オーディオの「介在」こそ(その3)
瀬川先生が、音と風土との関係性について語られていたころからすると、
いまのスピーカーを眺めてみると、国の違いによる音の個性は薄らぎつつある。
それが技術の進歩だ、といってしまえば、まさしくそのとおりだが、
はたして技術進歩だけが、その理由だろうか、とも一方で思う。
たしかにスピーカーの分析・測定技術が進歩し、
設計・開発も、それ以前の勘に頼っていた作り方から、次の時代の作り方へと移ってきた。
理想のスピーカーとは、どこのメーカーのスピーカー・エンジニアがいうように、
ノン・カラーレイション(色づけのない)音であり、その色づけが、いわばお国柄だった、と捉えられてきた。
でも、ほんとうに、そういう色づけは、瀬川先生の言われていた音と風土の関係によるものなのか。
それはスピーカーのお国柄というよりも、ブランドの個性であって、
それとは別に国による音の違い、という個性は別に存在しているとはいえないだろうか。
瀬川先生の時代と、いまとではオーディオの世界も大きく変化している。
いまスピーカーユニットを製造しているところは、あのころからすると数は減っている。
アメリカのスピーカーメーカーでも、日本のスピーカーメーカーであろうと、
どちらも同じヨーロッパのスピーカーユニット製造メーカーのものを使っている例もある。
メーカーによっては、製造メーカーに対して、細かな注文を出しているだろうが、
それでもスピーカーシステムの中核をなすユニットが同じメーカーで作られているものを搭載していては、
スピーカーユニットを自社生産していたころからすると、個性は薄らいで当然だ。
ここで薄らぐのは、メーカーの個性なのか、それとも国による個性なのか。