Date: 3月 27th, 2018
Cate: 「オーディオ」考
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潰えさろうとするものの所在(その2)

これまでにどれだけの数のオーディオ雑誌が創刊されただろうか。
1970年代後半、書店に行けば、いまよりも多くのオーディオ雑誌が並んでいた。
そのほとんどがいまはもうない。

オーディオ雑誌に限らない、他のジャンルの雑誌は、
オーディオ雑誌以上に創刊され、消え去っていっている。

雑誌を創刊する理由は、いったいなんなのか。
オーディオがブームになっている。
オーディオを取り上げれば、雑誌が売れる、広告が入る。
それならばオーディオ雑誌を創刊しよう──、
そういうオーディオ雑誌は、きっとあったはずだ。

その程度の創刊理由であっても、
オーディオがブームであれば売れただろうし、広告もとれて、利益が出る。
けれどブームが終ってしまえば、そううまくはいかなくなっていく。

消え去っていった雑誌と生き残っている雑誌。
生き残っている雑誌でも、創刊当時、創刊から十年、二十年……と経っていくうちに、
変化・変質してしまうことがある。

ステレオサウンドが創刊された1966年は、私はまだ三歳だから、
その時代を直に肌で感じとっていたわけではない。
あくまでもその後、その当時を振り返った記事を読んで知っているだけである。

それでも瀬川先生、菅野先生に書かれたものを読んでいれば、当時の空気感は伝わってくる。
当時の状況もわかってくる。

それを把握した上でステレオサウンドの創刊を考え直してみれば、
いまのステレオサウンドはすっかり変質してしまった、としかいいようがない。

二週間ほど前に「音を聴くということ(グルジェフの言葉・その3)」を書いた。
良心回路と服従回路のことを書いた。

これは暗にステレオサウンドの変質についてのことでもある。

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