Archive for category 五味康祐

Date: 9月 7th, 2017
Cate: Noise Control/Noise Design, 五味康祐

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」(Noise Control/Noise Designという手法)

別項「Noise Control/Noise Designという手法」も、
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」から発している考えである。

Date: 9月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」

「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」

13歳で出逢った「五味オーディオ教室」に、そう書いてあった。
他にもいくつか深く心に刻まれたことばはある。
その中でも、この「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」は、
オーディオの最終解答のようにも感じた。

感じただけで、理解できていたわけではない。
それでも、ここにいつかたどりつくのだ、という確信はあった。

その日から40年以上経った。
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」を忘れそうになることもあった。

もう忘れることはない。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その3)

五味先生は、毎年ワーグナーを、
バイロイト音楽祭を録音されていた。

放送された、
いちど録音されたものを録音する。

それはどんなにいい器材を用意して注意を払ったところで、
ダビング行為でしかない、ともいえる。

やっている本人がいちばんわかっていることだ。
それでも毎年録音されていた。
オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに録音されている、と。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その2)

答は、目の前にある。
見えているわけではない。
あるという気配を感じている。

その気配を濃くしたいからこそ、
毎日問い続ける(書き続ける)。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: 五味康祐

「音による自画像」(その1)

オーディオにおいては、答は目の前にある、
そんな直感があるからこそ、
問い続ける。

五味先生がいわれた「音による自画像」には、そういう意味が含まれてのことだ、
この齢になっておもえてきた。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 五味康祐

avant-garde(その3)

別項 「40年目の4343(その4)」でも、
五味先生がハンマーでコンクリートホーンを敲き毀されたくだりを引用している。

10年ほど前のステレオサウンドの記事「名作4343を現代に甦らせる」。
この記事のひどさは、ステレオサウンドの50年の中でも、ダントツといっていい。

この記事のほんとうのひどさは、連載最後の、とあるオーディオ評論家の試聴にある。
そのことは(その3)で触れた。

ここにオーディオ少年から商売屋になってしまった人が、はっきりといる。
あえて誰なのかは書かない。

このオーディオ評論家(商売屋)には、怒りはなかったのだろう。
怒りがないのか、それとも怒りを、もう持てなくなってしまったのか。

このオーディオ評論家(商売屋)は、
ハンマーで、無惨にも変り果てた4343もどきを敲き壊すことはしなかった。

おそらく、そんなこと考えもしなかったはずだ。
このオーディオ評論家(商売屋)が、オーディオへの愛を書いていたとしたら、
それは上っ面だけの真っ赤な嘘だと思っていい。
私はそう思って読んでいる。

怒りもなければ、愛もない。

Date: 8月 9th, 2017
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その6)

音楽に在る死」は二万字をこえている。

ブラームスについてのところだけでも長い。
ブラームスについてのところだけでも引用したいと思っても、長い。
     *
 こうした、一八九二年以降の相尋ぐ女性たちの死は、むろん作品一一五の『クラリネット五重奏曲』が作られた後のことだ。私の聴き方が正しいなら、自ら遺書をしたためてから、当然、生き残ってくれるはずのかけがえない友人たちを、遺書を書いた本人が生きて次々見送らねばならなかった。文を草した遺書なら破り棄てれば済む。作品一一五はすでに発表されているのである。残酷な話である。クララやエリーザベトやシュピースの死んでゆくのを見送るブラームスを想いながら此の『クラリネット五重奏曲』を聴いてみ給え。遺書として聴き給え。作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう。前にふれた太宰治の死も、同じことだ。三島由紀夫だって結局は、同じところで死んでいる。『クラリネット五重奏曲』がそう私に告げてくる。聴いてくれ、太宰治と太宰を嫌悪した三島由紀夫と、どちらも本当はどんなに誠実な作家だったかを、この曲の第二楽章アダージョから聴き給え。二人の肉声がきこえるだろう? くるしい、生きるのは苦しかったなあ苦しかったなあ、そう言っているのが、きこえるだろう?……ブラームスは私にそう囁いている。涙がこぼれる。
 死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。
     *
五味先生の文章は、このあとシューマンについて語られている。

いまの世の中、クリエーターを自称する人は大勢いる。
けれど、
《作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう》
そういう人はどれだけいるだろうか。

死馬。
五味先生は、クリエーターを自称する人のこと、
己れの才能に復讐されたことのない人のことを、
死馬──死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。そいつは初めから死馬である──であると。

私の中にあるシューマン像は、「音楽に在る死」ででき上がったところがある。
だから、それはあまりいいものとはいえない。
いまもシューマンはあまり聴くことがない。

五味氏の文章を読みすぎた弊害だろう──、
そういわれるのはわかっていても、もうそれでいい、と思っている。

いまから三十年以上前に、あるオーディオマニアと知りあった。
彼をシューマン的であった。

Date: 7月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「浄」の書

五味先生のリスニングルームに壁にあった「浄」の書。
同じ「浄」を手に入れたい、と思ったことがある。
そう思いながらも、同じ「浄」を自分のリスニングルームの壁に……、
という情景がうまく想像できないまま、齢をとった。

「浄」の書を、書家に依頼した人を知っている。
気持はわからないではないが、その「浄」と五味先生のリスニングルームにあった「浄」は、
それぞれの持主をあらわしている、とも感じた。

書としているが、五味先生のところにあった「浄」は、
中国の石碑からの拓本、ということだ。

石碑に刻まれた「浄」と、紙に書かれた「浄」。
石碑に墨を塗り、紙にうつしとる。
このままでは反転しているから、もういちど紙にうつしとることで「浄」となる。

元の石碑は、カッティングされたラッカー盤だ、と思ったことがある。
そこからうつしとったのがいわゆるスタンパーにあたり、
もういちどうつしとることで、アナログディスクができるあがるのと同じところにも、
あの「浄」がリスニングルームにあった、ということと無縁ではない、とおもう。

そして何をみていたのか(何をみていないのか)がわかる。

Date: 6月 23rd, 2017
Cate: 五味康祐

avant-garde(その2)

オーディオのスタートが「五味オーディオ教室」との出逢いから、という私は、
コンクリートホーンに憧れたり、夢見たりすることはなかった。

もし「五味オーディオ教室」と出逢っていなければ……、
東京に出て来ずに実家暮らしをしていたら……、
コンクリートホーンに挑戦していたかもしれない。

1970年代後半は、まだコンクリートホーンの挑戦記といえる記事を、
何度か読むことがあった。

ホーン型スピーカーといえば、通常はコンプレッションドライバーを使う。
それでも低音ホーンに関しては、コーン型ウーファーが大半であった。
それでもYL音響から低音ホーン用のコンプレッションドライバーD1250の存在は気になっていた。

重量26kg、直径21.5cm、
ダイアフラムはチタン製で、ボイスコイル径は12.8cmだから5インチ、
再生周波数帯域は16〜500Hzと発表されていた。

1974年当時は180,000円だった、
1983年ごろは330,000円になっていた。

コンクリートホーンに無関心を装っていても、
このD1250だけは、どんな音がするのか、聴いてみたい、と思っていた。
正直、いまもD1250による低音ホーンは聴いてみたい。

そうだからこそ、環境がほんの少し違っていたら……、とおもう。
もうひとつのオーディオ人生があって、コンクリートホーンで聴いていたら……、
五味先生のように
《ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀し》ただろうか。

これはステレオサウンド 55号「スーパーマニア」を読んでからの自問である。

Date: 3月 15th, 2017
Cate: 五味康祐

続・無題(その8)

カザルスによるモーツァルトのト短調交響曲は素晴らしい。
キズの無い演奏ではないけれど、
なまぬるく感じられたト短調交響曲をきいたあとは、
カザルスの演奏を聴きたくなることが多い。

澱の溜まったようなト短調をきいたあとは、ブリテンのト短調を聴くことがある。

人によって、そんな時に聴くト短調は、私と同じ選択もあれば違う選択もある。
これまでにどれだけのト短調の録音がなされたのか知らない。
かなりの数なことは確かだ。

カラヤンの演奏も含まれる。
カラヤンといえば、五味先生はモノーラル時代のカラヤンは認められていても、
帝王と呼ばれはじめたあとのカラヤンについては、厳しいことを書かれている。

瀬川先生はカラヤンの演奏を好まれていた、と書かれたものから読みとれる。

五味先生はステレオサウンド 16号のオーディオ巡礼で瀬川先生のリスニングルームを訪問されている。
     *
 瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。いまの私は経済的にめぐまれているが、貧富は音楽の観照とは無関係だ。むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。貧乏人はジムランを聴くなというのではない。そんなアホウなことは言っていない。あくまで音楽の聴き方の上で、ジムランでは出せぬ音色というものがあり、たとえて言えばフュリートはフランス人でなければ吹けぬ音色があり、弦ではユダヤ人でなければどうしてもひき出せぬひびきがある、そういうい身でカルフォルニア製の、年数回しか雨の降らないような土地で生まれたJ・B・ランシングには、絶対、ひびかぬ音色がある。クラシックを聴くジムランを私にはそれが不満である。愛用する瀬川さんはだから、ジャズを好んで聴く人かと思っていた。
 ところが違った。彼のコレクションは一瞥すればわかる、彼はクラシックを聴いている。むかしの小生のように。
     *
瀬川先生はステレオサウンド 39号で「天の聲」の書評を書かれている。
その中に、こうある。
     *
 五味康祐氏とお会いしたのは数えるほどに少ない。ずっと以前、本誌11号(69年夏号)のチューナーの取材で、本誌の試聴室で同席させて預いたが、殆んど口を利かず、部屋の隅で憮然とひとりだけ坐っておられた姿が印象的で、次は同じく16号(70年秋号)で六畳住まいの拙宅にお越し頂いたとき、わずかに言素をかわした、その程度である。どこか気難しい、というより怖い人、という印象が強くて、こちらから気楽に話しかけられない雰囲気になってしまう。しかしそれでいて私自身は、個人的には非常な親近感を抱いている。それはおそらく「西方の音」の中のレコードや音楽の話の書かれてある時代(LP初期)に、偶然のことにS氏という音楽評論家を通じて、ここに書かれてあるレコードの中の大半を、私も同じように貧しい暮しをしながら一心に聴いていたという共通の音楽体験を持っているからだと思う。ちなみにこのS氏というのは、「西方の音」にしばしば登場するS氏とは別人だがしかし「西方の音」のS氏や五味氏はよくご存知の筈だ。この人から私は、ティボー、コルトオ、ランドフスカを教えられ、あるいはLP初期のガザドウシュやフランチェスカフティを、マルセル・メイエルやモーリス・エヴィットを、ローラ・ボベスコやジャック・ジャンティを教えられた。これ以外にも「西方の音」に出てくるレコードの大半を私は一応は耳にしているし、その何枚かは持っている。そういう共通の体験が、会えば怖い五味氏に親近感を抱かせる。
     *
けれどふたりのカラヤンに対する評価は違う。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: 五味康祐

「三島由紀夫の死」(とんかつのこと)

夕方、友人のAさんから食事の誘いがあった。
水道橋辺りでとんかつを食べませんか、ということだった。

ふたりともとんかつは好物である。
水道橋辺りではあまり食事をしたことがないので、
そこがどんな店なのか興味もあるし出掛けていった。

水道橋東口から徒歩数分のところにあるかつ吉である。
古くからある店とのこと。

あれこれ楽しい話をして店を出ようとして気づいた。
レジのところに、この店が紹介された記事の切り抜きが貼ってあった。

文人が愛した店ということで紹介されていた。
そこには川端康成と三島由紀夫の写真があった。

Aさんに、このふたりが来てたんですね、といったら、
Aさんのお父さんが以前、この店に来たところ三島由紀夫も来ていた、とのこと。

これだけだったら、ここで書くことはないのだが、
それが「三島由紀夫の死」の二日前のことである。

その日に思い立っての切腹ではなかろう。
ならば最期の日を前にして、好きなものを食べに来ていたのだろうか。

Date: 1月 13th, 2017
Cate: 五味康祐

「三島由紀夫の死」

12日、TBSの番組で、三島由紀夫が自決する九ヵ月前の未発表の録音テープの一部が放送された。
新聞でもニュースとなっている。

五味先生の「天の聲」に「三島由紀夫の死」が収められている。
初めて読んだ時も、その後、何度か読み返した時も、
そして、ついいましがた読み返した時も「三島由紀夫の死」には圧倒されるものがある。

最後のところだけを書き写しておく。
     *
 本気なら、あの切腹もそうなのか? 壮烈な三島美学の完結だという見方があるが、この話を聞いて私は涙がこぼれた。三島君はヤアッと大声もろとも短剣を突立てたそうだ。切腹の作法で、武士が腹を切るのに懸け声をあげるなどは聞いたことがない。切腹には脇差を遣って短刀はつかわない。それにあの辞世である。「益荒男が……」と短冊に書いて「三島由紀夫」と署名してあった。辞世には名前は入れないのが故実である。三島君は、わざわざ姓まで書き加え、更に落款を押している。ものを知らぬにもほどがあると、普通なら私は呆れたろう。週刊誌にこの『辞世』のグラビアを見た時はぼろぼろ涙がこぼれた。三島君が武士の作法を知らぬわけはないと思う。あれは死をかけた三島君の狂言ではないのか。三島君はあの衝撃的な自決を計算しないで行なったように見えるが、檄に見られる稚さと、落款と、署名と短刀でのかけ声をおもうと、抱きしめてあげたいほどの凡夫だ。精一杯、三島君はやったのだ。なんという素晴らしい男か。虚飾の文学を、彼に冠せられていた天才の虚名を、彼はその血で粉砕して死んだ。あの自決はナショナリズムなんかではない、文学者三島由紀夫の死だ。ナショナリズムなら、三島君はあのバルコニーで割腹しながら自衛隊員に話しかけたと私は思う。そうすればヤジは飛ばなかったろう。目の前で腹を裂いて叫ぶ男の声を、人は聴いたろう。三島君の名を以てすればあの場合、それはできたはずである。村上義光の最期のように。だが三島君はしなかった、詩人の含羞みを知っていたからだ。
 彼はナショナリストではない。文学者だ、文学者が志すところを述べ、ジャーナリズムのすべての虚飾を粉砕して死んだのだ。これほど誠実な作家の死に方はない。断じて彼は軍国調の復活など意図していない。麗々しい美文の内容空疎なおのれの作品を三島君は誰よりも知っていて、血で贖った。世間が彼の死にうたれたのはそんな人間としての誠実さに対してだった。今こそ、そういう意味でもぼく達は大切な日本人を、この日本で失った。人さまにはどう見えようと私はそう思う。そう思う。
     *
三島由紀夫は《ワグナーをよく聴いている》とある。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

ラフマニノフの〝声〟VocaliseとグラドのSignature II

グラドのカートリッジに、かつてSignature Iがあった。
ステレオサウンド 41号の特集で菅野先生が紹介されている。

その後、Signature IはIBになり、Signature IIも登場した。
Signature IBが1979年当時で110,000円、Signature IIが199,000円していた。

いまでももっと高価なカートリッジがいくつもあるから、
そういう感覚では、Signature IIもそれほどでもない、と思うかもしれないが、
当時はおそろしく高価に感じた。

EMTのTSD15が65,000円、オルトフォンのSPU-G/Eが34,000円の時代で、
オルトフォンのMC30の99,000円でも、相当に高価だと感じていたところに、
その二倍もするカートリッジが登場した。

しかもTSD15も、SPUもMC30もMC型なのに、
Signature IIはMI型である。

発電方式だけで価格が決るわけではないというものの、
総じて手づくりの要素の強いMC型はMM型、MI型よりも高価につく。
そういう時代だったところに、20万円近いMI型カートリッジの登場は、
それだけでも目を引く存在といえた。

一度だけSignature IIを聴いている。
Signature IBは聴いていない。
瀬川先生が聴かせてくれた。

瀬川先生によれば、Signature IIの方がいい、ということだった。
だと思う。
瀬川先生はSignature IIを購われていた。

高いけれど、聴いてしまう……、
そんなことを話されていた。

ステレオサウンド 47号で、
《高価だが素晴らしく滑らかで品位の高い艶のある音が聴き手を捉える。》
と書かれている。

確かにそういう音だ。
けれど、グラドはそれでもアメリカのカートリッジであり、
品位の高い艶のある音には違いないが、
ヨーロッパのカートリッジの「品位の高い艶のある音」とは違う。
どこか甘美なのだ。

もう少し行き過ぎると、白痴美になってしまうのでは……、
そういう甘美さである。

ラフマニノフの「声」を、このグラドのSignature IIで聴いてみたい、
とも聴きながら思っていた。

Signature IIはもう40年近く前のカートリッジだ。
おまけに高価でもあった。
日本にコンディションのいいSignature IIがあるのかどうかもあやしい。

Signature IIを聴く機会はおそらくない。
でももしかしたら……、と思う。
その時は「声」のLPを探してきて、聴いてみたい。

私にとってグラドのSignature IIというカートリッジは、
ラフマニノフの「声」のために存在している。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

ラフマニノフの〝声〟Vocalise

ラフマニノフの「声」を知ったのも、五味先生の書かれたものによる。
読んでいるうちに聴きたくなった。
けれどすぐにはLPがみつからなかった。
私もラフマニノフは、好まない。
いまもラフマニノフの曲はあまり持っていない。

でも、この「声」だけは聴きたい、と思い続けていた。
CDになったのは、あまり早くはなかった。
廉価盤の二枚組におさめられて、やっとCDになった。

ラフマニノフもあまり聴かないけれど、
オーマンディもあまり聴かない。
だから「声」のためだけに、二枚組のCDを買ったようなものだ。
     *
 ラフマニノフのこの曲は、オーマンディのフィラデルフィアを振った交響曲第三番のB面に、アンコールのように付いている。ごく短い曲である。しらべてみたら管弦楽曲ではなくて、文字通り歌曲らしい。多分オーマンディが管弦楽用にアレンジしたものだろうと思う。だから米コロンビア盤(ML四九六一)でしか聴けないのだが、凡そ甘美という点で、これほど甘美な旋律を他に私は知らない。オーケストラが、こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌いあげられるものだと、初めて聴いたとき私は呆れ、陶然とした。ラフマニノフの交響曲は、第二番を私は好む。第三番はまことに退屈で、つまらぬ曲だ。
 ラフマニノフ家は由緒あるロシアの貴族で、農奴解放運動で、しだいに父親は領地を失ったというが、そうした社会的変革はラフマニノフの音楽——その感性にさして影響は及ぼさなかった。しかしロシア革命は、彼の貴族生活を根底からくつがえし、ソヴィエト政権を嫌った彼は他の多くの白系貴族同様、一九一七年にパリに亡命し、翌年からはアメリカに住んでいる。
 おもしろいのは、彼のいい作品は——第二交響曲、有名な十三の前奏曲、第二ピアノ協奏曲、それにこの〝声〟など、すべてアメリカ永住以前に作られていることで、アメリカに住んでからは第三交響曲に代表されるように、まったく退屈な駄作しか作れなくなったことだ。この辺にセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフの音楽の限界——その長所も欠点もが、あるのだろう。それはともかく〝声〟の甘美さは空前絶後といえるもので、一度でもこの旋律を耳にした人は、忘れないだろうと思う。どうしてこんな甘美な調べが、一般には知られていないのか、不思議である。もしかすればオーマンディの編曲が巧みだったからかも知れないが(原曲の歌を私は聴いたことがない)私の知る限り、〝声〟の甘さに匹敵するのはブラームスのワルツくらいだ。
     *
ほんとうにオーケストラが、
《こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌い》あげる。

今日(正確にはもう昨夜)、
audio sharing例会で、この「声」をかけた。
オーケストラがアメリカ、それもシカゴではなくフィラデルフィアということもあってだろう、
アルテックで鳴らすと朗々と鳴ってくれる。

JBLでは、こんなふうには鳴ってくれない、と思ってしまうほど、
アルテックの昔のスピーカーは、歌ってくれる。

Date: 11月 2nd, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(名盤・その3)

 いずれにせよ、こうして弦楽四重奏曲から私は一人称のすぐれた文学作品を読んで来た。耳で読んだ。馬の尻っぽが弦をこする重奏がひびき出すと、私は今でも緊張する。オペラや歌曲は、どうかすれば一杯機嫌で聴くこともあるが弦楽曲はそうは参らない。その代りつまらぬクヮルテットは、聴くに耐えぬが、ちか頃はいい作品を聴くと死を考えてしまう。死ぬことを。私ももう五十を過ぎた、いつポックリ逝くかも知れない。そう想えば居ても立ってもいられぬ気持になり、結局、酔生夢死というのは、こんな私のような居ても立ってもいられぬ男を慰めるため、造られた言葉ではなかったか、そんな風にも懐うこともある。人間は何をして何を遺せるのか? 漠然とそんなことを考えているうちに、音楽家は作品で遺書を書いた場合があるのか? ふとそう思うようになった。
 すぐ想い浮んだのはモーツァルトの『レクイエム』である。でもモーツァルトでは桁が違いすぎ、手に負えない。もう少しぼくらの手近かでと見渡したら直ぐ一人見つかった。ブラームスだった。私はヴィトーとエドゥイン・フィッシャーのヴァイオリン・ソナタ第一番(作品七八)を鳴らしてみた。ブラームスの誠実さはこの曲で充分である。ヴィトーはよく弾いている。だがこれは周知の通り、明るい夏の雨の気分を偲ばせるもので、プライベートなその初演にブラームスがピアノを受持ち、ヨアヒムがヴァイオリンを弾いてクララ・シューマン達に聴かせたといわれるように、幸せな頃であろう。遺書をつづる切なさを期待するのは、いかにそれがブラームスでも無理である。といって、最晩年の作がかならずしも遺書を兼ねているとは限らない。死をおもうのは年齢に関わるまい。
 ブッシュ弦楽四重奏団で——私の記憶では——クラリネット五重奏曲(作品一一五)をいれたレコードがある。このロ短調の五重奏曲は、あらためて私が言うまでもなくクラリネット室内楽曲の傑作であるが、実を言うと昭和二十七年にS氏邸で聴かせてもらうまで、ブラームスにこの名品のあるのを私は知らなかった。どうしてか知らないが、聴いている裡に胸が痛くなりボロボロ涙がこぼれた。恐らく当時の貧乏暮しや、将来の見通しの暗さ、他にもかなしいこともあったからだろう。
 ——以来この曲を、なるべく聴かないようにして来たし、レコードも所持しない。したがってブラームスの遺言を聴き出そうにも、記憶の中で耳を傾ける以外にないが、二十年前泣いて聴いた曲からそんなものがきこえてくる道理がない。
(「音楽に在る死」より)
     *
ブラームスのクラリネット五重奏曲(作品一一五)のレコードを買うことは、
五味先生にとって造作もないこと。
なのに、あえて所持されなかった。
聴かないようにしてこられた。

つまらぬ曲だから、では、もちろんない。

このことはとても大事なことだ。