オーディオの殿堂(続・感じていること・その4)
《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。
過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。
《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。
過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。
無線と実験が、12月発売の1月号から、これまでの月刊誌から季刊誌になる。
特に驚きはない。
ラジオ技術も書店売りがなくなり、月刊誌から隔月刊誌になり、
今年になってからは、隔月刊の発行はあやしくなっている。
5/6月号が、まだ出ていないのだから。
オーディオ雑誌で月刊なのは、ステレオだけなのか。
今回の無線と実験の季刊化で思うのは、
12月発売の号からということは、
3月、6月、9月、12月発売ということ。
ステレオサウンドと同じだし、
オーディオアクセサリーにしても、アナログにしても、発売日は近い。
いろいろ事情はあるのだろう。
いちばん大きいのは、賞がらみのはずだ。
季刊誌になっても無線と実験は、賞を継続していくのだろう。
ならば年末に賞の企画を持ってきたい。
賞から離脱するオーディオ雑誌はないのか。
そんなことをおもってしまう。
明日(9月4日)発売のステレオサウンド 228号にも、
柳沢功力氏の名前は、ない。
3月発売の226号、6月発売の227号にもなかった。
12月発売の229号にも、ない(と思っている)。
三号続けて柳沢功力氏の名前がないということは、
229号でのステレオサウンド・グランプリの選考委員は辞退されるのだろう。
柳沢功力氏は選考委員長でもあった。
柳沢功力氏の不在は選考委員長の不在でもある。
誰がなるのか。
以前、小野寺弘滋氏がなるのではないか、と書いた。
傅 信幸氏がなると思っている人もけっこういるようだが、
私は小野寺弘滋氏だと考えている。
でも、どちらがなっても……、と思うところがある。
これは私の考えであって捉え方である。
柳沢功力氏の辞退は、いい機会ではないか。
誰かを選考委員長にして、このままだらだらと続けていくのか。
《過去を大きな物語として語れる》と
過去を物語として語れると決して同じではない。
大きな物語なのか、物語なのか。
「大きな」がつくかどうかの違いは、小さな違いではない。
(その1)で、
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
そう書いた。
このことは、編集者、オーディオ評論家側だけの問題ではない。
《過去を大きな物語》とした語られたものを、読み手側は求めていない、
そういう読み手が増えたことも関係してのことだ。
《過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました》
七年前、川崎先生が語られていたことばだ。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めていると、
川崎先生の、このことばが浮んでくる。
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
「オーディオの殿堂」が特集だったステレオサウンド 223号。
さきほどステレオサウンドのウェブサイトを見ていたら、売り切れになっていた。
その他の号はまだ購入できるのに、223号は売り切れ、つまりそれだけ売れた、ということだ。
そうか、やっぱり、こういう特集が売れるのか──、
そうおもうだけだった。
オーディオテクニカ独自のVM型。
この方式を開発したのは、普通に考えれば、
当時のオーディオテクニカの技術者ということになる。
私だって、オーディオに関心をもち、ステレオサウンドで働くようになるまでは、
そう思っていた。
けれど井上先生という人を知るにつれて、
もしかするとオーディオテクニカのVM型のアイディアは井上先生なのではないのか。
そんなふうに思うようになってきた。
だからといって、何らかの確証、
それがちっぽけなものであっても確証へとつながっていくことを知っているわけではない。
井上先生に訊ねたところで、うまくごまかされたであろう。
そのことを話題にしたこともない。
それでもオーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏と井上先生のつきあい、
そのことから私が勝手に妄想しているだけにすぎないのは自覚している。
それでも私はVM型のアイディアは井上先生と確信している。
三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。
「オーディオの殿堂」で、
オーディオテクニカの製品は、AT-ART1000のみがノミネートされている。
殿堂入りはしていない。
AT-ART1000の殿堂入りしていないことについては、何も書かない。
意欲的な製品だとは捉えているが、音を聴いていないので。
それよりも、なぜオーディオテクニカのVM型カートリッジが殿堂入りしていないのか、
ノミネートすらされていない。
VM型カートリッジは、オーディオテクニカの特許である。
オーディオテクニカの最初の製品は、MM型カートリッジのAT1、その上級機のAT3、
どちらも1962年に登場している。
その後、オーディオテクニカはトーンアーム、MC型カートリッジなどを出してきて、
1967年にVM型のAT35Xを誕生させている。
MM型に関しては、よく知られるようにエラックとシュアーが特許を取得していた。
世界各国で、両社は特許を取れたにもかかわらず、
日本では無理だったのには理由がある。
瀬川先生から、どうしてだったのかを聞いている。
ちょっとここでは書けないことがあっての、日本での特許不成立である。
このときばかりは、日本のオーディオメーカーが一致団結した、といわれていた。
なので日本では各社がMM型カートリッジを製造販売できたが、
それはあくまでも日本国内に限られる。
MM型カートリッジを海外に輸出しようとすれば、特許料を支払うことになる。
オーディオテクニカは、海外に打って出るためにもVM型を開発した、と聞いている。
VM型ならば、この方式自身が特許を取れたわけだから、
MM型の特許に関係なく海外でも販売ができる。
SMEのSeries Vも、殿堂入りしている。
当然の結果だと思っている。
1985年に登場したSeries Vは、トーンアームとして飛び抜けて高価だった。
その後、Series Vよりも高価なトーンアームがいくつも登場している。
Series Vも値上げしているが、それでもいちばん高価なトーンアームではなくなっている。
それでも私は、Series Vが最高の音を聴かせてくれるトーンアームだと、いまでも思っている。
もっともSeries Vよりも高価なトーンアームのすべてを聴いているわけではないが、
部分的にはSeries Vを上廻る良さを持っている製品もあるだろうが、
トータルとしてのパフォーマンスはいまでもSeries Vが一番のはずだ。
そのSeries Vは、黛 健司氏が担当されている。
*
この製品にいちばん興奮したのは長島達夫先生で、1985年発行の74号に記事を執筆されたが、取材に際して、日本に1本しか入荷していなかったシリーズVをバラバラに分解してしまい、編集担当のわたしを慌てさせた。
*
Series Vの試聴には私も立ち会っている。
長島先生の昂奮ぶりは、いまもはっきりとおもい出せるのだが、
この時からおもっていることがひとつある。
Series Vの前に、SMEからは管球式フォノイコライザーアンプSPA1HLが登場していた。
SPA1HLは、最初オルトフォン・ブランドでのプリプロモデルがあった。
SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。
思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。
それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツのModel 7への恩返し、といわれていた。
そういうことがあったから、Series Vも長島先生の設計なのかもしれない──、
ずっとそうおもっている。
完全な設計ではないにしても、
そうとうに長島先生のアイディアが取り入れられている──、
これはもう確信といってもいいくらいに、そうおもっている。
そうでなければ、最初に日本に入ってきた一本なのに、
あそこまで詳しいわけがない。
それに手馴れた感じで分解されてもいた。
SPA1HLのときと同じだと感じていた。
ステレオサウンド 223号「オーディオの殿堂」で、
黛 健司氏がLNP2Lのところで、こんなことを書かれている。
*
数年前、ひょんなことから、井上卓也先生がLNP2をお持ちだったことを知った(井上先生のことだから、ひと声聴いただけで「コレクション」になっていたのかもしれない。マランツ・モデル7がお好きで何台も所有されていたが、LNP2も手に入れられていたとは意外だった。
*
井上先生はLNP2も数台お持ちだった。
LNP2だけでなくJC2も所有されていた。
記憶違いでなければ、LNP2はマークレビンソン製モジュールだけでなく、
バウエン製モジュールのLNP2も、である。
試聴のあいまで雑談で、ぽろっと話されることがけっこうあった。
井上先生はジェンセンのG610Bに関しても、
別項「ワイドレンジ考(その38)」で書いているとおりである。
その他にも、いくつか知っているけれど、
とにかく、意外なモノも持っておられた。
井上先生が所有されていたオーディオ機器の全貌を知っている人は、おそらくいないだろう。
私が知っているのも、全体の何割かなのかすらわからない。
けれど、この項を書いていると、
223号で殿堂入りしているモノよりも、
井上先生が所有されていたオーディオ機器のほうが、
私にとっては「殿堂入り」にふさわしいモノのように感じられる。
別項「サイズ考(その6)」でも書いていることなのだが、
LS3/5Aの型番表記がいいかげんである。
最近の復刻モデルはLS3/5aと、型番末尾が小文字になっているモデルもある。
だからそれらのモデルはLS3/5aという表記でいいのだが、
ロジャースのLS3/5Aは、大文字である。
ロジャースのLS3/5Aだけではなく、同時期に各社から出たLS3/5Aも、
大文字表記である。
リアバッフルの銘板を見ればわかることだ。
十四年前に書いたことをまた持ち出しているのは、
ステレオサウンド 223号の特集「オーディオの殿堂」を読んでいたら、
ロジャースのLS3/5A(136ページ)が、LS3/5aとなっていたからだ。
LS3/5Aは三浦孝仁氏が担当されている。
三浦孝仁氏の本文は、ちゃんとLS3/5Aとなっている。
なのに編集部は、LS3/5aとしてしまっている。
どうしてこんなことがやらかしてしまうのだろうか。
いまのステレオサウンド編集部には、
LS3/5Aに思い入れをもつ人はいないのだろう、おそらく……。
一昨日のスピーカー、昨日のアンプ、
今日のプレーヤー関係の殿堂入りの機種の発表を見て、
改めて、この「オーディオの殿堂」という企画の無理な面を感じざるをえなかった。
「オーディオの殿堂」は、
いわば50号の旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞の焼き直しともいえる。
50号は1979年夏に出ている。
いまから四十年以上前である。
この企画に登場しているオーディオ機器は、まさしく「オーディオの殿堂」といえた。
オーディオの歴史を一端を窺い知れる面もあった。
勉強にもなった、といえる。
過去には、こんなスピーカーやアンプがあったのか。
もちろん知っている機種もあったけれど、初めて知る機種も少なくなかった。
ジェンセンのG610Bは、50号で初めて、その存在を知ることができた。
50号の特集は、何度も読み返した。
似た企画、同じような企画である「オーディオの殿堂」には感じられなかったことが、
いくつもあった。
50号をひっぱり出してくるまでもない。
それほどわくわくしながら読んだ50号なのだから、しっかりと憶えている。
ならば、今回も旧製品のステート・オブ・ジ・アート賞をやればよかったのか──、
そうとは思わない。
旧製品のステート・オブ・ジ・アートは、1979年ごろだったから可能だった企画である。
それに50号の一年ほど前まで、「クラフツマンシップの粋」という連載が続いていた。
この連載があったからこその旧製品のステート・オブ・ジ・アートでもあった。
今回の「オーディオの殿堂」には、それもない。
たとえあったとしても、これまで市場に登場してきたモデル数をふり返れば、
いかに難しい企画というか、無理な企画というのが誰の目にも明らかだったはずだ。
結果、中半端な印象を拭えないし、偏ってもいる。
なぜ、いまになっての「オーディオの殿堂」なのか。
殿堂入りしていないだろうな、と予想していたとおり、
やっぱり入っていなかったのが、BOSEの901である。
このユニークなスピーカーシステムが入っていない。
なんとも寂しい感じがしてしまう。
BOSEの901は、シリーズを重ねるごとに良くなっていた。
私はすべてのシリーズを聴いてきたわけではないが、
それでも私が聴いた範囲でもシリーズが新しくなるたびに、音の品位は良くなっていった。
901の最初のころは、音の品位という点では難もあったようだが、
それはずいぶん昔のことであり、
私がステレオサウンドを辞めてから登場した901WBは、なかなかの出来である。
残念なことに901WBの音は聴いているものの、
井上先生が鳴らされた音を聴いているわけではない。
井上先生が鳴らされる901の音は、いまも思い出せる。
以前書いているように、マッキントッシュのMC275で鳴らしたこともある。
使用ユニットがフルレンジだけ、間接放射型ともいえる構成ゆえ、
901をゲテモノ扱いする人が少なからずいるし、
マニア心をくすぐられないこともあるとは思う。
そういう人は、901がきちんと鳴った音を聴いていないのだろう。