Archive for category ヘッドフォン

Date: 6月 11th, 2023
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その11)

その9)で、イエクリン・フロートのヘッドフォンの外観について書いた。

いまの時代、イエクリン・フロートのヘッドフォンを装着した写真も、
インターネットを検索すれば見つかる。
瀬川先生が試聴記に書かれているように
《頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す》、
まさにそんな感じである。

いま私に、もっとも関心をよせているヘッドフォンは、
HEDDのHEDDphoneである。

イエクリン・フロートほどではないが、
HEDDphoneもけっこう大型で、装着している写真をみると、
ゲラゲラ笑い出すほどじゃないが、かなり大きいな、とは思ってしまうほどだ。

HEDDphoneは、AMTドライバー(いわゆるハイルドライバー)のヘッドフォンだ。
いまのところAMTだけのヘッドフォンとなると、HEDDphoneぐらいのはずだ。

音は聴いたことがない、というか、実物も見ていない。
それでもAMTのヘッドフォンということだけで、すごく気になる存在。

とはいえ聴かない方がいいかも──、とちょっと思っているのは、
けっこう高価なヘッドフォンだからだ。

気に入ってしまい、無理して買ってしまうと、
ヘッドフォンアンプも、このヘッドフォンに見合うモノにすぐさましたくなるだろうし、
そうなっていくと、歯止めがきかなくなるからだ。

買ったとしても、つまり音が気に入ってしまえば、
HEDDphoneの大きさ、デザインはさほど気にならないだろう。

というのも、ヘッドフォンで音楽を聴く行為は、ひとりで音楽を聴くということだからだ。
だから装着している姿を見られるわけではないし、
装着した自分の姿を鏡で見るわけでもない。

Date: 7月 9th, 2022
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その14)

先日公開した「所有と存在(その18)」。

好きな音楽をおさめたディスク(LP、CD)が増えていくとともに、
火事になったら……、地震が来たら……、
そんな心配を持つようになった、と書いた。

なにもディスクだけではない、
オーディオ機器に関しても、その心配は常につきまとう。

オーディオ機器となると、一人で持ち出せる大きさ、重さではなかったりするから、
まずはディスクを、と心配するわけだが、
火事がおこり、目の前でそれまで使ってきたオーディオ機器が消失してしまうのは、
現実におこってしまったら、たいへんな衝撃のはずだ。

25のときに、EMTの927Dstを手に入れた。
音も見事だが、自室におけば、その存在感は大きい。
けれど、927Dstを緊急時に持ち出せるかといえば、
火事場の馬鹿力があるとすれば可能かもしれないが、
持ち出せるモノとは思えなかった。

オーディオという趣味は、安全な空間を必要とする。
火事がこようが、地震がこようが、何があってもリスニングルームは無事。
そういう空間を持てるのであれば、私のような心配はしなくてもすむ。

けれど災害は人の想像力を超えた規模で起りうる。
絶対安全な空間など、ほぼない、といっていい。

そして、オーディオは部屋に縛られる趣味ともいえる。

そんなことに頭を悩ませていたころに、AKGからK1000が登場した。
そのころはK1000が欲しいな、だった。

K1000の登場から二十年以上。
K1000の後継機が三年前に登場した。
時を同じくして、私の音楽の聴き方に変化が訪れた。

MQAとTIDALである。
iPhoneとなんらかのD/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプがあれば、
そしてK1000もしくはK1000の後継機が揃えば、
部屋に縛られることから解放される。

スピーカーで音楽を聴こうとするから、
定住することが求められるのだが、上記のシステムならば、
もうそんなことはない。

終のリスニングルームとは、そういうことなのだろうか。

Date: 2月 28th, 2022
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その5)

この項のカテゴリーは、ヘッドフォンである。
ビバリッジのスピーカーについて書いているのに、
なぜヘッドフォンなのか、というと、ヘッドフォンでのみ音楽を聴いて、
スピーカーで音楽を聴くことにあまり関心ない人がいるからである。

身近にそういう人はいないから、想像するしかないのだが、
スピーカーからの音出しが、置かれている環境のせいで無理という人もいれば、
ヘッドフォンに慣れてしまっている、ヘッドフォンのほうがいい、
という人もきっといよう。

音楽を家庭で聴くということ・イコール・スピーカーで聴くこと。
私はそうだった。

けれどいまは必ずしもそうではなくなっている。
ヘッドフォンで聴くことがあたりまえの人たちにとって、
スピーカーの音は、どう感じるのか。
違和感をおぼえるのだろうか。

そうだとしたら、おもにどこに違和感をおぼえるのか。

ビバリッジのスピーカーシステムを聴く機会はなかった。
これから先もない、と思っている。

なのでしっかりしたことはいえないのだが、
ヘッドフォンで音楽を聴き始め、その世界に慣れ親しんだ人にとって、
ビバリッジの音は、意外にも違和感なく受け入れられるのかもしれない。

想像でしかない。
実際はどうなのか。

ビバリッジのスピーカーと同じコンセプトのスピーカーが、
他社から、これから出てくることはほぼ期待できないけれども、
ヘッドフォンに慣れ親しんだ世代の人が、もしスピーカーメーカーを興したら、
ビバリッジ的コンセプトに基づいたシステムをつくってくるのではないだろうか。

Date: 5月 7th, 2021
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その4)

ビバリッジのスピーカーのことを思い出すたびに、わいてくる疑問が一つある。
ステレオサウンドの試聴室のことだ。

50号の新製品紹介記事で、ビバリッジは登場している。
このころの試聴室と私が働いていたころの試聴室は同じである。

六本木にあったころの試聴室は、その後の試聴室とは違う。
木の壁が二面、ガラス窓のある壁が一面、レコード棚の壁が一面である。

ビバリッジのスピーカーシステムが要求する対向する壁への設置、
ステレオサウンドの試聴室では左右で条件が揃わなくなる。

長辺の壁二面に設置した場合、木の壁とガラス窓のある壁とになる。
短辺の壁二面だと、木の壁とレコード棚のある壁とになる。

どちらの壁に設置したのだろうか。
そのあたりのことは50号の記事にはなかった。
もしかすると、輸入元の試聴室で聴いたのかもしれない。

ビバリッジのスピーカーシステムの、日本での知名度は低い。
私はステレオサウンドを読んできていたので知っているが、
それでも実物をみたことはない。

当時の販売店の広告にも登場していたので、
一部の販売店では高く評価されていたのかもしれない。
けれど、だからといって売れたのかは、別の問題だろう。

対向する二面の壁を必要とするのは、導入においてけっこうやっかいなことでもある。
専用リスニングルームであれば問題はなかったりするだろうが、
そうでなければなかなか対向する二面の壁、
それも左右で条件を同じにしようとするのであれば、大変なことだろう。

理想をいえば、しっかりした壁で、設置する壁にはビバリッジのスピーカー以外は置きたくない。
ビバリッジのシリンドリカルウェーヴの考慮すれば、
出来るだけ広い壁、つまり大きい平面バッフルを用意するようなものだ。

ビバリッジが謳うように、シリンドリカルウェーヴがきれいに、
その波面がひろがっていくのであれば、
そういうふうにしたいとなるのがオーディオマニアの心情だろう。

Date: 5月 6th, 2021
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その3)

その1)へのfacebookでのコメントに、こう書いてあった。

ソニーの盛田昭夫氏が、ビバリッジの開発者のHarold Beveridgeの自宅で、
その音を聴いて驚嘆し、販売製造権を買い取ろうとしたが、話はまとまらなかった──、と。

こんなことがあったとはまったく知らなかった。
ビバリッジは1974年創立である。
いつごろの話なのだろうか。

この話を読んで、1996年ごろにソニーがSS-R10を発表したことを思い出していた。
ペアで300万円するコンデンサー型スピーカーシステムである。

三年前の別項でも、唐突に登場してきた感がある、と書いた。
コンデンサー型マイクロフォンは長年手がけてきていても、
それまでのソニーのスピーカーの流れからすれば、SS-R10は唐突であった。

けれど盛田氏とビバリッジの、このエピソードを知っていれば、
それは唐突でもなんでもなかったことになる。

三年前の別項では、こんなことも書いている。

ステレオサウンド 5号、瀬川先生の「スピーカーシステムの選び方まとめ方」、
その中に、こう書いてあった。
     *
 コンデンサー型スピーカーについては、中〜高域の透明な美しさにくらべて、低音域の厚みが不足したり、力強さがないなどという意見がよく聞かれる。その当否は別として、QUADのスピーカーを中域から上で使うようにして、低域をふつうのコーン型のウーファーに分担させるという、ソニーの大賀氏のアイデアを実際に聴かせて頂いて仲々よい音質だったので、使いこなしのひとつのヒントとしてご紹介させて頂く。
     *
聴かせて頂いて、とあるから、大賀典雄氏のシステムだったのだろう。
つまり大賀氏は、この時期(1967年ごろ)、QUADのESLを鳴らされていたことになる。

三年前は、大賀氏とコンデンサー型スピーカーとが結びついたわけだが、
盛田氏もそうたったのか。

同じコンデンサー型スピーカーといっても、
QUADのESLとビバリッジのシステムとでは、構成も規模も使い方もずいぶん違う。
そして放射パターンが大きく違う。

そうであっても、共通するよさはあるわけで、
そこにビバリッジの場合は、独特の放射パターンによる再生音場が加わる。

もっと詳しいことを知りたいところだが、
盛田氏も大賀氏も、この世を去られている。

Date: 5月 5th, 2021
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その2)

ビバリッジは、私がステレオサウンドで働きはじめたころには、
輸入元のカタログには載っていたのだろうが、輸入されていなかったに近い。

だからステレオサウンドでも聴くことはなかった。
なのでとっくに解散してしまっている会社だと思い込んでいた。

ところが、“Beveridge Audio”で検索してみると、
すんなりウェブサイトが見つかる。
まだ活動しているし、スピーカーシステムを作っている。

それでもアメリカ、イギリス、スウェーデンだけでの販売のようだ。
facebookにも、Beveridge Audioのページがある。

最後の投稿が、いまのところ2015年4月なので、細々と活動しているのかもしれないが、
facebookには、System 2SW-1の内蔵アンプの回路図などが公開されている。

シリンドリカルウェーヴのスピーカーといえば、
マッキントッシュのXRTシリーズを思い浮べる人は多いだろう。

シリンドリカルウェーヴといえば、そういえるが、
ビバリッジと同じとはいえない。

ビバリッジはコンデンサー型のフルレンジユニット、
マッキントッシュのXRTシリーズは、ドーム型トゥイーターの多数使用による。
似て非なるものともいえる。

スピーカーシステムとしての優劣を語りたいのではなく、
ビバリッジならではの放射パターンと設置。
それらによってつくり出される再生音場は、
ヘッドフォンでのみ音楽を聴いている人たちに、どう響くのだろうか。

そこに興味があるし、私もビバリッジの再生音場を一度経験してみたい、と思っている。

Date: 5月 5th, 2021
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その1)

ビバリッジ(Beveridge)というアメリカのブランドが、
昔、輸入されていた。
R.F.エンタープライゼスが輸入元だった。

ステレオサウンド 50号の新製品紹介で取り上げられていた。
コンデンサー型のスピーカーシステム、System 2SW-1だった。
サブウーファー込みで、ペアで2,500,000円だった。

いまでこそペアでこのくらいの価格のスピーカーシステムは珍しくなくなった。
けれど当時は、かなり高価なスピーカーシステムだった。
ちなみに同時期のJBLのパラゴンは、1,600,000円である。

その後、ビバリッジは管球式コントロールアンプ、RM1+RM2を出す。
RM1+RM2は、山中先生が、特に高く評価されていた。

どちらも聴いてみたかったけれど、いまだ聴く機会はない。

RM1+RM2の設計者、ロジャー・モジェスキーは、
その後独立して、ミュージックリファレンスを興し、
RM4(管球式ヘッドアンプ)、RM5(管球式コントロールアンプ)を出している。

ビバリッジのスピーカーは、いまでも聴いてみたい。
ビバリッジのスピーカーは、聴き手の前面に設置するわけではない。
左右の壁に対向するように設置する。

コンデンサー型スピーカー・イコール・平面波と考えがちだが、
フルレンジのコンデンサー型ユニットの前面に紙にプラスチックを含浸させた素材で、
音響レンズの一種、というか、コンプレッションドライバーのイコライザーに相当するものを配置、
この音道をとおることで、コンデンサー型ユニットから発せられる平面波を球面波へとし、
水平方向180度の円筒状の波形(シリンドリカルウェーヴ)をつくりだしている。

こういう放射パターンをもつスピーカーだからこそ、の置き方でもあり、
こういう置き方を実現するための放射パターンともいえる。

ステレオサウンド 50号では、
井上先生が、音像自体が立体的に奥行きをもって浮び上ってくる、と言われている。
さらに、オペラを聴くと、歌手の動きが左右だけでなく、少し奥のほうに移動しながら、
右から左へと動いた感じまで再現し、その場で実際にオペラを観ている実在感につながる、と。

山中先生も、通常のスピーカーの、通常の置き方よりも、
楽器の距離感を驚くほどよく出し、協奏曲での、独奏楽器とオーケストラとの対比がよくわかる、
という評価だった。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その10)

三年半ほど前に、ヤマハのヘッドフォンの現在のデザインについて、
少しだけ書いている。

そこで書いていることのくり返しになるが、私にとってのヤマハのヘッドフォンといえば、
マリオ・ベリーニによるデザインのHP1、
ポルシェ・デザインのYHL003である。

現在のヤマハのヘッドフォンが、HP1やYHL003と違うデザインだから、
とやかくいいたいのではなく、
左右のハウジングに、大きくヤマハのマーク(音叉を三つ組み合わせたもの)が入っているからである。
ここに違和感をおぼえた。

そういうヘッドフォンは、ヤマハだけではない。
ほかのブランドからもけっこうな数出ている。

でも、ヤマハの以前のヘッドフォンのデザインを知っているだけに、
ヤマハの場合は、特に気になってしまう。

でも、このことはいまやヘッドフォンは、
屋内だけでなく屋外、
つまり人にみられる空間での使用が当り前になってきているわけで、
そこにおいて自社のブランドをはっきりとアピールすることは、
そのブランドにとってだけでなく、そのヘッドフォンを選んだユーザーにとっても、
重要なことなのだろう。

それでも私は、ヘッドフォンを外に持ち出すことはしない。
あくまでも、スピーカーで聴く音楽も、
ヘッドフォンで聴く音楽も、ひとりで、のものであるからだ。

Date: 1月 19th, 2021
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その9)

イエクリン・フロートのヘッドフォン、Model 1について、
瀬川先生がステレオサウンド別冊「HiFiヘッドフォンのすべて」で書かれている。
     *
 かける、というより頭に乗せる、という感じで、発音体は耳たぶからわずかだか離れている完全なオープンタイプだ。頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す。しかしここから聴こえてくる音の良さにはすっかり参ってしまった。ことにクラシック全般に亙って、スピーカーからはおよそ聴くことのできない、コンサートをほうふつさせる音の自然さ、弦や木管の艶めいた倍音の妖しいまでの生々しさ。声帯の湿りを感じさせるような声のなめらかさ。そして、オーケストラのトゥッティで、ついこのあいだ聴いたカラヤン/ベルリン・フィルの演奏をありありと思い浮べさせるプレゼンスの見事なこと……。おもしろいことにこの基本的なバランスと音色は、ベイヤーDT440の延長線上にあるともいえる。ただ、パーカッションを多用するポップス系には、腰の弱さがやや不満。しかし欲しくなる音だ。
     *
瀬川先生はModel 1を、試聴が終るとともに買い求められている。
《頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す》、
そんな形のヘッドフォンであっても、
工業デザイナーを目指されたことがあるにもかかわらず、Model 1を自分のモノとされている。

トリオのコントロールアンプL07Cのデザインをボロクソに貶された瀬川先生が、である。
頭にのせた姿は鏡を見なければ、自分には見えない。
音を聴いている時も、ヘッドフォンは目に入ってこない。

だからなのだろうか。
カッコいいと思えるヘッドフォンが欲しい、という気持はある。
誰にだってあるだろう。

それでもヘッドフォンで音楽を聴いている時は、
かけ心地は気になることはあっても、ヘッドフォンは目に入ってこないから、
音がイエクリン・フロートのように、ほんとうに美しければ、忘れてしまえる。

けれど、ヘッドフォンをファッション・アイテムのひとつとして捉えている人は、
そうはいかないはずだ。

どんなに音がよくても、イエクリン・フロートのようなヘッドフォンは、
絶対にイヤだ、ということになるはずだ。

誰かにみられることを意識してのヘッドフォン選びと、
音楽を聴く時は一人きりで、誰にも見られることはないのだから、という選び方。
いまはどちらもある。

「HiFiヘッドフォンのすべて」が出たころは、そうではなかった。

Date: 1月 16th, 2021
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その8)

五味先生の「いいヘッドフォンを選ぼう」。
     *
 なまなかなスピーカーで鳴らすより、いまや良質のヘッドフォンで聴くほうが、よっぽど、音楽的にも快美な音を楽しめることは、心あるオーディオ愛好家ならとっくに知っているだろうが、こんど二十日間ばかり入院を余儀なくされ、病室にデカい再生装置を持ちこむわけにも参らぬので、もっぱらFMの収録テープをヘッドフォンで聴いた。デッキはルボックスA700。ヘッドフォンは西独ゼンハイザーとオーストリアのAKGを併用したが、凝り性の私のことだから他にも国産品を二、三取り寄せて聴きくらべてみた。いろいろなことがわかった。ヘッドフォンにもデッキとの相性があること、かならずしも周波数特性の伸びは、高低域の美しさを約束しない——いいかえれば測定値の優秀さはそれだけでは音楽美に結びつかぬサムシングが、まだ音響芸術の分野にはあるという、以前からわかりきっていたことを、あらためて再確認したわけだ。
 国産のヘッドフォンは、明らかにAKGなどと比較して高域はのびている。だが、そのピアノはスタインウェイやベーゼンドルファーの高音の艶っぽさをもっていない。おもちゃのピアノで、キンキラ鳴るだけである。ヴァイオリンのユニゾンも、どうかすれば砂をふくんだザラついた音になり、あの飴色をしたヴァイオリンの胴が響かせる美音ではない。ソース自体はFM放送だが、こんなにもFMの高域は美しいのかと、ゼンハイザーやAKGでは思わずうっとり聴きほれてしまうのだから、国産ヘッドフォンメーカーは猛反省してもらわねばなるまい。
 きみが国産で聴いているなら、だまされたと思ってAKGかゼンハイザーのHD424、あるいはHD400の試聴をすすめる。HD400など九千八百円(一九七八年八月現在)という信じ難い安さで、しかも聴き心地は満点。
     *
このころのヘッドフォンの数といまとでは、ずいぶん違ってきている。
しかも価格帯の幅も、いまのほうが広い。

ここで五味先生が書かれていることを読んで、
私も、一つヘッドフォンを──、と思っても、
ふところに余裕がある人ほど、どれを買おうか、と迷うことだろう。

ふところに余裕がなければ、買える価格帯がおのずと決ってしまうから、
選択肢は限られてくる。
ふところに余裕がある人でも、ヘッドフォンに出せる金額はこれくらいまで、
と上限をきちんと決められるのであれば、選択肢は絞られてくる。

とにかく自分で買える範囲で、いい音のヘッドフォンを選ぶ──、
それが当然のことだと、ずっと思っていた。

もちろん音がいいだけではなく、ヘッドフォンではかけ心地もひじょうに重要になる。
それを含めて選ぶわけなのだが、
あくまでも私のヘッドフォン選びは、屋内での使用である。

けれど外出時こそヘッドフォンが必要という人にとっては、
そしておしゃれに関心の高い人は、ヘッドフォンのファッション姓が重要だ、という。

音がよくてかけ心地もいい。
値段も手頃なヘッドフォンがあったとしても、
好みのファッションとの相性が悪ければ、選択肢に入らない、そうだ。

Date: 10月 21st, 2020
Cate: ヘッドフォン

AUSTRIAN AUDIO(続報)

一週間前に、AUSTRIAN AUDIOのヘッドフォンは、
いつになったら日本で発売が開始されるのだろうか、と書いた。

いつになるのかはまったく知らなかったのだが、
明日(10月22日)から、日本での販売が開始になる、ときいた。

輸入元のMI7のウェブサイトには、
まだヘッドフォンのページは公開されていないが、とにかく販売は開始される。

日本での価格も、良心的といえる。
中野のフジヤエービックで試聴ができる、とのこと。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: ヘッドフォン

AUSTRIAN AUDIO

ステレオサウンド 75号の特集「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」で、
菅野先生がAKGのヘッドフォンK240DFについて書かれている。
     *
 そしてごく最近、オーストリアのAKGから出たK240DFスタジオモニターという、ダイナミック型のヘッドフォンに出合い大いに興味をそそられている。このヘッドフォンは、まさに、私がSRΛブロを活用してきた考え方と共通するコンセプトに立って開発されたものだからである。K240DFのカタログに書かれている内容は、基本的に私のSRΛプロの記事内容に共通するものであるといってよい。ただ、ここでは、これを使って調整するのは、部屋やスピーカーではなく、録音のバランスそのものなのである。つまり、よく整った調整室といえども、現実にその音響特性はまちまちで、同じモニタースピーカーが置かれていてさえ、出る音のバランスが違うことは日常茶飯である。私なども、馴れないスタジオやコントロールルームで録音をする時には、いつもこの問題に悩まされる。便法として、自分の標準とするに足るテープをもっていき、そこのモニターで鳴らして、耳馴らしをするということをすることさえある。さもないと、往々にしてモニタ一にごまかされ、それが極端にアンバランスな場合は、その逆特性のバランスをもった録音をとってしまう危険性もある。
 K240DFは、こうした問題に対処すべく、ヘッドフォンでしかなし得ない標準化に挑戦したもので、IRT(Institute of Radio Technology)の提案によるスタジオ標準モニターヘッドフォンとして、ルームアクースティックの中でのスピーカーの音をも考慮して具体化されたものである。そして、その特性は平均的な部屋の条件までを加味した聴感のパターンに近いカーヴによっているのである。つまり、ただフラットなカーヴをもっているヘッドフォンではない。ダイヤフラムのコントロールから、イアーキヤビティを含めて、IRTの規格に厳格に収ったものだそうだ。そのカーヴは、多くの被験者の耳の中に小型マイクを挿入して測定されたデータをもとに最大公約数的なものとして決定されたものらしい。AKGによれば、このヘッドフォンは〝世界最小の録音調整室〟と呼ばれている。部屋の影響を受けないヘッドフォンだからこそ出来るという点で、私のSRΛプロの使い方と同じコンセプトである。
     *
72号でも菅野先生は、スタックスについて書かれている。
スタックスは、当時の私には、やや高価だった。
それほどヘッドフォンに対しての関心もなかったので、
スタックスのヘッドフォンのシステムに、これだけの金額を出すのであれば、
もっと優先したいモノがあった。

K240DFは安価だった。
三万円しなかったはずだ。

気に入っていた。
ヘッドフォンで聴くことはそんなにしなかったけれど、
K240DFの音を信頼していた。

そのK240DFも人に貸したっきり返ってこなかった。
しょうがないから、また買うか、と思ったときには、K240DFは製造中止になっていた。
K240シリーズは継続されていたけれど、DFの後継機はなかった。

AKGは、K1000も出していた。
ヘッドフォンメーカーとして、AKGというブランドは、私のなかでは確固たる位置にいた。

けれど2017年にハーマンインターナショナルがサムスンに買収されてしまってから、
AKGが変ってしまった、という話をきいた。

そのAKGから独立した人たちが始めたのが、AUSTRIAN AUDIO(オーストリアン・オーディオ)だ。

マイクロフォンとともにヘッドフォンもある。
日本に輸入元もある。MI7という会社だ。

けれどヘッドフォンのページは、いまだ開設されていない。
海外では、今年の春から販売されている。

そのころから、いつ日本でも発売になるんだろう、と思っているのだが、
まだのようである。

ヘッドフォン祭が開催されていたら聴けたであろうに……。

Date: 9月 21st, 2020
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その6)

その1)で、瀬川先生の文章を引用した。
スピーカーを鳴らして、いい音を聴かせるパワーアンプが、
ヘッドフォンを鳴らしても、いい音がするとは限らないことがわかる。

ヘッドフォン出力をないがしろにしているからなのかもしれないが、
ここでいえることは、優れたパワーアンプが、必ずしも優れたヘッドフォンアンプではないことだ。

瀬川先生の文章は1978年のものだから、
いまもそうだとはいわないが、少なくともこのころはそうだった、とはいえる。

瀬川先生は、
《ヘッドフォン端子での出力と音質というは、どうやらいま盲点といえそうだ。改めてそうした観点からアンプテストをしてみたいくらいの心境だ》
と書かれているが、その後、ヘッドフォンの試聴は、瀬川先生の時代には行われなかった。

その3)で触れたマッキントッシュとGAS。

1978年という時代、当時のマッキントッシュの製品、
瀬川先生の求める音から考えても、マッキントッシュは候補には入っていなかったはずだ。

GASも、瀬川先生の音の好みから外れている、という点で同じだっただろう。

マッキントッシュのアンプには、いまもヘッドフォン端子がついている。
さすがにパワーアンプからはなくなっているが、
プリメインアンプにもコントロールアンプにもついている。
管球式のコントロールアンプにもついている。

そういうブランドだから、ヘッドフォンアンプも、もちろん製品化している。
このことは、(その3)で書いているように、
機能の重複であって、性能の重複ではない。

GASは、というと、もう会社はない。
ボンジョルノの復活作となったAMPZILLA 2000、
そのコントロールアンプ、AMBROSIA 2000にはヘッドフォン端子が、やはりついている。

Date: 3月 4th, 2020
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その7)

その6)には、すぐにAさんからfacebookにてコメントがあった。
「冴えを感じさせる音にもチューニングできる」、
そんなことが書いてあった。

そうだろうな、と思いながらも考えていたのは、
スピーカーとヘッドフォンの音の相違について、だった。

Aさんはヘッドフォンを、いまのところメインとされている。
Aさんのところでは何度か聴いている。

だからよけいにスピーカーとヘッドフォンの音の相違、
それによるチューニングの方向性などについて考えたわけだが、
同時に、もう一つふと思いついたことがある。

結局は、ここでも「音は人なり」なのか──、
そう思っている。

Aさんとはよく飲みに行く。
でも、私はAさんを少し誤解していたようだ。

Aさんの自宅で聴いた音、
Aさんが野上さんのところに持ち込んだパソコンによる音、
それらを聴いていると、Aさんは穏やかな人なんだ、ということにようやく気づいた。

Date: 12月 19th, 2019
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その6)

ステレオサウンド 72号(1984年9月)の特集、
「いま、聴きたい、聴かせたい、とっておきの音」で、
菅野先生がスタックスのSR-Λ Proのことを書かれている。
     *
私が人知れず、便利に使っている、とっておきの音を聴かせてくれるのが、このSRΛプロである。そして、ヘッドフォンとスピーカーの音の相違を通して、実に多くの音響的ファクターを類推することも面白くいろいろなことを学ぶことも可能である。
     *
SR-Λ Proが欲しかった、というより、
偶然にも野上さんが使われていたスタックスも、SR-Λ Proだった、ということだ。

火曜日の夜に、だから野上さんのところに行ってきた。
前回とは違いがあった。
音楽用のパソコンが、違っていた。

小型のパソコンで、音楽再生用にチューニングしてあるモノ、とのこと。
野上さんは、このパソコンが来て、音がまろやかになった、といわれた。

たしかに、第一印象はそのとおりだった。
まろやかになっていた。
ずいぶんまろやかになった、と思いつつも、
音の冴えのような要素が薄れてしまっているようにも感じていた。

何曲か聴いても、その印象は変化しない。
これはこれでいい、とは思うけれど、
私個人としては、まろやかさよりも音の冴えのほうを重視したい。

野上さんに「まろやかになっているけど……」と伝えると、
野上さんも同じように感じられていた。

どちらがいい音なのかは、聴く人によって判断が違ってこよう。
聴く音楽によっても違ってくる。

それでも私には、まろやかすぎるように感じる。
そんなことを話していたら、野上さんが「Aさんはヘッドフォンだから」といわれた。

小型のオーディオ専用パソコンを持ち込んだのは、Aさんである。