Archive for category 再生音

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その2)

ステレオサウンド 48号の測定は長嶋先生が行われている。
146ページの囲みも長嶋先生が書かれているのだろう。

そこには《グラフに現われる山の形はカートリッジを替えても変るため、プレーヤーのみならず、他のコンポーネントにも応用できるだろうと考えている。もっと細部まで検討してから発表するつもりでいる。ご期待いただきたい。》
とあった。

それまで測定に使われる信号といえば正弦波ばかりといっていい。
正弦波による測定がわかるのは、いわゆる静特性であり、
実際の音楽信号を使った測定による動特性とははっきりと区別しなければならない。

私は48号の囲み記事を読んで期待していた。
すぐにはないだろうが、ステレオサウンドは48号での測定をさらに検討・発展させ、
動特性の測定を行なってくれるであろう、と。

けれど実際には行われなかった。
測定の難しさが関係してのことかもしれない。

試聴もそうだが、測定も再現性が求められる。
同じ条件で試聴、測定をやって、同じ結果が得られるか、という意味での再現性である。

この再現性が十分に確保されていないと、クレームを受けることにつながってしまう。

ステレオサウンド 48号は1978年である。
CDが登場する三年前であり、それゆえの難しさがあったことは容易に想像できる。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その1)

ステレオサウンド 48号で、
アナログプレーヤーのブラインドフォールドテストが行われている。
測定も五項目、行われている。

そのひとつにレコードの音楽波形レベル記録というのがある。
実際にレコードを再生して、その波形を記録したもの。

使用されたレコードは、アシュケナージによるベートーヴェンのピアノソナタ第23番、
カートリッジはオルトフォンのSPU-G/E、コントロールアンプはヤマハのC2、
サブソニックフィルターはオンにしての測定結果である。

誌面に掲載されているレベル記録のグラフは横幅10cmくらいで、
そこにアシュケナージの「熱情」の冒頭五分間のレベルが描かれているため、
各プレーヤーによる違いを細部まで比較するには、小さすぎる。

しかもすべての機種の測定結果が同じページに掲載してあれば比較もしやすいが、
それぞれのプレーヤーごとにわかれているため、よけいに比較しにい。

それでもいくつかピックアップして丹念にみていけば、
一見同じようにみえる波形であっても、違いがある。

48号の146ページには、囲みで、拡大したグラフの比較が行われている。
EMTの930stによる波形と、1973年ごろのローコストのダイレクトドライヴ型の波形である。

こちらは拡大してあるのと上下に並べてあるだけに、比較がしやすい。
どちらの波形がより正確かはこれだけではいえない面もあるが、
とにかくふたつの波形が違うことは、想像以上にある、と感じた。

Date: 7月 24th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その9)

ステレオサウンド 9号は1968年12月発売なので、
ステレオサウンドで働いている時に読んだ。

《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
という表現は、瀬川先生自身、楽器をいじる人の感想をきいて気づかれたのだろう。

このことは実際に楽器を演奏する人にアルテックのスピーカーを含めて、
他のスピーカーも聴いてもらい確認したい、と思いつつもその機会はなかった。

9号を読んでから何年か経ったころ、
グレン・グールドの録音風景のビデオをみた。

録音スタジオにはふたつのスピーカーがある。
ひとつはミキシングエンジニアが聴くモノで、いわゆるスタジオモニターと呼ばれる。
もうひとつは演奏家が、演奏しているブースで聴くためのププレイバックモニターである。

コロムビアのプレイバックモニターは、アルテックのA7だった。
少し意外な感じがした。

それからしばらくしてマイルス・デイヴィスの録音風景のビデオもみる機会があった。
当然だけれども、そこでもプレイバックモニターはアルテックのA7だった。

A7はいうまでもなく劇場用のスピーカーシステムである。
これをプレイバックモニターとして使うのか、という疑問があった。

グールドとマイルスのビデオを見てから、また月日が経った。
二年前の夏、「ナロウレンジ考(その15)」で、
美空ひばりとアルテックのA7のことについて書いた。

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある、ということだった。

ステレオサウンド 9号を読んだのは1980年代なかごろだった。
それから30年ほどして、ようやく納得がいった。

Date: 7月 23rd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その8)

ヴァイタヴォックスの名を出したあたりから、
本来書こうと考えていたところからすこし外れてきてしまっていると思いながらも、
もうすこしヴァイタヴォックスのことを書きたい、という気持がある。

ステレオサウンド 9号で、
《JBL、タンノイとくらべると、アルテックは相当変った傾向の音といえる。楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
と瀬川先生が書かれている。

このころの瀬川先生はJBLの自作3ウェイの他に、
タンノイのGRF Rectangular、
アルテックの604Eを最初はラワン単板の小型エンクロージュア、
その後612Aのオリジナル・エンクロージュアに変更されているモノを鳴らされていた。

9号で、JBLとタンノイについて、
《音の傾向はむろん違うが、どちらも控え目な渋い音質で(私の場合JBLもそういう音に調整した)》
と書かれている。

瀬川先生の好まれる音の傾向からすると、
アルテックだけが毛色が違うんだろうな、と納得しつつも、
《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》、
この部分は、そうなのか、と思った。

アルテックのすべてのスピーカーがそうであるといえないまでも、
少なくとも、ここでのアルテックとは604Eのことのはず。

604が、JBLよりも演奏のテクニックがよくわかる──、
ということは、このときから常に頭の片隅にいつづけていた。

ここでの演奏のテクニックとは、どの楽器のことなのだろうか、
アルテックの他のスピーカー、たとえばA7、A5もそうなのか、
さらにヴァイタヴォックスも、アルテックとは違う楽器については、
演奏のテクニックがいちばんよくわかるのか、
こんなことを漠然とおもっていた。

Date: 7月 15th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(聴き方こそが……)

オーディオを熱心にやってきた人が、
ある程度キャリアを積んでいうことがある──、
「最後は部屋だよ」と。

さらには「最後は部屋なんではなく、最初から部屋なんだよ」という人もいる。
そのくらいに部屋(リスニングルームという環境)が、
音に与える影響は大きいのはいうまでもないこと。

音を支配する、とまでいう人もいる。

「五味オーディオ教室」には、
《再生音は部屋がつくり出す》とあった。
組合せにおける相性は、つまり部屋との相性だ、ともあった。
まったくそのとおりだ。

もちろん、オーディオ機器も関係してのことである。

そんなことはわかったうえでいおう、
再生音を決めるのは、その人の聴き方である、と。

Date: 7月 13th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その3)

1980年代なかごろだったか、
料理評論家の山本益博氏が「考える舌」ということばを使われた。

少し曖昧な記憶だが、
食通といわれるだけの舌を生むには、親子三代の時間が必要。
自分は、そういう環境に生れ育っていないからこそ、考える舌を身につける──、
そんな趣旨のことだった。

山本益博氏の考えに完全に同意するわけではないが、なるほど、と思った。
そういう側面はたしかにあるように感じる。

このことをオーディオにあてはめれば、親子三代オーディオマニアということになる。
1980年代では、親子三代オーディオマニアはいなかったかもしれない。

井上先生は親子二代オーディオマニアだった。
ほとんどの人が一代かぎりのようだった。

考える舌は、オーディオマニアならば考える耳なのか、と考えた。
誰もが考えつくことを考えたが、
親子二代オーディオマニアの井上先生はしきりに「頭で聴くな、耳で聴け」といわれていた。

頭で聴くな、とは、音を聴いている時に考えるな、ということだ。
考えてしまうからこそ、ちょっとしたことで判断を間違ったり,だまされたりする。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その2)

オーディオマニアが、あるオーディオ機器の音を聴いて、
「このスピーカーは、いい音だ」とか「このアンプをいい音を出す」とか口にしようものなら、
オーディオに無関心、もっといえば否定的な人からは、
「ほら、オーディオマニアは音しか聴いていない」といわれそうだ(間違いなくいわれるだろう)。

なぜか、この場合の「いい音」は、
音楽と遊離・乖離したものとして受け止められる。

けれど「このピアノはいい音だ」、「ストラディヴァリウスはいい音を奏でる」とか、
「ウィーンフィルの音はいい音がする」とか、
オーディオに関心のない人でも、あたりまえに言っている。

この場合(生の音)は、音楽と遊離・乖離していない──ようなのだ。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その7)

「スピーカーユニットのすべて」に「わが社のスピーカーユニット」というページがある。
オンキョー、コーラル、テクニクス、パイオニア、フォステクス、国内メーカー五社、
アルテック(エレクトリ)、エレクトロボイス(テクニカ販売)、タンノイ(ティアック)、
ジョーダンワッツ、ヴァイタヴォックス(今井商事)、海外メーカー五社の、
ユニット、エンクロージュア、ネットワークを含めての解説が載っている。

今井商事によるヴァイタヴォックスのユニットの使い方とその例が、
なかなか衝撃的といえた。

ユニット、ホーン、エンクロージュアの組合せの紹介記事である。
まずBitone Majorが紹介されている。
基本的なBitone Majorの構成である。

次はBitone MajorのホーンをマルチセルラホーンのCN121に換えた構成。
その次は、JBLのバックロードホーン・エンクロージュア4530に、
ヴァイタボックスのユニットとホーンをおさめた構成である。
さらにウーファーを二基おさめられる4520のシステムも紹介されていた。

この時期のヴァイタボックスからは、ヴァイタボックスのドライバーをJBLのホーンに、
JBLのドライバーをヴァイタボックスのホーンに取り付けるためのスロートも出ていた。

ヴァイタヴォックスがJBLのユニットを自社のユニットに置き換えることを、
なかば推奨していたのか。そう受け取ることもできる。

ならばパラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに置き換えるのもあり、
この時から、ずーっと頭に片隅に居つづけている妄想である。

LE15AをAK157に、375をS2にする。
トゥイーターの075をどうするかは難しいところだが、
まずはAK157とS2の2ウェイでも、なんとかなりそうな気もする。

パラゴンの中古を手に入れて、ユニットをヴァイタヴォックスに置き換える。
すんなりいきそうに思えるが、
パラゴンの中域(375+H5038P)の取り付けを図面で確認すると、
375の後にはあまりスペースの余裕がない。

375とS2の奥行きは13.6cmと13.7cmでほぼ同じ。
ただS2とH5038Pの組合せにはスロートアダプター分だけに奥行きが伸びる。
その分を収納できない可能性がある。

それでもヴァイタヴォックスのユニットがおさまったパラゴンの音は、
私にとっては150-4C搭載のパラゴンの音よりも聴いてみたい。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その6)

そんなことはパラゴンに対する冒瀆だ、といわれそうだが、
高校生のころから想像(妄想)していることがある。

パラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに換えてみたら……、である。

パラゴンのウーファーはLE15Aだった。
LE15Aは、どうみてもパラゴンのエンクロージュア向きのウーファーとは思えないところがある。
もともとのパラゴンに搭載されていたのは150-4Cである。
1964年にLE15Aになっている。

この時点で150-4Cが製造中止になったわけではなく、
同時期にハーツフィールドもユニット変更を受け、
075を加えた3ウェイモデルとなっている。
ハーツフィールドのウーファーは変更なく150-4Cのままだった。

中古市場では150-4C搭載のパラゴンのほうが高価だ。
どこまでほんとうなのかは確認していないが、
150-4C搭載のパラゴンの程度のいいモノが出ると、高価であってもすぐに売れてしまうが、
LE15A搭載のパラゴンは、在庫になってしまうこともある、とか。

LE15Aはホーンロードに向くユニットではない。
そのことも関係のしてのことだろうが、
そんなことはJBLがいちばんよくわかっていて、にも関わらずパラゴンにLE15Aを搭載しているのは、
何か理由があるはずだが、はっきりとはわからない。

LE15A搭載のパラゴンの音は聴いている。
150-4C搭載のパラゴンの音は聴いたことがない。
後者のパラゴンこそパラゴンである、とはいわないが、その音は気になる。

ホーンロードに向くウーファーのパラゴンの音、
そんなことを想像していたころに、あるオーディオのムックが出た。
電波新聞社の「スピーカーユニットのすべて」である。
1979年に出ている。

Date: 7月 4th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(“The Hollow Men”)

Between the idea
And the reality
Between the motion
And the act
Falls the Shadow
     For Thine is the Kingdom

Between the conception
And the creation
Between the emotion
And the response
Falls the Shadow
     Life is very long

Between the desire
And the spasm
Between the potency
And the existence
Between the essence
And the descent
Falls the Shadow
     For Thine is the Kingdom
(T.S.エリオットの“The Hollow Men”より)

“Falls the Shadow”
「影が落ちる」という訳もあるし、
「幻影があらわれる」という訳もある。

影にしろ幻影にしろ、実体ではなく、
shadowを再生音として捉えるのならば、
このT.S.エリオットの“The Hollow Men”(うつろな人びと)は、
再生音がどこにあらわれるのか、
だからこそ再生音とは……、について示唆にとむ。

Date: 6月 22nd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その5)

ここ数年、私の中でヴァイタヴォックスの存在が少しずつ大きくなっているようだ。
ちょっとしたことがきっかけで、ヴァイタヴォックスのことを思い出すことが増えている。

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く)」を書いてるから、ということも、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayで、アルテックを鳴らすようになったことも、
それに齢をとったことも、そんなことが関係してのことなのだろう。
とにかくヴァイタヴォックスのことが気になる頻度が、今年は増えている。

そうなると思い出すことも増えてくる。
ヴァイタヴォックスに直接関係のないことでも、思い出す。
たとえば、こんなこともだ。
     *
 そこで再びアルテックだが、味生氏の音を聴くまでは、アルテックでまともな音を聴いたことがなかった。アルテックばかりではない。当時愛読していた「ラジオ技術」(オーディオ専門誌というのはまだなくて、技術専門誌かレコード誌にオーディオ記事が載っていた時代。その中で「ラ技」は最もオーディオに力を入れていた)が、海外製品ことにアメリカ製のスピーカーに、概して否定的な態度をとっていたことが私自身にも伝染して、アメリカのスピーカーは、高価なばかりで繊細な美しい音は鳴らせないものだという誤った先入観を抱いていた。
 味生氏の操作でシュアのダイネティックが盤面をトレースして鳴り出した音は、そういう先入観を一瞬に吹き払った。実に味わいの深い滑らかな音だった。それまで聴いてきたさまざまな音の大半が、いかに素人細工の脆弱な、あるいは音楽のバランスを無視した電気技術者の、あるいは一人よがりのクセの強い音であったかを、思い知らされた。それくらい、味生邸のスピーカーシステムは、とびきり質の良い本ものの音がした。
 いまにして思えば、あの音は味生氏の教養と感覚に裏づけられた氏自身の音にほかならなかったわけだが、しかしグッドマンとアルテックの混合編成で、マルチアンプで、そこまでよくこなれた音に仕上げられた氏の技術の確かさにも、私は舌を巻いた。その少し前、会社から氏の運転される車に乗せて頂いたときも、お宅の前の狭い路地を、バックのままものすごいスピードで、ハンドルの切りかえもせずにグァーッとカーブを切って門の中にすべりこませたそれまで見たことのなかった見事な運転に、しばし唖然としたのだが、音を聴いてその驚きをもうひとつ重ねた形になった。
 使い手も素晴らしかったが、アルテックもそれに勝とも劣らず、見事に応えていた。以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた。最上の御馳走を堪能した気持で帰途についた。
     *
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のアルテック号掲載の、
瀬川先生の文章「私のアルテック観」からの引用だ。

瀬川先生が味生氏の音を聴かれたのは、昭和三十年代早々、とある。
モノーラルのころだ。

私が、この文章を思い出したのは、
《以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた》、
ここのところである。

アルテックがクレデンザならば、
ヴァイタヴォックスはさしずめHMVではないか、
そんなことを思って、である。

Date: 6月 17th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(歴史の短さゆえか・その1)

ステレオサウンド 38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
その中で、井上先生が最後に語られている。
     *
 ほとんどすべての人間が生まれながらに現実の音に反応しているはずです。それが再生音になると、どうしても他人の手引きや教えばかりをもとめるのか。いい音というのは、あなたがいまいいと思った音なんてすよ、とぼくはいっておきたい。つまり結局は、ご自分で探し出すことでしかないんです。
     *
なぜ再生音になると、そうなってしまうのか。
ひとつには、再生音の歴史が短いということが深く関係しているのかもしれない。

エジソンの発明から140年。
このころは録音・再生に電気を必要としなかった。

電気録音が行われるようになり、電蓄が登場するようになってからは、100年ほどしか経っていない。
SPの時代であり、モノーラルの時代でもある。

ステレオの時代になってからだと、まだ60年ほどである。
ステレオとは虚像である。
虚像の再生音を聴くようになってから、まだ60年と考えれば、
人がその判断に迷ってしまうのは、むしろ当然なのかもしれない。

Date: 6月 10th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その3)

中学一年のことだから、まだ「五味オーディオ教室」に出逢う前のことだ。
クラスで、A0くらいの大判の紙に好きなことを書こう(描こう)ということになった。
書きたい人だけで、ということだった。

私は鉄腕アトムの絵を描いた。
できるだけ正確に描きたいと思った私は、
元の絵に、薄くマス目を描いた。

描く先の紙にもマス目を薄く描いた。
マス目の大きさは拡大して描くので、その分大きくしていた。

元の鉄腕アトムを描いている線が、
マス目のどのあたりを通っているのか、それを丹念に見ては、同じところを通るように描いていった。

小学生のころから、手塚治虫のキャラクターはよくまねて描いていたから、
鉄腕アトムにしても、こんなめんどうなことをしなくとも、ある程度は描けていた。

それでも、このときはそっくりそのままの鉄腕アトムを描きたかった。
結果は、元の絵と寸分たがわず拡大したものが描けた。

クラスの半分くらいが好きなことを書いた(描いた)紙は、教室の壁に張られた。
社会科の時間だったか、先生が、私が描いた鉄腕アトムを指さして、
ひじょうにうまく描けているけれど、手塚治虫が描いたものではない、ということをいわれた。

なぜ、授業中にそんなことをわざわざ話されたのかまでは、いまとなっては憶えていないが、
いまごろになって、ふと思い出した。

いわれるとおり、どんなにうまく、というよりも正確に描いたところで、
私が描いた鉄腕アトムは、手塚治虫が描いた鉄腕アトムではないのは事実である。

鉄腕アトムに限らず、マンガはマンガ家が描いた原画が印刷所にまわされて、
大量に印刷されて本になり、市場に出回る。

週刊誌の紙の質はそれほどいいわけではない。
そこに印刷されているわけだが、
それでも、そのマンガの読み手は印刷されたキャラクターを、
そのマンガ家が描いたものとして認識する。

Date: 5月 15th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その4)

四年前の2013年、ヴァイタヴォックスのスピーカーがふたたび輸入されるようになった。
その時点では情報がほとんどなくて、なぜ? いまになって、と思った。

その後の情報では真空管アンプで知られるドイツのオクターヴが、
ヴァイタヴォックスのコンシューマー用部門を買収して、ということだった。

なぜオクターヴが……、ということまでは知らない。

オクターヴは、懐古趣味的な真空管アンプをつくっているメーカーではない。
現代アンプとして通用する真空管アンプをつくっている。

そのメーカーがヴァイタヴォックスを、である。

オクターヴのオーナーの個人的な趣味でなのか。
そうかもしれないし、それだけではないとも思う。

オクターヴのサイトには、MODERN CLASSICとある。
なるほどな、と思う。
そういうメーカーが、ヴァイタヴォックスを選択したわけである。

Date: 5月 11th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(こだわる・その2)

ステレオサウンド 9号。
1968年12月に出ているステレオサウンドに、
「オーディオの難題に答えて」という記事が載っている。

副題として「読者オーディオ身上相談集」とあることからわかるように、
読者からの質問に対して、複数のオーディオ評論家が答えるという内容だ。

六つの質問がある。
読者によるペーパープランの組合せについて、であったり、
グレードアップを無駄なくするためには、とか、
改良と改悪について、だったりとかだ。

その中に、〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか? がある。
上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏が答えられている。

菅野先生は録音側から答えられている。
上杉先生はハードウェアに即しての回答である。

瀬川先生は、こうだった。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言でいうことができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印刷もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来まで含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
 わたくしはこれですべてを語っているつもりですが、誤解をさけるためにあえて蛇足を加えれば仮に将来、現在の二次元の映像がやがてタッソオの蝋人形もどきの立体になり声までそっくり似せられるようになったとしても、結局それはあなた自身ではありえない。再現の技術の果てしない追求というのは、こうして極限を想像してみると、およそ無気味なものです。蝋人形にせよロボットにせよ、思考能力が無かろうなどといおうとしているのではない物理的な次元でイクォールが得られたとしても、再現されたものはジャンルが違う、同じであっても同じものではない、といいたいのです。
     *
瀬川先生の回答はまだまだ続く。
興味のある人はステレオサウンド 9号をお読みいただきたい。