Falstaff(その2)
ステレオサウンド 47号は、1978年夏に出ている。
私は高校一年だった。
クラシックは聴いていたけれど、主に聴いていたのは交響曲とピアノ曲であって、
オペラに関しては、小遣いではオペラのレコードは高くて買えなかった。
つまり、高校時代、まともにオペラ全曲を聴いてはいなかった。
そんな時期に、47号掲載の「イタリア音楽の魅力」を読んでいる。
キングレコードのプロデューサーの河合秀明氏、
黒田恭一氏、坂 清也氏による座談会である。
黒田先生が語られている。
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さっき坂さんが、物語は荒唐無稽でバカバカしいといわれたけれど、まさにそのとおりで、たとえばぼくの大好きなオペラの一つにヴェルディの『トロヴァトーレ』があるんです。このオペラなんかは、荒唐無稽さではかなり上位にくるもので、しかも作品としてよく書けているかというと、かならずしもそうではない。ところがこのオペラが、一流の歌い手、一流のオーケストラ、一流の合唱団、一流の指揮者によって演奏されたときのすばらしさは、ほかにちょっと類がないと思えるほどなんですね。
べつなことばでいうと、もともと芸術でもないでもないんだけれど、すばらしく見事に演奏され、そしてその演奏を夢中になって聴くひとがいるときに、そこにえもいわれぬ芸術的な香気とかぐわしさが生まれるわけですよね。もともと徹底的にエンターテイメントであっても、結果として、第一級の芸術になりうるんだ、ということでしょう。
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黒田先生が語っておられることは、とても大事なことだ。
イタリアオペラに関してだけのことではない。
《その演奏を夢中になって聴くひと》の存在があってこそ、である。
高校生の私は、まともにイタリアオペラを聴いていたわけではなかった。
夢中になる、ずっと手前で踏み止まっていた。