Date: 10月 18th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景
Tags:

情景(その14)

ステレオサウンド 49号、
「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」という対談で、
菅野先生が語られている。
     *
菅野 一つ難しい問題として考えているのはですね、機械の性能が数十年の間に、たいへん変ってきた。数十年前の機械では、物理的な意味で、いい音を出し得なかったわけです。ですがね、美的な意味では、充分いい音を出してきたわけです。要するに、自動ピアノでですよ、現実によく調整されたピアノを今の技術で録音して、プレイバックして、すばらしいということに対して、非常に大きな抵抗を感ずるということてす。
 ある時、アメリカの金持ちの家に行って、ゴドウスキイや、バハマン、それにコルトーの演奏を自動ピアノで、ベーゼンドルファー・インペリアルで、目の前で、間違いなくすばらしい名器が奏でるのを聴かしてもらいました。
 彼が、「どうですか」と、得意そうにいうので、私は、ゴドウスキイやバハマン、コルトーのSPレコードの方が、はるかによろしい、私には楽しめるといったわけです。
 すると、お前はオーディオ屋だろう、あんな物理特性の悪いレコードをいいというのはおかしい、というんですね。そこで、あなた、それは間違いだと、果てしない議論が始まったわけです。つまり、いい音という意味は、非常に単純に捉えられがちであって……。
     *
ベーゼンドルファー・インペリアルの自動ピアノでのパハマンやコルトーの演奏、
SP盤を再生してのパハマンやコルトーの演奏。

どちらがリアルな音なのかといえば、いうまでもなく自動ピアノの音である。
けれど、リアリティのある音となると、どうか。

この点は、人によって違ってくるのかもしれない。
リアルとリアリティの違いなんてどうでもいい、という人もいるし、
そうでない人もいる。

この菅野先生の発言をどう解釈するのかも、人によって違ってくることだろう。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]