Archive for category 録音

Date: 4月 13th, 2024
Cate: 録音

80年の隔たり(その9)

ここで取り上げている1929年録音のティボーとコルトーによるフランクのヴァイオリン・ソナタ、
この録音(演奏)を聴いたのは、ハタチのころだったから、1983年ごろである。

なので、その時点で、五十四年経っていることになる。
1929年には、まだテープレコーダーはなかった。
ディスク録音であるし、モノーラル録音でもあるし、器材はすべて真空管による。

初めてきいたとき、やはり古い録音と感じた。
それから四十年ちょっとが経ち、思うのは五十年前の録音の違いである。

いまから五十年前となると、1974年ごろである。
このころの録音は優れたものがあった。

先日のaudio wednesdayでもかけたコリン・デイヴィスの「春の祭典」も、
いまから五十年弱前の録音なのだが、
当時、優秀録音といわれただけあって、特に録音が古いな、と感じなかった。

もちろん最新録音とは違う点は多々ある。
それでも、1983年ごろに五十年ほど前の録音を聴くのと、
いまの時代、五十年ほど前の録音を聴くのとでは、かなりの違いがあることを、
そんなあたりまえなことを最近、たびたび感じている。

それだけ齢を重ねてきただけなのだが、それだけではないようにも感じているが、
そのことをはっきりと認識できているわけでもない。

Date: 11月 10th, 2022
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その20)

タワーレコードウェブサイトによると、ショルティの「ニーベルングの指環」は、
今回の2022年でリマスターは六回目となる、とのこと。

1985年に、最初のCD化。
1997年に、原録音に携わった技師ジェームズ・ロックがリマスター監修。
私が買ったのは、このリマスター盤。
2009年に、英デッカから音源をライセンスしてSACD化。これがエソテリック盤。
2012年に、1997年版をフィリップ・シニーがリマスタリング。
これがBlu-Ray Audio盤(96kHz)になっている。
2018年に、セイフティ・アナログ・マスターテープからSACD化したのが、ステレオサウンド盤。
2022年、オリジナルアナログディスク十九枚分のアナログマスター三十八本から、
192kHz、24ビットでリマスタリング。

さらにタワーレコードの解説によると、
一回目から五回目までのCD(SACD)化には、
オリジナル・2トラック・ステレオ・マスターテープは保存状態が悪いことを理由に使われていない。

オーディオ雑誌は、ステレオサウンドを含めて、
ショルティの「指環」の比較試聴をやるのだろうか。
オーディオ雑誌だけでなく、レコード芸術も比較試聴はやりそうである。

ステレオサウンドはやらなかったりするのだろうか。

Date: 11月 8th, 2022
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その19)

ショルティの「ニーベルングの指環」の2022年リマスター。
10月28日に、その抜粋盤がe-onkyo、TIDALともに配信が開始された。

e-onkyoはflacとMQA、TIDALはMQAで、どちらも192kHz、24ビットである。
もちろんその日のうちにTIDALで聴いてる。

まず驚く。
そのくらい音が違う。

私はすでに書いてるようにエソテリックのSACDは聴いていない。
ステレオサウンドが出したSACD(シングルレイヤー)も聴いていない。
デッカのBlu-Ray Audio盤(96kHz)も聴いていない。

私が聴いているのは、デッカのCDとTIDAL(44.1kHzのMQA)だけである。
エソテリックのSACD、ステレオサウンドのSACDとの比較はやっていない。

これらとどの程度、音が違うのか。
そこに興味はあるものの、比較する機会はない。

今日、facebookを見ていたら、今回の2022年リマスター盤(SACD)を購入された方が、
ステレオサウンドのSACDよりも、はるかにクリアなサウンド、と書かれていた。

おそらくエソテリックのSACDと比較しても、そうであろう、と思う。
そう、素直におもえるほどに、TIDALで聴く2022年リマスターの「指環」はいい。

Date: 9月 8th, 2022
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その18)

タワーレコード、HMVのサイトでの紹介文をよると、
今回の「ラインの黄金」2022年リマスター盤では、
1958年オリジナルのマスターテープから新たに制作したDSDマスターを使用、とある。
そのうえで、マスタリング作業は、192kHz、24ビット環境で行われた、とのこと。

つまりアナログ録音をDSDに変換、さらに192kHz、24ビットのPCMに変換。
発売されるのはSACDなのだから、192kHz、24ビットのPCMを、
2.8MHzのDSDに変換しているようだ。

おそらく(期待もこめて)、
e-onkyoやTIDALでも配信されるであろう。

e-onkyoではDSF、PCMのflac、それからMQAが用意されることだろう。
TIDALはMQAになる、と思っている。

192kHz、24ビットでのMQAでの配信を勝手に期待している。
可能性はかなり高いはずだ。

タワーレコード、HMVの紹介文を読んでいると、
今回のリマスタリングは、これまでよりも丁寧な作業が行われているように感じられる。

2009年のエソテリックのSACDは聴いていない。
周りに持っている人もいない。

私は、発売のニュースに当時は軽く興奮していた。
きちんとした作業が行われてのSACD化だと思い込んでしまった。

けれど、しばらくしてからいくつかのウワサが耳に入ってきた。
そのことを検証したくとも、聴いていないのだから、はっきりしたことは何もいえないが、
いま思っているのは、当時無理して買わなくてよかった、である。

Date: 9月 6th, 2022
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その17)

昨日(9月5日)、クラシック好きの人は、
ショルティの「ニーベルングの指環」の2022年リマスター盤登場のニュースに、
いちばん驚いた(もしくは喜んだ)のではないだろうか。

SACDが登場したときから、ショルティの「ニーベルングの指環」は、
いつSACDとして登場するのだろうか、と思っていた。
ながらく出なかった。

結局、2009年12月に、エソテリックから発売になった。
やっと出た、買おう、と思ったけれど、
その値段を見てすぐにあきらめた。

はっきりとは憶えていないが、確か六万円ほどだった。

そして2012年9月に、デッカから新たなリマスターCDが登場した。

十七枚組のCDにDVD、30cm×30cmのブックレット、
それとは別の冊子などのほかに、この限定盤の最大の目玉(特典)といえるのが、
ブルーレイディスク一枚におさめられた96kHz・24ビットによる音源である。

こちらも価格はもう忘れてしまったが、エソテリックとは違い納得のゆくものだった。
ならば買ったのか、というと、こちらも買っていない。
Blu-Ray Audioの再生環境を持っていなかったからだ。

それに少しだけショルティの「ニーベルングの指環」に対しての熱も冷めかかっていた。

いまはどうか、というと、MQA(44.1kHz)で聴ける。
e-onkyoでも発売しているし、TIDALでも配信されている。

そこに今回の2022年リマスター盤の登場である。

Date: 5月 6th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その5)

44.1kHz、16ビットのデジタル録音をアップコンバートすること、
さらにDSDに変換することの是非について、あれこれ書くつもりはない。

書きたいのは、エソテリックはなぜMQA-CDを出さないのか、である。
名盤復刻シリーズは、SACDだけなのだろうか。

アナログ録音の復刻であれはそれでもいいと思うが、
44.1kHz、16ビットのデジタル録音の名盤を復刻するのであれば、
MQAが、現時点ではもっとも望ましい、と私は考えているから、
エソテリックは、ぜひともMQAによる名盤復刻シリーズを展開してほしい。

エソテリックがハードウェアでMQAに対応していないのであれば、
こんなことは書かないけれど、すでにMQA対応機種を出している。
ならば、ぜひともMQA-CDも手がけてほしい。

44.1kHz、16ビットであっても、
MQAとなることでほんとうに音がよくなることは、すでにTIDALで、
いくつもの録音で確認しているのだから。

Date: 5月 5th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その4)

エソテリックの名盤復刻シリーズのSACDは、好評のようである。
オーディオマニアのなかには、
発売されたディスクすべて購入したという人も少なくないようである。

私は、というと、最初のコリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集、
それから数年前に出たカルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」だけ買っている。

どちらもデジタル録音であり、しかも44.1kHz、16ビットである。
それをDSDに変換してのSACD復刻である。

元が44.1kHz、16ビットだから、そんなことをしても意味がない、という人もいる。
確かにそうではあっても、音は違ってくる。
プロセスの違いは、マスタリングの過程でもあるし、
再生側(D/Aコンバーターでの処理)でもあるわけだから、
音は変ってきて当然であり、大事なのは、自分のシステムで聴いて、
どう鳴るのか、である。

個人的には、もっとアナログ録音のSACD復刻を期待したいところだし、
アバドとポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲を、ぜひ復刻してほしい。

44.1kHz、16ビットのデジタル録音をどういうプロセスでDSDに変換しているのか。
オーディオマニア的には、ダイレクトにDSDに変換しているものだと思いがちである。

けれど実際はそうではない。
マスターテープがドイツ・グラモフォンの場合は、
44.1kHz、16ビットのマスターを96kHz、24ビットに変換したうえでDSDにしている。

録音スタジオでは、96kHz、24ビットが標準フォーマットである。
とはいえ最終的にDSD(SACD)にするのに、88.2kHz、24ビットにしないのか、
そんな疑問が持ってしまう。

Date: 3月 15th, 2022
Cate: 録音
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録音は未来/recoding = studio product(その7)

金田明彦氏と同じコンセプトを謳う録音は、市販されているもののなかにもある。
できるかぎりシンプルな信号経路と、
そうやって録音したマスターを、まったくいじることなく出荷する。

そういうコンセプトのレーベルは、いくつかある。
つまりマスターの音そのままを、できるかぎり聴き手のところに届ける、というわけだ。

そうすることで、鮮度の高い音を届けることができる──。
でも、これはstudio productといえるだろうか。

実演のコピーにしかすぎない。
私はそう考える。

もちろん人によって、このところの受け止め方、捉え方は違ってくる。

いまはデジタル時代だから、
マスターに記録されたデジタルデータそのままを、
自分のところに届けてくれれば、それこそが最高である──、
そういう捉え方はできる。

こう考える人たちは、マイクロフォンが捉えた空気の振動を、
できるだけそのままに届けてほしい、という人たちなのだろう。

いまはそれが可能になりつつある時代でもある。

そういう録音に、まったく興味がないのかと問われれば、
興味はある、とこたえるし、最新の、そういう録音を聴いてみたい、とも思っている。

けれど、それは興味本位のところが、私の場合は、強い。
私が求めているのは、実演のコピーではなく、どこまでいってもstudio productである。

studio productであるからこそ、再生側のわれわれは音量ひとつとっても、
自由に設定できるということを、
実演のコピーを求めている人たちは、忘れているのか、見落しているのか。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(その6)

無線と実験のレギュラー筆者の一人である金田明彦氏。
金田式DCアンプで知られる人だから、説明の必要はないだろう。

金田明彦氏は、1970年代の終りごろからだったか、
録音機のDCアンプ化に積極的に取り組まれていた。

オープンリールデッキ、カセットデッキ内の録音アンプ、再生アンプをDCアンプ化、
それだけにとどまらずマイクロフォンも手がけられるようになった。

たしかショップスのマイクロフォンユニットを使い、
マイクロフォンアンプのDC化である。

録音機のDC化の最初のころは、ミキサーも発表されていたと記憶しているが、
DCマイクロフォン以降は、マイクロフォンの性能が著しく向上したということで、
ワンポイント録音のみになっていった。

高校生のころ、金田明彦氏のこれらの記事を読みながら、
いったいどんな録音が可能なのか、その音を一度聴いてみたい、と思っていた。
無線と実験は、金田明彦氏の録音をLPにして発売しないのか、とも思っていた。

と同時に、録音する演奏は、どうしても限られてしまう。
このことが気になっていた。

録音器材のDCアンプ化によって、
金田明彦氏のいうようなほんとうに凄い録音が可能になったとしても、
そこで録られた演奏が、さほど聴きたいものでなければ、
もっといえば録音はよくても演奏が拙ければ──、
そんなことも思っていた。

聴きたいのは、素晴らしい演奏である。
その素晴らしい演奏が、いい音で聴けるのならば、さらに素晴らしいことなのだが、
どんなに素晴らしくいい音で録音されたとしても、
演奏そのものが、その音の良さに追いついていなければ、
聴いていて、どう感じるだろうか。

最初は、その音の良さに驚くはずだ。
でも二回目以降は、もしかすると一回目の途中からでも、
演奏の拙さのほうが気になってくるかもしれない。

Date: 2月 27th, 2022
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その5)

別項で、鮮度の高い音について書いているところだ。
この「鮮度の高い音」を、
オーディオにおける金科玉条とする人はけっこう多い。

そうしたい気持はわかるし、ワルいとまではいわないけれど、
その「鮮度の高い音」は、ほんとうの意味での鮮度の高い音なのか──、
そのことについてとことん語られているのを、私は見たことがない。

私がみたことがないだけであって、
どこかで行われていたのかもしれないが、その可能性を否定しないけれど、
どうもそうとは思えない。

「鮮度の高い音」を金科玉条とする人たちは、
録音に関しても、同じ事を唱える。
シンプルな録音こそ最上だ、と。

具体的に書けば、マイクロフォンの数は二本。
つまりワンポイント録音である。

マルチマイクロフォンにすれば、ミキシングのための機器が必要となる。
そういう機器は、音の鮮度を落とすことになる。
同じ理由で、エフェクター類の使用は、まったく認めない。

ケーブルも吟味して、できるだけ短い距離で、各機器を接続する。
使用する器材はマイクロフォンと録音機器のみである。

これ以上、削ったら録音ができないまでに減らしての録音こそ、
鮮度の高い音が録れる、ということになる。

実際に、そういうコンセプトを売りにしているレーベルもある。
このことが悪いわけでもないし、可能性を感じないわけでもない。

たとえばプロプリウスから出ているカンターテ・ドミノ。
この録音こそ、まさにこういう録音である。

これまでにさんざん聴いてきたし、これからも昔ほどではないにしろ、
確認のために聴くことは間違いない。

でも、カンターテ・ドミノをstudio productと感じているかといえば、
そうではない。

Date: 2月 12th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その3)

諏訪内晶子のバッハの無伴奏のSACDのライナーノートには、
録音についての記述はない、とのこと。

TIDALでは、(その1)で書いているように192kHzのMQAで聴ける。
ただ不思議なこと(珍しい)ことに、
アルバム名は英語表記であるけれど、トラック名はなぜか日本語表記である。

e-onkyoはどうなのかと見てみると、
DSF(2.8MHz)とflac、MQA(192kHz)がある。
どちらで録音しているのかは、はっきりとしない。

もしかするとなのだが、両方で録っているのか。

Date: 1月 24th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その2)

昨年秋に、「イージー・ウィナーズ〜PJBEへのオマージュ」が発売になった。
PJBEとは、いうまでもなくフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのこと。

アーク・ブラスという結成されたばかりブラス・アンサンブルのデビューCDである。
録音は、オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏。

この録音についてはオーディオアクセサリーが記事にしているし、
音元出版のPhile Webでも公開されているので、読まれた方もいよう。

ライナーノートにも書いてあるように、
この録音は352.8kHz、24ビットである。

352.8kHzは、44.1kHzの八倍。
352.8kHzは96kHzの整数倍ではない。

96kHzの四倍、384kHzのほうが、スペック的には352.8kHzよりも上だし、
少しでもサンプリング周波数が高い方がいいと短絡しがちな人へのアピールにもなろう。

なのに352.8kHzなのは、おそらくCDでの発売を考慮してのことだろう。

整数倍であることは、それほど音質に影響しない、という人もいる。
とはいえ、実際に自分の耳で確かめることはできないし、
素直に、それを信じられるかというと、そうではない。

たとえそうであってもなんとなく精神衛生上すっきりしないものを感じる。

96kHz、24ビットが録音現場の標準フォーマットなのはわかる。
それでもCDで発売するのであれば、
44.1kHzの整数倍の88.2kHz、さらには176.4kHzでリマスター処理をしてほしい、と思う。

なので「イージー・ウィナーズ〜PJBEへのオマージュ」の352.8kHzは、
やっぱり整数倍なんだな、とつい確信してしまう。

けれど不思議なのは、
「イージー・ウィナーズ〜PJBEへのオマージュ」はe-onkyoでも配信されている。
こちらは96kHz、24ビット(flacとWAV)である。

88.2kHz、176.4kHzではない。

Date: 1月 23rd, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その1)

CDが登場し、デジタル録音が主流となった時代、
再生のフォーマットも録音のフォーマットも、
44.1kHz、16ビットとまったく同じになってしまった。

このことは、録音そのままのフォーマットで再生できる、と喜ぶこともできるし、
録音に対しての夢がなくなった、とも悲しむこともできた。

録音は再生よりも、つねに上のフォーマットであってほしい。
デジタル録音が主流になる前から、オーディオに取り組んでいた人たちの多くは、
おそらくそう思っている。

いま96kHz、24ビットが標準フォーマットになっている。
おそらくしばらくはこのままであろう。

CDのリマスター盤でも、96kHz、24ビットでのリマスターを謳うものが多いし、
録音フォーマットをみても、96kHz、24ビットが主流といえる。

このことはいいんだけれども、釈然としないのが、
CDは44.1kHzであり、96kHzとは整数倍の関係ではない、ということ。

ついさきごろ、諏訪内晶子のバッハの無伴奏のSACDが発売になった。
なのでDSD録音なのか、と思った。

TIDALでも聴けるようになった。
こちらは192kHzのMQAである。

ということは、諏訪内晶子のバッハの録音は、
DSDなのか、それとも192kHzのPCMなのか。

Date: 5月 12th, 2020
Cate: 録音

PCM-D100の登場(その8)

オーディオの世界で自作といえば、ハードウェアの自作のことを指している。
ソフトウェアの自作ということについては、
ほとんど、というか、これまでまったく語られることはなかったけれど、
録音こそ、ソフトウェアの自作である。

1970年代に生録がブームになっていた。
生録を特集するだけで、そのオーディオ雑誌の売行きが増すほどにブームだった──、
と話にきいている。

そうやって録音してきた音源は、そのままでソフトウェアの自作といえるだろうか。
オーディオの世界でのソフトウェアの自作という意味では、
そのままでは、ただ録ってきただけであり、
もちろん、少しでもいい音で録るために工夫しているとはいえ、
録りっぱなしでは、ソフトウェアの自作と呼ぶには抵抗がある。

やはり、なんらかの編集が必要だ。

2013年9月に、ソニーのPCM-D100が登場した。
嬉しいことに、いまも現役の録音機である。

マイクロフォンがついていて、これ一台で、
PCM(192kHzまで可能)でもDSD(2.8MHz)でも録音ができる。

オーディオマニアのなかには、PCM-D100MKIIになって、
PCMで384kHz、DSDで5.6MHzでの録音を可能にしてほしい、と思う人もいよう。

私にも、そういう気持がないわけではないが、
ソフトウェアの自作ということに関して、優れた編集ソフトが必要となる。

PCM-D100には、Sound Forge Audio Studio 10 LEという編集ソフトが付属している。
使ったことはないので、このソフトについては触れないが、
つい最近、イギリスからHit’n’Mix Infinityというソフトウェアが出てきた。

どんなソフトなのかは、リンク先をクリックしてほしいし、
“Hit’n’Mix Infinity”で検索してほしい。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その3)

グレン・グールドが語った「コンサートは死んだ」。
新型コロナ禍のいま改めて「コンサートは死んだ」を考えると、
「コンサート(ホール)は死んだ」なのかもしれない。

グレン・グールドはコンサート・ドロップアウト後も、テレビ用に演奏している。
カメラの向う側、テレビの向う側に聴き手に向けてのコンサートである。

それにゴールドベルグ変奏曲もDVDが出ているくらいだ。
その他にも、グールドの映像は、
ホールでの演奏会を頻繁に行っている演奏家よりも、ずっと多い。

そんなグールドがいうところの「コンサートは死んだ」は、
コンサートホールは死んだ、ということかもしれない。

しかもコンサートホールそのものが消滅するということではなく、
そこに大勢の観客が集まってのライヴ演奏が死んだ、ということなのか。

グールドのいうように「コンサートが死んだ」としても、
コンサートホールは、特にクラシックの録音に関しては、録音の場として残っていくだろう。

だとすれば、ライヴ会場としての「コンサート(ホール)は死んだ」なのか。

グールドは指揮者としての活動も始めていた。
ワーグナーのジークフリート牧歌の録音が残っている。

それにグールドは別の場所にいて、テレビカメラでオーケストラがいる場と中継して、
離れた場所から指揮するという試みも行っている。
いまから40年ほど前のことだ。

コロナ禍により、STAY HOMEである。
クラシックの演奏家に限らず、いろんなジャンルの音楽家(演奏家)が、
自宅からインターネットのストリーミングを里余しての演奏を公開しいてる。

さらには離れた場所にいる数人がインターネットを介して、いっしょに演奏している。

昔、グールドがやっていたこととほぼ同じことをやっている、とも見える。
もしいまグールドが生きていたら、まっさきに演奏を公開していたのではないだろうか。