Date: 1月 19th, 2021
Cate: ヘッドフォン
Tags:

ヘッドフォン考(その9)

イエクリン・フロートのヘッドフォン、Model 1について、
瀬川先生がステレオサウンド別冊「HiFiヘッドフォンのすべて」で書かれている。
     *
 かける、というより頭に乗せる、という感じで、発音体は耳たぶからわずかだか離れている完全なオープンタイプだ。頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す。しかしここから聴こえてくる音の良さにはすっかり参ってしまった。ことにクラシック全般に亙って、スピーカーからはおよそ聴くことのできない、コンサートをほうふつさせる音の自然さ、弦や木管の艶めいた倍音の妖しいまでの生々しさ。声帯の湿りを感じさせるような声のなめらかさ。そして、オーケストラのトゥッティで、ついこのあいだ聴いたカラヤン/ベルリン・フィルの演奏をありありと思い浮べさせるプレゼンスの見事なこと……。おもしろいことにこの基本的なバランスと音色は、ベイヤーDT440の延長線上にあるともいえる。ただ、パーカッションを多用するポップス系には、腰の弱さがやや不満。しかし欲しくなる音だ。
     *
瀬川先生はModel 1を、試聴が終るとともに買い求められている。
《頭に乗せたところは、まるでヴァイキングの兜のようで、まわりの人たちがゲラゲラ笑い出す》、
そんな形のヘッドフォンであっても、
工業デザイナーを目指されたことがあるにもかかわらず、Model 1を自分のモノとされている。

トリオのコントロールアンプL07Cのデザインをボロクソに貶された瀬川先生が、である。
頭にのせた姿は鏡を見なければ、自分には見えない。
音を聴いている時も、ヘッドフォンは目に入ってこない。

だからなのだろうか。
カッコいいと思えるヘッドフォンが欲しい、という気持はある。
誰にだってあるだろう。

それでもヘッドフォンで音楽を聴いている時は、
かけ心地は気になることはあっても、ヘッドフォンは目に入ってこないから、
音がイエクリン・フロートのように、ほんとうに美しければ、忘れてしまえる。

けれど、ヘッドフォンをファッション・アイテムのひとつとして捉えている人は、
そうはいかないはずだ。

どんなに音がよくても、イエクリン・フロートのようなヘッドフォンは、
絶対にイヤだ、ということになるはずだ。

誰かにみられることを意識してのヘッドフォン選びと、
音楽を聴く時は一人きりで、誰にも見られることはないのだから、という選び方。
いまはどちらもある。

「HiFiヘッドフォンのすべて」が出たころは、そうではなかった。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]