Archive for category 日本のオーディオ

Date: 4月 12th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その11)

AliExpressでうかがえる中国のオーディオは雑多であるし、
もっといえば猥雑でもある。

その猥雑さに、懐しさだけでなく、活力のようなものを感じている。
のようなものではなくて、活力といっていいかもしれない。

この猥雑という活力が、日本のオーディオ界にもあった。
そして洗練され、日本のオーディオはピークを迎えた、といってもいいはずだ。

けれど洗練された、ということは淘汰された、ということでもある。
雑多(猥雑)なものが淘汰され、確かに洗練されていっだだろうが、
同時に活力も失われつつあったようにも、いまは感じている。

私が懐しさを感じるのは、私の中学時代を思い出して、ということもあるが、
あのころあった、そしていまのAliExpreddにみられる活力(活気)に対してなのだろう。

AliExpressにあるオーディオを、猥雑のひとことで拒否してしまうのは、
その雑多(猥雑)な世界を泳ぎきる活力がなくなっていることを認めたくないからではないのか。

Date: 3月 29th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その10)

AliExpressが中国のオーディオ事情をどれだけ反映しているのかは、
はっきりとしたところはわからないし、特に調べようともしていない。

それでもAliExpressの雑多さは、
ずっと以前の日本のオーディオと同じか、それに近い。

オーディオの世界に雑多さはふさわしくない、とか、
雑多なもの(世界)は嫌いだ、という人がいてもいい。

でも、私は、その雑多さがなんとも面白く感じる。
そして、少しばかりの懐しさも感じている。

「五味オーディオ教室」で出逢ってから、さまざまなオーディオ雑誌を手に取った。
無線と実験、ラジオ技術、電波科学、初歩のラジオなども読んだ。
記事もだが、それと同じくらいに広告が楽しかった。

この時代の、これらの技術系のオーディオ雑誌には、
ステレオサウンドには載らない広告がいっぱいあった。

そこに掲載されていた製品、キット、部品などは、
いまのAliExpressの世界そのままといえる。

比較すれば、AliExpreeのほうが数も多いし、雑多感も濃い。

当時の私は、ステレオサウンドを読みながら、
予算がこれだけあれば、こういう組合せ、もっと予算があれば、こんな組合せ──と、
電卓を片手にHI-FI STEREO GUIDEとにらめっこ。

そんな感じで妄想組合せの楽しんでいた。
妄想だから現実的な組合せだけでなく、予算の制限なしの組合せもつくっていた。

そういう組合せとは大きく違う組合せを、無線と実験などに載っている広告をみながらつくっていた。

そこに載っている広告には、
パワーアンプのプリント基板セットやトーンコントロールのプリント基板セットなど、
そういうものがいくつもあった。

いまのAliExpressで売っているのと同じ世界である。

安かった。
それらの基板を組み合わせて、アンプを作るならば……、そんな妄想をやっていた。
そんな中学時代をおくっていたから、いまAliExpressを眺めていると、
ほぼ同じことを、妄想組合せを楽しんでいるわけである。

Date: 3月 27th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その9)

いまいくつものウェスターン・エレクトリックの300Bの模倣管が出ている。
300Bの型番をもつ、それらの模倣管のなかで、どれがいちばんいいのか。
比較試聴したことはないので、なんともいえないのだが、
現時点で、私が模倣管のなかから選ぶとすれば、PSVANEのWE300Bである。

PSVANEの300Bには、たしかWEのつかないタイプもあるはずだが、
あえてWEとつけているほうを選ぶ。

実物を見てもらえばわかるのだが、ベース部分のPSVANEのロゴが消されていれば、
ウェスターン・エレクトリックの300Bと錯覚しそうである。

まず真空管としての形が、300Bにそっくりである。
ST管の肩のところなど、よく作ったなぁ、と感心するほどだ。

そりゃ刻印の300Bさ、といいたい気持はあるけれど、
あまりにも高騰しているオリジナルの価格をどう捉えるのかは人それぞれだろう。

なんとしてもオリジナルこそ最高なのだから、一切の妥協はしない、
そのためにはお金は惜しまない、いくらでも出す(出せる)人ならば、
オリジナルの刻印を探せばいい。

けれど、いまの私はPSVANEのWE300Bならばだまされていい、ぐらいに思うようになった。
私の考え方も変っていったし、PSVANEの出来もよくなっていっている。

PSVANEのWE300Bを見ていると、中国の真空管アンプのパーツも、
けっこうよくなってきているのではないだろうか。

AliExpressには、トランスもけっこうある。
写真だけの判断では、トランスの良否について語るのはなかなか難しいが、
写真通りの出来であるならば、悪くはないように感じている。
それに、けっこう安価だ。

少し前までの中国のオーディオ機器(部品)に関しては、
安かろう悪かろうというイメージがしっかりとあったが、
いくつかの中国のオーディオ機器を使ってみると、
いまではそれは偏見に近い、とさえ思うように変ってきた。

Date: 3月 27th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その8)

(その7)を書いたのは2019年12月だから、一年数ヵ月前。
そのあいだに韓国のオーディオのことを調べようかな、と思いつつも、
ついAliExpressで、中国のオーディオのほうを眺めてしまう。

どうしてかといえば、中国のオーディオのほうにおもしろさを感じているからだ。
私がオーディオに興味をもったころの日本のオーディオ、
1970年代後半の日本のオーディオに、どこか近い雰囲気を感じとれるからだと思っている。

いろんなモノが揃っている。
玉石混淆といえば、そうであろう。
こんなモノまで、といいたくなる製品もあったりする。

それでも、別の意味で、こんなモノまで、という製品もある。
勢いというか、エネルギッシュとでもいおうか、そんなところに興味を惹かれる。

韓国のオーディオは、私の調べ方が悪いのかもしれないが、
そんな面を見出せない。
どこか、そんな時代は過ぎ去った(もしくはなかった)とでもいいたいのだろうか、
中国のオーディオと比較すると、どこかすましているかのようでもある。

それに中国のオーディオに、どこか実用的なところも感じている。
ここが、目を離せない点でもある。

別項で「五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか」を書いているが、
(その1)、つまり書き始めたのは2015年5月である。六年前である。

そのころは、ここまで中国のオーディオにおもしろさを感じていなかったし、
AliExpressも知らなかった。
それに中国の真空管アンプが、真空管は単なる飾りでしかなかった製品があって、
どこか醒めた目で見てしまっていた。

私は賀中国のオーディオに関心をもち始めたのは、三年ほどである。
この三年間、真空管アンプはかなりおもしろく、そして実用的になってきている。

五年前に、真空管アンプが欲しければ、
予算が限りがあれば、自作するか中古品を手に入れるぐらいだった。

それがいまや中国の真空管アンプの品揃えは、なかなかである。
真空管を製造している会社がいくつかあるのだから、
それも当然といえば当然なのだろうが、自作するにしても完成品にしても、
なぜ、こんな価格で? といえるほど安価だ。

Date: 2月 24th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(オンキヨーのこと・その2)

(その1)で、メリディアンの扱いはどうなるのか、と書いた。
私はオンキョーのオーディオ機器への思い入れは、ほとんどない。

それでもオンキヨーという会社が気になるのは、
e-onkyoとメリディアンのことがあるからだ。

昨晩遅くに、オンキヨーのウェブサイトを見ていた。
取り扱い海外ブランドのところに、クリプシュの名はあるけれど、メリディアンの名はない。

メリディアンの本国のウェブサイトをみると、
昨日現在、日本の取り扱いはオンキヨーになっている。

どうなるのただろうか。
オンキヨーはメリディアンの取り扱いを、結局やらないままやめてしまうのか。
だとしたら、今後はどうなるのか。

新しい輸入元に移るのか、
それともオンキヨーの前にやっていたハイレス・ミュージックに戻るのか。

最悪なのは、どこも扱わなくなることである。

Date: 2月 13th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(オンキヨーのこと・その1)

オンキヨーがジャスダック上場廃止の恐れ、というニュースが昨日あった。
目にされた方も多いことだろう。

重い債務超過、とも見出しにあった。

オンキヨーが、いまではメリディアンの輸入元であるのだが、
一向にメリディアンに関する情報を発していない。
なにも活動していない、としかいいようがない状態が一年以上続いている。

2020年12月に、パイオニアのPD50AEが予定台数を出荷完了、というニュースがあった。
PD50AEはMQA対応で、個人的にも関心をもっていた。
11月に登場したばかりの製品でもある。

高価なモデルであれば、限定ということはけっこうあるが、
PD50AEは、そういう製品ではない。
この価格のモノが、予定台数を出荷完了というのは、どういうことなのだろうか。

疑問に思われた方も少ないない、と思う。
この記事を掲載していたウェブサイトでは、詳細は語られてなかった。

しばらくしてそのへんのことを聞くことができた。

詳細まではここでは書かないが、
つまりは会社としての信用がきわめて低いためである、とのこと。

モノを製造するにあたっても、資金は必要なのだが、
その資金内で製造できる台数は限られてしまう。
そのための予定台数なのである。

PD50AEが売れて、ある程度の利益が出たら、
次のロットの製造が可能になるかといえば、そうともいえない。

12月下旬に、PD50AEの追加販売を決定、と発表している。
今年の2月中旬の販売を目指して、と記事にはあった。

もう2月中旬である。
そこに上場廃止、債務超過のニュースである。

PD50AEの販売は再開となるのか。
メリディアンの扱いは、どうなるのか。

Date: 2月 3rd, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その3)

注文する前に、一応HiFiGoの評判を調べてみた。
悪くはなかった。

数万円する注文だとすぐに発送してくれるようだが、
一万円程度だともっとかかるそうで、
一万円を切っている注文だと、到着まで一ヵ月ほどかかることもある、らしい。

今回のFC3は一万円を切っている。
HiFiGoからのメールには、5日から10日で発送(平均6日)、とあった。
結果は、というと、二週間以上経って、発送した、というメールがやっと来た。

一ヵ月かからなかっただけに、早いかな、と思っている。
メールが来たので、また日本の輸入元のサイトをみた。
あいかわらずFC3の情報はなかった。

これはどういうことなのだろうか。
輸入元の怠慢なのだろうか。

新製品の情報は、どの国にいても、すぐに届く時代である。
私はfacebookで知ったわけだが、
英語のリリースは自動的に日本語に訳されて表示される。

そういう時代に、輸入元は何をしているのだろうか。
HiByから新製品の情報が届いていないのだろうか。

そうだとしても、HiBy本家のサイトを輸入元はチェックしないのだろうか。

並行輸入品を買うことをすすめたいわけではないが、
FC3のような製品の場合、みなさんなら、どうされるだろうか。

FC3はAC電源を必要としない。
USBバスパワーでの動作である。

それに数千円のモノだから、故障したとして、修理費用はどのくらいかかるのか。
修理に出すよりも買い替えたほうが安いのではないか。

それに使いこなしに特別なノウハウが必要になるモノでもない。
輸入元のサポートが必要になるわけではない。

そういうモノの購入に、
情報すらサイトに載せていない、
扱いがいつになるのかもはっきりとしない輸入元からなのか。
それとも海外から購入するのか。

中国からの購入に、二の足を踏む人もいるだろうが、
PayPalでの支払いが可能だから、万一のことがあっても代金は保証される。

私だって、できるだけ日本のオーディオ業界にお金を使いたい、と思っている。
今回のFC3の件では、待ってられない、が私の本音である。

Date: 2月 3rd, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その2)

1月中旬に、スティック型のD/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプが出た。
HiByの新製品で、MQAのfacebookページに、MQA対応の新製品として紹介されていた。

FC3という製品で、一万円を切る価格で、MQAだけでなく、DSDにも対応している。

昨年11月にMac mini(Late 2014)を買ってから、
メリディアンの218にiPhoneを接続することは、ぐっと減ってしまった。

いまiPhoneは、TIDALでおもしろそうな曲(アルバム)を試聴するのにもっぱら使っている。
オーディオシステムでやるよりも、なんとなくiPhoneでついついやってしまう。

iPhoneにはヘッドフォンを接いでいる。
iPhoneとヘッドフォンのあいだには、Lightningとミニプラグの変換アダプターがいる。
以前使っていたiPhoneに付属していたもので、
どの程度のスペックなのかはっきりしないが、ハイレゾ対応というわけではないはずだ。

これでもいいといえばいいのだけれど、さすがにもう少しまともで、
しかも小型で使い勝手のいいもの、できればMQA対応。
そんな製品を探していた。

そんなときに、いいタイミングでFC3が登場した。
さっそく注文することにした。

HiByにはオンラインストアがある。
けれど日本からは注文ができない。

日本には輸入元があるためだろう。
輸入元があれば、そこから買おう、と思い、サイトにアクセスしたところ、
まだFC3は発表された、という情報すらない。

つまり買えない。
数日待って、再びアクセスしたけれど、やっぱりまだである。

日常使いするモノだけに、すぐに欲しい。
HiFiGoというところで取り扱っている。
日本にも送ってくれる。注文した。

Date: 2月 3rd, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その1)

以前は、日本はオーディオ大国といえた。
日本のメーカーからは矢継ぎ早に新製品、新技術、新素材が登場していたし、
海外製品に関しても、相当数輸入されていた。

1980年代、ある輸入代理店の社長(いまは引退されている)は、
海外のオーディオショウにいくと、
多くのオーディオメーカーから、ぜひ取り扱ってほしい、
と引き合いが殺到していた、ときいている。

そのころは、ミスター○○が取り扱ってくれると、日本でヒットする──、
そういうウワサが立っていたそうだ。

それだけ日本市場は大きかったし、重要だったのだろう。
いまはどうだろう。

別項「真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その3)」で、

以前は輸入されていて、ある程度知れ渡っていた海外のブランドが、
いまではすっかり忘れられてしまっている、という例が意外とある。

そのブランドがなくなってしまったわけではなく、
単に日本に輸入されなくなっただけの話だ。

しかもアジアの他の国には輸入元がある。
日本にだけない、という例が具体的には挙げないが、まだまだある。
しかも増えてきているように感じる。

それらのブランドは、なんらかの理由で日本の市場から淘汰されただけなんだよ、
そんなことをいう人もいるけれど、ほんとうにそうなのだろうか。

そういうブランドもあるだろうけど、なにか日本だけが取り残されつつあるよう気もする。

そう書いた。
昨年の8月に書いている。

それから半年ほど経って、その感を強くしている。

Date: 1月 25th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(技術の植民地)

昔もいまもそうなのだが、多くのオーディオマニアは、
日本製のスピーカーよりも海外製スピーカーをありがたがる傾向がある。

こんなことを書いている私自身もそうである。
そうであっても、トータルの音ではなく、
これまで日本のオーディオメーカーがスピーカー開発にかけてきた技術力は、
そうとうなものだった、と思っている。

スピーカーユニットの振動板の素材開発にしてもそうだし、
ユニットの構造もさまざまなものが登場してきた。

測定技術においてもそうだった。

いま海外メーカーが、技術的メリットを謳っていることの多くは、
ずっと以前に日本のメーカーが実現していたことだった。

なのに、そんなことをすっぽり忘れてしまっているオーディオマニアがいる。
若い世代のオーディオマニアならば、
そういった日本のスピーカー技術をよく知らないだろうからしかたないが、
私と同世代、上の世代においても、忘れてしまっているのか、
もともと興味がなくて調べることすらしなかったのか、
どちらにしても、その人が好きな海外メーカーのブランド名をあげて、
ここはすごい、といっている。

その技術は、ダイヤトーンがとっくに実現していましたよ、と返しても、
知らない、という。自分の知らないことは事実ではないような顔をする人もいた。

そんな人がえらそうことを若い世代に対して語ったりするのか。
そんなことも思うのだが、そんな人のことは実はどうでもいい。

欧米のオーディオメーカー、特にヨーロッパのメーカーがうまい、と感じるのは、
そんなふうに日本のオーディオメーカーが開発した技術を、
こなれたころになってうまく利用しているところにある。

1970年代から1990年代にかけての日本のオーディオメーカーは、
その意味では海外のオーディオメーカーにとっての技術の植民地といえるのではないか。

Date: 10月 22nd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その14)

ステレオサウンド 55号から、タンノイ研究が始まった。
菅野先生がずっと担当されていた。

51号からは4343研究が始まった。
こちらは瀬川先生が二回、柳沢功力氏が一回、
JBLのスタッフが一回だった。

タンノイ研究が菅野先生だけだったことに、特に不満はなかった。
それでも瀬川先生も登場してもいいのではないか、と何度か思いながら読んでいた。

そう思うのは、瀬川先生ならば、タンノイに、どのアンプを組み合わせられるか、
菅野先生とは趣向の違いがはっきりと出てくるだけに、
記事として、よりいっそう深みを増すのは、タンノイ研究にぴったりだからだ。

59号のベストバイの結果を見て、なんとなく瀬川先生が登場されない理由がわかった。
では、瀬川先生以外のほかの人となると、
菅野先生一人だけ、ということになってしまうのはわかる。

55号のタンノイ研究は、オートグラフだった。
55号には、五味先生の追悼記事も載っている。

五味先生は4月1日に亡くなられている。
タンノイ研究の企画は、いつ決ったのだろうか。

思うに4月1日以降なのではないだろうか。
そんな気がする。

私は、そうだろう、と確信している。
その理由は、ステレオサウンドで働くようになって、GRFメモリーについてのことをきいたからだった。
それがどんなことなのかは、まだとうぶん明かさないが、
そのことの準備期間まで含めると、非常に納得がいく。

納得いくことが、単なる偶然からきている可能性もあるだろう。
それでも、そのはずだ(はっきりと書かなくて申しわけない)。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その10)

中学、高校の吹奏楽のコンクールが、
コロナ禍によりビデオ審査になった、ということを知った。

それぞれの学校が、それぞれの場所で、それぞれの器材を使って録画するのだろう。

これはもう録画のクォリティが、ピンからキリまで生じることになるのではないのか。
私立の学校で、吹奏楽で名が知られているところだと、
録画にもたっぷりの予算が割り当てられても不思議ではない。

プロが使う録画、録音器材、そしてプロの人たちによって、
それこそ照明を含めて、高いクォリティのものをつくりあげるだろう。

公立の学校となると、
へたするとスマートフォンの録画機能を使って、ということになるかもしれない。

そうやってつくられたものが提出され、審査する側は、そのことについてどう配慮するのだろうか。
それに器材があって技術があれば、演奏のこまかなところも修整できる。

録画による審査はしかたないことだとわかっているが、
このあたりのことに関して、録画、録音器材を指定したところで、
それらの器材を持っているところもあるし、新たに購入しなければならないところ、
その予算がないところなどがあろう。

(その6)で触れたAudio Renaissance Onlineという、
オンラインのオーディオショウに、同じことはいえる。

どんなふうに行うのかは知らないが、
出展社が一箇所に集まって、というわけではなく、
それぞれの出展社が、それぞれの場所からのストリーミングのはずだ。

オンラインのオーディオショウに出展するところは、
オーディオメーカー、輸入元なのだから、そこでの器材がスマートフォンということはない。

それでも部屋が違う、マイクロフォンを始めとする器材が違う。
同じ器材だとしても、マイクロフォンの位置は、出展社に対して指定されているとは思えない。

おそらく出展社まかせなのだろう。
こういうことを含めてのオンラインのオーディオショウとしても、
最低限のリファレンスは決めた方がいい。

今年は、まずやることが優先されているのはわかっている。
それでも送り出し側、受け手側、それぞれのリファレンスを有耶無耶にしたままでは、
お祭りのままで終ってしまうことになりかねない。

Date: 9月 23rd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その9)

五味先生の「オーディオ巡礼」に「HiFiへの疑問」がある。
そこに、こんなことが書かれている。
     *
 ところで、たとえばここに二つのスピーカーがある。Aは理想的に平坦な周波数特性をもち、Bは周波数帯域に小さな谷や山をずいぶんもっている。山はピークだから、その周波数附近の音は(楽器は)Aに比して、何か強く強調されたようにきこえる、もしくは歪んでひびく。谷の周辺の音は弱く、小さい。
 さて現実に、まったき周波数特性の平坦なスピーカーはまだのぞめないだろう。じつに大小さまざまな山や、谷の特性をもつスピーカーしかない。しかも周波数特性がまったく同じスピーカーなど存在しない。厳密にはだから、レコードにきざまれた音を、大小差異のある音に増幅してぼくらは聴いている。しかもぼくらが家庭で聴くスピーカーは一台である。私の家で鳴っている音と、B君の家とでは或る音域に微少でも必ず差があるわけで、どちらの音がいいかは、厳密には誰にも断言できまい。
 スピーカー一つを例にとってこうである。アンプ、カートリッジ、テープデッキ、ひとつとして同じ鳴り方をするものはない。つまり演奏の同じレコードなど、それが再生される限り、一枚もない理屈になる。ハイフェッツのレコードが五十万枚売れたとすれば、五十万のハイフェッツの演奏がある理屈だ。ことわっておくが、私は理屈をこねているのではない。何十万という異なる再生装置で、異なる演奏を聴きながらレコード愛好家が良否を識別する、その不思議さをおもうのである。肯綮に当っている不思議さを。
     *
(その7)で触れた「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、どう聴くかは、
これと同じことだろう。

「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を再生することで、
ジャズ喫茶ベイシーの音を、自分のリスニングルームに完全に再現しよう、
と考える人はおそらくいない、と思う。

五味先生が、これを書かれたころからすれば、
スピーカーの周波数特性ひとつとっても、かなり平坦になってきている。

スピーカーの物理特性は変換効率以外は明らかに向上している。
それでも、いまだ一つとして同じ音のするスピーカーは存在しない。
似ている音のスピーカーは存在するようになってきたけれども。

ベイシーの再生システムとまったく同じシステムを揃えている人がいても不思議ではない。
でも、その再生システムで「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を鳴らしても、
ジャズ喫茶ベイシーの音を再現できるわけではない。

「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」が何枚売れたのかは知らないが、
仮に一万枚としよう。
そうすれば、一万の「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」の演奏がある理屈になる。

そう「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、
ベイシーの店主・菅原正二氏のレコード演奏として捉えるのであれば、
そうなる道理だ。

Date: 9月 7th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その8)

その7)のコメントが、facebookにあった。
そこには、レコード演奏家という概念を認めるなら、
スピーカーからの再生音を録音するという行為は、
レコード演奏家のライヴ録音という捉え方もできるのでは──、というものだった。

このことは、私も書こうかな、と考えていた。
けれど、菅野先生が提唱されたレコード演奏(レコード演奏家)論は、
いまどれだけ広まっているのだろうか、と思うところがあって、
書こうかどうしようか、と考えていたところでもあった。

レコード演奏家論がステレオサウンドに掲載されたときから、
全否定に近いものをインターネットで読んだことがある。

全否定していた人の書いているものを読むと、
どこをどう読めば、
レコード演奏家論をここまで歪めて捉えることができるんだろう……、と思いたくなるほどだった。

そこまでひどくはなくても、レコード演奏家論を認めない人は少なからずいる。
もちろんレコード演奏論に積極的な人もいる。
それから、ほぼ無関心という人もいる。

この無関心という人が、私が感じている範囲では、多数のようでもある。

菅野先生が亡くなられて、もうすぐ二年になる。
「レコード演奏家」をオーディオ雑誌で目にすることもそうとうに減ってきたのではないだろうか。

あと数年もすれば、どうなるのか、なんともいえない。

スピーカーからの再生音を録音して、ということに否定的な人は、
おそらくレコード演奏家論にも否定的なのではないだろうか。

今日観てきた映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」では、
これをやっているわけだ。
元の音にない臨場感を生むために、
スピーカーで一度再生して、その音を録音して仕上げている。

録音の現場では、同じようなことは行われている。
デジタルで録音したものを一度アナログに変換して、音をいじる。
その後で、もう一度デジタルに変換して仕上げる。

そこに、デジタルだから、アナログだか、という妙なこだわりはない。

Date: 9月 5th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その7)

ユニバーサルミュージックから「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」が発売されている。
SACDとLPだけでなく、e-onkyoでの配信も始まっている。

配信はDSF(11.2MHz)flac、MQA(96kHz、24ビット)がある。

すでにオーディオ関係のサイトで紹介されているので、詳細は省く。
ジャズ喫茶ベイシーの再生音を収録したものである。

今年はベイシー開店50年ということで、映画も公開されている。
その一貫としての、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」の発売なのはわかっていても、
今年はコロナ禍ということで、オーディオショウがほほすべて中止になっているなかでの発売。

偶然なのだろうが、リモート試聴というテーマで書いている途中での発売は、
おもしろいタイミングでの登場というふうにも感じられる。

この企画は、どんなふうに受け止められるのだろうか。
おもしろい、と思う人もいれば、くだないこと、と思う人もいるはずだ。

再生音を録音して、何がおもしろいのか、という人は、以前からいる。
この人たちのいわんとするところがわからないわけではないが、
こうやって記録として残してくれることは、くだらない、とか、意味がない、とか、
そんなこと以前に、ありがたいことではないだろうか。

そんなことをいうよりも、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、
どう聴くのかを、考えた方がずっと建設的ではないだろうか。

ジャズ喫茶ベイシーのシステムはよく知られている。
その音を収録して再生するのであれば、
やはり同じシステムでなければならないのか。

けれど、同じシステムであっても、同じ環境なわけではないし、
環境を含めて、ほぼ同じことを再現できたとしても、
鳴らす人が違うのだから……、ということになる。

同じにはできないのだから、どんなシステム、環境で聴いてもいい、ともいえる。
それでも伝わってくるところは、きちんとあるはずだ。

けれど、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」について論じるのであれば、
少なくとも、なんらかのリファレンスといえるものをどうするのか──、
そのことを避けていくわけにはいかないはずだ。