Archive for 8月, 2009

Date: 8月 31st, 2009
Cate: 境界線, 瀬川冬樹

境界線(その2)

人の声が中音域だとすれば、その上限は意外と低い値となる。

声楽の音域(基音=ファンダメンタル)は、バスがE〜c1(82.4〜261.6Hz)、
バリトンがG〜f1(97.9〜349.2Hz)、テノールはc〜g1(130.8〜391.9Hz)、
アルトはg〜d2(196.0〜587.3Hz)、メゾ・ソプラノはc’〜g2(261.6〜783.9Hz)、
ソプラノはg’〜c2(329.6〜1046.5Hz)と、約80Hzから1kHzちょっとまでの、ほぼ4オクターブ弱の範囲であり、
2ウェイ構成のスピーカーであれば、ウーファーの領域の音ということになる。

タンノイ、アルテックの同軸型ユニットのクロスオーバー周波数は、1kHzよりすこし上だから、
トゥイーター(ホーン型ユニット)が受け持つのは、人の声に関しては倍音(ハーモニクス)ということになり、
オーディオにおける高音域は、倍音領域ともいえるわけだ。

瀬川先生の区分けだと、人の声は、中低音域と中音域ということになり、
中高音域、高音域、超高音域と、「高」音域は、ほぼ倍音領域である。

瀬川先生の区分けは、音の感じ方を重視して、のものでもある。

Date: 8月 30th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その20)

1970年代の終りに登場したソニーのTA-N88が、コンシューマーオーディオ用のアンプとして、
はじめてD級動作を、そして電源にもスイッチング方式を採用している。

そのあとは続かなかったが、ここ数年、B&OのICEpowerをはじめ、
各社からD級動作のアンプ(俗称デジタルアンプ)がいくつか登場している。
ソニーからも、TA-DR1が出ている。

D級アンプも、従来からのA級、AB級動作のアンプも、最終的には、設計者のセンスと技倆によって、
性能、音は決るわけで、
「デジタルアンプこそ最高」とか、「いやいや、デジタルアンプなんて、まだまだ」とはいえないし、
D級動作のアンプには、これから、といいたくなる点もいくつかある。

とはいえ、あれだけの効率の良さは、十分に魅力的である。
今日ふと思いついたのだが、スレッショルドのステイシス回路、それもプロトタイプの回路構成に、
D級動作のアンプを利用してみる、というのは、意外に有効かもしれない。

ステイシス回路のステイシスセクションは、これまでどおりA級動作のアンプを使い、
電流源となるアンプ部に、D級動作のアンプ(ICEpowerを使ってみたい)をもってくる。
A級アンプとD級アンプの組合せで、ステイシス回路を構成するわけだ。

そうすれば、大出力ながら、かなりコンパクトに仕上げられる。

Date: 8月 29th, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その25)

「寄らば大樹の陰」を、人の生き方は人それぞれだから、否定はしない。
ただ、その大樹が、「陽だまりの樹」ではないと、誰かが保証してくれるのか、
「陽だまりの樹」ではないと、誰がわかるのか。

Date: 8月 28th, 2009
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その29)

初期のクレルのフロントパネルを請け負っていた職人が亡くなったことが、
パネル処理が変わっていったことの理由だと、かなり経ったころ輸入元の人からきいた。

その職人にしかできない処理で、誰にも、どうやるのかは伝えていなかったこともあり、
なんとか再現しようとあれこれやったものの、
同じシルキーホワイトのパネルをつくり出すことはできなかったそうだ。

これは傅さんからきいた話だが、
クレルは、ダニエル・ダゴスティーノと、妻のロンディーのふたりきりではじめた会社で、
最初の頃は、資金が豊潤にあるわけでなく、ダゴスティーノ夫人がアンプを製作し、
梱包し出荷までやっていた時期があったそうだ。

シルキーホワイトのパネルの時期と、同じ時期の話だろう。
PAM2とKSA100は成功をおさめる。
そうなると従業員を雇い、会社の規模は大きくなる。

初期のころの、家内工業のような体制とはまったく異る組織へと変貌していく。
それにともない、シルキーホワイトのパネルの再現とは決別し、
ダゴスティーノ夫人もアンプ製作から離れていく。

シルキーホワイトのフロントパネル、それにダゴスティーノ夫人の手によっていたこと──、
こういった、アンプの音質と直接関係しているわけではないことが、
あの頃のクレルの音を構築していた要素のひとつ、それはひじょうに小さな要素のひとつでありながら、
実は重要な要素のひとつでもあったような気がしてならない。

そんな情緒的なことが、音に関係するわけはない、そう言い切りたくとも、
いちどでもあの頃のPAM2とKSA100の組合せの音を聴いたことがあると、なかなかできない。

Date: 8月 28th, 2009
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その28)

いちどかぎり、その場かぎりの演奏と、工業製品のあいだに、そういう共通性はないのかもしれないが、
それでも、クレルのPAM2とKSA100の、ごく初期のモデルを聴いていると、こじつけと言われようが、
やはり共通するものがある、と言いたい。

初期のクレルのアンプのフロントパネルは、シルキーホワイトと呼ばれるキメの細かいアルマイト処理が施され、
鳴ってきた音も、まさにフロントパネルの印象にぴったりの音で、
正直、トランジスターアンプから、こういう音が出るようになったんだ、と、
その音の素晴らしさに魅了されるだけでなく、驚いたことを、いまでもきっきりと憶えているほどだ。

しかし、このシルキーホワイトのフロントパネルは、しばらくしたらなぜか変更されてしまった。
一時期、青が濃いパネルになったときもある、なんとなく初期のモノに近いパネルにもどったときもある。
とにかく製品が入荷するたびに、パネルの処理が変わっていく、そんな感じだった。

当時は、理由がわからず、なぜ、最初のパネルに戻さないのか、不思議だったし、
パネルの変化とともに、型番は変わらなかったが、音の印象も微妙に変っていったように感じていた。

Date: 8月 28th, 2009
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その27)

フィッシャー=ディースカウは、マーラーの「さすらう若人の歌」を幾度か録音している。
1952年にフルトヴェングラーと、1968年にクーベリックと、1978年にはバレンボイムと、録音している。

フルトヴェングラーとのレコードについて、黒田先生が、なにかで書かれていたのを思い出す。
クーベリック、バレンボイムとの歌唱は、
フルトヴェングラーとのレコードをうわまわるものではない、とされたうえで、
いかなる名歌手でも、一生に一度しかうたえない歌がある、と。
フルトヴェングラーとの「さすらう若人の歌」以外のものは考えられない、
そんなことを書かれていた。

アンプのエンジニアにも、そういうことがあるとしたら、
クレルのデビュー作、PAM2、KSA100が、まさにそうであろう。

Date: 8月 27th, 2009
Cate: 理由

「理由」(余談)

髪を切ってきた。

2年ほど、同じ人に切ってもらっている。
今日も、言われたのが、「来るたびに、髪質、良くなっていますよ。張りと艶が良くなってます」ということ。
今年の始めごろ、「何か変えました?」ときかれた。
髪の質が良くなってきたように感じたから、ということだった。

それで、ここ数ヵ月は、行くたびに、驚かれる。
特に食生活も変えていない。ただ量はすこし減らしている。
それでも、一般的な量よりは、けっこう多めだと思う。

以前は、一回の食事で、ご飯、三合は軽く食べていたし、四合まで食べたこともある。
それをいまは、二合ちょっとにまで減らしている。

これで髪質が良くなるとは思えない。
だから「心当たりないですね」と答えていたのだが、理由といえるものがひとつだけある。
1年半前の、サブウーファーの導入だ。

とはいえ、オーディオに全く関心のない人に、「いい音で聴いているから」と言っても、
きょとんとされるだけだろうから、だまっていた。

Date: 8月 27th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十四 補足)

世の中には、何事も短絡的に捉える、受けとめることが得意な方が、
ごくごくわずかだが、いる(一人、知人にいる)。

そんな人は、トランスを、アンプの筐体内の、どこに、どう配置するかについて、私が書いたものを読んで、
重量バランスがよく、左右チャンネルの同一性・対称性が高いアンプだけが優れた音のアンプで、
それ以外のアンプはそうではない、と受けとめるのだろうか。
エソテリックのA100に関しても、否定的なことを言っている、と思っているのかもしれない。

こんなことをあらためていうまでもないのだが、決してそんなことはない。
ただ、重量バランスは、重要な要素のひとつだと言いたいだけであるし、
A100は、なかなかの力作だと思っている。

A100の音は、まだ聴いていない。
ただ、A100について、ひとつだけ書きたいのは、フロントパネルに関して、である。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十三 補足)

同時期に発売されていたマッキントッシュのMC2105とMC2205とでは、
電源トランス、オートフォーマーの並びが異なる。

発売が先のMC2105では、フロントパネルの裏側に、
電源トランス、オートフォーマー、オートフォーマーと並んでいるのに対して、
MC2205では、やはりフロントパネルの裏に配置されているが、並びは電源トランスが中央で、
両端にオートフォーマーというふうに変更されている。

だから、今後、マッキントッシュのパワーアンプが、MC2301と同じ筐体構造になるとしたら、
エソテリックのA100のトランス配置と同じにはならないと判断できる。

マッキントッシュのパワーアンプは、トランス(オートフォーマー)には、
必ずケースがかぶせてある。
A100で、左右チャンネルの出力トランスをまとめて、ひとつのケースをかぶせ、
電源トランスはケースなし、となっている。

トランス(オートフォーマー)同士は干渉する。
干渉を低減させたければ、シールドケースをかぶせるのが手っとり早い方法だが、
私は、できるだけトランス(とくに信号系のトランス)にはケースはかぶせたくない、と考えている。

シールドケースを使わなければ、トランス同士の間隔を広くとることを求められる。
ならば、電源トランスだけをシールドし、中央に配置すれば、
出力トランス(オートフォーマー)同士の間隔は、必然的に広くとれる。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十二 補足)

重量級パーツをうまく配置して、重量バランスをうまくとったとして、だから、
ただちに音が良くなるというものではない。

MC2301において、手なれた筐体構造を捨てることはたいへんなことだが、
新しい可能性も生まれてきているはずだ。

MC2301の音に関しても、はやく聴いてみたいのだが、
同時に、これからのマッキントッシュのアンプが、このレイアウトを採用していくのか、
それともMC2301だけで終るのか、にも興味がある。

ステレオアンプだと、どういうトランス配置にするのか。
エソテリックのA100と同じ、電源トランス、出力トランス、出力トランス、とするのか、
それとも電源トランスを中央にし、両端に出力トランス(もしくはオートフォーマー)とするのか。

私の勝手な予想では、電源トランスを中央とする配置になると思う。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 25th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十一 補足)

MX10000や928、アンプジラ2000といったアンプがなくとも、
ラックの棚板の上で、アンプを前後左右に動かしたときの音の変化も、
重量バランスによる変化といえる面ももつ。

できれば、これも重量バランスの整ったアンプよりも、アンバランスなアンプ、
それもできれば重量級のアンプの方が、移動したときの音の差は大きくなる傾向があると言える。

まずは棚板のちょうど中央に置いて聴く。
今度は、音の変化量が大きくなるので、
棚板に脚部がぎぎりかかるくらいまで前に動かす(後でも、もちろんいい)。
この音を聴く。今度は反対に後に、やはりぎりぎりまで動かした音を聴く。

このとき注意したいのは、いうまでもなく音量は一定にしておくこと。
ボリュウムには決して触れないこと。

これらの音の差が充分に聴きとれたら、左右や斜めに動かしてみるのも面白い。
このことは、昔から井上先生が、よく言われていたことで、ステレオサウンドでも記事にしたことがある。

お金はかからない、一種のキャラクターコントロールとしても使える。
実際のアンプで、重量バランスを整えるために、重量級パーツのトランスの位置の変更を行なうことは、
全体のコンストラクション、配線にも変更が求められ、
それらを含めたうえでの音の差として現われるわけだから、
重量バランスの違いだけのを音として聴くのは、厳密には無理といえば無理なことだが、
それでも、大まかな傾向は共通したものがあると感じられるのと、
オーディオの経験則から言えるとも思っている。

Date: 8月 24th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×十 補足)

アンプの重量バランスによる音の違いも、アンプを自作せずとも確認できる。
たとえばフロントパネルに電源トランスを取り付けているパワーアンプを、もしお持ちならば、
このアンプの置き方を変えてみるだけで、大きく音が変化する。

現役の製品では、アンプジラ2000がそうだし、以前のアンプではヤマハのMX10000、
プライマーの928 Mono Ampがそうだった。
最重量物の電源トランスを取り付けてあるぐらいだから、MX10000も928も、
フロントパネルは厚くしっかりしたものだった。
だから、さらに重量バランスはフロントパネル側に片寄っている。

これらのアンプを、直立させてみる。
つまりフロントパネルを下にして、アンプを90度起こした状態にするわけだ。
注意しなければならないのは、放熱のことで、この状態で長時間聴くことはやめてほしい。
だから、あくまでも試しに聴くということなのだが、音のバランスが、より安定してくる。
音の輪郭もしなやかになる。

もちろん、この音の変化は重量バランスの変化によるものだけではない。
プリント基板が水平だったのが垂直になるし、それにともない部品の向きも変わる。
こまかな違いはいくつか出てくる。
それでも、井上先生が言われていたことと同じ変化が聴きとれる。

Date: 8月 23rd, 2009
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(その20)

耳の固有音に関係してくるのは、時代と風土も、無視できないだろう。

ほぼ同じだけのオーディオのキャリアもつ人がふたりいたとしても、生れた時代によって、
耳にしてきた音の性格も異る。

アクースティックな蓄音器の時代から、レコードの音を聴いてきた耳の固有音と、
ステレオ時代しか知らない世代の耳の固有音、
それからCD以降の音しか知らない世代が、これからキャリアをつんだときの耳の固有音、
これらは違って当然だろう。

1963年生れの私は、オーディオに関心をもつまでに、もっとも長く耳にしていたスピーカーの音は、
それはテレビに内蔵されているスピーカーの音であり、ラジオのスピーカーだった。
幼いころにあったテレビは、まだ真空管式だったはずだ。
スピーカーは、紙コーンのフルレンジ型。

テレビも音声多重放送がはじまると、フルレンジ型だけでなく2ウェイ構成のものも登場してきた。
ラジカセも、私が学生のころはフルレンジだけだったのが、いつのまにかマルチウェイ化されていった。

テレビ、ラジオといった身近なスピーカーの音も、時代によって変化している。
外に出ればわかるが、いま音楽を聴くのは、
スピーカーよりもヘッドフォン、イヤフォンが多いという人も増えている。

キャリア(時間)が同じだとしても、
ステレオサウンドの「スーパーマニア」に登場した人たちと同じ構成の装置を、
これからの人たちの耳が選択するとは思えない。

これはどちらがレベルが高いとか、センスがいいとか、そういったことではなく、
生まれ育った時代による耳の固有音の形成され方の違いということでしかない。

Date: 8月 23rd, 2009
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(その19)

耳の固有音について考えると、もちろん個人差があるし、同じひとりの人間でも、
それまでの体験の蓄積によって、耳も成長し、耳がもつ固有音も変化していくのだろう。

ステレオサウンドの50号ごろからはじまった「スーパーマニア」の連載の初期のころに登場された方々が、
なぜ真空管アンプ(それもシングルアンプが多かったように記憶している)で、
高能率のスピーカーを鳴らされていることに、つよい関心があった。

そういった方々の多くの人は、そうとうな遍歴を経た上で、誌面に登場されたときの装置を選択されている。

そのとき、まだ10代なかばだった私は、関心をもちながらも、その理由についてはまったく想像できなかった。
けれど、耳の固有音の形成如何によっては、それまでどういう音を聴いていたかによっては、
高能率スピーカーと真空管のシングルアンプの組合せが、無色透明とはいかないまでも、
意外にも、それほどつよい個性を感じさせずに、自然と音楽が響いてくる音なのかしれないと、
ここ数年思うようになってきた。

これが歳を重ねるということなのだろう。