Archive for 6月, 2022

オーディオの殿堂(その2)

殿堂入りしていないだろうな、と予想していたとおり、
やっぱり入っていなかったのが、BOSEの901である。

このユニークなスピーカーシステムが入っていない。
なんとも寂しい感じがしてしまう。

BOSEの901は、シリーズを重ねるごとに良くなっていた。
私はすべてのシリーズを聴いてきたわけではないが、
それでも私が聴いた範囲でもシリーズが新しくなるたびに、音の品位は良くなっていった。

901の最初のころは、音の品位という点では難もあったようだが、
それはずいぶん昔のことであり、
私がステレオサウンドを辞めてから登場した901WBは、なかなかの出来である。

残念なことに901WBの音は聴いているものの、
井上先生が鳴らされた音を聴いているわけではない。

井上先生が鳴らされる901の音は、いまも思い出せる。
以前書いているように、マッキントッシュのMC275で鳴らしたこともある。

使用ユニットがフルレンジだけ、間接放射型ともいえる構成ゆえ、
901をゲテモノ扱いする人が少なからずいるし、
マニア心をくすぐられないこともあるとは思う。

そういう人は、901がきちんと鳴った音を聴いていないのだろう。

Date: 6月 30th, 2022
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その19)

カラヤンのレコーディング歴はながい。
SP時代から始まっている。
このころは当然モノーラルで、テープ録音はまだ登場していない。

その後、ドイツで世界初のテープ録音が行われる。
それでもまだモノーラルの時代だし、他の国ではディスク録音だった。

戦後、SPがLPとなる。それでもまだまだモノーラルである。
テープ録音も普及していく。
そしてステレオになっていく。

それからデジタル録音が登場してくる。
デジタルになる前にあった変化は、
録音器材の管球式からソリッドステートへの移行があった。
録音テクニックの変遷もある。

1982年10月、CDが登場する。

これらすべてをカラヤンは指揮者として経験している。
カラヤンと同世代の演奏家ならば、同じように経験してきているだろうが、
カラヤンほど積極的に経験してきている演奏家となると、多くはない、といえる。

そういうカラヤンだからこそ、
精妙な録音を行える、ともいえよう。

そのカラヤンが、いまの時代の若手指揮者だったら、どうだろうか。
録音を開始したころから、すでにデジタル録音で、
それも44.1kHz、16ビットではなく、
ハイレゾリューションでの録音が身近になっている時代しか経験していない。

そんなカラヤンがもしいたとしたら、精妙な録音を行なえただろうか。
これから先、精妙な録音を聴かせてくれる演奏家は登場してくるだろうか。

Date: 6月 29th, 2022
Cate: 広告

広告の変遷(ヤマハの広告)

私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドに載っていたヤマハの広告は、
そうとうに力の入ったものだった。
ある意味とんがっていたところもあった。

それだけに毎号、ヤマハの広告をじっくり見る(読む)のも楽しみの一つだった。
45号(1977年12月発売)にも、もちろんヤマハの広告はある。
プリメインアンプA1の広告が、カラーの見開き2ページであった。
その次のページも、ヤマハである。

ただしメインのカットはアナログプレーヤーのYP-D10なのだが、
広告の説明文はA1とペアとなるチューナーのT1のものなのだ。

キャッチコピーもT1のそれである。
内部写真も載っているが、これもT1である。

つまりもともとT1の広告なのに、なぜかメインカットだけがYP-D10に差し替っている。
当時、A1は注目していたプリメインアンプだけに、
この広告のことはいまもはっきりと憶えている。

誤植や写真の裏焼きなど、本ができ上がってから気づくミスは、実のところある。
あれほど校正をしたのに……、と思ってもすり抜けてしまうミスは、
なぜだか生れてきてしまう。

45号のヤマハの広告もそうなのだろうが、
この広告の制作担当者は、45号が手元に届いてから、そうとうに青ざめたことだろう。

Date: 6月 29th, 2022
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その4)

ステレオサウンド 223号の「オーディオの殿堂」で殿堂入りした製品を眺めていると、
分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)、
これらの視点が編集部には欠けているのだな、と感じてしまう。

Date: 6月 29th, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その1)

ステレオサウンドのウェブサイトで、
223号の特集「オーディオの殿堂」入りした105機種を公開している。

今日(6月29日)にスピーカーシステムとスピーカーユニット、
30日にアンプ関係、7月1日にアナログプレーヤー、CDプレーヤー関係が公開される。

これを書いている時点では、スピーカーシステム39機種が公開されている。
この種の企画では、
この機種が殿堂入りしているのは、あの機種はなぜ? ということは常に起る。
そういうものだということは最初からわかっている。

それでも今回公開された殿堂入りしたスピーカーシステム39機種を眺めていると、
偏っている、としか感じられない。

ステレオサウンドが創刊されてから五十五年以上経つ。
その間に登場してきたオーディオ機器の数がいったいどれだけになるのか。
厖大なモデルが登場してきたわけで、今回の「オーディオの殿堂」は、
それらのなかから105機種である。それは割合としてはわずかでしかない。

なので、なぜ、あの機種が? ということは、誰にでもあること。
それはよくわかったうえで、なぜ、あの機種が? というモデルについて書いていきたい。

まずはJBLのDD55000である。
別項「ホーン今昔物語(その17)」で、
DD55000は「オーディオの殿堂」で選ばれているのか、と書いた。

facebookでコメントがあり、選ばれていないことはすでに知っていた。
やはり選ばれていないのか……。

JBLのスピーカーシステムでは、パラゴン、ハーツフィールド、オリンパス、
4343、4344、S9500、DD66000が殿堂入りしている。

4343が殿堂入りしているのだから、4344はいいのでは? と私は思ってしまう。
それよりもDD55000があるだろう、と思うし、4350も殿堂入りしていないのか、
4310(4311)はないのか、と。

Date: 6月 28th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Ondulation

ペドロ・マテオ・ゴンザレスの“Ondulation”は、
先日行われたOTOTENでのボブ・スチュアートによるMQAのセミナーでの一枚。

スペインのユードラ・レコーズから、SACDとMQA-CDのハイブリッド盤が出ている。
オリジナルフォーマットはDSDの11.2MHzで、MQAでは352.8kHzとなっている。

“Ondulation”が鳴り終ったあと、
司会進行役の麻倉氏が、
「ボブ(スチュアート)に、BGMで聴いているのか」と訊いたら、
「いや違う、真剣に聴いている」というやりとりがあったことを話された。

“Ondulation”が鳴っているあいだ思っていた、というよりも、
思い出していたのは、メリディアンのM20の音だった。

メリディアンのM20。
ロジャースのLS3/5Aと同じ口径のウーファーを上下二発配し、中間にトゥイーター。
ユニットのそのものはLS3/5Aのそれと近い。
M20はパワーアンプを内蔵していたアクティヴ型で、専用スタンド(脚)が最初からついていた。

M20をメリディアンのCDプレーヤー207と接いで鳴ってきた音には、ころっとまいってしまった。
私の耳には、LS3/5Aの延長線上にはっきりとある音だと感じた。

LS3/5Aよりも音量も出せるし、その分スケールもある。
反面、小さなスケールから感じる精度の高さはやや薄れたように感じても、
音色は共通するところがあり、この種の音色に当時の私は弱かった。

M20は買いたい、と本気で考えていた。ずいぶん迷った。
買っておけばよかったかな、と思ったこともあるほどだ。

そのM20に共通するよさを、“Ondulation”の音楽の肌あいからも感じとれたから、
ボブ・スチュアートが、決してBGM的ではなく向い合って聴いているのは、
感覚的に理解できる。

Date: 6月 28th, 2022
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その11)

臨書について、
その5)、(その6)、(その7)、(その8)で触れている。

書に詳しくない者は、
つい書くために手本となる書を見る、と受け止めがちなのだが、
実際のところは、見るために書くのが、臨書のもつ意味ということ。

手本となる書そのままに書くためには、確かに手本の書を見なければならない。
細部を拡大するように見ることも必要だろうが、同時に、
手本となる書全体を捉えるように見ることも大事なはずだ。

宮本武蔵の「五輪書」には、
「観の目」と「見の目」がある。

「観の目」と「見の目」、
どちらか片方だけでは満足のいく臨書は書けない、と思う。

Date: 6月 28th, 2022
Cate: ディスク/ブック

The Island of Christianity: ARMENIA & ARTSAKH

“The Island of Christianity: ARMENIA & ARTSAKH”。
モンセラート・カバリエの2013年のアルバム。

このアルバムの存在を、知らなかった。
日曜日(6月26日)に知ったばかりである。

TIDALで、モンセラート・カバリエを好きな演奏家として登録しているけれど、
それほどカバリエのアルバムを聴いているわけではない。

日曜日にしても、モニク・ハースのピアノを聴きたくて、TIDALを開いた。
モンセラート・カバリエは、私のリストではモニク・ハースの次に表示される。

それで、たまには聴こうかな、ぐらいの感じだった。
モンセラート・カバリエの、このアルバムが聴きたい、と思ったわけではなく、
なんとなくモンセラート・カバリエを聴こうかな、ぐらいなのだから、
TIDALが表示するアルバムを眺めながら、MQAになっているものを聴こう──、
そんな感じでスクロールしながら眺めていた。

“The Island of Christianity: ARMENIA & ARTSAKH”には、
MQAの表示があった。MQA Studio(44.1kHz)である。

もしMQAでなかったら、聴かずに、他のアルバムを聴いていただろう。
聴きはじめてすぐに、MQAの表示があってよかった、と思った。
なかったら、ずっと、この素敵なアルバムを聴かずじまいだったか、
もしくは、ずっと先まで聴かなかっただろうから。

Date: 6月 27th, 2022
Cate: オリジナル

オリジナルとは(STAR WARSの場合・その3)

ジョージ・ルーカスはルーカスフィルムを、
2012年にウォルト・ディズニー・カンパニーに売却している。

このニュースをきいたときに思ったことがある。
ジョージ・ルーカスは最初のスターウォーズ、
つまりEpisode IVを全面的につくり直したい、と思っていて、
でも、それを実行するには大変な時間と情熱が必要となる。

けれど、自分にはそれだけのものが残っていない。
それで、つくり直すことをスパッと諦めるためには、
ルーカスフィルムそのものを売却し、自分の手から完全に切り離すしかない──と。

その1)で書いているように、ジョージ・ルーカス側は、
1997年に旧三部作がリマスター版され、劇場公開されたのだが、
このリマスター版をオリジナルと位置づけている。

フィルムの洗浄から始まり、デジタル処理も施された1997年公開版。
いまの処理技術を使えば、さらにすごいリマスター版に仕上げることも可能のはず。

先月、映画「シン・ウルトラマン」を観て、こんなことを思い出していた。

Date: 6月 27th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 世代

アナログディスク再生の一歩目(その1)

高校二年のときに、サンスイのプリメインアンプ、AU-D907 Limitedを買った。
AU-D907 Limitedは、その型番からわかるように限定生産だったし、
当時のステレオサウンドのステート・オブ・ジ・アート賞に、
初のプリメインアンプとして選ばれている。
それにステレオサウンド最新号の「オーディオの殿堂」でも選ばれている。

当時、AU-D907 Limitedは175,000円だった。
それまで使っていたトリオの普及クラスのプリメインアンプの約三倍。
本格的なオーディオ機器を手にした、という実感もあった。

とにかくそれまでのプリメインアンプとは、音がまるで違う。
それだけでも嬉しかったのだが、
MC型カートリッジのヘッドアンプを内蔵していることが、その次くらいに嬉しかった。

そのころMC型カートリッジがブームになっていて、各社から新製品が登場していたし、
普及クラスのプリメインアンプにもカタチばかりのヘッドアンプが搭載されもし始めていた。

とはいえデンオンなどのハイインピーダンスのMC型ならば、まだなんとかなっても、
オルトフォンのようなローインピーダンスのMC型に対しては、
使いものにならないという評価の製品もあったりしていた時期だ。

AU-D907 Limitedのヘッドアンプは、ローインピーダンスであっても実用になる。
そういう評価を得ていた。

これでオルトフォンのMC20MKIIを買える(使える)。
そのことが、とにかく嬉しかったのだ。

それまで使っていたエラックのSTS455Eも気に入っていたし、
いいカートリッジだったけれど、やはりMC型を使いたい、という気持を抑えることはできない。

AU-D907 Limitedのあとしばらくして、MC20MKIIを買った。

こんなことをAU-D907 Limitedが「オーディオの殿堂」入りしたことで憶い出していた。
続けて、いまの若い人、CDからオーディオに入ってきた人たちが、
いまアナログディスク再生に取り組もうとした時、
その一歩目はどういうモノになるのだろうか──、
そんなことを考えてしまった。

Date: 6月 26th, 2022
Cate: ディスク/ブック

You’re Under Arrest

ステレオサウンド 76号をひっぱり出してきたのは、
表紙がJBLのDD55000だからである。

このころのステレオサウンドには、黒田先生の連載「ぼくのディスク日記」がある。
「ぼくのディスク日記」は黒田先生の発案だった。

76号で取り上げられているディスクのなかに、
マイルス・デイヴィスの“You’re Under Arrest”がある。

黒田先生は、こんなことを書かれている。
     *
 感覚は、甘やかしていると、鈍ってくる。鈍った感覚は、自分が鈍っているとは気づかない。ききとして、まず恐れるべきは、そのことである。感覚が鈍ると、あたりの景色も硬化する。こうあらねばならない、あああらねばならない、といったような教条主義的な発言は、いずれにしろ、鈍った感覚から発せられる。自分の感覚の健康診断がしたくなったときに、ぼくはマイルス・デイビスのレコードをきくことが多い。そういえばと、ふりかえってみて、最近、しばしばこの新しいマイルス・デイビスのレコードをきいているような気がするけれど、はたしてこれはいいことかどうか。
     *
マイルス・デイヴィスも黒田先生も、もうこの世にはおられない。
もし黒田先生がいまも存命だったら、マイルス・デイヴィスのかわりに、
誰のレコード(録音物)で、感覚の健康診断をされたのだろうか。

Date: 6月 26th, 2022
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その17)

この項の続きを書いていく上で、
もう一度聴いておきたい、自分の手で鳴らしてみたいと思っているスピーカーがある。
JBLのDD55000である。

1985年に登場している。
ステレオサウンドの試聴室で、何度も聴いている。

当時もユニークなコンセプトのスピーカーだと感じていたけれど、
いまこうやってふり返ってみると、
DD55000はそうとうにユニークなスピーカーシステムであるし、
JBLが四年後のS9500に注ぎ込んだのと同じくらいの意欲を、
DD55000にも投入して改良モデルを出してくれていたら──、
そんなこともつい想像したくなるほど、
いまの私の視点からみて、いま鳴らしてみたいスピーカーの筆頭である。

そのDD55000は、ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」で選ばれているのだろうか。

Date: 6月 26th, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その34)

耳に近い音だけを求める聴き手がいる。
心に近い音を、なぜだか求めない聴き手である。

心に近い音を求めない聴き手は、耳の芯をもっていないのかもしれない。

Date: 6月 25th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ストラヴィンスキー「火の鳥」

1910年6月25日、ストラヴィンスキーの「火の鳥」がパリで初演された。
いまではほとんど聴かなくなったけれど、一時期はよく聴いていた。

コリン・デイヴィスによる「火の鳥」と「春の祭典」を、
あきずに何度も聴いていたのは、
そのころ、この二枚のフィリップス録音は、優秀録音として名高かったからだ。

瀬川先生も、ステレオサウンドなどの試聴にも使われていたし、
熊本のオーディオ店に来られた時も持参されていた。

コリン・デイヴィスの「火の鳥」、「春の祭典」は、1970年代おわりごろの録音だから、
もう四十年以上前のことだし、
いまではもっと優秀録音と評価されている録音は、いくつもある。

それでも私にとって、初めてきいた「火の鳥」と「春の祭典」は、
コリン・デイヴィス指揮によるものだったし、
瀬川先生が、熊本に最後に来られた時、
トーレンスのリファレンスで最後にかけられたディスクが、
コリン・デイヴィスの「火の鳥」ということが、いまもずっと心の奥底にしっかりとある。

Date: 6月 25th, 2022
Cate: 4343, JBL, ジャーナリズム

40年目の4343(オーディオの殿堂・その6)

将棋は駒の動かし方をかろうじて知っているだけなので、
別項で触れている「3月のライオン」を読むまでは、
対局の後に感想戦があることも知らなかった。

対局に勝った(負けた)だけでなく、その後の感想戦。
本づくりにおいて感想戦的なことはあっただろうか……、とその時おもっていた。

私がいたころは、そういうことはなかった。
一冊のステレオサウンドの編集を終えて、見本誌があがってくる。
それを手にして、編集部全員で感想戦的なことをやる──、
そういうことはなかった。

いまの編集部がやっているのかどうかは知らないけれど、
できあがった書店に並ぶステレオサウンドをみる限り、やっているようには思えない。

やらなければならないことなのか。
自分が担当した記事について自分の意見をいう。
他の編集者の意見、感想をきく。

すべての記事に対して、感想戦的なことをやっていく。
必要なことのようにおもう。