Archive for 12月, 2010

Date: 12月 31st, 2010
Cate: 「介在」

オーディオの「介在」こそ(その3)

瀬川先生が、音と風土との関係性について語られていたころからすると、
いまのスピーカーを眺めてみると、国の違いによる音の個性は薄らぎつつある。

それが技術の進歩だ、といってしまえば、まさしくそのとおりだが、
はたして技術進歩だけが、その理由だろうか、とも一方で思う。

たしかにスピーカーの分析・測定技術が進歩し、
設計・開発も、それ以前の勘に頼っていた作り方から、次の時代の作り方へと移ってきた。

理想のスピーカーとは、どこのメーカーのスピーカー・エンジニアがいうように、
ノン・カラーレイション(色づけのない)音であり、その色づけが、いわばお国柄だった、と捉えられてきた。
でも、ほんとうに、そういう色づけは、瀬川先生の言われていた音と風土の関係によるものなのか。

それはスピーカーのお国柄というよりも、ブランドの個性であって、
それとは別に国による音の違い、という個性は別に存在しているとはいえないだろうか。

瀬川先生の時代と、いまとではオーディオの世界も大きく変化している。
いまスピーカーユニットを製造しているところは、あのころからすると数は減っている。
アメリカのスピーカーメーカーでも、日本のスピーカーメーカーであろうと、
どちらも同じヨーロッパのスピーカーユニット製造メーカーのものを使っている例もある。

メーカーによっては、製造メーカーに対して、細かな注文を出しているだろうが、
それでもスピーカーシステムの中核をなすユニットが同じメーカーで作られているものを搭載していては、
スピーカーユニットを自社生産していたころからすると、個性は薄らいで当然だ。

ここで薄らぐのは、メーカーの個性なのか、それとも国による個性なのか。

Date: 12月 30th, 2010
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その31)

切り離すこと、は、選び取ること、であり、
なにかを選ばないこと、でもある。

Date: 12月 30th, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー, 井上卓也

ユニバーサルウーファー考(その5・補足)

井上先生は、磁気回路がアルニコ磁石かフェライト磁石なのかによる音の違いは、
磁石としての性能の違いだけが影響してくるのではなく、アルニコとフェライトの製造方法の違いから生じる、
個体としての性質の違いも音に大きく関係してくることに注意しろ、とよく口にされていた。

アルニコとフェライトでは叩いた時の音がまったく異る。
しかも磁石の占める割合は、わりと大きい。磁気回路の強力なスピーカーユニットほど、
この固有音の違いもまた大きく音に関係してくるわけだ。

そして構造体としてスピーカーユニットを捉えた時に、
質量がどのように分布しているのかも重要だと言われていた。

ウーファーは基本的にコーン型かほとんどであるため、
構造体としてはほとんど同じだが、トゥイーターとなるとホーン型、ドーム型、コーン型などなど、
いろいろな種類があり、それによって構造が大きく異ってくる。
同じホーン型でもホーンの形状の違い、ユニット全体の構造の設計の違いなどによって、
ほぼ同じ重量のホーン型トゥイーターでも、質量が集中しているものもあれば、分散しているものもある。

同じ重量であれば、集中している方が全体の強度も高くなる。

それは手にした時の感覚的な重さの違いでもある。
同じ重量のトゥイーターでも、質量が集中して小型のモノと、わりと大きく質量が分散しているモノとでは、
前者の方がずしりとした感じを受けるだろう。

そういう要素は、かならず音に関係してくる。
というよりも、どんなことでも音には関係してくる。

Date: 12月 30th, 2010
Cate: ユニバーサルウーファー, 井上卓也

ユニバーサルウーファー考(その5)

もう30年以上まえのことだが、
井上先生が、マクソニックのトゥイーター、T45EXのことを、パワートゥイーターと表現された。

T45EXは、ホーン型トゥイーターのT45の磁気回路の磁石を、励磁(フィールド)型に置き換えたもので、
ベースとなったT45は重量3.8kgなのに、T45EXは9kgと倍以上の重量になっている。

JBLの2405が2kg、エレクトロボイスのT350が3.2kg、
強力な磁気回路を背負っていたピラミッドのT1でも3.85kgだから、
T45EXの物量の投入具合が重さからも伝わってくる。

構造体として、これだけの重量差があると、たとえ磁気回路がT45と同じで永久磁石だったとしても、
出てくる音には、そうとうの違いが生じるものである。
そこにもってきて励磁型で、しかも電磁石への電圧をあげれば磁束密度は高くなる。

井上先生は、磁束密度をあげたときの音は、パワートゥイーターとしての性格をはっきりと感じる、と言われている。

パワートゥイーターという表現がふさわしいT45EXの音はどんなだったのだろうか。
井上先生の発言を拾ってみると、
トゥイーター単体の付属音、シャッとかシャラシャラといった音がまったくいっていいほど出てこない、
2トラック38cmのオープンリールデッキで生録をするときにモニター用としてつかうことのできる製品、
ということになる。
だから、
生演奏の音をマイクで拾ってそのまま録音器を通さずにスルーで聴けば、
付帯音がなくて十二分なエネルギーが出せるので、すごい魅力が引き出せるはず、と評価されている。

ただ、こういう性格の音の場合、アナログディスクの再生では、高域の伸びが不足しているように聴こえ、
高域の音の伸びがもっと欲しくなるようおもわれが、実は十分なエネルギーが再現されているため、
いわば演出された繊細さにつながる高域感は稀薄になる──、そう受けとれる。

井上先生の書かれたものをよく読んでいる人ならば、このアナログディスク再生とテープ再生の対比で、
音を表現されることを、わりと井上先生は使われることに気づかれているはず。

Date: 12月 29th, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(その14・補足)

SMEのトーンアームの特徴は、軸受け部のナイフエッジということの、そのひとつとしてあげられる。
この構造上、SMEのトーンアームの調整で重要なのは、ラテラルバランスを必ずとる、ということ。

SMEも、3012-Rになり、このラテラルバランスの機構が調整しやすくなった。
ただ、それでもラテラルバランスがきちんととれているのかどうか、
どうやって判断したらいいのか、と訊かれたことが何度かある。

広く知れ渡っていることだと思っていただけに、ちょっと意外だったが、判断方法は簡単だ。
プレーヤーの片側を持ち上げて傾けて、トーンアームのパイプが流れなければいい。
もちろんカートリッジをとりつけて、ゼロバランスをとってから、であることはいうまでもない。
それからインサイドフォースキャンセラー用のオモリも外しておくこと。
そんなに大きく傾ける必要はない。目見当で10度から15度くらいで十分だ。

こう答えて、さらに訊かれたのは、傾けられないくらい重いプレーヤーだったらどうするんですか、だった。
そのころはまだステレオサウンドにいたし、ステレオサウンドの試聴室のリファレンスのアナログプレーヤーは、
マイクロのSX8000IIにSMEの3012-R Proの組合せ。
その人は、このマイクロは傾けられないだろう、ということだった。
SX8000IIの総重量は正確には憶えていないが、ベースを含めると100kg近かった。
この重量を傾けられる人もいるだろうが、ふつうは、まあ無理だ。
なにもベースごと傾ける必要はないし、ターンテーブル本体部分ですむことだが、
それでも軽いとはいえない重さだし、
トーレンスやリンのようなフローティング型からすると大変なことに変りはない。

でもマイクロはアームベースが取り外せる。
カートリッジをつけてゼロバランスをとって、針圧は印可しない状態で、
アームベースごとはずして、これを傾ければいい。

Date: 12月 29th, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その3)

オーディオ機器との出逢いには、ふたとおりあると思う。

ひとつは、もちろんオーディオ機器と使い手・聴き手との出逢い。
オーディオ機器と人との出逢いだ。

もうひとつは、オーディオ機器とオーディオ機器との出逢いがある、といえないだろうか。
これも、オーディオ機器と人とオーディオ機器との出逢いというべきだろうが、
それでも所有しているオーディオ機器が、
なにか、それと組み合わされるべき相手となるオーディオ機器と出逢う、ということがときとしてある。

モノがモノを呼び寄せる、そのようなものだろうか。

私の場合では、The Goldを手に入れてしばらくして、GASのThaedraを手に入れることができた。
それも初期のThaedraの、ひじょうにコンディションのいいモノだった。

よく世間ではGASのアンプの音は、男性的という表現で語られる。たしかにそういう面を強く持っていた。
でも、それは必ずしもGASのアンプすべて、すべての時期についていえることではないくて、
ごく初期のGASのアンプの音は、そういう男性的な、と語られるところをうまく抑制して、
素直で表情豊かな音を聴かせてくれていた。
というよりも一般に語られているGASの男性的と表現される性格は、
やや意図的に出されてきたものではないかとも、私は思っている。

サイケデリック風のロゴがアンプのパネルに描かれるようになってから、音の印象があきらかに変化している。

だから、初期のThaedraが入手できたことは、うれしかった。
それにThe Goldと組み合わせたときの音、これはいまでも憶えている。

The Goldが、いままで見せてくれなかった、生き生きとした表情で鳴ってくれた。
こういうふうに鳴りたかった──、そんなことが伝わってきそうな感じだった。

The Goldは、というよりもボンジョルノのつくるパワーアンプは、基本的に素直な性格をもつ。
コントロールアンプの違いを、よりはっきりと出す。
相手を選り好みする、というのではなくて、わりとストレートにコントロールアンプの性格を音として出す。

それはパワーアンプとしての性能が高くなってきたThe Goldにおいて、もっとも顕著だった。

オーディオ機器とオーディオ機器との出逢い、それに立ち合えた経験を一回でもお持ちなら、
いま書いたことを理解してくださると信じている。

Date: 12月 29th, 2010
Cate: 書く

改めて、毎日書くということ

ブログは10日以上更新できないままだった。

毎日書いていて、長い時もあれば短い時もある。
けれど長い文章のときが必ずしも、そのために時間を多く必要とするわけでもなく、
短い時の方が、意外に時間を必要としたりする。

ブログを書かなければ時間が、その分浮く。
しかもいまは瀬川先生の「本」づくりの作業の真っ最中。
ブログを書かないだけ、その作業が捗ったかというと、そうじゃない。
むしろ滞っていた。ブログを書かない、書かなくてもいい、書こうとしても書きこめない、ということが、
なにか気合いを抜けさせるところがあって、はやく再開させねば、と思っていた。

なぜ書くのだろうか。

アウグスティヌスの有名なことばに、
私に誰も問わなければ、私は時間とは何かを知っている。
しかし時間とは何かを問われ、説明しようと欲すると、私は時間とは何かを知らない。
──がある。

「時間」をオーディオに置き換えてみる、音に置き換えてみる。
私に、誰かが問うているわけではない。

問いには、ことばで説明していくしかない。

「ことばが思考の着物ではなくて、思考の肉体であるとは、
私たちが思い、考える場合に概念と論理だけによるのではなく、
イメージと想像力にもよるのだ、ということである。」
──中村雄二郎氏のことばである。

Date: 12月 28th, 2010
Cate: よもやま

お知らせ

新規投稿をしようとするエラーが発生するようになり、なにをやっても解決できず、
新規投稿をせずにそのままにしておいたもうひとつのブログ “the Review (in the past)” を今日から再開しました。
公開できないあいだも入力作業はつづけていたので、ストックはけっこうあります。

今月14日に、こちらのブログ、”audio identity (designing)” でもエラーが出るようになり、
原因はわかったものの、こちらもどうやっても解決できずしばらく書込ができない状態が続いてしまいました。

結局、レンタルサーバー会社を変え、ブログを管理しているソフトをMovableTypeからWordPressにして、
25日からやっと再開しています。

ブログになにかトラブルが生じた時は、Twitterに書きこんでいますので、そちらもご覧ください。

“the Review (in the past)” のほうは、MovableTypeでやっていきますが、
レンタルサーバー会社の変更によって、これからは問題なくやっていけそうです。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46・さらに補足)

もともと人間という動物は、最少限度の、自分の考えに共鳴してくれる仲間を求め、集団を作る。それはいわば相手の中に自己の類型を発見する、つまり自己の存在を確認するひとつの手段なので、こうした手段の得られない完全な孤立の状態には耐えることができない。この状態は、もっと複雑な社会の中では、特に、過渡期といわれる時期に目だってあらわれる。物ごとのゆれ動いている過渡期の状態では、人は方向を見失う、すなわち孤立するという怖れにつきまとわれる。それは何か確定したひとつの形式を求める気持、あるいは画一性の必要悪となって現われる。その形式に従っているかぎり自分は方向を見失わないのだ、という安心感。周囲のどこを見回しても、他人が自分と同じ形式に従って行動しているという安定感。つまり類型の発見が、自己の存在を確認するための確かな安心感となってあらわれるので、これは日常のことばづかい、行動、服装の流行などに端的にあらわれている。
いまこれと逆に、周囲の誰もが自分と違った形で行動している、というようなことが起きると、彼はひどく不安になり、孤立感が彼を苦しめる。孤立の怖れの強い人ほどそれを打消したいという意識も当然強く、孤立感の裏がえしの行動としての自己拡大欲、征服意識が強く、それが他人への積極的なはたらきかけ、あるいは命令となってあらわれる。自己と他との間に存在するギャップを埋めようとする意識のあらわれである。つまり〈弱い犬ほどよく吠える〉ということである。
     *
上記の文章は、11月7日に公開した瀬川先生の「本」のなかにもおさめたからお読みになった方もおられるだろう。
ラジオ技術、1961年1月号に掲載された「私のリスニングルーム」のなかで書かれている。
瀬川先生、25歳の時の文章。

Date: 12月 27th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

続・思い浮かんできたこと

「音は人なり」が意味するところは、結局のところ、
レコードにおさめられている音楽は、決して不動でも不変でもない、ということ。

同じ1枚のレコードが、聴き手が100人いれば100とおりの鳴り方をする。
1000人いても、10000人いても、ひとつとして同じ音では鳴ることはない。
そこにオーディオが介在しているからだし、再生(演奏)する人がいるからだ。

その意味でも、オーディオは「虚」だと思う。

オーディオは、「虚」の純粋培養を、ときとして行ってくれる。
そのために必要なことはなんだろうか、と考えてゆくことを忘れてはならない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46・補足)

瀬川先生は趣味をどういうふうに捉えられていたのか。

スイングジャーナルの1972年1月号の座談会のなかで語られている。
     *
人との関係なくして生きられないけれども、しかしまた、同時に常に他人と一緒では生きられない。ここに趣味の世界が位置しているんだ。逃避ではない自分をみつめるための時間。趣味を逃避にするのは一番堕落させる悪い方向だと思う。
     *
こんなことを語られている。
     *
仲間達と聴く。そのときはいい音に聴こえる。しかし、それは趣味そのものではなくて、趣味の周辺だと思うのです。趣味の世界は常に孤独なのです。
     *
1972年の1月号ということは前年の12月に出ているわけだから、この座談会は、亡くなられる10年前になる。
だから、それからさきに、この考えを改められたのか、ずっと変らずだったのか。どちらだったのだろうか。
私のなかでは、答は出ている。

瀬川先生の書かれたものを読んで、ひとりひとりが自分の答を出していくものだろう。

Date: 12月 25th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

思い浮かんできたこと

このブログをはじめたころに「再生音は……」と短い文章を書いている。

そこに「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と書いた。

じつはこのときは、なかば思いつきで書いた。
だが8月からの瀬川先生の「本」づくりに集中していて、このことが頭にとつぜん浮かんできた。
そして、「現象」だからこそ、それは虚構世界へとつながっていく。

はっきりと言葉として表現されているわけではないが、瀬川先生も、こう捉えられていたのだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その46)

レコードの音は、徹底的に嘘であるところが好きだ。虚構だから好きだ。日常的でないから好きだ。そしてそれを鳴らすメカニズムには、レコードの虚構性、非日常性をさらに助ける雰囲気があるから好きだ。
一人の人間を幸せにする嘘は、人を不幸にする真実よりも尊い。「百の真実にまさるたったひとつの美しい嘘」というのは私の好きな言葉で、これを私は、レコードの演奏やそれを鳴らすメカニズムやそこから出てくる音にあてはめてみる。レコードの音は、ほんらい生とは違う。どこまで行ってもこの事実は変わらない。オーディオの技術がこの先どこまで進んだとしても、そしていまよりもっと生々しい音がスピーカーから出せるようになったとしても、ナマとレコードは別ものというこの事実は変わらない。
だからナマと同じ音など求めるのはバカげている、という考え方がある。どこまでナマに近づけるかという追及などナンセンスじゃないか、という意見がある。一面もっともだが、私は違う。たとえば小説が虚構の中で現実以上の真実をみせてくれるように、映画が虚構の中で実生活以上の現実感を味わわせてくれるように、私は、スピーカーが鳴らす虚構の音にナマ以上の現実感を求める。生の音と同じ、ではない、いわば生以上の生、を求めるのである。虚構の世界のこれは最も重要な機能である。虚構は日常性を断ち切ることによって、虚構にいよいよ徹することによって、真実を語ることができる。(「人世音盤模様」より)
     *
瀬川先生が、なぜLNP2の音に惹かれたのか、が、この文章につながっていっていると思う。
そして、もうひとつのなぜ──ここまで虚構世界に追い求められるのはなぜなのか。
その答はここにあるのではなかろうか。
     *
なぜ、趣味が人を純粋にさせるのか。それは、趣味というものは実生活のあらゆる束縛から解き放たれた虚構の世界のものであるからだ。虚構の世界では、人は完全に自由である。実生活上の利害とも無縁だ。これを買ったらトクかソンかなんていう概念は、趣味の世界にありえないコトバなのだ。外から強制されるものではなく、自らが自らのルールを(虚構の中で)定め、虚構世界の束縛の中に、束縛による緊張の世界に、自発的に参加する。そこに無限の飛躍と喜びがある。これはある意味で子供たちの遊びの世界に似ている。子供たちは遊びの世界で——というより遊びこそが子供たちの全宇宙と言うべきなのだが——、石ころや木の葉をさえすばらしい宝ものに変えてしまう。子供たちは魔法つかいだ。(「続・虚構世界の狩人」より)
     *
私がなぜ、そう感じたのか、その理由については、まだ書きたくないし、書くべきでもないよう気がする。
だからあえて舌足らずのままにしておくことをお許し願いたいが、それでもひとつだけ書いておく。
「子供」──、このことばこそ、ここでは、とても大事な意味を持っているはずだ。

Date: 12月 23rd, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その34・余談)

オラクルのプリメインアンプ、Si3000(S3000でもかまわない)は、
ジャーマン・フィジックスのUnicornをぜひ鳴らしてみたい、とも考えていた。
つい過去形で書いてしまったが、いまでもぜひ鳴らしてみたい、とつよく思っている。

それもUnicornIIではなくて、初代のUnicornを、だ。
この組合せを思いついたときも、Si3000をプリメインアンプではなくて、パワーアンプとして使うつもりでいた。
どうしてもUnicornにサブウーファーを足したいから、で、そのためにはコントロールアンプがあったほうがいい。
ならば別にSi3000でなくても、単体のパワーアンプを選べばいいという声もあるだろうが、
Si3000のフォルティシモでも吹き上げてくるような音の豊かさに、
スレッショルドの800Aの清楚な凄みに共通するなにかを感じるし、
そして意外にもクリーミーな印象のある音触は、チタン膜振動板のDDDユニットの肌ざわりに寄りそう予感がある。

それにサブウーファーが使わないにしても、Si3000にはあえてコントロールアンプを、
あれこれぴったり合うモノを見つけたくなる。

Si3000と規模も価格もぐんと身近なものになっているけども、
同じようにプリメインアンプなのに、ついパワーアンプとして捉えたくなるものに、ビクターのAX900がある。

AX900にはフォノイコライザーアンプも搭載されていて、どこから見てもプリメインアンプなのだし、
出力は70W×2と、プリメインアンプとしても最近のなかでは少ないほうだ。
それでもAX900をパワーアンプとして使ってみると、意外におもしろい。

話がそれてしまったが、UnicornもSi3000、どちらも手に入れる前に製造中止になってしまった。
UnicornはII型になって、まだ健在とはいうものの、現実には日本に輸入代理店はなくなってしまった。

それだけの購入力はいまのところない。
でもないながらも、いつか手に入れたいと思っているモノから、
消えてなくなってしまうのは、なんともサビシイ……。

ジャーマン・フィジックスのDDDユニットは、現代のグッドマンAXIOM80といえよう。

Date: 12月 22nd, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(その16)

SMEの3012の誕生は、オルトフォンのSPU-Gのためであることは、
瀬川先生がなんども書かれていることからもわかるし、
SME純正のヘッドシェルの形状が、オルトフォンのGシェルに似ていることからも推測できる。

つまりオーディオクラフトのAC3000のように、
コンプライアンス、自重、適正針圧、発電方式などがさまざまに異る多種多様なカートリッジを、
一本だけで使いこなすためのトーンアームではなく、
たったひとつのカートリッジを使いこなすためのトーンアームが、3012であり、
SMEのトーンアームは基本的に、その思想を貫いている。

3012のあとに出た3009はシュアーのV15に合わせたものだし、
さらに軽量化を徹底的に進めた3009/SIIIは、
V15よりもさらにハイ・コンプライアンス、軽針圧のカートリッジに適合するように、
チタンのごく細いパイプを使い、ヘッドシェルも一体化(しかも孔あき)、
カートリッジの交換はアームパイプごと行う仕様になっている。

交換のための機構がアームパイプの先端にあるほど実効質量が増すのをなくすために、
軽量化した機構を、アームの軸受け部近くに持ってきているし、後部のウェイトもコンパクトにまとめられている。

3012は優美な美しいトーンアームなのに、3009/SIIIのとなりにあるとたくましさを感じるほど、
30009/SIIIのパイプは細く(軽く)、見た目も華奢だ。
このトーンアームでMC型カートリッジは使えない。
     *
SMEのユニバーサリティとは、一個のカートリッジに対して徹底的に合わせ込んでゆくその多様な可能性の中から一個の「完成」を見出すための、つまり五徳ナイフ的な無能に通じやすい万能ではなく、単能を発見するための万能だといえるのだと思う。(ステレオ 1970年4月号)
     *
いまから40年も前に、瀬川先生が書かれているこのことは、
オーディオにおける「ユニバーサル」の意味を考えてゆくうえで、本質だ。