのは、
930stの音のデッサン力の確かさである。

Date: 3月 22nd, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その7)

たしかに松田聖子の声の質感はガラードとオルトフォンによる音のほうが、滑らかだった。
それでも気になるのは、松田聖子の歌手としての力量をどちらのプレーヤーがより正確に伝えてくれるか、
正確に再現してくれるか、という視点に立てば、私には930stのほうが、より正確に感じられる。

ガラードでの声の滑らかさはよかった。
それでもガラードでの松田聖子は、EMTでの松田聖子ほど歌手として堂々としているようには感じられなかった。

このへんは松田聖子に対する思い入れによっても評価は分れるかもしれない。
松田聖子の声・歌に何を求めたいのか。

松田聖子の熱心な聴き手であれば、親密感を求めるのかもしれない。
930stでの松田聖子は、人によっては立派すぎると感じるかもしれないところもある。
その意味では、親密感は稀薄ともいえよう。

それでもひとりのプロの歌手として松田聖子を聴きたいのであれば、やはり930stを私はとる。
私は松田聖子のレコードをかけたときに、そこに親密感を求めてはいないからである。

ガラードとオルトフォンでの松田聖子は声の質感だけでなく、
930stほど、各演奏者の距離感が適切には表現されていない。
そのため、こじんまりとしたスタジオで録音している雰囲気が漂う。

これもまた親密感ということではうまく働いてくれるのかもしれない。

Date: 3月 19th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その6)

EMT・930stで松田聖子の歌が鳴ってきたとき、
少しばかり粗いところが残っている気もした。

でも、聴く前にしばらく930stを使っていなかったことを聴いていたし、
自分でも使っていたアナログプレーヤーであるから、
細かな調整を行うことで、そして通常的に使っていくことで、
いま気になっている点は解消できるという確信があったので、
松田聖子に特に思い入れをもたない聴き手の私は、その点はまったく気にしていなかった。

けれど私の隣で聴いていた松田聖子の熱心な聴き手は、
その点がとても気になっていた、そうだ。

930stからガラード301のターンテーブルの上に松田聖子のLPが載せかえられ、
301とSPUの組合せでの音が鳴った時に、熱心な聴き手の彼は、満足していたようだった。

つまり彼は930stの松田聖子の歌に関しては評価していなかった。
だから、両者の音を聴いた後で、私が「やっぱり930st」といったのをきいて、
「なぜ?」と思ったらしい。

930stがなぜ良かったのかについて、前回書いたことを話すと、彼もそのことには同意する。
それでも松田聖子の歌(声)の質感がどうしても930stのそれはがまんできない、とのこと。

私も彼のいうことは理解できる。
互いに相手のいうこと・評価を理解していても、
松田聖子の熱心な聴き手の彼はガラード301とオルトフォンSPUの組合せによるシステム、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私はEMT・930stというシステムを、ためらうことなくとる。

Date: 3月 15th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その5)

930stのあとに、ガラード301のシステムで松田聖子を聴いていて、すぐに感じて思い出していたのは、
五味先生が930stについて書かれていた文章だった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
     *
ガラード301にはオルトフォンのSPUがついていた。
SPUもシリーズ展開が多過ぎて、ぱっと見ただけでは、SPUのどれなのかはわかりにくい。
少なくともSPU Classicではなかった。もっと高価なSPUだった。
それにフォノイコライザーに関しても、
930stは内蔵の155stで、ガラード301のほうはコントロールアンプ内蔵のフォノイコライザーであり、
301のほうのフォノイコライザーの方が155stよりも新しい設計である。

155stには昇圧用と送り出しの二箇所にトランスが使われている。
ガラードの301のシステムにはかなり高価な昇圧トランスが使われていた。
このトランス自体も155stに内蔵のトランスよりも新しいモノだった。

だからというわけでもないが、周波数レンジ的にはガラード301+オルトフォンSPUのほうがのびていた。
けれど五味先生が書かれているように、
シュアーのV15での三十人の合唱がEMTでは五十人に聴こえるのと同じように、
私が聴いていたシステムでも、930stの方が広かった。

三十人が五十人にきこえる、ということは、それだけの広い空間を感じさせてくれるということでもある。
その意味で930stは、録音に使われた空間が広く感じられる。

こう書いていくと、930stが完璧なアナログプレーヤーのように思われたり、
私が930st至上主義のように思われたりするかもしれない。

けれど930stは欠点の少ないプレーヤーではないし、私自身、930st至上主義ではない。
ガラード301とSPUで聴けた松田聖子の声は、実にしっとりとなめらかだった。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その4)

松田聖子は、CBSソニーというレコード会社にとって稼ぎ頭であったはずだ。
であれば、松田聖子のレコーディングには、それなりのお金も手間もかけていたように思う。

昔既オーディオ雑誌で、CBSソニーのスタジオが記事になったことがある。
そこで、かなり広いスタジオがあった、と記憶している。

930stで松田聖子を聴いていて、実はそんなことを思っていた。
CBSソニーは、松田聖子をアイドル歌手としてではなく、稼ぎ頭の歌手として扱っている。
だから録音も丁寧に行っているし、贅沢にも行っている。

930stでの松田聖子では、広いスタジオで歌っているように聴こえるのだ。

だからといって、ここで書いたことが事実なのかどうかは知らない。
松田聖子がどういうスタジオで録音していたのかの詳細は何も知らない。

知らないけれど、そこで鳴っていた音は、そう感じさせてくれたし、
このことがガラード301を中心としたシステムとの、いちばんの音の違いでもあった。

Date: 3月 6th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その3)

EMTの930stで聴いた松田聖子のレコードは、
それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、という感じがあった。

松田聖子がアカペラで歌っていたら、
930stとガラードの301を中心としたプレーヤーシステムのどちらがいいのかを判断する時には、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私でも、松田聖子の声のみにフォーカスすると思う。

けれどこの時聴いた松田聖子のレコードは、そんなアカペラのレコードではなかった。
(松田聖子にアカペラの曲があるのかも実は知らない)

当然楽器の演奏者が複数いる。
松田聖子は歌手だから、中央に位置しているし、しかも横一列の中央ではなく、
バックの演奏者、という表現がすでに示しているように、
彼らよりもすこし前に位置している。

その上で、松田聖子のバックにそれぞれの演奏者がいる。
この位置関係が、そしてそれぞれの距離関係が、930stで聴いていると、実に適切であるように聴こえる。

実際のレコーディング風景を知っているわけではないから、
930stが提示する松田聖子のレコードでの位置関係が、ほんとうに正しいものかどうかは断言はできない。
それでも930stが示す位置関係を聴いていると、そこに不自然さは感じないどころか、
くり返しになるが、適切な位置関係と感じられる。

そしてこのことと関係して、広いスタジオで歌っている感じが伝わってくる。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その2)

先月もあるところで松田聖子を聴いたことは、別項でも書いているとおりだ。
実は今回も松田聖子を聴いてきた。

前回はCD、今回はアナログディスクで松田聖子を聴いた。
この松田聖子のディスクを930stで聴いた後、
ガラード301のシステムでかけたわけだ。

どちらが私には良かったのかは、先にも書いたように930stだった。
けれど、おもしろいのは松田聖子が好きな人は、ガラード301の方が良かった、という。

930stでの松田聖子とガラード301での松田聖子はどう違っていたのか。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない、
松田聖子の歌といえば、テレビで聴くくらいの聴き手でしかない私には、
ガラード301での松田聖子は、歌の上手なアイドル歌手というふうに感じられた。

930stで聴く松田聖子は、アイドル歌手という面影は感じさせず、
あくまでもプロの歌手としての松田聖子であった。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない私は、松田聖子のファンではない。
でも松田聖子の熱心な聴き手である人は、松田聖子のファンであり、
その人にとっては、松田聖子はアイドルという存在でもあるのかもしれない。

私にとって松田聖子はアイドルでもなんでもなかった。
この思い入れの違いが、930stなのかガラード301なのかの違いにつながっているのではないだろうか。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その1)

EMTの930stは何度も聴いたことのあるアナログプレーヤーであり、自分でも使っていた。
ガラードの301は、何度か聴いたことはあるけれど、その回数は930stのそれよりもずっと少ないし、
自分のプレーヤーとして使ったことはない。

つまり同じ空間で同時に聴いたことは、これまで一度もなかった。

930stの音は、かなり身にしみ込んでいる。
930stの他のプレーヤーとの音の差もある程度は掴んでいて、
そういったプレーヤーと比較することによって、ガラード301の音をなんとなく掴んでいたつもりであった。

今回、機会があって930stとガラード301(トーンアームはオルトフォンRMG309で、カートリッジはSPU)を、
同時に聴くことができた。

ガラード301といってもプレーヤーベースをどうするのか、
組み合わせるトーンアーム、カートリッジによっても結果として出てくる音は違ってくるわけで、
システムとして構築されている930stと同列で比較するのが難しいのはわかっている。

それでも同じ条件で聴きくらべられるのはこれまでなかったし、ありがたい体験でもあった。

どちらが良かったのか。
結果を先に書いてしまうと、私には930stだった。

けれど、こうやって比較試聴して得られたものはそれだけではなく、
ここにオーディオの面白さがある、と感じられることも得られた。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(続余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」が出た1978年でのDT440の価格は14800円。
ベイヤーのラインナップではいちばん安価なヘッドフォンだったし、
高価なヘッドフォンはこの当時もいくつかあった。

それにDT440は瀬川先生が書かれているように、
《ユニット背面の放射状のパターンなどみると、決して洗練されているとは言えず見た目にはいかにも野暮ったい》
外観だった。およそ高級ヘッドフォンとはいえない、見た目の印象だ。

それから30年が経過して、DT440 Edition2007になっているわけだが、
DT440の放射状のパターンはなくなっている。野暮ったさはなくなっているが、
高級ヘッドフォンという趣は感じないし、買う前から予想していたことでもあるのだが、
ドイツで製造しているわけではないようだ。

現在のベイヤーのラインナップで、より上級機はドイツ製を謳っているモノがある。
DT440 Edition2007はオープンプライスになっているが、実質30年前の定価とほぼ同じである。

そんなこともあって、ほとんど期待せずにiMacのヘッドフォン端子に接いでみた。
きちんとしたヘッドフォンアンプで鳴らしたわけではない。
おそらく中国で製造しているであろう、普及価格帯のヘッドフォン。

鳴ってきた音を聴いて、まず私が思っていたのは930stの帯域バランスと同じだ、ということだった。

瀬川先生がステレオサウンド 55号で書かれている文章そのものの帯域バランスがここにあった。
     *
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     *
もちろん930stの音そのものがDT440 Edition2007で聴けるわけではない。
だが、少なくとも930stの美点ともいえる、瀬川先生が書かれているとおりの帯域バランスは聴ける。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

30年以上前ならばEMTの930stをオーディオ店で見たり、聴くこともできたであろうが、
いまはその機会も少なくなっている、と思う。

ここで930stのことをいくら書いたところで、
930stに関心をもってくれても聴くことがなかなかかなわないのは時代の成り行きとはいえ、
残念なことだし、さびしくもあり、もったいない感じもする。

中古を専門に扱っているところに行けば、930stはあることにはある。
けれど、それがどの程度のコンディションかといえば、はっきりとしたことは何も言えない。
いいコンディションの930stにあたるかどうかは、運次第ともいえる。

完全整備と謳っているところは少ないないけれど、
私はほとんど、この謳い文句は信用していない。
店主の人柄がいいから、といって、そこで扱っている930stのクォリティが保証されるわけでもない。

結局、自分の目で判断できなければ、ということになる。

それでも930stの音がどういう音なのか、
その良さを、なにか別のモノで聴くことはできないのか──。

いまから三年前、iMacで使うヘッドフォンを探していた。
ちょうどそのころ、瀬川先生の文章を集中的に入力作業していたころで、
しかもステレオサウンド別冊の「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」にとりかかっていた。

iMacで使うものだから、高価なものでなくてもいいし、日常使いとして適当なヘッドフォンがあればいい、
という気持で探しに来ていた。
たまたま目についたのが、ベイヤーのDT440 Edition2007だった。

価格も手頃だし、「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で瀬川先生が購入されていたことを知っていたから、
試聴もせずに、これに決めた。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その9)

これも衝動買いといえば、そうなるのかもしれない。

衝動買いとは、パッとひと目見て気に入り、その場で買ってしまうことだとすれば、
私の930stに関することは、13歳のころから、このプレーヤーが音楽を聴いていく上では必要だ、
いつかは930stと思い続けてきたわけだから、いわゆる衝動買いとはすこし違うのかもしれない。

でも、買えるかもしれない、とわずかでもそうおもえた時に、
ごく短時間で買う! と決意して買ってしまうのも、衝動買いかもしれない。

21で930stは、分不相応といわれればそうであろう。
でも、13のときからずっと思い続けてきたプレーヤーである。
そのプレーヤーを手に入れるチャンスであれば、なんといわれようと買うしかない。

それでもOさん、Nさん、Sさんたちの「買いなよ」が後押しになっていたし、
ノアの野田社長のおかげでもある。

ロジャースのPM510を買った時もそうだった。
PM510はペアで88万円していた。
そのPM510を20までに買えたのは、輸入元の山田さんのおかげである。

山田さんは、瀬川先生のステレオサウンド 56号のPM510の文章に登場する山田さんである。
山田さんがいなければ、私はPM510を買えなかったかもしれない。

惚れ込んだオーディオ機器を買う、ということは、私の場合、誰かのおかげである。
山田さんがいてくれたし、野田社長がいてくれて、
私はなんとかPM510、101 Limitedを自分のモノとすることができた。

縁があったからこそである。
よすがも、縁と書く。
だから縁が必要だったのだろう。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その8)

EMTの930stというプレーヤーは、私にとっては特別な意味をもつプレーヤーでもある。
ただ単に音のよい、信頼できるプレーヤーということだけではなく、
五味先生の「五味オーディオ教室」からオーディオの世界にのめり込んでいった私にとって、
五味先生が、誠実な響きとされていたからだ。
     *
どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
     *
オーディオの世界に足を踏み入れようとしていた13の中学生にとって、
この文章の意味は重かったし、大事なことだということはわかっていた。

音と音楽の境界ははなはだ曖昧である。
音楽を聴いているのか、音を聴いているのか、
とはよくいわれることである。

そういう危険なところがあるのは「五味オーディオ教室」を読めばわかる。
わかるからこそ、
《「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか?》
これをよすがとした。

930stがあれば、どこかで踏みとどまれるかもしれない。
そういう意味で、特別なプレーヤーが930stであり、
その色違いの101 Limited見てわずかのあいだにを買う! と決意して、
私のところに、この特別な意味をもつプレーヤーが来ることになった。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その7)

EMTの930stは河村電気研究所が取り扱っている時に生産中止になっている。
そのあとEMTがバーコに買収され、輸入元がエレクトリに移ってから再生産が一度なされている。
そのときの価格がいくらだったのか記憶にない。

930stの1980年での価格は本体が1258000円、専用のサスペンション930-900が295000円。
930stは930-900込みでのパフォーマンスの高さだから、1553000円ということになる。
1981年には930stの価格は1399000円になっている。

101 Limitedが登場した1984年までにいくらになっていたのか正確には記憶していない。
このころのステレオサウンドには河村電気研究所の広告も載っていない。
載っていたとしても価格は掲載されないことが多かったから、いまのところ調べようがない。

EMTのプレーヤーの価格は不思議なところがあって、
1975年の時点では、930stは980000円、927Dstは1300000円だった。
930stと927Dstの価格差は小さいものだった。
サイズの違い、出てくる音の凄さの違いは大きいものであったにもかかわらず、である。

それがいつしか927Dstは2580000円になり、3500000円、最終的には450万円を超えていたときいている。
1975年の価格から三倍以上になっているのにくらべると、930stの価格の上昇はそれほどでもないのだが、
それでも150万円は150万円の重みがあることには変りはない。

「買います」といったものの、
支払い能力があやしい者には売れない、といわれればそれまでである。
そういわれるかと思った。ことわられるかも、とも思っていたけれど、
ノアの野田社長は、あっさりと「いいよ」といってくださった。

もう撤回はできない。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その6)

少年とは、私のこと。18でステレオサウンドで働くようになったので、少年ということだった。
このときいたNさんも、同姓の人がサウンドボーイ編集部にいたので、Jr.(ジュニア)と呼ばれていた。
私も、Nさんと呼ぶことはなくて、ずっとジュニアさんといっていた。

当時のステレオサウンド編集部は、そういう雰囲気があった。
いまは、おそらくそんなことはないと思う。

「少年、これ買えよ」

私だって支払えるだけの経済力があれば、欲しい。
EMTの930stは、五味先生も愛用されていたし、瀬川先生も927Dstにされるまで使われていた。
買えるものならば、いますぐ欲しいプレーヤーだった。

けれどトーレンスの101 Limitedは150万円だった。
21歳の若造が買える金額ではない。
そうでなくてとも、ロジャースのPM510を買ってから一年ほどしか経っていなかった。
余裕は、まったくなかった。

Oさんの「少年、これ買えよ」に続いて、
NさんもSさんも「買いなよ」と、簡単にいってくれる。

このとき930stは製造中止だといわれていた。
101 Limitedにしても、型番が示すように101台の限定である。
この機会をのがしたら、新品の930stを手に入れることは難しくなる。

無理なのはわかっている。
でも、これしかない、とおもったら、「買います」といっていた。