オーディオの殿堂(続・感じていること・その3)
《過去を大きな物語として語れる》と
過去を物語として語れると決して同じではない。
大きな物語なのか、物語なのか。
「大きな」がつくかどうかの違いは、小さな違いではない。
《過去を大きな物語として語れる》と
過去を物語として語れると決して同じではない。
大きな物語なのか、物語なのか。
「大きな」がつくかどうかの違いは、小さな違いではない。
(その1)で、
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
そう書いた。
このことは、編集者、オーディオ評論家側だけの問題ではない。
《過去を大きな物語》とした語られたものを、読み手側は求めていない、
そういう読み手が増えたことも関係してのことだ。
《過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました》
七年前、川崎先生が語られていたことばだ。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めていると、
川崎先生の、このことばが浮んでくる。
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
「オーディオの殿堂」が特集だったステレオサウンド 223号。
さきほどステレオサウンドのウェブサイトを見ていたら、売り切れになっていた。
その他の号はまだ購入できるのに、223号は売り切れ、つまりそれだけ売れた、ということだ。
そうか、やっぱり、こういう特集が売れるのか──、
そうおもうだけだった。
オーディオテクニカ独自のVM型。
この方式を開発したのは、普通に考えれば、
当時のオーディオテクニカの技術者ということになる。
私だって、オーディオに関心をもち、ステレオサウンドで働くようになるまでは、
そう思っていた。
けれど井上先生という人を知るにつれて、
もしかするとオーディオテクニカのVM型のアイディアは井上先生なのではないのか。
そんなふうに思うようになってきた。
だからといって、何らかの確証、
それがちっぽけなものであっても確証へとつながっていくことを知っているわけではない。
井上先生に訊ねたところで、うまくごまかされたであろう。
そのことを話題にしたこともない。
それでもオーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏と井上先生のつきあい、
そのことから私が勝手に妄想しているだけにすぎないのは自覚している。
それでも私はVM型のアイディアは井上先生と確信している。
三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。
「オーディオの殿堂」で、
オーディオテクニカの製品は、AT-ART1000のみがノミネートされている。
殿堂入りはしていない。
AT-ART1000の殿堂入りしていないことについては、何も書かない。
意欲的な製品だとは捉えているが、音を聴いていないので。
それよりも、なぜオーディオテクニカのVM型カートリッジが殿堂入りしていないのか、
ノミネートすらされていない。
VM型カートリッジは、オーディオテクニカの特許である。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジのAT1、その上級機のAT3、
どちらも1962年に登場している。
その後、オーディオテクニカはトーンアーム、MC型カートリッジなどを出してきて、
1967年にVM型のAT35Xを誕生させている。
MM型に関しては、よく知られるようにエラックとシュアーが特許を取得していた。
世界各国で、両社は特許を取れたにもかかわらず、
日本では無理だったのには理由がある。
瀬川先生から、どうしてだったのかを聞いている。
ちょっとここでは書けないことがあっての、日本での特許不成立である。
このときばかりは、日本のオーディオメーカーが一致団結した、といわれていた。
なので日本では各社がMM型カートリッジを製造販売できたが、
それはあくまでも日本国内に限られる。
MM型カートリッジを海外に輸出しようとすれば、特許料を支払うことになる。
オーディオテクニカは、海外に打って出るためにもVM型を開発した、と聞いている。
VM型ならば、この方式自身が特許を取れたわけだから、
MM型の特許に関係なく海外でも販売ができる。
SMEのSeries Vも、殿堂入りしている。
当然の結果だと思っている。
1985年に登場したSeries Vは、トーンアームとして飛び抜けて高価だった。
その後、Series Vよりも高価なトーンアームがいくつも登場している。
Series Vも値上げしているが、それでもいちばん高価なトーンアームではなくなっている。
それでも私は、Series Vが最高の音を聴かせてくれるトーンアームだと、いまでも思っている。
もっともSeries Vよりも高価なトーンアームのすべてを聴いているわけではないが、
部分的にはSeries Vを上廻る良さを持っている製品もあるだろうが、
トータルとしてのパフォーマンスはいまでもSeries Vが一番のはずだ。
そのSeries Vは、黛 健司氏が担当されている。
*
この製品にいちばん興奮したのは長島達夫先生で、1985年発行の74号に記事を執筆されたが、取材に際して、日本に1本しか入荷していなかったシリーズVをバラバラに分解してしまい、編集担当のわたしを慌てさせた。
*
Series Vの試聴には私も立ち会っている。
長島先生の昂奮ぶりは、いまもはっきりとおもい出せるのだが、
この時からおもっていることがひとつある。
Series Vの前に、SMEからは管球式フォノイコライザーアンプSPA1HLが登場していた。
SPA1HLは、最初オルトフォン・ブランドでのプリプロモデルがあった。
SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。
思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。
それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツのModel 7への恩返し、といわれていた。
そういうことがあったから、Series Vも長島先生の設計なのかもしれない──、
ずっとそうおもっている。
完全な設計ではないにしても、
そうとうに長島先生のアイディアが取り入れられている──、
これはもう確信といってもいいくらいに、そうおもっている。
そうでなければ、最初に日本に入ってきた一本なのに、
あそこまで詳しいわけがない。
それに手馴れた感じで分解されてもいた。
SPA1HLのときと同じだと感じていた。
ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」で、
黛 健司氏がLNP2Lのところで、こんなことを書かれている。
*
数年前、ひょんなことから、井上卓也先生がLNP2をお持ちだったことを知った(井上先生のことだから、ひと声聴いただけで「コレクション」になっていたのかもしれない。マランツ・モデル7がお好きで何台も所有されていたが、LNP2も手に入れられていたとは意外だった。
*
井上先生はLNP2も数台お持ちだった。
LNP2だけでなくJC2も所有されていた。
記憶違いでなければ、LNP2はマークレビンソン製モジュールだけでなく、
バウエン製モジュールのLNP2も、である。
試聴のあいまで雑談で、ぽろっと話されることがけっこうあった。
井上先生はジェンセンのG610Bに関しても、
別項「ワイドレンジ考(その38)」で書いているとおりである。
その他にも、いくつか知っているけれど、
とにかく、意外なモノも持っておられた。
井上先生が所有されていたオーディオ機器の全貌を知っている人は、おそらくいないだろう。
私が知っているのも、全体の何割かなのかすらわからない。
けれど、この項を書いていると、
223号で殿堂入りしているモノよりも、
井上先生が所有されていたオーディオ機器のほうが、
私にとっては「殿堂入り」にふさわしいモノのように感じられる。
別項「サイズ考(その6)」でも書いていることなのだが、
LS3/5Aの型番表記がいいかげんである。
最近の復刻モデルはLS3/5aと、型番末尾が小文字になっているモデルもある。
だからそれらのモデルはLS3/5aという表記でいいのだが、
ロジャースのLS3/5Aは、大文字である。
ロジャースのLS3/5Aだけではなく、同時期に各社から出たLS3/5Aも、
大文字表記である。
リアバッフルの銘板を見ればわかることだ。
十四年前に書いたことをまた持ち出しているのは、
ステレオサウンド 223号の特集「オーディオの殿堂」を読んでいたら、
ロジャースのLS3/5A(136ページ)が、LS3/5aとなっていたからだ。
LS3/5Aは三浦孝仁氏が担当されている。
三浦孝仁氏の本文は、ちゃんとLS3/5Aとなっている。
なのに編集部は、LS3/5aとしてしまっている。
どうしてこんなことがやらかしてしまうのだろうか。
いまのステレオサウンド編集部には、
LS3/5Aに思い入れをもつ人はいないのだろう、おそらく……。
一昨日のスピーカー、昨日のアンプ、
今日のプレーヤー関係の殿堂入りの機種の発表を見て、
改めて、この「オーディオの殿堂」という企画の無理な面を感じざるをえなかった。
「オーディオの殿堂」は、
いわば50号の旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞の焼き直しともいえる。
50号は1979年夏に出ている。
いまから四十年以上前である。
この企画に登場しているオーディオ機器は、まさしく「オーディオの殿堂」といえた。
オーディオの歴史を一端を窺い知れる面もあった。
勉強にもなった、といえる。
過去には、こんなスピーカーやアンプがあったのか。
もちろん知っている機種もあったけれど、初めて知る機種も少なくなかった。
ジェンセンのG610Bは、50号で初めて、その存在を知ることができた。
50号の特集は、何度も読み返した。
似た企画、同じような企画である「オーディオの殿堂」には感じられなかったことが、
いくつもあった。
50号をひっぱり出してくるまでもない。
それほどわくわくしながら読んだ50号なのだから、しっかりと憶えている。
ならば、今回も旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞をやればよかったのか──、
そうとは思わない。
旧製品のステート・オブ・ジ・アートは、1979年ごろだったから可能だった企画である。
それに50号の一年ほど前まで、「クラフツマンシップの粋」という連載が続いていた。
この連載があったからこその旧製品のステート・オブ・ジ・アートでもあった。
今回の「オーディオの殿堂」には、それもない。
たとえあったとしても、これまで市場に登場してきたモデル数をふり返れば、
いかに難しい企画というか、無理な企画というのが誰の目にも明らかだったはずだ。
結果、中半端な印象を拭えないし、偏ってもいる。
なぜ、いまになっての「オーディオの殿堂」なのか。
殿堂入りしていないだろうな、と予想していたとおり、
やっぱり入っていなかったのが、BOSEの901である。
このユニークなスピーカーシステムが入っていない。
なんとも寂しい感じがしてしまう。
BOSEの901は、シリーズを重ねるごとに良くなっていた。
私はすべてのシリーズを聴いてきたわけではないが、
それでも私が聴いた範囲でもシリーズが新しくなるたびに、音の品位は良くなっていった。
901の最初のころは、音の品位という点では難もあったようだが、
それはずいぶん昔のことであり、
私がステレオサウンドを辞めてから登場した901WBは、なかなかの出来である。
残念なことに901WBの音は聴いているものの、
井上先生が鳴らされた音を聴いているわけではない。
井上先生が鳴らされる901の音は、いまも思い出せる。
以前書いているように、マッキントッシュのMC275で鳴らしたこともある。
使用ユニットがフルレンジだけ、間接放射型ともいえる構成ゆえ、
901をゲテモノ扱いする人が少なからずいるし、
マニア心をくすぐられないこともあるとは思う。
そういう人は、901がきちんと鳴った音を聴いていないのだろう。
ステレオサウンドのウェブサイトで、
223号の特集「オーディオの殿堂」入りした105機種を公開している。
今日(6月29日)にスピーカーシステムとスピーカーユニット、
30日にアンプ関係、7月1日にアナログプレーヤー、CDプレーヤー関係が公開される。
これを書いている時点では、スピーカーシステム39機種が公開されている。
この種の企画では、
この機種が殿堂入りしているのは、あの機種はなぜ? ということは常に起る。
そういうものだということは最初からわかっている。
それでも今回公開された殿堂入りしたスピーカーシステム39機種を眺めていると、
偏っている、としか感じられない。
ステレオサウンドが創刊されてから五十五年以上経つ。
その間に登場してきたオーディオ機器の数がいったいどれだけになるのか。
厖大なモデルが登場してきたわけで、今回の「オーディオの殿堂」は、
それらのなかから105機種である。それは割合としてはわずかでしかない。
なので、なぜ、あの機種が? ということは、誰にでもあること。
それはよくわかったうえで、なぜ、あの機種が? というモデルについて書いていきたい。
まずはJBLのDD55000である。
別項「ホーン今昔物語(その17)」で、
DD55000は「オーディオの殿堂」で選ばれているのか、と書いた。
facebookでコメントがあり、選ばれていないことはすでに知っていた。
やはり選ばれていないのか……。
JBLのスピーカーシステムでは、パラゴン、ハーツフィールド、オリンパス、
4343、4344、S9500、DD66000が殿堂入りしている。
4343が殿堂入りしているのだから、4344はいいのでは? と私は思ってしまう。
それよりもDD55000があるだろう、と思うし、4350も殿堂入りしていないのか、
4310(4311)はないのか、と。
明日から12月。
あと十日ほどでステレオサウンド 221号が出る。
特集はグランプリとベストバイなのは、毎年の恒例でしかない。
そこに「オーディオの殿堂」を、来年はやるのか──。
賞がそこまで好きなのならば、
六年前と二年前に書いているけれど、
瀬川冬樹賞をつくるべきだ。
オーディオ評論の世界に、瀬川冬樹賞がない。
一週間ほど前に、別項で、
音元出版のanalogについて触れた。
いまもっとも期待している、と書いた。
私がanalogに期待しているのは、
オーディオ評論に頼らないオーディオ雑誌を実現してくれるかも──、ということだ。
それが可能なのかどうかはなんともいえないが、
そんなオーディオ雑誌が一冊はあってもいいし、あってほしい。
ステレオサウンドには、これは無理なことだ。
ステレオサウンドは徹底してオーディオ評論のオーディオ雑誌であってほしい。
だからこそ瀬川冬樹賞について、くり返し書くわけだ。
ステレオサウンドが予定している「オーディオの殿堂」は、
どういうやり方をするのだろうか──をあれこれ考えていると、けっこう楽しい。
まず投票方式はどうするのかだ。
投票用紙を兼ねるアンケートハガキをつけるのが、まず考えられる。
けれど、これでは電子ブックで購入している人が投票できなくなる。
電子ブック購入の人も投票できるように、となると、インターネット投票となるのか。
その場合、一人が何回も投票できるようにしてはまずい。
一人一回の投票のシステムをどうするのか。
うまいやり方があったとして、今度は、投票率をどれだけ高められるかである。
このことに関して書きたいことあるが、いまはまだ書かない方がいいと思っている。
ずいぶん後になったら書くつもりだが、いまのところは触れないでおく。
ただ言いたいのは、投票率を高くすることは、そう簡単ではない。
ステレオサウンドの場合、実際の選挙とは違うのだから、
投票してくれた人に景品を、ということができる。
さらに抽選で豪華賞品が当る、ということもやれる。
そうなるとメーカーや輸入元の協力が必要となってくる。
「オーディオの殿堂」は来年の企画である。
実際、どういう展開で行うのかは、いま考えているところなのかもしれない。
読者投票だけで、「オーディオの殿堂」が決定するわけでもないだろう。
その場合、以前のベストバイのように、
読者アンケートの結果は、それだけの集計結果の発表とするのだろうか。
他にも、どうするんだろうか……、と考えていることはあるが、
それよりも私が一番関心があるのは、
598のスピーカーの殿堂入りはあるのだろうか、である。
殿堂入りの条件がどうなるのかは、まったくわからない。
それでも、あの時代の598のスピーカーという存在は、
殿堂入りしてもおかしくない、というよりも、あえて殿堂入りさせるべきだと考える。