Archive for category オーディオのプロフェッショナル

Date: 10月 2nd, 2021
Cate: オーディオのプロフェッショナル

不遜な人たちがいる(その3)

不遜な人Aと不遜な人Bとがいる。
ソーシャルメディアを眺めていると、
不遜な人Aの投稿、不遜な人Bの投稿、
そのどちらにもコメントを書き込んでいる人がいる。

不遜な人Aも不遜な人Bも、ソーシャルメディアでの、いわゆる友人づくりには熱心なようだ。
実をいうと、不遜な人Aと不遜な人Bとも、私はソーシャルメディアでは友達である。

私から友達申請したのではなく、向うからの申請があったからだ。
不遜な人Aとも不遜な人Bとも直接の面識はない。

不遜な人Aと不遜な人Bの投稿、両方にわりと頻繁にコメントしている人とは、
ソーシャルメディア上でも友達ではない。

なのにどちらにもコメントしていることに気づくのは、
服に特徴があるからだ。
それにコメントの内容にも、あっ、あの人だ、と思わせるところがある。

この人は反論めいたコメントは、
不遜な人Aと不遜な人Bの投稿に対してはしていないようだ。

他の人に対してはどうなのかは知らない。
意外にきついことをコメントしている人なのかもしれない。

ただ不遜な人Aも不遜な人Bも、メーカーの技術者であり、
わりと名の知られている人だから、そういう態度なのかはどうかはなんともいえないが、
その人のコメントは、私が嫌うタイプのコメントである。

私が嫌っているから、コメントとして程度が低いとかそういうことではなく、
どこかご機嫌取り的でもあるし、
私は、あなたのいうことをきちんと理解しています、といいたげでもある。

もっといえば、どこか、新興宗教の初期の信者のようでもある。
そう感じていたところに、
その2)へのTadanoさんのコメントさんのコメントがあった。

不遜な人たちがいる(その3の前に)

その2)には、facebookでのコメントが数人の方からあった。
そして、昨日(9月27日)に、こちらにもコメントがあった。

Tadanoさんという方からのコメントである。
ひじょうに興味深いコメントをいただいた。

(その2)にコメントがあったことは、私以外の人は気づきにくい。
なので、ここで取り上げている。

これから書く予定の(その3)以降の内容にも関ってくるので、
この項のテーマに関心のある方だけでなく、一人でも多くの人に、
Tadanoさんのコメントを読んでもらいたい。

不遜な人たちがいる(その2)

その1)を書いた時は、今日(その2)を書くことになるとは思っていなかった。

四年前よりも、オーディオ関係者が、
ソーシャルメディアを利用することは増えているように感じている。
そのこと自体は、けっこうなことだ。

けれど、(その1)で書いた人たちが、やはり他にもいたんだな、と思うことがある。
タイトルに「人たち」とつけた。
ほんとうに人たちだな、と思っている。

技術者が自信をもつのはいい。
けれど、なぜかソーシャルメディアを積極的に使っている技術者ほど、
自信が自慢に、いつしか変っているようだ。

(その1)でも書いたことを、またここでくり返すことになる。

オーディオの技術者ではない私だって知っていること(技術、方式)を、
「最初に発見した」、「私が最初だ」と主張する人がいる。

技術者だったら、知っていて当然と思えることを、なぜだか、知らない。
私よりもずっと若い世代の技術者ならば、少しは仕方ないかも、と思いながらも、
それでは技術者とはして未熟だろう、といいたくもなる。

けれど、今回は私と同世代か上の世代である。
なのに、あることについて「私が最初だ」と主張する。

同じことをやっているオーディオ機器は、けっこう前に登場していた。
その後にも、いくつか登場している。
マイナーなガレージメーカーの製品ではない。

ブランドと型番をいえば、誰もが知っているオーディオ機器である。
つまり、少し調べればわかることなのに、それをやらない。

なんと不誠実なのだろうか。

しかも、そういう人たちに限って、指摘されると、知らなかった、という。
確かに知らなかったのだろう。
ならば、「私が最初だ」といわなければいいことだ。

なのに自慢という主張だけはしっかりとする。

Date: 5月 28th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その6)

オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)。
数年前から、こう書いてきているだけでなく、
現在オーディオ評論家(職能家)はいなくなった、とも書いている。

オーディオ評論家(商売屋)と、その人たちのことを思っているけれど、
それでも読評よりは、ずっとまとも、というか、
少なくとも自分の立ち位置だけは明らかにしている。
それがオーディオ評論家(商売屋)であったとしてもだ。

別項で「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか」を書いている途中だが、
オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)をいっしょくたに捉えるのは、
ミソモクソモイッショである。

オーディオ評論家(商売屋)と読評に関しても同じだ。
いっしょくたに捉えては、やはりミソモクソモイッショである。

私が小学生だったころと記憶しているが、
一億総評論家といわれていた。

いつごろいわれていたのか検索してみたところ、
いまの時代も、そう呼ばれていることを知った。

個人的には、十年以上まえから、
一億総アーティストだと感じているし、
だからといって、一億総芸術家とは呼びたくない気持がある。

いまの時代が、再び一億総評論家時代なのは、
インターネットの普及、SNSの普及があるのは明白だ。

そういう時代に、オーディオの世界で読評があらわれてきた。
私が読評と呼んでいる人からは、一億総アーティスト臭がしている。
私一人がそう感じているだけなのかもしれないが。

Date: 5月 19th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その5)

読評のはしりといえる人は誰なのか。
実名を出そうかどうか、ちょっと迷っている。

オーディオベージックはすでにないから、いまさらその人の名前を出しても……、
というところはあるし、いまではオーディオ評論家めいたことをやっているのだろうか。

オーディオ雑誌を丹念に見ることがなくなったこともあって、その人の名前を目にすることがない。
いまもオーディオ評論家めいたこと(つまり読評)をやっているのであれば、
名前を出すところだが、そうではないようなので控えておこう。

それにオーディオベージックを読んでいた人ならば、誰のことかすぐにわかる。

その人は、おいしいとこ取りをしようとしていた人だった。
少なくとも私の目にはそう映ったし、
そのころあるオーディオ業界の人と、オーディオベーシックの話になったとき、
同じ印象をもっている人がいることがわかった。

それにオーディオベーシックに一時期執筆していた人から、
編集部の様子をきいたときも、やっぱりそうなのか、と思ったことがある。

読評のはしりといえるその人は、
オーディオ評論家のおいしいところ、
編集部のおいしいところ、
読者のおいしいところだけを取ろうとしていた(といまでも思う)。

おいしいとこ取りが悪いわけではないが、
おいしいとこではないこと、つまりまずいことは拒否していたようにみえる。

立場を曖昧にしたままで、それぞれの立場のおいしいとこ取りをしていく。
本人はそんなつもりはまったくなかった、というだろう。

その人と親しい人も、そういってかばうかもしれない。
そんなつもりはなかったのかもしれないが、
読み手であるこちらには、そうみえた。

意識して、おいしいとこ取りしていたほうが、まだましだ。
無意識にそうやっていたとしたら……。

別に、その人のせいで、オーディオベーシックにダメになったかというと、
間接的にそういえても、直接的には、その人をずっと、
それも積極的に関ってきた編集長のせいだ、といいたい。

Date: 5月 18th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その4)

読モという略称がある。
読者モデルのことである。

ここ数年思っているのは、読評である。
読者評論家を略したものだ。

読モもひどい略称だと感じるが、読評は、もっとひどいな、と思う。

読モはインターネットの普及以前から登場していたとのことだが、
これほどの脚光を浴びるようになったのはインターネットの普及も関係している、とのこと。

読評が現れるようになったのは、はっきりとインターネットの普及、
さらにはSNSの普及のおかげある。

Wikipediaによれば、
読モの魅力は、
読者からみてお手本にできる親しみやすさ、
スターというより友達感覚といった親近感に集約される、とある。

オーディオにおける読評もそういえる気がするだけでなく、
ここ十年ほどは個人サイトをほとんど見なくなったためはっきりとはいえないが、
それ以前は、積極的に個人サイト、ブログをやっている人のなかには、
オーディオ評論家をめざしているんじゃないのか──、
そんなふうに感じさせる人が何人もいた。

すでに休刊(廃刊)になってしまったオーディオベーシックという季刊誌があった。
共同通信社が出していた。別冊FMfanの成れの果てだ、と私は思っている。

ひどいことをいうヤツだ、と思われようが、そうとしか思えないし、
別冊FMfanが、こんなふうになってしまったのは、
読評のはしりといえる人を積極的に活用したからだ、とも思っている。

Date: 3月 16th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その10)

iPhone(スマートフォン)でインターネットに接続していると、
さまざまな広告が表示される。

それらの広告で知ったのが、リコーフォトアカデミーだった。

ゼミナール、教養講座、ワークショップ、基礎講座が組まれている。
詳しいことは、リコーフォトアカデミーのサイトをご覧いただきたい。

カメラーメーカーの、こういう取り組みを知ると、
オーディオメーカーは? とやはり思ってしまう。

オーディオメーカーは、各地で試聴会を行っている。
東京では、今年は6月にOTOTEN、11月にはインターナショナルオーディオショウがある。

とにかく音は、そういう場で聴ける。
けれど、リコーフォトアカデミーのような取り組みを行っているメーカーはあるのだろうか。

リコーフォトアカデミーのページには、こうある。
     *
「カメラの使い方については一通り理解しているが思うような写真が撮れない」「自分のテーマが見つけられない」「なかなか写真が上達しない」写真を趣味として真剣に取り組んでいくと、このような悩みにぶつかる方も多いのではないでしょうか。

リコーフォトアカデミーでは、様々な被写体に対する撮影テクニックだけでなく、何をテーマとして何を表現するのか、という写真の本質を学べるカリキュラムを中心に、写真を生涯の趣味として楽しんでいくためのヒントとなる講座を幅広く開講いたします。
     *
このことは、オーディオにそっくりあてはまる。

オーディオのプロフェッショナルの条件(その3)

facebookには便利な機能というか、ややおせっかいな機能というか、
過去のこの日、何を投稿したかを知らせてくれる機能がある。

2011年8月5日に書いたことを、facebookが表示してくれた。
こんなことを書いている。
《オーディオのプロのいないオーディオ販売店は、オーディオだけを扱っていたとしても、それは家電量販店と同じこと。》

私のコメントを含めて、20件のコメントがついた。
これだけのコメントがつくことは、私の場合めったにない。
おそらく20件は、これまでの最高のはずだ。

実は、この投稿の前に、
いまのオーディオ店にいるのは、オーディオのプロフェッショナルではなく、
オーディオ機器販売のプロフェッショナルだ、とも書いていた。

ある人と話していて、共通の知人のことに話題がうつった。
共通の知人は、都内のオーディオ店の店員である。
特に親しかったわけではないが、何度か会っているし、何人かで飲み食いもしている。

共通の知人は、私よりもひとまわり以上若い。
それにしても……、と思うことが、会う度にあった。

私が彼と同じ年の頃、あたりまえのこととして知っていたことを、
彼はほとんど知らない。
これで、オーディオ店の店員がつとまるのかと心配になるくらいだが、
きちんと売上げを達成しているようだ。

だから、彼のことを私は、オーディオのプロフェッショナルではない、とある人に言ったところ、
その人は、顔を真っ赤にして、彼をかばう。

彼はきちんと売り上げているから、プロフェッショナルだ、とその人はいう。
そして、あなた(私のこと)は、売り上げられないでしょ! とつけ加えた。

その人の基準では、オーディオ店で売上げを達成できる人はオーディオのプロフェッショナルで、
そうでない人は、オーディオのプロフェッショナルではない、ということらしい。

オーディオに関することで、お金を稼ぐことができれば、
オーディオに詳しくなくとも、オーディオのプロフェッショナルといおうとおもえばできる。

どんなにオーディオに詳しくても、
セッティング、チューニングの確かな技術をもっていても、
それでお金を稼いでなければ、オーディオのプロフェッショナルではない──、
これも一つの理屈である。

けれど、20件のコメントを読めば(サンプル数が少ない、という人もいよう)、
世の中のオーディオマニアがどう思っているかは、わかる。

Date: 3月 22nd, 2018
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その2)

オーディオ店の前を通った際、気が向けばふらっと入る。
特に目的があるわけではなく、店内を一周して出てくるわけだが、
時々だが、客と店員の会話が耳に入ってくる。

先日もそうだった。
棚に並んでいるアンプを見ていたら、後から、あるオーディオ機器についての会話が聞こえてきた。

それから別の製品との比較の話になり、動作方式への話は移っていった。
製品の比較の時から、少し誤解があるよな、と思いつつ聞いてきたが、
動作方式に関しては、明らかに店員の説明は間違っている。

けれど客は、いつの間にか、店員の説に完全に同意してしまっている。
これでいいのか、と思う。
横から口を出したくもなったが、我慢した。

こうやって間違った知識が広まっていくのか。
そういえば、瀬川先生も同じようなことを書かれていた。
     *
 ある若い人が私のところにへ相談に来た。新しい装置を入れたところ、低音が全然出ないどこが悪いのだろうか、という内容だ。月に四回、あるデパートでオーディオ・コンサルタントをしている一日のことである。
 話を聞いてみると、JBLのプロ用のユニットを特製のキャビネット(この〝特製〟というのも少し怪しいのだが)に収めて大型のスピーカー・システムを作ってもらった、という。その人は自分では知識がないので、信頼している販売店の店員の言うなりらしい。アンプもそれ相応に、マークレビンソンその他でかなりお金がかかっている。それなのに低音が出ないというその出なさかげんは相当にひどいもので、たとえば別のプリアンプを持ってきてトーンコントロールで(マークレビンソンJCー2はトーンコントロールがないので)低音をいっぱいまで上げてみてもまだ出てこない、というのだ。これは異常である。
 こういう場合、まず疑ってみるのは低音用スピーカーの接続のあやまちだが、その点は厳重にチェックしているという。むろん話だけで、ほんとうに合っているかどうか確認できないが、それよりもその人が、興味ある話をし始めた。
 というのは、低音がどのくらい出ていないかということをチェックしてもらったら、七〇ヘルツまでしか出ていないことがわかった、というのだ。この辺から私は、この話はどこかおかしい、と気がつきはじめた。
 七〇ヘルツという低音は、決して本当に低い低音とは言えないかもしれないが、聴感上は相当に「低い感じ」の音であって、たいていのブックシェルフ型スピーカーなら、六〇ないし八〇ヘルツぐらいまでしか出ていないものだし、それでも「けっこう低音がよく出ている」と感じるものなのだ。JBLのプロ用の三八センチ・ウーファーを二本ずつ収めた大型キャビネットで、もしも七〇ヘルツまで出ればもう圧倒的な低音が聴こえて不思議はない。それが出ないというのはどこかに大きなミスがある。
 しかし私は、七〇ヘルツまで出ているというチェックの仕方に、まず興味を持った。ふつうの場合こういうチェックは、オーディオ・オシレーターか周波数レコードで低音をスイープ発振して、スピーカー・システムのインピーダンス特性を測定しながら、場合によってはマイクロフォンやオシログラフ、あるいはせめてサウンドレベルメーターを併用してチェックする。そうでなくては、七〇ヘルツぐらいとはいえても、七〇ヘルツまでしか出ていない、などと断定はできない。
 しかしそういうめんどうな理屈をこねるような話ではなかった。なんと、その人の信頼している店員氏が、よく聴き馴れた歌謡曲のレコードを持ってきて、しばらく耳を傾けたのちに、「ウン! 七〇ヘルツ……」をやったのだという。気の毒だがやはり本当のことを言ってあげた方がよいと思った。「あなた、相当に程度の悪い人に引っかかってますよ」と。
(「新《サイクリスト》教祖」より)
     *
ここまで程度の悪い店員ではなかったけれど、
その口調はかなり断定的で、否定的でもあった。
それでも動作方式の技術的解説に間違いがなければまだいいが、そうではない。
あきらかに間違っての認識である。

店の名前を書かないのは、その店の店員ひとりのことであり、
おそらく他の多くの店員はそうではないであろうからだ。

Date: 7月 14th, 2017
Cate: オーディオのプロフェッショナル

不遜な人たちがいる(その1)

類稀な技術者であれば、不遜というところから遠く隔たったところにいると思っている。

世の中にオーディオに関する技術者は大勢いる。
SNSをみていて、最近立て続けに感じているのは、
この人たち(技術者たち)は、なんと不遜なのだろうか……だ。

こんなことは感じたくないのに、そんな不遜な主張が目に入ってきて、
己の技術に自信をもつことと不遜になることは、まったく別ものなのに……、と思う。

しかも、そういう不遜な技術者には、不思議と信者といえる人がくっついている。

ある技術者がなにかを考えつく。
ある発見をしたりする。

技術者ならば、前例がないかどうかを調べる。
なのに不遜な人たちは,技術者として当り前のことすらしない。

そして、自分が最初だ、と何度も何度も主張する。
それに同意する信者といえる人たち。

オーディオの技術者ではない私だって知っていることを、
つい最近も、「最初に発見した」と主張する人がいた。
また、同種の製品と同時期に発売していたにもかかわらず、
私が開発した製品が、その種の製品で最初だった、とか。

すこし調べればわかることである。
そういう人たちは、指摘されると、知らなかった、とまずいう、必ずいう、といってもいい。
知らなかった、ではなく、調べなかった、というべきところをだ。

Date: 7月 12th, 2017
Cate: オーディオのプロフェッショナル

プロ用機器メーカーとしてのプロフェッショナル

ステレオサウンド 34号に「レコーディングにおける音楽創造を探る」という記事がある。

スイスのレーヴェル、クラーヴェス(Claves Records)が、
日本で録音を行った際の取材をもとに記事はつくられている。

クラーヴェスの録音エンジニア兼ディレクターのシュテンプㇷリ氏に、
どんな再生装置を使っていますか、という質問がなされている。
     *
シュテンプㇷリ 可能なかぎり録音に使ったものと同じ機種で聴いています。具体的にいうとプレーヤーはEMTで、スピーカーはアルテック、そしてスピーカーにはクライン&フンメル社の特製アンプが組み込まれています。これはドイツで放送局用に特注されたもので、OZの型番で呼ばれており、この組み合わせは方々のスタジオで使われていますから、初めてのスタジオでもすぐに仕事にかかれることが多いのです。
     *
K+HのOZという型番のスピーカーシステム。
どんなスピーカーなのか。

日本での録音でのモニタースピーカーには604Eが入った612が使われていることが、
記事中の写真でも、記事の最後に録音器材のリストでも確認できる。

だからOZは604E搭載で、内蔵アンプがK+Hによるものだと当時は想像していた。
これ以上の情報はなかったのだから、そう思ってしまった。

K+H(KLEIN & HUMMEL)は、現在ノイマン傘下の会社になっているが、
いまもスタジオモニターを開発・製造している。

数年前に製造中止になってしまったのが残念だが、
O500Cという3ウェイのスタジオモニターの特性は驚くほどのレベルだった。
スピーカーの特性を、ここまで向上できるのか、と、
オーディオマニア的おもしろさはやや欠けるものの、
もうスピーカーシステムとは、
デジタル信号処理と内蔵アンプを含めて考えていくものだ、と思わせる。

でもK+Hは、昔もいまもどちらかといえばマイナーな存在といえよう。
ステレオサウンド 46号でOL10とO92が取り上げられていて、
私にとって、OL10はぜひとも聴いてみたいスピーカーのリストのトップになるほど、
興味津々のスピーカーだったが、これも聴く機会はなかった。

K+Hのことになると、どうも話がそれてしまう。
OZのことに話を戻せば、さらに以前のモニタースピーカーということぐらいしかわからなかった。

K+Hのウェブサイトには”Historical Products“という項目がある。
すでに製造中止になったモデルの詳細を、ここで知ることができる。

OZの資料もあたりまえのようにある。

想像していたモノとまるで違う。
604を搭載したシステムではなかった。
15インチ口径のダブルウーファーにホーン型のトゥイーターの2ウェイである。
けっこう大型のシステムだ。

このOZが当時のドイツの放送局のモニタースピーカーだったのか。
これにEMTのアナログプレーヤーの組合せで、
シュテンプㇷリ氏はアナログディスクを聴いていたのか。

K+HにはSSVというコントロールアンプも1974年ごろ、日本にも入ってきていた。
ステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEで、
小さなモノクロ写真と簡単なスペックでしか知らなかった。

おそらくはパランス出力を持っているであろうと予想できても、
昔は確かめようがなかった。

このSSVについても、資料が公開されている。
やっぱりそうだったか、と確認できた。

メーカーにとって過去の製品、
それも製造中止になってそうとうな年月が経つモノに関して、
何の資料も公開しないままでも、誰もそのことに対し否定的なことはいわない。

それだけにK+Hが、こうやって公開してくれているのは、
この会社がプロフェッショナルを相手にしているプロ用機器メーカーだからのような気がする。

Date: 1月 23rd, 2017
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その1)

オーディオのプロフェッショナルの条件として挙げられるのは、
資本主義の日本だから、オーディオで稼いでいる、ということがいえる。

オーディオ業界で仕事をしている人ならば、オーディオのプロフェッショナルといえる。
メーカーに勤務している人、輸入商社に勤めている人、
オーディオ店の店員、オーディオ雑誌の編集者、
それにオーディオ雑誌に書いている人たちは、オーディオのプロフェッショナルということになる。

個人でブログを公開していて、
アフィリエイトで何らかの収入を得ている人も、オーディオのプロフェッショナルといえるだろう。
ジャズ喫茶、名曲喫茶の店主も、その意味ではオーディオのプロフェッショナルということになる。

こう考えると、日本だけでも、けっこうな数のオーディオのプロフェッショナルがいるということになる。
少なからぬオーディオのプロフェッショナルがいるわけだが、
これがオーディオのプロフェッショナルの条件とは、まったく思っていない。

オーディオ店のスタッフで、売上げをどんなにあげていようと、
それはモノを売ることに長けているのであって、
オーディオのプロフェッショナルであるかというのと、別の話である。

オーディオ業界にいて、収入を得ている。
それはオーディオで稼いでいるわけだが、
オーディオのプロフェッショナルとして稼いでいるとは限らない。

売ることに長けているのと同じように、別のことが得意であれば、
オーディオで稼ぐことはできる。

Date: 6月 26th, 2016
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その9)

メーカーとしての機能について書くためにあれこれ考えていたところに、
イギリスのEUからの離脱のニュース。

今後どういうふうになっていくのか私にはわからないことが多過ぎる。
そのことについて付焼刃の知識で書いていこうとは思っていない。
でもイギリスのオーディオメーカーに与える影響については、ちょっとだけ書ける。

オーディオメーカーとはいえ、すべてを内製しているわけではない。
たとえばスピーカーユニットは自社工場で生産していても、
エンクロージュアは木工技術が優れている他社にまかせているところもある。

その他社がイギリスにあるならばまだいいだろうが(間接的影響はあるはずだ)、
EU圏内の他国にあったとしたら、少なからぬ影響(直接的影響)が出てくるはずだ。

EUに加盟していれば、他国にあっても同じEU圏内であったため、
いわゆる国内生産と大きく違う面はなかったはずだ。
物理的な距離が遠いくらいだろうか。

けれどEUを離脱すれば、イギリスにとっては他国は他国である。
そのままの生産体制を維持すれば、価格に跳ね返ってくるだろうし、
生産体制をかえて、イギリス国内に代るメーカーを見つけたとしても、
まったく同じクォリティのモノがつくれるのかということ、
国が違えば人件費などのコストも違ってくるだろうから、
必ずしも同程度のコストで製造できるとは限らないはずだ。

ローコストのモノではなく、
ハイエンドオーディオと呼ばれるクラスのモノをつくっているメーカーの中には、
生産体制の見直しが迫られることになるところが確実にある。

生産体制を変えたとする。
すると、これはEU離脱前に製造されたモノだから、離脱後製造のモノよりも優れているとか、
反対に離脱後製造だから、こちらのほうが優れているとか、
そんなことが流布されていくのかもしれない。

イギリスのEU離脱が、メーカーとしての機能、
それだけでなくメーカーとしての性能にもどう影響を与えていくのか。
何かをもたらすのだろうか。
うっかりすれば見逃すような変化が、これからは起ってくるような気がする。

Date: 4月 12th, 2016
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(続ステレオサウンド 47号より)

システムコンポーネントを略してシスコン。
私がオーディオに興味をもちはじめたころ、シスコンという言葉はよく使われていた。

システムコンポーネントはいうまでもなくメーカーによるシステム一式のことだ。
価格的、グレード的に見合ったアナログプレーヤー、プリメインアンプ、チューナー、スピーカーシステム、
いわゆるメーカー推奨の組合せ(システム)である。

これに対してユーザーが自由に選んでコンポーネントシステムをつくる。
そうやってつくられた組合せをバラコン(パラゴンではない)という呼称があった。

バラバラのコンポーネントを組み合わせるから、バラコンである。
ひどい言葉である。

バラコンという言葉を、幸いにしてというべきか、私のまわりにいる人は使っていない。
耳にしたこともなかった。

私がバラコンを耳にしたのは一度だけである。
瀬川先生が使われたときだけである。

瀬川先生は、バラコンという言葉を毛嫌いされていた。

いまバラコンという言葉が使われている。
言葉をざんぞい扱っている。こんな言葉は使いたくないし使うべきではない。

そういった趣旨のことを話された。
このとき、バラコンという言葉があるのを、使われているのを知った。

だからいっさい使っていない。

もう一度引用しておくが、瀬川先生はステレオサウンド 47号にこう書かれている。
     *
 だが、何もここで文章論を展開しようというのではないから話を本すじに戻すが、今しがたも書いたように、言葉の不用意な扱いは、単に表現上の問題にとどまらない。それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している。
     *
バラコンは、まさに《不用意な言葉の扱い》であり、
バラコンを使っているメーカーの《物を作る態度にも、いつのまにか反映している》はずだし、
同じことはオーディオマニアが組合せ(コンポーネント)をつくる態度にも、いつのまにか反映しているはずた。

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(ステレオサウンド 47号より)

ステレオサウンド 47号の特集の巻頭は、瀬川先生が書かれている。
「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」というタイトルがついている。

そこで、こんなことを書かれている。
     *
 だが、何もここで文章論を展開しようというのではないから話を本すじに戻すが、今しがたも書いたように、言葉の不用意な扱いは、単に表現上の問題にとどまらない。それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している。
     *
47号は1978年夏号だから、こんなにも以前に、これを書かれていたのか、と改めておもっている。
「物を作る態度」、
オーディオ機器だけに話はとどまらない。

物の中には、いろいろ含まれている。
オーディオ雑誌もそのひとつのはずだ。