Archive for category 再生音

Date: 5月 15th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その4)

四年前の2013年、ヴァイタヴォックスのスピーカーがふたたび輸入されるようになった。
その時点では情報がほとんどなくて、なぜ? いまになって、と思った。

その後の情報では真空管アンプで知られるドイツのオクターヴが、
ヴァイタヴォックスのコンシューマー用部門を買収して、ということだった。

なぜオクターヴが……、ということまでは知らない。

オクターヴは、懐古趣味的な真空管アンプをつくっているメーカーではない。
現代アンプとして通用する真空管アンプをつくっている。

そのメーカーがヴァイタヴォックスを、である。

オクターヴのオーナーの個人的な趣味でなのか。
そうかもしれないし、それだけではないとも思う。

オクターヴのサイトには、MODERN CLASSICとある。
なるほどな、と思う。
そういうメーカーが、ヴァイタヴォックスを選択したわけである。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その2)

ステレオサウンド 9号。
1968年12月に出ているステレオサウンドに、
「オーディオの難題に答えて」という記事が載っている。

副題として「読者オーディオ身上相談集」とあることからわかるように、
読者からの質問に対して、複数のオーディオ評論家が答えるという内容だ。

六つの質問がある。
読者によるペーパープランの組合せについて、であったり、
グレードアップを無駄なくするためには、とか、
改良と改悪について、だったりとかだ。

その中に、〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか? がある。
上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏が答えられている。

菅野先生は録音側から答えられている。
上杉先生はハードウェアに即しての回答である。

瀬川先生は、こうだった。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言でいうことができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印刷もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来まで含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
 わたくしはこれですべてを語っているつもりですが、誤解をさけるためにあえて蛇足を加えれば仮に将来、現在の二次元の映像がやがてタッソオの蝋人形もどきの立体になり声までそっくり似せられるようになったとしても、結局それはあなた自身ではありえない。再現の技術の果てしない追求というのは、こうして極限を想像してみると、およそ無気味なものです。蝋人形にせよロボットにせよ、思考能力が無かろうなどといおうとしているのではない物理的な次元でイクォールが得られたとしても、再現されたものはジャンルが違う、同じであっても同じものではない、といいたいのです。
     *
瀬川先生の回答はまだまだ続く。
興味のある人はステレオサウンド 9号をお読みいただきたい。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その1)

再生音について考える必要はあるのか。
そう思われる人もいよう。
そんなこと考えなくとも、自分のシステムでいい音が聴ければいいのであって、
「再生音とは……」について、時間を割いてまで考えて何になるのか。

そういう人にとっては、この項はひどくつまらないであろう。

再生音はスピーカーから鳴ってくる音。
それ以上でもそれ以下でもない。

こんなふうに言い切れれば楽だ。
確かにスピーカーから鳴ってくる音が、再生音であるが、
それだけで再生音の正体について語っているとはいえない。

ステレオサウンド 38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
その中で、井上先生が最後に語られている。
     *
 ほとんどすべての人間が生まれながらに現実の音に反応しているはずです。それが再生音になると、どうしても他人の手引きや教えばかりをもとめるのか。いい音というのは、あなたがいまいいと思った音なんてすよ、とぼくはいっておきたい。つまり結局は、ご自分で探し出すことでしかないんです。
     *
再生音だと、なぜそうなってしまうのか。
これを読んだ時から、ずっと心にひっかかっている。
ひっかかり続けているから、この項を書いている。

再生音の正体について考えず、正体がはっきりとわからぬままオーディオをやっていても、
いい音は出せる。
ならば、それでいいじゃないか。

そう思わないわけではない。
それでも再生音の正体をわからぬままオーディオをやっていくことに、
むなしさ(とまでいってしまうといいすぎに感じるが……)をおぼえる。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(英訳を考える)

音の英訳はsoundが、まず浮ぶ。

では再生音の英訳は? というと、
Google翻訳では、playback soundと出る。
直訳すぎる。

再生の英訳は、playbackの他に、reproductionも出てくる。
再生音の英訳ならば、playback soundよりも、
reproduction soundのほうが、まだしっくりくる。

忘れがちになるが、acoustic wavesも音の英訳である。
playback acoustic wavesとかreproduction acoustic waves、
そんな英訳はしたくない。

でも確かに音はacoustic wavesである。
ならばartificial wavesが、再生音の英訳であってもいいのではないだろうか。

Date: 4月 23rd, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(ゴーストとレヴェリー)

「GHOST IN THE SHELL」と同時期にHuluで「ウエストワールド」の配信が始まった。
「ウエストワールド(Westworld)という映画があった。

1973年公開、マイケル・クライトン監督による作品。
映画館では観ていないが、テレビで放送された時に見ている。
ユル・ブリンナーという役者を知ったのもこの映画だったし、
顔が外れるシーンは強烈だった。

ドラマ版の「ウエストワールド」も映画をベースにした。
タイトルにもなっているウエストワールドは、体験型テーマパークであり、
マイケル・クライトンの「ジュラシック・パーク」と同じといえる。

後者は恐竜で、前者は人と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドにるテーマパークである。

ドラマ版「ウエストワールド」の中に、レヴェリーという単語が出てくる。
字幕では「レヴェリー(夢幻)」と訳されている。

「GHOST IN THE SHELL」には、ゴーストという単語が出てくる。
ゴーストとレヴェリーは、近い。

ただしゴーストは義体であっても、脳は生身のままの脳であるから宿る。
レヴェリーは人工頭脳に宿る。

これから先、再生装置が高度になればなるほど、
そこに宿るものが生れてくるとしたら、どちらなのだろうか。

それともすでに、どちらかはあると感じているのだろうか。

Date: 4月 23rd, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(GHOST IN THE SHELL)

昨晩、友人のAさんと食事をしていた。
「GHOST IN THE SHELL」の話もした。

Aさんはまだ観ていない、とのこと。
ならば、ぜひIMAXで観てほしい、と力説した。

Aさんと別れた後、電車の中でふと気になって調べてみたら、
東京でのIMAX上映はすでに終了している。
3Dでの上映はやっていても、IMAXではないのだ。
神奈川でも、もうやっていない。

他の地区まで調べはしなかったけれど、
「GHOST IN THE SHELL」のIMAXでの鑑賞はできないのかもしれない。

オーディオマニアにこそ、IMAXでの鑑賞をしてほしかっただけに残念だ。

Date: 4月 16th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その5)

二つのモダリティが満たされていると、人の認識は本物と錯覚する、ものらしい。
ある人の声をスピーカーから再生しても、その人本人がしゃべっているとは勘違いしないが、
そこにもうひとつのモダリティ、たとえばその人の匂いが加わると、
その人本人がしゃべっていると勘違いする、とのこと。

話している人を実際に知っているという前提が、ここにあるわけだが、
「攻殻機動隊」のハリウッド・実写版「GHOST IN THE SHELL」を観ていて、
ここにスカーレット・ヨハンセンの匂いが加わったら……、と想像していた。

スカーレット・ヨハンセンと会ったことはないから、
匂いが加わったとして、それが本人の匂いかどうかは判断できないし、
それにスクリーンに映し出されているのは、スカーレット・ヨハンセンか演じている少佐であり、
その少佐の匂いは、どう設定されているのか。

MX4Dは匂いもつくようだ。
IMAXで観ながら、MX4Dだとどうなんだろうか。
匂いが加えられているのか──、
と思いつつも、「GHOST IN THE SHELL」の少佐は全身義体(脳だけが本人のものである)。

匂いなど、そこにはないのかもしれない。
そう思わせるシーンもあった。

字幕版を観たから、こんなことを考えたのかもしれない。
吹替え版では、ひとつめのモダリティからして違ってくるわけだから。

Date: 4月 14th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その4)

GHOST IN THE SHELL」の公開から一週間。
インターネットには、さまざまな人によるさまざまな評価が、けっこうある。

映画を観た後で読むと、
高く評価している意見についても、そうでない意見についても、納得できるところがある。

原作としてのマンガがあり、
同名のアニメ映画があるのだから。

それらの映画評を読んで思うことは、
この人は、どのフォーマットで「GHOST IN THE SHELL」を観たのだろうか、だ。

配給会社の試写室は、おそらく通常の2Dなのだと思う。
2Dの字幕版なのか、3Dの字幕版か。
IMAX版、MX4D版なのか。

どの版で観ても、映画そのものの評価は本質的に変らない。
けれど、テクノロジーが生み出す官能性ということに関しては、
大きく違ってくるばずだ(2D版で観てないので断言はできないけれど)。

今回は字幕版を観たわけだが、これがこのことに関しては良かったように思われる。
吹替え版も観たいと思っているが、
スカーレット・ヨハンソンの声が吹替えであったなら、官能性を感じただろうか。

昨晩は、その官能性にしばらくは圧倒されていた。
同時に、昨年度のKK塾での石黒浩氏の話も思い出していた。

モダリティと、その数についてである。

Date: 4月 13th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その3)

観たい映画があっても、昔と違い、いまは場合によっては選ばなくてはならない。
字幕なのか吹替えなのか。
映画によっては3Dにするのかどうか。

さらにはドルビーアトモスを選べるものもあるし、
IMAX、MX4Dまである場合も。

昔のように2D、字幕しか選択肢がなかった時代とは違う。

GHOST IN THE SHELL」には、
字幕、吹替えがあって、2Dと3D、さらに3DはIMAX、MX4Dがあって、
当然、料金は違ってきて、3D、MX4Dでは三千円をこえる。

シネコンでは、時間帯によって、どれを上映しているかが加わる。
結局、IMAXの3D、字幕版の「GHOST IN THE SHELL」を観た。

IMAXの3Dは、今回が初めての体験である。
今日まで3D用のメガネが、通常の3DとIMAXとでは違うことも知らなかった。

私はどちらかといえば前寄りの席で観る。
今日は前から五列目。
入って、スクリーンの大きさからすると、前過ぎたかな、と思った。
シネコンだから席は、もう変えられない。

でも、このくらい前で良かった。

「GHOST IN THE SHELL」の映画としての出来が格段優れているとはいわない。
それでも、この映画は、再生音について考えさせられる。

再生音といっても映画館の音についてではなく、
オーディオの再生音についてである。
その再生音の官能性ということについて、である。

スカーレット・ヨハンソン演じる少佐が映るたびに、
映画のテクノロジーがここまで進化したことによる官能性の描写を感じていた。

これまでも映画の中に官能性といったことを感じなかったわけではない。
でも今回の「GHOST IN THE SHELL」で感じた官能性は、
これまでの映画(つまり映画の基本フォーマット、2Dでの上映)では再現できない──、
そう思わせる類の官能性である。

Date: 4月 6th, 2017
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その2)

明日(4月7日)、攻殻機動隊のハリウッド製作の実写版「GHOST IN THE SHELL」が公開になる。

観に行く予定である。
字幕版を、と当初は思っていた。
けれど先日、吹替え版のキャストが発表になり、
吹替え版を観たい、と思うようになっている。

どちらも観るであろう。
でも、どちらを最初に観ようか、とけっこう真剣に悩んでいる。
こんなこと、いままでの映画では考えもしなかった。

私にとって映画館で観る洋画は、字幕が当り前である。
いままで映画館で吹替え版は観たことがない。

それでも昔テレビがあった生活のころ、
日曜洋画劇場や金曜ロードショーなどでは、当然だけれど吹替え版となる。

家庭で小さいな画面では吹替え版というのが、習慣のようになっていた。

映画ではなくドラマはどうかというと、
音声多重放送などなかった時代から、テレビで海外ドラマは吹替え版で見ている。
吹替え版に馴染んでしまった、そのころの海外ドラマを、
いまHuluなどで字幕版でみると、違和感がある。

とはいえ最初から字幕版でみている海外ドラマに違和感はない。

それでも洋画を映画館で吹替え版で、とは一度も思ったことがないのに、
今回の「hGHOST IN THE SHELL」だけは、吹替え版を先に観ようか、と思う。

そのとき、なんらかの違和感があるのだろうか。

Date: 12月 18th, 2016
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その12に対して……)

三年半前に(その12)を書いた。
次のようなことを書いている。
     *
ロボット(robot)は、カレル・チャペックの戯曲「R.U.R.」において、
初めて提示され、このロボットの着想にはゴーレム伝説が影響していると、チャペックが述べている。

ゴーレムは泥人形であり、機械仕掛けのロボットではない。
その意味では、ゴーレムは、アトムやその他のロボットよりも、
イメージとしてはピノキオに近い、といえるだろう。

ピノキオは、意志をもって話をすることができる木をゼペットじいさんが人形に仕上げたものだ。
ピノキオにも、手足を動かしたりする機構は、ゴーレム同様ない。
意志をもった木であっても、ピノキオに人間の脳に相当するものがあるわけではない。
     *
ゴーレムとピノキオは近い存在といえると今も思っているが、
同時にゴーレムは、やはり現在のロボットを示唆していた、とも思うようになった。

実際のロボットを形作っている素材のほとんどは、土の中、土の下にあるものだ。
半導体の材料となるものがどこにあるのか。
配線の素材はどこに存在しているのか。
ロボットの動力の源となるのは何なのか、それはどうやってつくられるのか。
ロボットの動きをスムーズにするためのオイルにしても、そうだ。

こんなことを考えていくと、ほとんどすべてが土と関係してのモノであることに気づく。
その意味でゴーレムが泥人形(土)なのは先見性があった、というべきなのか。

土、鉱物、ロボットと考えていくと、
ジェームズ・ラブロックにより仮設が提唱されたガイア理論と結びついていく。

最先端のロボットは、つまりは土から生れる。
土とは地球と捉えれば、ガイアがGaiaなのは、単なる偶然なのだろうか、と思うのだ。

Gaiaの真ん中にはaiがいる。AIだ。
artificial intelligence(人工知能)のAIが、Gaiaの真ん中なのだ。

こじつけと思われようが、こう考えていくと、
やはりAIは現実となる日が来るのだろう。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その1)

攻殻機動隊の映画が2017年公開される。
これまでのアニメーションではなく、ハリウッド制作の実写版である。

今日、予告編が公開された。
楽しみにしている、期待している映画だけにさっそく予告編を見た。
見ながら、ふと思ったことがある。
なぜ、実写版をみたいと思うのだろうか。

1991年、「ターミネーター2」が公開された。
初日に観に行った。
いまでは驚きもしないのだが、「ターミネーター2」の映像は衝撃だった。

観終ったあと、連れと「これで寄生獣が映画されるね」と話していて。
「寄生獣」は、そのころ月刊アフタヌーンに連載されていたマンガだった。
2014年に実写映画が公開されている。

マンガを原作とする映画は、いくつも制作され公開されてきている。
予告編をみただけで観に行く気がうせてしまうのもけっこう多い。

日本制作だから……、が必ずしも失敗作の理由ではなく、
ハリウッド制作であってもひどい例がある。

いくつもの失望を味わいながらも、実写版をみたいという気持は常にある。

今回の攻殻機動隊の実写版は、
アニメーションのGHOST IN THE SHELL(1995年公開の映画)がベースである。
予告編では、アニメーションのGHOST IN THE SHELLを、
そのままトレースしたかのような実写映画のように思えた。

だからこそ、よけいに再生音のことを考えていた。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その3)

アルテックのイギリス版といえるヴァイタヴォックス。
CN191、Bitone Majorがよく知られていた。

1970年代では、アルテックのA5、A7の音と同じで、
いくぶん古めかしいが、響きの豊かで暖かい音だ。

Bitone Majorは、システム構成からしてアルテックのMagnificentと同じといえる。

ヴァイタヴォックスの名も、1980年代以降あまりきかなくなった。
そしてカタログからも消えていった。

ヴァイタヴォックスという会社は、
軍需用を含めた業務用スピーカーメーカーとしてもいまも健在だが、
いわゆるトーキー用、コンシューマー用といわれる部門からは撤退していた。

ヴァイタヴォックスの製品ラインナップは、アルテックよりも少なかった。
ユニットの数も少ないし、スピーカーシステムの数はさらに少ない。
新製品はずっと登場していなかった。

しかもイギリスのオーディオ関係者からも存在を忘れられている──、
そんなことを瀬川先生が、ステレオサウンド 49号に書かれている。

そんなヴァイタヴォックスのスピーカーが消えてしまったのは、
会社がなくなったわけではなく、収支があわなくなった故の、その分野からの撤退なのだろう。

そうなっていったのは、新製品が発表されないから、でもあろうし、
時代にそぐわないから、なのかもしれない。

時代にそぐわない音、といえば、そうかもしれない。
だが必要とされない音ではないと思う。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その2)

1980年前後は、スピーカーのマグネットが、
アルニコからフェライトへと全面的と移行せざるをえなかった時期と重なる。

アルテックもユニットをフェライト化していった。
同軸型ユニットの604-8Hは604-8KSになっていった。
ウーファー、ドライバーもフェライトになった。

タンノイもそうだが、同軸型ユニットはアルニコとフェライトの違いは、
ユニットの設計を全体でやり直すことが必要となる。

マグネットの磁気特性の違いから、アルニコとフェライトでは最適な形状が異り、
そのためフェライトにすることでユニットの奥行きはアルニコよりも短くなる。
そうなると同軸型ユニットの場合、中高域のホーン長が短くなるということに直結する。

604シリーズ中、フェライトになった604-8KSを傑作と評価する人がいるのは知っている。
その人が、アルテックに精通している人であることも知っている。

その評価を疑うわけではないが、アルテック全体として見た場合、
JBLがフェライト化に成功したのに、アルテックはお世辞にもそうとはいえない。
むしろ失敗したように映った。

アルテックは没落していく。

アルテックもJBLも元を辿ればウェスターン・エレクトリックに行き着く。
このふたつのスピーカーメーカーは浅からぬ縁もある。
JBLは生き残り、アルテックは消失した(といっていいだろう)。

アルテックが没落した理由について書きたいわけではない。
その理由は、ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」を読めばわかる。

アルテックという会社が消失したことで、アルテック・サウンドと呼べる音も消えつつある。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その1)

1970年代後半くらいまではアルテックは健在だった、といえる。
私がオーディオに興味をもちはじめてステレオサウンドを読みはじめたころ、
A7、A5といった古典的なモデルの他に、Model 15、Model 19といった、
コンシューマー用モデルも登場したばかりで、Model 19の評価は高かった。

Model 15は写真で見ても、いい恰好とはいえず興味をもてなかったが、
Model 19はずんぐりむっくりしたプロポーションが、
安定感を感じさせるとともに、そのことがアルテックの音を表しているようにも思えた。

数年前、中古を扱うオーディオ店にModel 19があった。
ひさしぶりに見たな、と思いながら、
やっぱり、このカタチは好きだな、と思い出していた。

Model 19のころ、アルテックは2ウェイでありながら、高域のレンジを延ばそうとしていた。
専用トゥイーターに比べればまだまだといえても、
従来のアルテックよりはワイドレンジになって、成功している、といわれていた。

実は私が最初に聴いたアルテックはModel 19だった。
A5、A7も現役モデルだったし、より有名ではあっても、
オーディオ店に置いてあるかどうかによって、
歴史の長いブランドにおいては、最初に聴いたモデルは、
世代によっても、どこに住んでいるのかによっても、違ってくる。

私はModel 19であり、好感をその時からもっていた。
その後、604-8Gが604-8Hになる。
620Aも620Bとなる。
そして604-8Hを中心に4ウェイ・モデル6041が登場した。

JBLの新製品の数からすればアルテックは少なかったが、
アルテック健在と思わせてくれた。

けれど1980年代にはいると、あやしくなってくる。
9861、9862のころからである。

それ以前にもA7にスーパートゥイーターを加えて3ウェイ化したA7XSを出していた。
音は聴いたことがないけれど、成功作とは決していえない。
すこし迷走しはじめた感じもあったけれど、6041の登場がそれを吹き消していた。

私は9861、9862にA7XSと同じにおいを感じていた。