Archive for 3月, 2018

Date: 3月 31st, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その13)

テクニクスのSL1000Rは、別売のトーンアームベースを装着することで、
トーンアームを三本まで増やせる。
以前からあるアイディアである。

トーンアームを一本から二本、二本から三本へと増やしたとき、
ダストカバーはどうなるのか。
おそらく一本用のままであろう。

増設したトーンアームを覆うカバーはない(はず)。
となるとダストカバーはダストカバーとして数割しか機能していないことになる。

もしかするとテクニクスは、二本用、三本用のダストカバーを出してくるのかもしれない。
にしても、最初から三本にしてしまう人ならば、三本用ダストカバーを最初に買えばいいが、
一本から増やしていく人に、その度にダストカバーの買い替えをテクニクスはさせるのか。

それとも一本用のダストカバーを下取りしてくれて、差額分で二本用、三本用を提供してくれるのか。

SL1000Rにはダストカバー用のヒンジがない。
トーンアームを増設することを考えての、ヒンジ無しなのだろう。

それにダストカバーを必要としない人にとっては、
ヒンジの存在は、わずかとはいえ音質を損う要因ともなる。

けれどダストカバーは、アナログプレーヤーをホコリから守るためだけのものではない。
そのことをテクニクスは、
テクニクス・ブランドをなくしてしまっているあいだに忘れてしまったのか。

Date: 3月 31st, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その3)

3月30日のKK適塾で、
最後に司会者の方が川崎先生と藤崎圭一郎氏に質問された。

司会者が質問してもいい。
けれど、その質問に対する川崎先生の発言に対するリアクションには、
えっ!? と思ってしまった。

デザイン(design)は日本語に訳されることなく、そのまま使われている。
そのことについての質問だった。
中国では、こう訳されている、と川崎先生がいわれた。

川崎先生のブログを読んでいる人ならば、そのことは知っていて当然のことだ。
なのに初めて聞いた(知った)といったリアクションでもあった。

この司会者は、川崎先生の書かれたものを、あまり読んでいない人なんだな、と感じた。
もちろんすべてを読んでいたとしても、すべてを記憶しているわけではない。
けれど、自らが質問することに関することは、しっかりと憶えているものだろう。

問いは怖い、とあらためて実感した。
問いは自らをさらけ出す。

Date: 3月 31st, 2018
Cate: Digital Integration

Digital Integration(ハードウェアシミュレーター・その1)

セータからDSP搭載のD/Aコンバーターが登場したのは、1980年代の終りごろだったか。
そのころ日本にはセータは正式に輸入されていなかった。

それでもちょっと話題になったのは、
DSPを使って、カートリッジを、いわばシミュレーションしていたからである。
実際に製品に触れることはなかったし、どの程度のレベルだったのかもわからないが、
アナログディスク再生の良さを、CD再生でも、ということで、
いくつかのカートリッジの音をシミュレーションしているようだった。
そのひとつに光悦も含まれていた、と記憶している。

イロモノ的な見方もされていた。
その実力はどの程度だったのだろうか。

少なくとも、セータのD/Aコンバーターが、
私の知るかぎりでは最初のハードウェアシミュレーターである。

再生の世界では、その後、この手のハードウェアシミュレーターは登場していないようだが、
録音の世界では、いくつものハードウェアシミュレーターが登場してきている。

イコライザーに関しては、ヴィンテージモデルと呼ばれるようになった昔の機器を、
ソフトウェアで再現しているのが、けっこうな数ある。

ニーヴの1073をモデルとした製品はいくつかあり、
私も、それほど詳しいわけではないが、 Googleで検索していくと、
こんなにもあるのか、と少々驚くし、
さらにはテープレコーダーシミュレーターもある。

マスターレコーダーとして知られるスチューダーのA800のシミュレーターがそうだ。

Date: 3月 30th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017が終って……

昨年度のKK適塾も、3月30日が最後だった。
今年度のKK適塾は終った。

昨年度の最後と違っていたのは、スクリーンに「最終回」という映ったことだ。
今年度のKK適塾が終っただけではない、ということだ。

多くの人がいうことがある。
「最後とわかっていれば行ったのに……」

こんなことを口にする人は、ずっと言い続けている、
「最後とわかっていれば行ったのに……」と。

Date: 3月 30th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(五回目・その1)

KK適塾 2017五回目の講師は、藤崎圭一郎氏。

藤崎圭一郎氏は、二回目(2月2日)の講師だった。
二回目と三回目は中止になった。
藤崎圭一郎氏の話は聞けないのかと思っていたら、
今回の講師、濱口秀司氏の事情で無理ということで、藤崎圭一郎氏である。

濱口秀司氏の話も面白く、興味深い。
今回も聞いてみたいとおもっていたけれど、
まだ一度も聞いていない藤崎圭一郎氏の話を、できれば聞きたいと、
中止になった時から思っていただけに、今回のKK適塾は特に待ち遠しかった。

藤崎圭一郎氏は、評論について直接離されたわけではなかったが、
四つのキーワードをもつクロスの図を使って話は、
評論そのものが、どうあるべきなのか、でもあった。

いまオーディオ評論家と自称している人たちは、
なぜKK適塾に来ないのか。
少なくともオーディオ評論家としてプロフェッショナルであろうとするならば、
今回の藤崎圭一郎氏の話は、聞き逃してはならない内容だった。

こういうことを書いたところで、誰も来ないことはわかっている。
結局、彼らはオーディオ評論家(商売屋)であって、
オーディオ評論家(職能家)でありたい、とは思っていないのだ。

Date: 3月 29th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その4)

“Hotel California”だけではない。
チャック・マンジョーネの“Children of Sanchez”もそうだ。

私にとって“Children of Sanchez”も“Hotel California”も、
JBLの4343で聴いた音こそが、リファレンス(基準)となっている。

“Hotel California”はステレオサウンドの試聴室で聴いた音、
“Children of Sanchez”は、熊本のオーディオ店で瀬川先生が鳴らされた音が、
そうである。

これまで聴いてきたすべてのディスクがそうなのではない。
それほど数は多くはないが、そのディスクを最初に聴いた音が圧倒的であったり、
強烈であったりしたら、どうしてもその音がリファレンスとして焼きつけられる。

特に10代のころの、そういう体験は、いまもはっきりと残っている。
バルバラの「孤独のスケッチ」も、そういう一枚だ。

これも瀬川先生がセッティングされたKEFのModel 105の音を、
ピンポイントの位置で聴いた音が、いまも耳に残っている。

コリン・デイヴィスの「火の鳥」は、トーレンスのReference、マークレビンソンのLNP2、
SUMOのThe Gold、JBLの4343という組合せで聴いた、
文字通りの凄まじい音が、私にとってリファレンスであり、
この音が、瀬川先生が熊本で鳴らされた最後の音であり、
瀬川先生と会えたのも、この日が最後だった。

最初に聴いた音がリファレンスとなっているのは、
私の場合、いずれも自分のシステム以外での音である。

Date: 3月 28th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その12)

テクニクスのSP10R、SL1000Rが正式に発表になり、5月25日に発売になる。
ターンテーブルとしての性能(動特性ではなく静特性)は、
さすがはテクニクスといえるレベルに仕上がっている(ようだ)。

デザインは……、
写真を見ただけで語るのは、いまのところ控えておこう。

それでもひとつだけいいたい。
SL1000Rのダストカバーについて、である。

ほんとうに、このダストカバーのままで出荷されるのか。
そこには何のセンスも感じられない。

発表されている写真をみるかぎり、ヒンジはない。
いわば蓋である。
けっこうな大きさの蓋である。

アナログディスク再生時にダストカバーをした状態とそうでない状態とでの音は、
どんなアナログプレーヤーであっても違うものである。

テクニクスは、ダストカバーをした状態の音を標準としているのか、
それともなしの状態の音を標準としているのか。

どちらであったとしても、ダストカバーをどうするのかは、
使う人次第でもある。

必ず再生時にはダストカバーをしている人もいる。
そういう使われ方の場合、SL1000Rのダストカバーにはヒンジがないのだとしたら、
ディスクのかけかえのたびに両手でダストカバーを外したり被せたりしなくてはならない。

再生時にはダストカバーをしない人の使い方では、
再生時には決して小さいとはいえないサイズのダストカバーを、
リスニングルームのどこかに置く場所を確保しなければならない。

何の配慮も感じられないSL1000Rのダストカバーである。

Date: 3月 28th, 2018
Cate:

音の種類(その1)

突き破れない音、
突き破れる音、
突き破ろうとあがいている音、
突き破りかけている音、
──それぞれがあると感じている。

Date: 3月 28th, 2018
Cate: audio wednesday

第87回audio wednesdayのお知らせ(YUME DE AETARA)

一週間後(4月4日)のaudio wednesdayのテーマは、
「ネットワークの試み」と「YUME DE AETARA」である。

前半は3月に時間の都合でできなかったネットワークの実験を、
後半は3月21日に発売された
EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』を聴く。

それから今回はこれまで試みなかったセッティングも予定している。
喫茶茶会記にずっと以前からあるものを利用してのセッティングである。
よい方向へと変るか、それとも逆の方向へと変るのか──、
私はかなりよい方向への変化するとみているが、
こればかりは実際に音を鳴らしてみないことにはわからない。

どちらの方向へと変化しても、その変化量はけっこう大きいであろうし、
はっきりとした音の違いが聴きとれるはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 3月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その3)

石黒浩氏のアンドロイドに関しての話を聞くたびに毎回思っているのは、
High Fidelity Reproduction(ハイ・フィデリティ・リプロダクション)のことだ。

日本では昔からHigh Fidelity Reproductionイコール原音再生、
もしくは限りなく原音に近い音の再生、というふうに捉えられている。

これは誤解といえる。
この点に関しては、瀬川先生がステレオサウンド 24号(1972年)、
「良い音は、良いスピーカーとは?(3)」で書かれている。
     *
それよりも、まず、ハイ・フィデリティをイコール《原音の再生》と定義してよいのだろうか。原音そっくりが、即、ハイ・フィデリティなのだろうか。
 ハイ・フィデリティを定義したM・G・スクロギイもH・F・オルソンも、そうは言っていない。彼らは口を揃えていう。ハイ・フィデリティ・リプロダクションとは「原音を直接聴いたと同じ感覚を人に与えること」である、と。要するにハイ・フィデリティとは、物理的であるよりもむしろ心理的な命題だということになる。ここは非常に重要なところだ。
     *
「原音を直接聴いたと同じ感覚を人に与えること」こそが、High Fidelity Reproductionである。
瀬川先生も書かれているように、ここは非常に重要なところだ。

昨年秋から何回にわたって波形再現について書いてきた。
波形再現を否定するつもりはないが、私がSNSで見かけた波形再現は、ひとりよがりだった。
取り組んでいる本人は、客観的に追求しているつもりてあっても、
いくつもの大事なところが抜け落ちている。

石黒浩氏の話で興味深く感じたのは、
アンドロイドの皮膚を剥ぐときの現実感について、である。
おそらく来場者のほとんどが、このところには強い関心をもたれたのではないだろうか。

皮膚を剥ぐという、現実ではほぼありえないシチュエーションでの現実感というか、
アンドロイドの人としての実在感があるということは、
オーディオマニアならば、再生音において、同様のことがあるのではないか、と思うだろうし、
思いあたることがあるはずだ。

KK適塾の終りには、質問の時間がある。
石黒浩氏にひとつ訊きたいことがあった。
でも、KK適塾での話とは直接関係のないことであり、
他の人にとってはどうでもいいことであろうから、
石黒浩氏に、オーディオマニアではないことを確かめたかったけど、しなかった。

おそらくオーディオマニアではないだろう。
けれど石黒浩氏の話をきくたびに、
この人がオーディオマニアだったら……、と思う。

Date: 3月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その2)

石黒浩氏の話に、美人は左右対称だ、ということが出た。
美男美女といわれ、テレビ、映画に登場する人の顔をみていれば、
完全な左右対称ではもちろんないが、
美男美女といわれない人と比較すれば、かなり左右対称の顔であることは、
以前から気づいている人はけっこう多いはずだ。

とはいえ、美人の定義として左右対称、そう客観的なことといえるのだろうか。
来場者からも、そのことについて質問があった。

石黒浩氏と質問者のやりとりを聞いていて私が思っていたのは、
美人イコール美しい人ではない、ということである。

美男美女でもいい、
美男が美しい男、美女が美しい女とは、私は思っていない。

美人は、左右対称の顔ということが如実にあらわしているように、
きれいな人という域でしかない。

きれいな男、きれいな女、左右対称の顔なのであって、
美しい人が左右対称の顔なのではない。

ではなぜ石黒浩氏がアンドロイドの顔を左右対称にされるのかについては、
ここでは触れない。

これは私のなかだけの定義すぎない。
美人はきれいな人であって、必ずしも美しい人というわけではない。
美人でなくとも、美しい人はいる。
少なくとも、私はそう捉えているし、主観である。

音も同じだ。
美音イコール美しい音ではない。

Date: 3月 27th, 2018
Cate: 「オーディオ」考

潰えさろうとするものの所在(その2)

これまでにどれだけの数のオーディオ雑誌が創刊されただろうか。
1970年代後半、書店に行けば、いまよりも多くのオーディオ雑誌が並んでいた。
そのほとんどがいまはもうない。

オーディオ雑誌に限らない、他のジャンルの雑誌は、
オーディオ雑誌以上に創刊され、消え去っていっている。

雑誌を創刊する理由は、いったいなんなのか。
オーディオがブームになっている。
オーディオを取り上げれば、雑誌が売れる、広告が入る。
それならばオーディオ雑誌を創刊しよう──、
そういうオーディオ雑誌は、きっとあったはずだ。

その程度の創刊理由であっても、
オーディオがブームであれば売れただろうし、広告もとれて、利益が出る。
けれどブームが終ってしまえば、そううまくはいかなくなっていく。

消え去っていった雑誌と生き残っている雑誌。
生き残っている雑誌でも、創刊当時、創刊から十年、二十年……と経っていくうちに、
変化・変質してしまうことがある。

ステレオサウンドが創刊された1966年は、私はまだ三歳だから、
その時代を直に肌で感じとっていたわけではない。
あくまでもその後、その当時を振り返った記事を読んで知っているだけである。

それでも瀬川先生、菅野先生に書かれたものを読んでいれば、当時の空気感は伝わってくる。
当時の状況もわかってくる。

それを把握した上でステレオサウンドの創刊を考え直してみれば、
いまのステレオサウンドはすっかり変質してしまった、としかいいようがない。

二週間ほど前に「音を聴くということ(グルジェフの言葉・その3)」を書いた。
良心回路と服従回路のことを書いた。

これは暗にステレオサウンドの変質についてのことでもある。

Date: 3月 26th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その3)

いまも“Hotel California”のディスクは持っていない。
そんな私にとっての、記憶の中にある“Hotel California”の音は、
つまりはJBLの4343で聴いた“Hotel California”である。

黒田先生の文章には、
《ハットシンバルの音が、乾いてきこえてほしい》、
それから《ドラムスが乾いた音でつっこんでくる》、
《声もまた乾いた声だ》とある。

それに《12弦ギターのハイ・コードが、少し固めに示されないと》とも書かれている。
音が重く引きずらずに、乾いて爽やかに鳴ってくれるのが、
私のなかにある“Hotel California”の音のイメージであり、
それは一般的な4343の音のイメージとも重なってくるだけに、
よけいに“Hotel California”の、そんなイメージを相乗効果で植え付けられた、ともいえる。

それに曲名が“Hotel California”である。
カリフォルニアに行ったことはないが、湿った空気のするところではない。

それがこの二年のあいだに聴いた“Hotel California”は、ずいぶんと印象が違ってくる。
もちろんスピーカーは、JBLの4343ではない。
けれど、そのことだけが、“Hotel California”の音の印象が違ってくる理由にはならない。

昔4343で聴いたことのある他のレコードを、
いま別のスピーカーで聴いても、音のイメージはそう大きくは変らない。
ところが“Hotel California”は、そうではない。

自分のCDではないので、こまかなところまで見ているわけではないが、
私が耳にした“Hotel California”は、2000年ごろにリマスタリングされたもののようだ。

Date: 3月 26th, 2018
Cate: 欲する

偶然は続く(その1)

昨晩、風呂に入りながら、なんとなくThe Nineだな、と考えていた。
The Nineを探し出して買おう、ということではなく、
いま半導体アンプを自作するなら、The Nineだな、という意味においてだ。

The Nineは、SUMOのThe Goldの弟分にあたるパワーアンプで、
A級動作で、出力はThe Goldの約半分。
奥行きもずっと浅い。

電圧増幅はディスクリート構成ではなくOPアンプを、
片チャンネルあたり二個使い、ひとつは非反転増幅、もうひとつを反転増幅して、
アンバランス信号をバランス信号へと変換してブリッジ出力を得ている。

The Goldをそうとうに簡略化したモデルだ。
自作するのにそれほど困難なわけではないが、
The Nineだな、と思いながらも、電源トランスを特注する必要があるな、とも思っていた。

両チャンネルで、出力段用にフローティング電源が四組必要になる。
ここが自作する上でのネックになる。
市販の電源トランスで、The Nineの仕様に見合うものはない。

今日、横浜方面にいた。
オーディオ店でもないし、ジャズ喫茶とか、そういう場にいたわけではないが、
偶然にもThe Nineに出合えた。

KEFのModel 104aB、Model 105.2もひさしぶりの再会だったが、
The Nineも同じくらい、ひさしぶりの再会だった。

偶然は、まだ続くのか。

Date: 3月 25th, 2018
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(余談・その5)

104の次は105だ。
そう思っていたわけではないが、
下北沢の次の日、お茶の水のオーディオユニオンにたまたま行った。

なんと偶然にも、Model 105 SeriesII(105.2)が、そこにあった。
すこしくたびれた感じもしていたが、
Model 105も、ずいぶんとひさしぶりに見た。

そして、こんなに小さかったっけ、と思っていた。
Model 105は決して大型のフロアー型ではないが、
30cm口径のウーファーをもつ中型フロアー型である。

高校生のとき、瀬川先生がセッティングされた105を聴いたとき、
もっと大きく感じていただけに、少々、そのサイズの感覚的な違いにとまどいもあった。

105の登場から40年が経ち、かなり大型のスピーカーシステムがけっこうな数あらわれてきている。
それらの大きさに、こちらが慣れてしまっているからなのか、
それとも毎日、Model 107を見ているからなのか。

どちらにしろ、Model 105.2をひさしぶりに見て、
かわいらしいサイズ、と感じていたし、どことなく犬みたいだな、とも思っていた。