Archive for category wearable audio

Date: 3月 19th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その11)

オーディオの究極のかたち、
もしくはオーディオの行き着くところとして、
直接脳に信号を送るということが、昔から語られている。

いまもそうらしい。

けれど考えてみてほしい。
スピーカーからの音を聴くという行為は、
肌感覚もともなってのことである、と。

脳に直接音楽信号を送れば、
いろんなことに悩まされずにすむけれど、
それですべてが解決する、というよりも満足できるようになるのだろうか。

ヘッドフォン、イヤフォンでしか音楽を聴かない(聴いたことがない)人は、
肌感覚はむしろ煩わしいのかもしれない。
そういう人は、脳に音楽信号を送るのを、理想として捉えているのかもしれないが、
スピーカーで聴くことをながいこと続けてきて、
しかもそれに飽きない人もいて、そういう人はもしそういうことが可能になったとしても、
スピーカーからの音で音楽を聴いていることだろう。

Date: 1月 7th, 2023
Cate: atmosphere design, wearable audio

atmosphere design(その10)

昨晩の「Panopticom (Bright Side Mix)」に、
facebookでコメントがあった。

audio wednesdayの常連だったHさんのコメントである。
     *
究極のオーディオを夢想した時、広くない部屋に苦しめられている者として、攻殻機動隊のように直接的に脳に埋め込むものが出てきたら、リスニングルームの影響を受けずに膨大なライブラリーを楽しめるなぁ。でも、アンプのノブを触る楽しみ無くなるなぁとも。楽しむという中での身体性をどう考えたら良いのか、未だ整理が付いておりません。
     *
いままでのシステムとはまったく違うオーディオとして、
直接脳に信号を送る──、という方法については、けっこう前から語られてきている。

私が読んだ範囲でいえば、長岡鉄男氏が電波科学に書かれていたのが最初で、
1977年78年ごろの話だ。

長岡鉄男氏は、放送作家でもあったわけだから、
ただ単にこういう方法が考えられる、ということに留まらずに、
そうなったとしたら、ある種の結界が必要になるのではないか──、
そんなことを書かれていたと記憶している。

長岡鉄男氏のいうところの結界とは違う意味で、
もしこういうことが可能になったとしたら、
結界のようなものを聴き手は求めるようになる、と思っている。

リスニングルームの影響を受けないのは、確かに理想といえるけれど、
そこでなんらかの空間を感じないのであれば、人はどういう反応を示すのだろうか。

おそらくなんらかの空間を認識させるようなしくみ(要素)が、
そこに加えられると私は予想する。

それもatmosphere designであるはずだし、
《楽しむというなかでの身体性》に関しては、wearable audioなのだが、
こうやって書いていると、wearable audioはatmosphere designに含まれていくのかもしれない。

Date: 7月 11th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その3)

もしステレオサウンドから離れることなく仕事を続けていたら、
ボディソニックの存在を思い出すこともなかったかもしれない。

25でステレオサウンドを辞め、27のときに左膝を骨折した。
八ヵ月後の28のときに、左膝に入っていたプレートを取り除く手術のため、もう一度入院した。

いまだったらiPhoneをもって入院するだろうが、
当時(1990年ごろ)はそんなものはなかった。
入院のあいだの時間つぶしは、本を読むか、テレビを見るかだった。

本は家でも読める。
いまもだが、テレビはもうずっと所有していない。
だからテレビばかり見て、時間をつぶしていた。

9時消灯とはいえ、10時くらいまではイヤフォンをつけてテレビをみていることは黙認されていた。
骨折した時の入院は一ヵ月半くらいだったが、プレートを取り除くだけの入院だから、短い。
続きが気になるドラマはあまり見なかった。

そのときはNHKのニュースを見ていた。
水俣病の女性が登場していた。

消灯時間を過ぎていたから、部屋の電気は消されている。
ベッドに横になって、イヤフォンをつけて見ていた。

こんなにも涙はながれるものか、とおもっていた。
そして、このNHKのニュースを見るために、骨折したのかもしれない──、
そんなふうにも思っていた。

Date: 7月 10th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その2)

ボディソニックは、私がオーディオに関心をもち始めた時と同じころに登場したように記憶している。
パイオニアから、当時は出ていた。

いま思うと不思議なのだが、なぜかボディソニックはアメリカ生れの製品で、
パイオニアが取り扱っているだけ──、そんなふうに思い込んでいた。

おもしろそうな製品とは思いながらも、
まずそんなふうに誤解から始まっていたわけで、
あくまでもヘッドフォンで音楽を聴くときの補助的な製品と決めつけていた。

1970年代はオーディオ雑誌にボディソニックの広告が載っていた。
1980年代にはいると見かけなくなったように記憶している。
さほど関心があったわけではないので、載っていたとしても私の記憶に残っていないだけ、ということもありうる。

実はボディソニックを体感したことはない。
何かの試聴が終った後に、低音再生の話になった時に、
井上先生が「ボディソニックはおもしろいぞ」と言われたことは憶えている。

井上先生は学生のとき、ウーファーを取り付けた箱を椅子にして音楽を聴いていて、
それもなかなかおもしろかった、と話してくれた。

音の振動が直に体に伝わってくる。
これがうまくいったときの快感は「おもしろく」、
井上先生の話をきいていると、楽しそうだったものの、自分でそれを試そうとまでは思わなかった。

1980年代に、一度はボディソニックのことが話題にのぼったものの、
結局そのときかぎりになってしまった。

Date: 7月 7th, 2013
Cate: wearable audio

wearable audio(その1)

ほんとうに「いい音」というのは、身体にとってもいいはずだ、というおもいはずっと持ってきていた。

菅野先生が、ジャーマン・フィジックスを導入されてしばらくして音を聴かせていただいた時のことを思い出す。
その日は、例年ならば半袖を着ることはないのだが、なぜか暑い日だった。
だから半袖だった。

音が鳴り出した。
その瞬間に、ただ単に音がいい、というレベルを超えていることが体感できた。
文字通りの体感だった。
オーケストラによる響きに露出している腕の皮膚を撫でられている、
まさにそんな感じを受けていた。

大音量を体で受けとめる、というのとはまったく違う、
それまで体験(体感)したことのない感覚であった。

音は耳だけで「きく」ものではないことを実感できた、いわば最初の日だった。

その日の帰り道、肌触りのいい生地の服を着て音楽を聴くことは、
よりよい音を聴く上でも重要なことなのかもしれない、
そんなことも考えていたし、究極的には裸で聴くのがいいのかもしれない、とまで考えていた。

ジャーマン・フィジックスは、その後も、いくつかのところで聴く機会があった。
けれど、あの日の菅野先生のところで体感できたことを、もう一度、ということはかなわなかった。

いまは、まだ「その音」を自分でも出せないでいる。
でも、いつかは出せる、と思っている。

出せた、としても、その恩恵を受けられるのは、私ひとり、ということになってしまう。
それがオーディオというもだ、といってしまうえば、そうである。

けれど、あの日の体感を、少しでも多くの人が自分のものとすることができるようになれば……、
そのことも、あの日以来、考えてはいた。

耳だけでなく皮膚(肌)で音・音楽を感じる、ということになれば、
古くからのオーディオマニアならば、まずボディソニックの存在を思い出す。