Archive for category Carlo Maria Giulini

Date: 5月 27th, 2026
Cate: Carlo Maria Giulini, ディスク/ブック

ジュリーニのバッハ(その2)

(その1)を読まれた方(Fさん)から、「バッハに何を求めますか」というメールが届いた。

こうやってあらためて問われて、すぐに出てきた答は「美しい」かどうかだった。

薄っぺらな「美しい」では、もちろんない。昨晩書いたことと重なるが、こちらの齢とともに美しくなっていく「美しい」である。

ジュリーニのロ短調ミサも、私にとってはヨッフムのマタイ受難曲も、そうだ。
そうそう頻繁に聴くわけではない。一年に一度だったり、時にはもっとあいたりするが、聴くたびに「美しい」と思える。より「美しい」と思える。

結局、それは何かと考えると、何度も引用している五味先生の「神を視ている」につながっていくことであり、
二年前に別項で書いている《自分自身の神性の創造》となる。

Date: 5月 26th, 2026
Cate: Carlo Maria Giulini, ディスク/ブック

ジュリーニのバッハ(その1)

カルロ・マリア・ジュリーニのバッハは、ロ短調ミサだ。
1994年の録音だから、CDの発売は1995年ごろか。
発売されてすぐに買っているから、聴いたのは三十年ほど前となる。

三十代前半のころ聴いているわけだが、最初から強い感動があったわけではない。
ジュリーニらしい演奏だと思ったし、素晴らしい演奏とは思いつつも、愛聴盤となったわけではなかった。

それでも聴くのをやめたわけではなかったが、頻繁に聴いてきたわけでもなかった。
何年かに一度聴く感じで三十年が過ぎた。

聴くたびに、ジュリーニの、このバッハが素晴らしく感じられるようになってきている。
ジュリーニのロ短調ミサの評価はどうだったのか。あまり知らないが、話題になることもなかったような気がする。

バッハのロ短調ミサならばリヒター盤だろう、という声が一般的なのはわかっているし、リヒター盤とジュリーニ盤のどちらが素晴らしいかは私にはどうでもいいことで、
ジュリーニ盤が私にとっては、聴くたびに愛聴盤になりつつあるということが大事なことだ。

そのジュリーニのロ短調ミサは、なぜかTIDALにもQobuzでも配信されていなかった。
ようやく昨日(5月25日)に、Qobuzで配信されるようになった。

美しいバッハだ。
聴くたびに美しく感じられるようになってきた。
だからといって、頻繁に聴くようになるわけではない。
あと何回聴く(聴ける)だろうか。

指折り数えるほどかもしれないが、ジュリーニ盤は私にとって、すでに愛聴盤となっている。

Date: 8月 4th, 2016
Cate: Carlo Maria Giulini, マーラー

マーラーの第九(Heart of Darkness・余談)

昨夜の最後にかけたカルロ・マリア・ジュリーニのマーラーの第九。
タワーレコードがSACDとして9月に発売するというニュースが、今日あった。

昨夜も、これがSACDだったら、いったいどんな鳴り方・響き方になるのだろうか。
この音楽が、どう聴き手であるこちらに迫ってくるのか。
それを考えずにはいられなかった。

一夜明けたら、SACDのニュース。
すごいタイミングである。

喫茶茶会記には、いまのところSACDプレーヤーはないけれど、
来年の新月のどこかで、また「新月に聴くマーラー」をやりたいと思ってしまった。
そのときにはなんとかSACDプレーヤーを用意しておきたい。
そして最後にかけるのは、やはりジュリーニの第九、第四楽章である。

ジュリーニのマーラーだけでなく、
キリル・コンドラシンのシェエラザードもSACDになる。

Date: 6月 25th, 2016
Cate: Carlo Maria Giulini

実現しなかったモノ・コト(その1)

黒田先生は、ヴェルディ「椿姫」における理想のヴィオレッタは、
全盛期のマリア・カラスであったと思われる、と何かか書かれていた。
そうだ、と多くの人が同意されると思う。私もそうだと思う。

でも、マリア・カラスがヴィオレッタを歌ったディスクは、いくつかの注文をつけたくなる。
それは録音も含めて問題があるように感じるからである。

いまもカルロス・クライバーの「椿姫」の評価は高い。
1976年から77年にかけての録音であるから、もう40年前のことになってしまう。
けれど、ヴィオレッタに起用されたコトルバスに心底満足している聴き手は、どのくらいいるのだろうか。

ケチをつける、というほどではないにしても、
マリア・カラスを最高のヴィオレッタと思っている聴き手は、
口にすることはないけれど、何か思うところがあるはずだ。

このカルロス・クライバーの「椿姫」は、
もしかするとカルロ・マリア・ジュリーニの指揮になっていたかもしれない。

以前のステレオサウンドには三浦淳史誌の連載があった。
57号掲載の「続・レコードのある部屋」の大見出しはこうだった。

ジュリーニをオペラに呼び戻した《リゴレット》の録音
ライラック/カルショーの遺言

書き出しのところを引用しておく。
     *
 カルロ・マリア・ジュリーニは、十年間、オペラ録音のためのスタジオに入ったことがなかった。歌劇場も同様である。ジュターにがさいごにふったオペラ全曲盤は、EMIのために録音した《ドン・カルロ》だった。彼が盗用したプラシード・ドミンゴとルッジェーロ・ライモンディは、彼らのキャリアをはじめたばかりだった。その後、ジュリーニはオペラをふる気にならなかった。あわやふりそうな気配は二回ほど見せたが、実現しなかった。
 七年前、EMIはジュリーニのために《トロヴァトーレ》を企画したが、ジュリーニは会社がそろえてきた。キャストのうち、一人の歌手をどうしてもアクセプトできなかった。EMIは歌手の入れ替えをしなかったのか、それとも、できなかったのか、ジュリーニの意向を迎えなかったので、ジュリーニは会釈して出ていった。二回目の機会は一九七六年に起こった。DGはカルロス・クライバーの指揮で《ラ・トラヴィアータ》(俗称「椿姫」)を録音する体制をととのえた。クライバーは急病のため指揮をとれないことになった。DGのプロデューサー、ギュンター・プレーストは、ミラノにジュリーニを訪ね、引き受けてくれるよう懇望した。ジュリーニは二十四時間考えたのち、ことわった。理由は、自分が望んでいるやり方で、このオペラを準備するには、時間がなさすぎるというのである。クライバーが回復して、録音は予定通り行なわれた。
 ジュリーニの拒絶反応が反射的なものでないことを知ったプレーストは、ジュリーニにふさわしいオペラと、ジュリーニのアクセプトするキャストを揃えれば゛オペラ録音にカム・バックする可能性はあると、ふんだ。
 次のプレースト談は『ザ・タイムズ』紙の特派員に語った言葉である。
「私は、カルロの夫人のマルチェッラが『主人はもう少しで《トラヴィアータ》の提案に同意するところだったですよ』と話してくれた事実によって、ひじょうに励まされたのです。私共にとってありがたいもう一つのファクターは、ジュリーニの新しい手兵であるロス・アンジェルス・フィルハーモニック(LAP)とオペラをやるという話し合いが出たことでした。ジュリーニはすでにLAPの総支配人アーネスト・フライシュマンと《ファルスタッフ》をふることを話し合っていたのです。
     *
まだまだ続くし、まだまだ引用しておきたいが、このへんにしておく。

ジュリーニが《ラ・トラヴィアータ》の録音をことわった理由のこまかなことはわからない。
ジュリーニはスカラ座を指揮して、マリア・カラスのヴィオレッタによるライヴ録音を残している。

もしジュリーニが録音していたら、クライバーの「椿姫」はなかった可能性が強い。
それでもジュリーニの録音が実現していたら……、と思ってしまう。