不遜な人たちがいる(その2)
(その1)を書いた時は、今日(その2)を書くことになるとは思っていなかった。
四年前よりも、オーディオ関係者が、
ソーシャルメディアを利用することは増えているように感じている。
そのこと自体は、けっこうなことだ。
けれど、(その1)で書いた人たちが、やはり他にもいたんだな、と思うことがある。
タイトルに「人たち」とつけた。
ほんとうに人たちだな、と思っている。
技術者が自信をもつのはいい。
けれど、なぜかソーシャルメディアを積極的に使っている技術者ほど、
自信が自慢に、いつしか変っているようだ。
(その1)でも書いたことを、またここでくり返すことになる。
オーディオの技術者ではない私だって知っていること(技術、方式)を、
「最初に発見した」、「私が最初だ」と主張する人がいる。
技術者だったら、知っていて当然と思えることを、なぜだか、知らない。
私よりもずっと若い世代の技術者ならば、少しは仕方ないかも、と思いながらも、
それでは技術者とはして未熟だろう、といいたくもなる。
けれど、今回は私と同世代か上の世代である。
なのに、あることについて「私が最初だ」と主張する。
同じことをやっているオーディオ機器は、けっこう前に登場していた。
その後にも、いくつか登場している。
マイナーなガレージメーカーの製品ではない。
ブランドと型番をいえば、誰もが知っているオーディオ機器である。
つまり、少し調べればわかることなのに、それをやらない。
なんと不誠実なのだろうか。
しかも、そういう人たちに限って、指摘されると、知らなかった、という。
確かに知らなかったのだろう。
ならば、「私が最初だ」といわなければいいことだ。
なのに自慢という主張だけはしっかりとする。
REPLY))
初めて書き込みしました。通りすがりの者です。
「不遜な技術者」についてのお話、たいへん興味をそそられました。
私、音響についてはほとんど無知で、いくつかある趣味のうちのひとつという程度の初心者です。部外者からの幼稚なひやかしという程度に読んでいただけたら幸いです。
ところで昔、日本にもオーディオ・ブームというものがあったと思います。1970年代くらいの話です。私はまだ生まれておりません。おそらくですが、その頃、オーディオ人口には大衆という大きなマスがあり、そのマスをふくめて、ひとつの大きな文化体系が形作られていたように思います。その時代における音響文化は、その大きなマスを含む分、そこに秩序の高度化が必要であり、ある種の階層的な認知的ピラミッドが形成されていたのではないかと思います。
そこで、近年において以前よりも不遜な技術者が増えたという話に、私はなるほどと手を打って納得して読んだという話なのですが―。
ステレオから少し話が飛びます。2018年のベストセラー「サピエンス全史」を書いたイスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリは、彼のその著書の中で面白いことを記していました。彼曰く、我々霊長類ヒト科に属する動物は、紀元前6世紀ごろに「虚構」を認知できるようになった。そこでいう虚構とはつまり、後に宗教となる観念のことなのですが。続いて、…ヒトは「虚構」を共有することによって「軍勢」を作り出し、それまでにいた幾種類もの霊長類ヒト科に属する他の種を、ことごとく絶滅させるに至った。ヒトはそれまでせいぜい150人から200人までの軍勢しか作れなかった。しかし、虚構の共有によってヒトは数千、数万という軍勢を作れるようになった。それが、我々人類が生き残ってきた進化の歴史である…そういったような内容でした。イスラエル人でありながら宗教を虚構と言い切ってしまったところが、センセーショナルで面白いと思えました。
さて、私は一般の読者ですので、その主張の真偽のほどは分からないのですが、この「軍勢」という観点から音響の世界を見てみるとまた、面白いのではないかなあと思ったのです。
オーディオが衰退して、つまり、人口が少なくなったという事ですが、そうやって音響というコミュニティーが次第次第に小さくなっていった。発信者も受信者も人数が少なくなっていった。それは一つ一つのコミュニティーが、プリミティブに原始化していったと言えるのではないかと思います。そして、コミュニティーを作る側である技術者が、無意識的に「虚構」を作り出そうとする―そういったこともありうるのではないかと思うのです。無論すべての技術者がそうだとは思いませんが、人数が少なくなりコミュニティーとして知が減退し、原始化していく過程で、「虚構」を作りだそうとする我々人間のいわば原始的な本能…といったようなものが働くのだとしたら、近年において、そういった不遜な技術者が増えるといった傾向が感じられるというのは至極納得できる話だと思えたのです。
彼ら技術者は“知らなかった”ので、我々一般リスナーが嘘をつかれた、裏切られたということにはならないわけですね。つまり、調べないという事は彼らにとって、それが予防線になるということですね。もちろん不誠実であるということは確かでしょう。しかし、彼らはプロフェッショナルでしょうから、まず生存する事を第一に考える。資本を増やすことを考える。自慢をするということは、ヒトが軍勢を作るための生存本能のようなものだと思います。また、それを指摘して回ってもイタチごっこかもしれない―という所に、私はこの現代社会が抱える病理のようなものを感じています。