the Review (in the past) を入力していて……(その29)
初期のクレルのフロントパネルを請け負っていた職人が亡くなったことが、
パネル処理が変わっていったことの理由だと、かなり経ったころ輸入元の人からきいた。
その職人にしかできない処理で、誰にも、どうやるのかは伝えていなかったこともあり、
なんとか再現しようとあれこれやったものの、
同じシルキーホワイトのパネルをつくり出すことはできなかったそうだ。
これは傅さんからきいた話だが、
クレルは、ダニエル・ダゴスティーノと、妻のロンディーのふたりきりではじめた会社で、
最初の頃は、資金が豊潤にあるわけでなく、ダゴスティーノ夫人がアンプを製作し、
梱包し出荷までやっていた時期があったそうだ。
シルキーホワイトのパネルの時期と、同じ時期の話だろう。
PAM2とKSA100は成功をおさめる。
そうなると従業員を雇い、会社の規模は大きくなる。
初期のころの、家内工業のような体制とはまったく異る組織へと変貌していく。
それにともない、シルキーホワイトのパネルの再現とは決別し、
ダゴスティーノ夫人もアンプ製作から離れていく。
シルキーホワイトのフロントパネル、それにダゴスティーノ夫人の手によっていたこと──、
こういった、アンプの音質と直接関係しているわけではないことが、
あの頃のクレルの音を構築していた要素のひとつ、それはひじょうに小さな要素のひとつでありながら、
実は重要な要素のひとつでもあったような気がしてならない。
そんな情緒的なことが、音に関係するわけはない、そう言い切りたくとも、
いちどでもあの頃のPAM2とKSA100の組合せの音を聴いたことがあると、なかなかできない。