Archive for category 戻っていく感覚

Date: 4月 25th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオの才能)

オーディオの才能をもっている、と自負している。
けれど、そのオーディオの才能は、実のところ、
オーディオに興味をもちはじめた13歳のころから、
なにひとつ変っていないのではないか……、
最近,そう考えるようになってきた。

オーディオの才能はあっても、それを活かすことができなかった。
生かすために必要な知識も知恵も、経験も技倆もなかった。

永いことオーディオをやってきて、それらのことを身につけた。
ただそれだけのような気がしてならない。

Date: 4月 21st, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その6)

この項のカテゴリーは「戻っていく感覚」である。

カテゴリーについては、はっきりと最初から決って書き始めることもあれば、
書いている途中でカテゴリーを決めることもあるし、
書き終ってから、ということもある。

そうやって決めるわけだが、スパッと決められるときもあれば、
どれにしようと迷うこともある。
新しいカテゴリーは、これ以上増やしたくない、とも思っているから、
できるだけこれまでのカテゴリーからあてはまりそうなものを選びもする。

この項のカテゴリーは、あえて選ぶならば、これかな、ぐらいの気持だった。
でも書いていくうちに、「戻っていく感覚」にしておいてよかった、と感じはじめている。

その感は強くなっていくとともに、
五味先生の「五味オーディオ巡礼」の一回目を思い出す。
ステレオサウンド 15号に掲載されている。

野口晴哉氏と岡鹿之介氏が登場されている。
「ふるさとの音」とつけられている。
「音のふるさと」とも書かれている。

最初に好きになった音は、そうなのか。
好きだった音は、そうなのか。
そんなことを反芻している。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その6)」で引用した内田光子のインタヴュー。

手元にそのレコード芸術がないので正確な引用ではないが、
そこで語られた言葉で印象に残っているのが、もうひとつある。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
そう内田光子は語っていた。

この言葉を、内田光子は、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音で協演したザンデルリングにも言った、とあった。
ザンデルリングも同意した、と記事にはあった。
(確か2010年ごろのレコード芸術のはずだ)

歳をとるということは老化する、ということ。
体力的には衰えるし、身体も硬くなってくる。

けれど自由になっていく。
自由になっていくことを自覚していない人は、
つまりは大人になっていない、ということなのかもしれない。

この「自由」になっていくことで、はじめて鳴らせる音の領域がある、と、
ここ数年思うようになった。

内田光子のインタヴューを読んだときは、私はまだ40代だった。
いまは50なかば。
内田光子のことばを実感しつつある。

Date: 2月 21st, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

エミール・ギレリスの名を私が知ったころはまだ、
鋼鉄のタッチと呼ばれていた時だった。

ギレリスの演奏を聴くまえに、鋼鉄のタッチというバイアスがすでに、
聴き手であるこちら側には、いわば植え付けられていた。

ギレリスの演奏(録音)を聴いたのは、ベートーヴェンだった、と記憶している。
何番だったかは、なぜか思い出せない。
それきりギレリスの演奏を積極的に聴くことはなかった。

そんな私でも、
ギレリスがドイツグラモフォンでベートーヴェンのピアノソナタ全集に取りかかったことは知っていた。
後期のピアノソナタの録音が出た。
ジャケット写真を見て、もう一度聴いてみよう、と思った。

何番だったのか思い出せない記憶との比較なんて当てにならないのだが、
なんとギレリスはこれほど変ったのか、と驚いた。
この時も鋼鉄のタッチというバイアスは充分残っていたにも関らず、だ。

そのみずみずしい演奏に驚いた。
ギレリス晩年の演奏なわけだが、枯れた演奏とか表現とは思えない。
ほんとうにみずみずしい。

昨晩書いたクラウディオ・アラウも、そうだ。
晩年のフィリップス録音での演奏の、なんとみずみずしいこと。

このふたりの境地になって、ほんとうにみずみずしいといえる表現が可能になるのか。
若々しいとみずみずしいは違うことを、あらためて思う。

みずみずしいは、水々しいとは書かない、瑞々しい、である。
ギレリスの演奏もアラウの演奏も、瑞々しい。

Date: 12月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年よ、圧倒的であれ)

オーディオ少年だからこそ、生意気な目つきを忘れないようにしたい。
だからこそ、圧倒的であれ、とおもう。

約二年前に、
《オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう。》と書いた。

2017年も残り少なくなって、いままで以上に強く思っている。
圧倒的であれ、と思っている。

オーディオ少年こそ、圧倒的であれ、とおもう。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年とMP649)

オーディオ少年としての生意気な目つきを忘れないようにしたいから、
MP649をひっぱり出してかけている。

Date: 12月 9th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年)

いまはオーディオマニアと口では言っているが、
心の中ではオーディオ少年だ、と一年前に書いている。

オーディオ少年だからこそ、生意気な目つきを忘れないようにしたい。

Date: 11月 29th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その4)

新品のスピーカー、
それも封を切ったばかりのスピーカー、
特に中高域に金属の振動板を採用したスピーカーは、
耳障りな音を出す傾向が、ままある。

特にホーン型は、鳴らし込みが必要だ、といわれてきた。

鳴らし込みはエージングともいわれる。
エージングは、agingである。老化とも訳せる。

鳴らし込みには時間がかかる。
ある意味では、老化といえる。

スピーカーは振動によって音を発しているわけだから、
自らが発する振動によって、エージング(老化)が進むところもある。

スピーカーを構成するあらゆるところがヘタッてくる。
いつしか耳障りな音がしなくなり、音がこなれてくる。

鳴らし込みとは、たしかにそういうものなのだが、
力みを取り去っていくことでもあるように、10年ほど前から感じるようになった。

人と同じで、若いころほど力みがある。
力があり余っているから、ともいえる。

それが歳をとり、力も少しずつ衰えていく。
けれど、一方で力みも消えていくのではないだろうか。

すべての人がそうだとはいわないが、気がつけば力みが少なくなっている、
消えている、ということは、50を過ぎている人であれば、感じているのではないだろうか。

以前できなかったことが、いつのまにかすんなりできるようになっている。
特に練習したとか、そんなことはしていないのに……。

それはおそらく力みがなくなってきたからだ、と私は思っているし、
スピーカーの鳴らし込み(エージング)の肝要な点は、まさにここのはずだ。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その3)

あのころのイギリスのソフトドーム型ユニットをもつイギリスのスピーカーは、
音量をあげた際には、弱かった。
悲鳴をあげる──、とまでは少し大袈裟でも、それに近い弱さをもっていたからこそ、
音量に気をつけて鳴らした時の、うるおいのある音、力みを感じさせない音は、
私にとってほんとうに魅力的であった。

そして、それゆえに女性的と感じていたのだろう。

逆の見方をすれば、そういうスピーカーは、ほんとうの力の提示ができない、
もしくは苦手なスピーカーということもできる。

けれど、力の提示に優れているスピーカーの多くは、
どこかに力みが残っているような鳴り方をする。

それは結局のところ、こちらの鳴らし方次第なのだとはいうことに気づくのに、
私の場合、そこそこの時間がかかった。
40をこえてから、そのことに気づいた。

力をもっているスピーカーから、力みをなくしたときに、
そのスピーカーの力量がようやく発揮される。
力みが消え去っているからこそ、力の提示が可能になる。

大音量再生において、もっとも大事なことも、これである。
力みのある音、力みをどこかに残している音での大音量再生には、
真の大音量再生の快感はない。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その2)

オーディオマニアにはモノマニアの側面がある。
モノマニアとしてみたときに、イギリスのBBCモニター系列のスピーカーには、
ある種のものたりなさを感じてしまう。

JBLのユニットは、モノマニアを満足させてしまう。
そういうところはBBCモニターに使われているユニットには、まったくない。

あと少し本格的なユニットをだったら……、と思うことはしばしばあった。
本格的なユニットがつけば、その分コストにかかってくる。
ユーザーに負担をかけることにもなる。

これで充分だろう、という作り手側の主張なのかもしれない。
そう頭でわかっていても、モノマニアの心情はそうはいかない。

イギリスでもタンノイ、ヴァイタヴォックスのユニットは、本格的なつくりだった。
フェライトになってからのタンノイはそうではなくなったが、
ヴァイタヴォックスのウーファー、ドライバーは、それだけ見ても魅力的だった。

それでも音を聴くと惹かれるのは、
モノマニアとしてものたりなさを感じてしまうスピーカーばかりといってもよかった。

うるおいがあったから、と(その1)で書いた。
たしかにそうである。
ずっとそうだと思い込んでいた。

間違っていたわけではない。
けれど40をこえたころからだったか、
それだけで惹かれていたわけでもないことに気づきはじめた。

私が惹かれたスピーカーの音には、力みがなかったからだった。

Date: 11月 20th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その1)

別項「つきあいの長い音」について考えていると、
好きな音は、いつしか好きだった音になってしまっているのか、と考えてしまう。

10代のころ、BBCモニターとその系列の音が好きだった。
スペンドールのBCII、ハーベスのMonitor HL、
ロジャースのLS3/5A、それにPM510。

BBCモニター系の音とはいえないが、
セレッションのDitton 66、QUADのESL(ESL63は好きにはなれなかった)も好きだった。

JBLのスタジオモニターの存在に憧れながらも、
音を聴いて「あっ、いい音だな……」と呟きたくなるのは、
決ってイギリスの、それもダイアフラムが金属ではないスピーカーばかりだった。

どのスピーカーの音にも、うるおいがあった。
乾き切った音を出すことは決してなかった。

そういう音が好きな人からは、ボロクソにいわれがちでもあった。
音が湿っている、とか、鈍い、とか。
そんな評価を聞くことはけっこうあった。

けれどうるおいのない音に惹かれることはなかった。

Date: 11月 14th, 2017
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その7)

人間のこころの機能を無視して、人間の機能を単に生理的・物理的な動物のようにとらえる過った態度からは、魅力どころかまともなオーディオ製品すら生まれない。
     *
瀬川先生がステレオサウンド 31号の特集で書かれている文章からの引用だ。
31号は1974年夏号。

31号は、ステレオサウンド時代に読んでいる。
その時(ハタチぐらい)には、ここに出てくる「人間のこころの機能」の重さに気づかなかった。

いまやっと気づく。
「人間のこころの機能」、
このことを無視したところに、オーディオの科学も存在しない。

こうやって毎日書いているから、気づけた「人間のこころの機能」である。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(続・商売屋か職能家か)

オーディオ評論家(商売屋)は、どういう人たちなのか。
ひとつはっきりいえるのは、怒りを忘れてしまった人、持てなくなった人であること。

おそらく、オーディオ評論家(商売屋)が、怒る時は、
自分の仕事領域を誰かに侵されたり、自分のことをバカにされたときぐらいだろう。

けれど、それらは怒りとはいわない。
そんなことにも気づかなくなっているのが、オーディオ評論家(商売屋)だ。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(商売屋か職能家か)

この項の最初に、
心の中ではオーディオ少年だ、と書いた。

オーディオマニアは、みなオーディオ少年だった。
少年もいつしか大人になる。

オーディオを仕事としていれば、大人にならざるをえない。
どんな大人になるのか。

商売屋という大人になっていったオーディオ少年、
職能家をめざしていくオーディオ少年、
前者があふれ返っている。

Date: 6月 2nd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

The farther backward you can look, the farther forward you are likely to see.

名言・格言の類を積極的に調べることはないが、
なにかのきっかけで知ることは意外とある。

ウィンストン・チャーチルの言葉である。
The farther backward you can look, the farther forward you are likely to see.
(過去をより遠くまでふり返ることができれば、未来も同じくらいに遠くまでみることができよう)

そうだと思う。
そしてfartherをdeeperに置き換えても、そうだと思う。
The deeper backward you can look, the deeper forward you are likely to see.

過去をより深くふり返ることができれば、未来も同じくらいに深くみることができるのではないだろうか。