続・再生音とは……(その34)
以前書いたことを、ここでもくり返す。
オーディオマニアとして自分を、そして自分の音を大切にすることは、
己を、己の音を甘やかすことではなく、厳しくあることだ。
そうでなければ、繊細な音は、絶対に出せない、と断言できる。
繊細な音を、どうも勘違いしている人が少なからずいる。
キャリアのながい人でも、そういう人がいる。
繊細な音を出すには、音の強さが絶対的に不可欠であることがわかっていない人が、けっこういる。
音のもろさを、繊細な音と勘違いしてはいけない。
力のない、貧弱な音は、はかなげで繊細そうに聴こえても、
あくまでもそう感じてしまうだけであり、そういう音に対して感じてしまう繊細さは、
単にもろくくずれやすい類の音でしかない。
そんな音を、繊細な音と勘違いして愛でたければ、愛でていればいい。
一生勘違いしたままの音を愛でていればいい。
つぼみから花へと変化していくのに必要なのは何なのか。
そのことに気づかぬままでは、いつまでたっても花を咲かすことはできないし、
繊細な音がほんらいはどういう音なのかにも気づかずに終ってしまうことだろう。