EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その16)
歌い手の口の小ささを優先した気持は、私にもかなり強くある。
それでも、口の小ささばかりに気をとらわれていると、
歌は口からばかり発せられているのではないことを、忘れてしまいがちになるのかもしれない。
口の小ささに強くこだわっている人をみていると、そんな気がすることがある。
人の声は口から発せられているのは間違いないが、
身体は共鳴体でもある。
頭蓋骨からも音が発せられている、ということを何かで読んだことがある。
腹から声を出す、ともいう。
腹式呼吸が重要だということである。
少なくともプロフェッショナルの歌い手は、口だけではない。
上半身から声を出しているように感じている。
ウォルター・レッグの「レコードうら・おもて」に興味深いことが書かれている。
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カラスが、私の妻がミラノにその晩来ていると知っていて、一緒に食事をしたいといい張った時のことは、しばしば報道されている。私がカラスの代りを探しているという根拠のない噂が何人かの有名なソプラノを磁石のように引きつけ、私たち夫婦がきまって食事するビフィ・スからの中や周辺を、望みを抱いて動き廻っていた。そこへ、まるで何事もないかのような顔でカラスが入って来て、妻の頬に申しわけのようにせっかちなキスをして腰も下ろさずにいった、「あなたの最高音AとBの歌い方を、そのディミヌエンドの仕方を歌って見せて下さい。ウォルターが私のを聴くと船酔いがするっていうの。」シュヴァルツコップが躊躇していると、カラスは、驚いているレストランの客たちを無視して、彼女のトラブルになっている音をフル・ヴォイスで歌った。その間、シュヴァルツコップは横隔膜や下顎や喉、それに肋骨を手で触っていた。給仕たちはびっくりして足を止め、客は眼を見張り耳を傾けてこの面白い光景を楽しんだ。数分してシュヴァルツコップが同じ音を歌い始め、カラスが、どのようにしてそれらの同じ音を安定して歌うことができるのかを探ろうと、同じ箇所を指でつついた。二十分ほどしてカラスは「分かったと思うわ。朝またやって来ます。それまで練習しておきますわ」といって腰を下ろし、夕食を始めた。
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身体は共鳴している。
というよりも、プロフェッショナルの歌い手になればなるほど、
身体の共鳴をコントロールしているのだろう。