Archive for category 楽しみ方

Date: 11月 11th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その34)

今回のバッフルについては、以前から考えていた。
やれば好結果が得られる、という確信はあったし、
やってみたいとも思っていた。

それでもここまでずるずると延ばしてしまったのは、
実際の製作を面倒に感じていたからだ。

それほど難しい加工なわけではない。
けれど必要な工具が揃っていない、木工をあまり得意とはしない、
そんな理由があった。

ホーンにバッフルをつける。
そのためにドライバーの支持も考えなければならない。
予算、加工などに制約がまったくなければ、こうやりたい、というのが以前からあった。

けれど、そのためには木工を専門とするところ(人)に依頼する必要があるし、
材質に関してもよりいいもの、となると、
今回かかった費用ではまず無理で、おそらく十倍程度はかかることになる。

もっと簡単な作業で……、という方法もいくつか考えた。
けれど、せっかくなのだから、ということで、
実行したかったことにもっとも近い形になるようにした。

やりたいようにやれれば、今回の結果よりもよくなったはずだろうが、
費用の差ほどの違いはない、ともいえる。

今回の製作は、東急ハンズで合板を購入、
大きな加工はやってもらった。
合板自体の価格はそれほどでもなかったけれど、
加工賃は、そこそこかかった。

それでも、東急ハンズでの加工だけでは完成しないわけで、
喫茶茶会記で工作の時間である。

ちょっとしたミスがあって、予想以上に時間を必要とした。
都合三回、そのために喫茶茶会記に行き作業していた。
それだけ手を動かした、といえる。

それでも、結果として鳴ってきた音を聴けば、やって良かった、といえる。

Date: 10月 9th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その33)

ホーンを取り付けたバッフルを、エンクロージュアの上にどう置くのか。
そのまま置くことが、まずある。

バッフルの下辺が天板に全面接触している状態である。
まずこれを基本として、エンクロージュア天板とバッフル下辺とのあいだに、何かを挿んでいく。

材質、形状、大きさによっても音は変る。
やみくもにやっても、どれがいいのかはわかりにくくなる。

まず材質を決めた方がいい。
金属なのか木なのか。
どちらが求める音なのか(近いのか)。

どちらかに決めて、大きさを変えていく。
大きさ(おもに高さ)が変れば、天板とバッフル下辺とのスペースが広くなっていく。
この空間(すきま)が、音に影響してくる。
ここでも二つ以上のパラメーターを変化させていることを自覚しておくべきである。

さらに……、とどれだけでも細かなことは書けるけれど、
まずは作ることが大事である。
今回は、これまでの経験から少し(2cm弱)バッフルを浮している。

バッフルの両端にそのためのスペーサー(半球状の木)をかましている。
これで前二点、そしてドライバーを支持している部材にも同じスペーサーをかまして、後一点。
バッフルを含むホーンと支持部材を含むドライバーは、この三点支持である。

三点支持のメリットは確かにある。
その良さを活かすには、三点支持内に、支えるモノがおさまっていることである。

ホーンとドライバーは、真上からみれば、三角形的である。
つまりもっとも三点支持が活きるのは、ここのところだといえよう。

Date: 10月 7th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その32)

ではアルテックの811B、511Bはバッフルに取り付ければ、
それで十分なのか、と問われれば、検討しなければならないことはまだまだある。

バッフルの材質、サイズ、厚みも関係してくるけれど、
そのバッフルを、どう置くかも非常に重要なポイントである。

以前に書いていることだが、エンクロージュアの天板の上に、
アナログディスク再生に使うスタビライザーを乗せてみる。

できれば同じスタビライザーを、左右のスピーカーの天板の上に一つずつ、同じ位置に乗せる。
スタビライザーの重量はいろいろあるが、500g程度のモノでも、ずいぶんと音は変化する。

スタビライザーを乗せることによって、天板の振動モードが変化するためである。
同じスタビライザーでも置く位置を変えたり、
同じ位置でももっと重いモノ、軽いモノにすれば、またはまた変化する。
もちろんスタビライザーの材質による変化もある。

スタビライザーの大きさ、重量程度でも、音の変化は大きい。
ホーン型スピーカーをともなると、ホーンとドライバーの重さだけでもスタビライザーよりもずっと重い。
アルテックの811Bはカタログには4.1kg、806-8Aは2.6kgとある。
トータルで6.7kg。

これだけでもスタビライザーよりもずっと重いし、
エンクロージュア天板との接触する面の形状、面積も違う。

それにスタビライザーはほぼ均一に重量がかかるのに対し、
ホーンとドライバーの組合せでは、そういうわけにはいかない。

つまりホーン型スピーカーを鳴らさない状態、
つまり天板に、スピーカーケーブルを接続せずに乗せただけの状態での音を、
まず聴いてみると、よくわかる。

そのうえで、ホーンとドライバーの位置を前後、そして左右に動かしてみる。
これだけでも音は変化していく。

ホーン型の場合、ウーファーとホーン(ドライバー)との音源の位置あわせということがいわれる。
この場合、音源の位置の相互関係によって音は変化するだけでなく、
天板の振動モードも同時に変化しての音の変化としてあらわれる。

つまり位置を変えるということは、少なくとも二つのパラメーターを変化させていることを、
まず認識しておくべきだ。

Date: 10月 6th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その31)

アルテックのホーンを見て気づくのは、
811B、511B、これらのホーンは開口部の周囲にバッフルに取り付けるための縁がある。

811、511と同じセクトラルホーンでも、311-60、311-90には、縁はない。
かわりに、というか、311にはデッドニングが施してある。

もっとも1978年に発売になった511Eは、アクアプラスによるデッドニングが施されている。

とはいえアルテックのホーンには、ホーンの形状ではなく、
デッドニングが施されているモノとそうでないモノとがあり、
デッドニングが施されていないホーンは、バッフルに取り付けることが前提となっていると見るべきだ。

ホーンをどう置くか。
エンクロージュアに上に置くにしても、直接置くのか、天板とホーンとのあいだになにかを挿むのか。
音は、とうぜん変ってくる。

どういうふうに置くのがいいのか。
それは実際に音を聴いて判断するわけだが、
セッティングにおいて、常に時間の余裕があるとはかぎらない。

自宅で、自分のための音であるならば、そんなことは関係なくても、
audio wednesdayのようなことをやっていると、時間の余裕はなく、
てきぱきとやっていくしかない。

そういう場合、ホーンの置き方のチェックをどうするか、といえば、
置いた状態でホーンの開口部の縁を指で弾く。

金属音がするわけだが、その音と余韻の長さが、
天板に直接置いた場合、何かを挿んだ場合、
挿んだものの種類によっても変化してくる。

こういうことによって判断する場合も、時としてある。
そのくらいホーンの鳴きは、セッティングによって変化するわけだ。
特にデッドニングなしの金属ホーンは、顕著に違いが出る。

アルテックの811、511はバッフルに取り付けて、というのが、昔からの常識であり、
実際にバッフルがあるとないとでは、ホーンの鳴きがが変る。

Date: 10月 5th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その30)

今年は、手を動かした、といえる一年になりそうである。
野上さんのところのスピーカー作りの手伝いから、今年は始まったといえる。

喫茶茶会記でのaudio wednesday用に直列型ネットワークも作った。
そして今回、以前からやりたかった、ホーンとバッフルとの組合せをやった。

ホーン型スピーカーの使いこなしで、意外に見過されがちなのが、
そのセッティングである。

たとえばJBLの537-500と375の組合せ。
ホーンの開口部は円、ドライバーそうだから、
そのままエンクロージュアの上に置いたら、重量があるためそんなに簡単に……、とはならないが、
転がってしまう形状である。
しかもホーンの開口部の直径が大きいから、そのままでは開口部は斜め上を向く。

2397+2440だと、そのままでは斜め下を向くことになる。
少なくともホーン開口部側をもちあげないと、そのままでは使えない。

それにJBLのスラントプレートの音響レンズの場合、
レンズ後方にバッフルが必要とするわけだから、
そのままでも鳴らせるけれど、バッフル前提となる。

JBLでは2インチ・スロートのドライバー用の可変式スタンドとして2505があった。
537-500+375では、375とホーンと2305を通しボルトで固定している。
同じ形状の、もっと大型のスタンドが蜂の巣状の音響レンズの後を支える。

このふたつのスタンドが用意されているから、
537-500+375は、多くのオーディオマニアが手を出したともいえるのでないだろうか。
JBL純正のスタンドがまったく用意されていなかったら、どうなっていただろうか。

JBLはHL89用にMA25というバッフル板も用意していた。
といってもすべてのホーンに対して、なんらかのスタンドがあったわけではなく、
2397では、使い手の工夫が必要となる。

Date: 7月 21st, 2018
Cate: 楽しみ方, 老い

オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたいのか……・その3)

四年前の「続・モーツァルトの言葉(その3)」で、
ネクラ重厚、ネアカ重厚、ネクラ執拗、ネアカ執拗といったことを書いた。

ネアカ重厚、ネアカ執拗で、オーディオ(音)に取り組んでいるつもりだが、
ネクラ重厚ではなく、ネクラ軽薄もあるように、
別項の「時代の軽量化」を書き始めて、思うようになった。

このネクラ軽薄が、(その2)でふれた「深刻ぶっているね」にも関係しているような気がする。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 楽しみ方, 老い

オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたいのか……・その2)

私はそれほど多くのオーディオマニアを知っている(会っている)わけではない。
私より、ずっと多くのオーディオマニアを知っている人は、多い、と思う。

そんな経験のなかでの話だが、
オーディオマニアのなかには、深刻ぶっている人がいる。

「深刻ぶっているね」と、本人に向って言うわけではないが、
そういうオーディオマニアといっしょにいると、
真剣と深刻の違いについて考えたくなる。

私が勝手に「深刻ぶっているね」と感じているだけで、
本人にしてみれば、真剣にやっているんだろうな、とは頭では理解できる。
それでも、やっぱり「深刻ぶっているね」と感じてしまうことがある。

その人が不真面目にオーディオに取り組んでいるから、
「深刻ぶっているね」と感じるわけではない。

真剣と深刻を取り違えている──、
そう感じるのだ。

その人は、真剣と深刻を取り違えるのは、何かが欠けているからなのか。
若いころは、余裕がない人が深刻ぶるのかな、と思ったことがある。
そうかもしれない。

そうだとすると何故余裕がないのか(持てないのか)。
戯れること、戯れ心が欠けているから、のような気がする。

Date: 3月 19th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その29)

1996年のステレオサウンド別冊に「MY HANDICRAFT」がある。
副題として「マイ・サウンドをつくろう」とある。

オーディオにおける自作の楽しみは、マイ・サウンドをつくれること──、
とは思っていない。

瀬川先生がステレオサウンド 17号(1970年)に書かれている。
     *
 大げさな言い方に聴こえるかもしれないが、オーディオのたのしさの中には、ものを創造する喜びがあるからだ、と言いたい。たとえば文筆家が言葉を選び構成してひとつの文体を創造するように、音楽家が音や音色を選びリズムやハーモニーを与えて作曲するように、わたくしたちは素材としてスピーカーやアンプやカートリッジを選ぶのではないだろうか。求める音に真剣であるほど、素材を探し求める態度も真摯なものになる。それは立派に創造行為といえるのだ。
 ずっと以前ある本の座談会で、そういう意味の発言をしたところが、同席したこの道の先輩にはそのことがわかってもらえないとみえて、その人は、創造、というからには、たとえばアンプを作ったりするのでなくては創造ではない、既製品を選び組み合せるだけで、どうしてものを創造できるのかと、反論された。そのときは自分の考えをうまく説明できなかったが、いまならこういえる。求める姿勢が真剣であれば、求める素材に対する要求もおのずからきびしくなる。その結果、既製のアンプに理想を見出せなければ、アンプを自作することになるのかもしれないが、そうしたところで真空管やトランジスターやコンデンサーから作るわけでなく、やはり既製パーツを組み合せるという点に於て、質的には何ら相違があるわけではなく、単に、素材をどこまで細かく求めるかという量の問題にすぎないのではないか、と。
(「コンポーネントステレオの楽しみ」より)
     *
スピーカーを自作した、アンプを自作した、
それでマイ・サウンドがつくれるわけではないし、
既製品を組み合わせたからといって、
マイ・サウンドがつくれないわけではない。

「MY HANDICRAFT」に、わざわざ「マイ・サウンドをつくろう」とつけた人は、
どういう意図があったのだろうか。
本気で、自作しなければ……、と思っている人なのか、
瀬川先生の文章を読んでいなかった、
もしくは読んでいたしとても……ことだけは確かだろう。

Date: 3月 10th, 2018
Cate: 楽しみ方

聴き方の違い、楽しみ方の違い

3月7日のaudio wednesdayでも、終り近くに松田聖子の「ボン・ボヤージュ」を、
常連のKさんがかけた。

audio wednesdayで、これまで何度聴いたか。
少なくとも、私にとっては、これまでの中で、いちばんうまく鳴ってくれた、と感じた。

松田聖子が口先だけで歌っている印象ではなく、
歌っている松田聖子の表情が伝わってくるような感じでもあったし、
なによりも松田聖子の肉体が感じられるようになった。

それだけに松田聖子の歌の上手さが伝わってきた、とも感じていた。

でもKさんは、この鳴り方は、あまり評価しないだろうな、と思いつつも、
「どうでした?」ときいてみた。
反応は、予想した通りだった。

別項「EMT 930stのこと(ガラード301との比較)」の(その8)、(その9)で書いているが、
Kさんと私の聴き方は違う。

これまでに何度も「ボン・ボヤージュ」を聴いては、その反応をきいているわけだから、
今回の音に関しても、そうだった。

これでいい、と思う。
私もいまより20以上若かったら、
こんなふうに聴きましょうよ、と力説したことだろう。

でも、いまはそんなことをしようとは思わない。
聴き方が違うのだから、オーディオの楽しみ方も違う──、
そう思うし、はたまた逆なのか、
オーディオの楽しみ方が違うから、聴き方も違うのか。

どちらが先ということはないのかもしれない。

それでも同じ場所、同じ時間にいて、毎月第一水曜日に楽しんでいるということは、
それだけの深さと広さが、オーディオの楽しみ方にあるといえる。

Date: 2月 21st, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その28)

うまいなぁー、と感嘆する歌い方は、私の場合、たいてい溜めの巧い歌い方である。
こんなふうに歌えたらなぁー、と思いながら聴いていて、
ちょっとマネしてみても、とうてい及ばないことを思い知らされる。

けれど、溜めの巧い歌い方であっても、
スピーカーによって、そのへんはずいぶんと違って聴こえてくるものだ。

この人、こんな歌い方だっけ……、と思うような鳴り方をするスピーカーがある。
このスピーカーもうまいなぁー、と思ってしまうほど、きちんと溜めを表現するスピーカーもある。

どちらのスピーカーに魅力を感じるかといえば、後者であり、
音楽の表情を豊かに鳴らしてくれるのも、後者である。

溜めのない(乏しい)音は、平板になる。
すました顔が、どんなに整っていてきれいであっても、
すました顔ばかりを眺めているわけではない。

音楽を聴くということは、そういうことではない。
表情があってこそ、その表情が豊かであり、
時には一変するほどの変りようを見せてくれる(聴かせてくれる)からこそ、
飽きることなく、同じレコード(録音)を何度もくり返し聴く。

その溜めが、出てくるようになったのは、やはり嬉しいし、
やっていて楽しいと思える瞬間である。

昨晩、電話をかけてきたKさんは、「楽しそうですね」といってくれた。
何人かの方は気づかれているが、自作スピーカーの持主は写真家の野上眞宏さんである。

野上さんも「オーディオって、楽しいね」といってくれた。
ほんとうに楽しいのだ。

Date: 2月 19th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その27)

今日も自作スピーカーの日だった。
ユニットは加えていない。2ウェイのままである。

次のステップとして何をやったかというと、デッドマスの装着である。
1980年代のラジオ技術を読んできた人ならば、すぐにわかるだろうし、
他のオーディオ雑誌でもデッドマスについての記事は載っていた、と記憶している。

今回は入手が簡単ということもあって、
70mm径と60mm径の真鍮の円盤を、東急ハンズで購入して、
エポキシ系接着剤で、ユニットの後に接着している。

今日、接着したわけではない。
エポキシ系接着剤は、室温20度で24時間後に強度が最高になるため、
接着してすぐに聴ける状態になるものでなはい。

真鍮の円盤の購入は先週火曜日で、すでに接着は終っている。
この状態から、もう一度セッティングを詰めていったのが、今日やったことである。

70mmの真鍮の円盤はトゥイーターである。
厚みは20mm。
極端に重いわけではないが、トゥイーターのユニットとしての重心は後に下がる。
トータルの重量もかなり増す。

デッドマスなしの状態では、それまでの取付台座でも特に不満は感じなかったが、
今回からはおそらく不満が出てくるであろうと予想し、前日にいくつかのモノを用意していた。

トゥイーターの設置の仕方を変えた。
それからこまかなことをいくつかやって、
最終的に前回の音よりも明らかに手応えのある感じとなった。

デッドマスの効果が、トゥイーターの設置の仕方を変えたことも相俟って、
よく出ていたのではないだろうか。

今回の変化はいくつもあるなかで、
私がいちばん印象的だったのは、溜めの表現がきちんと出てくるようになったことだ。

Date: 2月 15th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくると秋葉原通い)

1981年に初めて秋葉原に行った。
まだそのころの秋葉原は、オーディオの街といえる雰囲気があった。

それ以前はラジオ、アマチュア無線の街だったのだろうと思うし、
オーディオの街から、AV(ホームシアター)の街へと変り、
そのあとはパソコンの街であった。

大ざっぱにいえば、十年単位くらいで変っていっているようにも感じられる。

いまの秋葉原といえば、もうパソコンの街でもなくなっている。
私はいまの秋葉原も嫌いではない、というより、けっこう好きである。

でも、すっかりオーディオの街であった時代から遠ざかったな……、と思っていた。

今年になって、秋葉原にけっこう行っている。
こんなに頻繁に秋葉原へ行くのは、ずいぶんなかった。
パーツを買うためであり、そのパーツは、スピーカーの自作のためである。

すべてが秋葉原で手に入るわけでもないし、
インターネット通販を使えば、秋葉原にわざわざ行く必要は、ほとんどなくなる。

でも秋葉原まで出掛け、直接店で買う。
時間の無駄、という人がいる。

いまならスマートフォンで大半のモノが注文でき、家に届く。
電車に乗って、歩いて店に行って、モノを探す。
そういう時間は無駄なのか。

無駄と思う人と思わない人がいて、
今回の自作スピーカーに関しても、段階を踏んでの作業である。

一度にすべてやってしまえば、
秋葉原に行くにしても、一度で済むし、無駄な時間をかなり省ける──、
そんなふうには私は考えない。

行くのが楽しいのだ。
しかもひとりで行っても楽しいし、
気の合うオーディオ仲間・友人と一緒にいくのもまた楽しい。

私はオーディオマニアだ。
そうやって耳の記憶の集積を考え、高めていく。

Date: 2月 14th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・イベントのお知らせ)

この項では、フルレンジユニットから始めて、
トゥイーターをつけていくところまで書いている。

偶然にもフォステクスのショールーム(エクスペリエンス・ストア)で、2月23日(金)、
「フルレンジの活用とフルレンジからの発展」というイベントが行われる。

私がいま書いているのとほぼ同じことの公開試聴である。
フルレンジユニットの良さを聴いてもらって、トゥイーターを、ということらしい。
余裕があればサブウーファーも、とある。
しかも持ち込みもOKとある。

Date: 2月 10th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その26)

今回のスピーカー作りで、あらためて実感したのは、
オーディオは裏切らないし、音は正直だ、ということ。

やることの順序を間違えずにきちんとやっていけば、
実に、出てくる音は素直に反応する。

今回使ったスピーカーユニットは、特に高価なモノではない。
普及クラス、入門者用ともいえる価格帯のモノであっても、
ツボをおさえたうえで、あれこれやっていくと、その反応の素直さに驚かれる人も出てくるだろう。

今回トゥイーターはインライン配置にしている。
おそらく左右にオフセットするよりも、インライン配置のほうがいい結果が得られるはずだ。

それでも、左右にオフセットした音も聴いてみてください、と伝えている。
音は変化するし、インライン配置よりもいい結果が得られるとは思えないが、
そのことも伝えたうえで、オフセットした音も聴いてほしいのは、
音の変化を理解していくうえで、必要だ、と私は考えているからだ。

トゥイーターの位置を変えることは、
フルレンジ(ウーファー)との音源の位置関係が変るだけではなく、
エンクロージュアの天板への加重も変化し、天板の振動モードもそれに応じて変化する。

天板の振動モードの変化は、エンクロージュアを構成する他の箇所の振動モードへの変化にもつながる。

何かを変化させる。
目に見えるのは、その変化だけだったりするが、
実際にはさまざまなところがわずかとはいえ変化している。
そのトータルとしての音を、われわれは聴いている。

音の変化を理解するとは、そういうことでもある。

Date: 2月 10th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その25)

わずか5mmだから、そのことで耳に到達する音圧がどれだけ下るかといえば、
ほとんど変化ない、といえるけれど、聴いた感じはそうとうに違ってくる。

これならいける、という感触の得られる音になってきた。
この状態で数曲聴いて、さらにもう5mm下げる。
最初の位置からすれば1cm後に下がっている。
さらにいい感じに鳴ってきた。

こうなってくると、特にアッテネーターの必要性を感じさせない。
SICAのフルレンジユニットの高域をカットすることも、いまのところやる必要性はない。

それから、もうひとつ、どんなことをやったのかは書かないが、
そのことによって、最初に鳴った音とは印象が大きく違ってきた。

まだまだやれることはいくつもあるが、しばらくはこの状態で聴いてもらい、
次のステップに進もう、ということになった。

AUDAXのトゥイーターは、うまくいった、といえるし、
今回やったことは、いわゆるスピーカーの教科書に書いてあるようなことではない。
でも、誰でも試せることばかりである。

マルチウェイのシステムとして、もっともミニマムな構成てあっても、
やれることはそうとうにある。

それらをどういう順序で試していくか、ということが重要でもある。
この順序を何も考えずに、手あたり次第やっていっても、
それらが無駄になるとはいわないが、
音の変化を理解するには、変化を生み出した状況をまず把握することが重要であり、
把握なしに理解することはできない──、
このことを強調しておきたい。