Archive for category Jazz Spirit

Date: 6月 12th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その5)

喫茶茶会記が、5月26日で十周年だった。
何度も書いているが、私はここで喫茶茶会記を、
四谷三丁目のジャズ喫茶と紹介している。

喫茶茶会記に行かれたことのある人ならば、
ジャズ喫茶ということばからイメージするものと違った雰囲気を受けるかもしれない。
喫茶茶会記の常連の方の中には、ジャズ喫茶という認識のない人も少なくないようだ。

それでも、私は喫茶茶会記をジャズ喫茶と呼んできた。
でも十年経った。

これからジャズ(スピリット)喫茶と呼ぶことにしよう。
ジャズスピリット喫茶と言葉にするのは長ったらしいし、
言葉として発する場合には、これまで通りジャズ喫茶といっても、
それはジャズ(スピリット)喫茶のことである。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その4)

喫茶茶会記は、2007年5月26日にオープンしている。
あと三ヵ月で開店十年を迎える。

喫茶茶会記のある場所は、以前、音の隠れ家というオーディオ店があった。
店主の福地さんが、そのスペースを引き継ぐ形での喫茶茶会記の開店であった。

最初の頃は、喫茶スペースだけだった。
毎月第一水曜日にaudio wednesdayを行っているイベントスペースは、まだだった。

福地さんと私のつきあいは、喫茶茶会記の開店よりも少し長い。
2003年春から、audio sharingのメーリングリストを開始した。
福地さんはすぐに参加してくれた一人である。

福地さんからジャズ喫茶を開店するという話を聞いた時は、
開店までも大変だろうけど、続けていくのはもっと大変だろうな、と思っていた。

喫茶茶会記は、四ツ谷駅ではなく四谷三丁目駅の近くである。
しかも大通りから路地に入り、さらにもう一本奥まったところにあるから、
一見の人はあまり入ってこないロケーションともいえる。

それゆえの苦労はあっただろうし、いまもあるのだろうが、
それゆえの良さが、喫茶茶会記の雰囲気を生み出しているともいえる。

喫茶茶会記の雰囲気を気に入る人もいればそうでない人もいよう。
万人向けの雰囲気とは違う。

そんな喫茶茶会記が十年続いている。
たいしたものだ、と思う。

十周年イベントを行う予定だときいている。
audio wednesdayも少しは役に立てれば、と思っている。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その3)

毎月第一水曜日のaudio sharing例会に場所を提供してくださっている喫茶茶会記を、
私はジャズ喫茶と認識している。
なので、ここでも四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記と書くようにしている。

ジャズ喫茶全盛の時代は、1970年代だろう。
私はその全盛時代のジャズ喫茶を知らない。
私が上京したのは1981年春。

そのころならば、まだ全盛時代のジャズ喫茶の雰囲気を感じとれたであろうが、
ひとりでジャズ喫茶に入っていく度胸みたいなものがなかった。

最近、ふと思うのは全盛時代のジャズ喫茶は、
ジャズとオーディオの最先端の場であったはずだ、ということ。

ここのところが名曲喫茶とは違う、と思う。
名曲喫茶、いわゆるクラシック喫茶も東京には、そのころいくつもあった。
名曲喫茶の全盛時代は、ジャズ喫茶のそれよりも以前のことだろう。

名曲喫茶は、クラシックとオーディオの最先端の場であったことはあるのだろうか。

最先端の場であることが絶対的なことだとはいわないが、
この点が、ジャズ喫茶と名曲喫茶の決定的な違いであったように感じている。

もっともどちらの全盛時代も肌で知っているわけではないから、
あくまでも想像で書いているにすぎないのだが、間違ってはいないと思う。

いまも東京にはいくつものジャズ喫茶がある。
古くからやっているジャズ喫茶も、比較的新しいジャズ喫茶もある。

でも、いまのジャズ喫茶が、ジャズとオーディオの最先端の場とは感じない。
1970年代とは、時代が違う、といってしまえば、そのとおりだ。
40年も経っているのだから、最先端の場でなくなっても……、ということになるかもしれない。

何をもってして、ジャズとオーディオの最先端の場というのか。
それは言葉で語ることではなく、肌で感じるものだとも思う。

Date: 5月 1st, 2016
Cate: Jazz Spirit

「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」

私が読みはじめたころの無線と実験には、毎号、見開き二ページで、
全国のジャズ喫茶の訪問記事が載っていた。

ここはぜひ行ってみたい、と思った店、
機会があれば……、と思った店、あまりピンとこなかった店……、
そんなふうにして眺めながら読んでいた。

その時代のジャズ喫茶のスピーカーといえば、JBLとアルテックが圧倒的だった(と記憶している)。
パラゴンが当り前のように登場していた。そんな時代だった。

私が育った田舎にはジャズ喫茶はなかった。
あっとしても、中学生、高校生が一人で行けるとは思っていなかった。

東京、大阪といった大都市では、
中学生ひとりでジャズ喫茶に行く、ということは実際にあったかもしれない。

でも田舎にはそんな雰囲気はみじんもなかった。
ふつうの喫茶店でも中学生、高校生がひとり、もしくは友人といっしょに、ということはなかった。

そういう環境で育ったものだから、東京に出て来たからといって、
すぐにジャズ喫茶に行けなかった。
行きたい気持はあったけれど、どこかしり込みする気持があり、強かった。
それに学生で余裕があったわけでもなく、それを言い訳のひとつにしていたところもある。

そうこうしているうちに、ジャズ喫茶全盛時代は静かに終りに向っていた(と感じた)。
昭和から平成にうつり、ジャズ喫茶は昭和の遺物的な空気をまとっていたようにも感じたのかもしれない。

きちんと数えたわけではないが、東京においてジャズ喫茶は少なくなっていった。
でも、その空気が十年ほど前から静かに変って来つつあるようにも感じている。

ぽつぽつとジャズ喫茶が開店している。
あの当時のように繁盛ぶりはないようだが、継続している。

昭和が終り平成が始まり、
20世紀が終り21世紀が始まり、
ジャズ喫茶のありかたも、それぞれの店主が模索しながら変化しているはずだ。

私が毎月第一水曜日にaudio sharing例会を行っている喫茶茶会記は、
私の中ではジャズ喫茶という認識である。

喫茶茶会記の常連でも、ジャズ喫茶と認識している人はそう多くはないのかもしれない。
それでも、私はジャズ喫茶と認識しているから、
必ず「四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記」と書くようにしている。

喫茶茶会記の店主は福地さん、という。
私よりひとまわり若い世代だ。

その彼が、7月30日に四谷のいーぐるで「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」を行う。

老舗のジャズ喫茶で、若い世代のジャズ喫茶の店主が「これからのジャズ喫茶」について語る。

Date: 6月 1st, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その5)

“Friday Night in San Francisco”。
私は、このディスクをどの位置で聴きたいか、といえば、
ステージの上で聴きたい。
ギターの至近距離にいて、聴きたい。

だから、そういう音で鳴ってほしい、と思う。

昨年のインターナショナルオーディオショウのあるブースで鳴っていた“Friday Night in San Francisco”は、
正反対の鳴り方だった。
いわゆるハイエンドスピーカーに共通するスピーカーよりも奥に定位する鳴り方。
とはいえスピーカーと聴取位置の距離はさほど離れていない。
比較的近い距離でもあった。

でも心理的距離感が遠く感じる音だった。
ギターのひとつひとつの音が鮮明に鳴れば、近くに感じられるかというと、必ずしもそうではない。

まったく異る音楽のディスクであれば、こういう鳴り方がふさわしいと感じることもあろうが、
そこで鳴っていたのは“Friday Night in San Francisco”。

ライヴ録音ゆえに収録されている観客のざわめき、歓声。
そういった要素がうまく鳴ればなるほど、観客の昂奮とは反比例するかのように、
こちらの心は冷静になっていくような、そんな感触の音が鳴っていた。

インターナショナルオーディオショウの四ヵ月ほど前に、
JBLのD130で“Friday Night in San Francisco”で聴いていたから、よけいにそう感じたのかもしれない。

Date: 5月 4th, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その2)

Noise Control/Noise Designという手法」で、マッキントッシュのアンプのツマミのことに触れた。
コントロールアンプのC27のことについても書いた。

マッキントッシュの、トランジスター以降のコントロールアンプの中で、C27は好感がもてる。
本格的なマッキントッシュらしいコントロールアンプといえばC29が、同じころにあったし、
上級機としてC32も存在していた。
その後もかなりの数のコントロールアンプが登場している。

C27は、そんななかにあってあまり注目されることなく消えていった印象がある。
それでも私は、マッキントッシュのコントロールアンプの中で、
管球式のC22を別格とすれば、C27は、無理をしてまで欲しいとは思わないけれど、
縁があれば手元に置いときたいモデルである。

私が毎月第一水曜日にaudio sharing例会を行っている四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記がある。
今日、ここの店主の福地さんが、「Noise Control/Noise Designという手法」の(その34)にコメントをくれた。

明日(5月5日)、店で使っているアンプがマッキントッシュのペアにかわる、とのこと。
パワーアンプはMC2505で、コントロールアンプはC27とある。

これがC27でなく、C29だったりC32だったり、さらにはマッキントッシュの他のコントロールアンプだったら、
ここであらためて書くことはなかった。

でもC27である。
だから書きたかった。

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その1)

私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
四谷三丁目の路地裏にあるジャズ喫茶(私はこう認識している)、
喫茶茶会記(きっささかいき)があるからやっている、ともいえるところがある。

喫茶茶会記のマスター、福地さんの人柄から生れる空間の雰囲気に惹かれる人が多いのか、
ここにいるといろんな人がが訪れて、福地さんが紹介してくれることが多い。

audio sharingの例会が終った後も、私はひとり残っていることが多い。
昨夜もそうしていた。

何度か会ったことのある人が入ってきた。
日本刀の研師の人だ。
福地さんをまじえてあれこれ話していた。

昨日はたまたまtwitterでマーク・ニューソンが日本刀のデザインをしたというツイートを読んだばかりだった。
「そういえばマーク・ニューソンが……」は話しかけたところ、
「その発表会パーティに行ってきた」ということだった。

マーク・ニューソンがデザインしたのは日本刀のこしらえである。
なぜマーク・ニューソンがこしらえをデザインするようになったいきさつとか、
会場の雰囲気とか、あれこれ楽しい話を聞くことができた。

話ながら聞きながら、「とぐ」は研ぐだな、研究、研鑽の研と同じ。
音を良くするための行為は、この研ぐと共通するところがあるし、
研ぐにはとうぜん砥石が必要である。

音を磨いていくには、いったいどういう砥石が必要となるのか。
研師は、そのシステムの所有者である。

研師と砥石があれば、それで研げる(磨げる)わけではない。
水が必ず必要となる。

音を磨いでいくのに必要な水、
これはなんなのか。

そんなことを昨夜は考えてもいた。

喫茶茶会記は、私にとってこういう場でもある。

Date: 2月 27th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(パコ・デ・ルシアのこと)

ギターは小さなオーケストラ、ということは昔から知ってはいた。
知ってはいたけれど実感したことはなかったから、そういうふうにいうんだなぁ、ぐらいの気持で受けとめていた。

“Friday Night in San Francisco”が、いくつかの意味で衝撃だったのだが、
そのひとつは、ギターが小さなオーケストラであることを実感できたことだ。

小さなオーケストラは凝縮されたオーケストラでもあった。

パコ・デ・ルシアの名前を知ったのも、そのときだった。

Date: 2月 20th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その4)

“Friday Night in San Francisco”のLPを聴いたのは、
ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurの試聴の時が初めてだった。

アクースタットのコンデンサー型スピーカー、Model 3で聴いた。
試聴レコードには含まれていなかったけれど、黒田先生がリクエストでかけることになった。

どんな音楽を鳴ってくるのか、
ただギターの演奏だということ以外、当時は何も知らなかった。
だからこそ、このレコードの衝撃は鮮烈だった。

アクースタットのスピーカーで聴けたことも幸運だったのかもしれない。
その日から30年以上経つ。いまも愛聴盤である。

“Friday Night in San Francisco”は、いまでも聴けば昂奮する。
聴いていてカラダが熱くなってくる。
観客の気持もわかるような気がする。

あの日、このコンサートの場にいたら、いったいどれほどの昂奮が押し寄せてきただろうか。

“Friday Night in San Francisco”はかなり広い会場での行われたように、聴いていると感じる。
けれどギターの音をとらえるマイクロフォンは、かなりギターに近いところにある。

そういう録音のディスクをかけて、どういう音で再生するのか。
もっといえば、どの位置で聴いている感じで鳴らしたいのか。

Date: 2月 19th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その3)

2013年のインターナショナルオーディオショウのあるブースで、
パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラ、ジョン・マクラフリンによる
“Friday Night in San Francisco”が鳴っていた。

ちょうどそのブースに入いる少し前にかけられていたようで、
一曲目をほぼすべて聴くことが出来た。

ここではCD(もしかするとSACDかも)だったが、
ほかのブースには”Friday Night in San Francisco”のLPが置いてあるのもみかけた。
もう30年以上前のディスクだけど、こうやっていまも鳴らされているのは、それだけでなんとなく嬉しくなる。

このディスクはライヴ録音だから、観客のざわめきや歓声がけっこう収録されている。
そのブースで鳴っていた音は、そういったいわばある種のノイズをきれいに鳴らしていた。
どこかが破綻していたり、おかしな鳴り方をしていたわけではない。

一般的にはよく鳴っている、と評価される音なんだろうなぁ……、などと考えながら聴いていた。
そんなことを考えていたぐらいだから、そこで鳴っていた音に、
“Friday Night in San Francisco”におさめられている音楽に夢中になっていたわけではなかった。

冷静に聴いていただけだった。
そういう音だったからだ。

こういう音では、なぜ観客があれほど昂奮しているのかが、
そこで鳴っている演奏から伝わってこない。

この音を、いい音といっていいのだろうか。

Date: 2月 18th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その2)

ジャズをおさめたディスクがある。
どんなシステムでかけても、ジャズを一度でもきいたことがある人ならば、
そのディスクにおさめられている演奏が誰のものなのか、そういったことを一切知らなくとも、
そこで鳴っている音楽がジャズということはわかる。

それを「ジャズが鳴っている」といったりするわけだが、
ここでの「ジャズ」とはどういうことを指しているのだろうか。

あるスピーカーからジャズが鳴っている。
音は細部まで明瞭になっているし、音の伸びも申し分ない。
音像定位もしっかりしているし、音場感も充分拡がっている。
奥行きの再現性もなかなかいい。
それに変に音が尾を引かない。音がうまいこと決っていく……。

こんなふうにチェックシートでもつくって、ひとつひとつの項目をチェックしていって、
どの項目も過不足なく鳴ってくれる。
その意味では欠点のない鳴り方であり、なにかケチをつけたくともそれを見つけられない。

そういう音でジャズのディスクが鳴らされた。
ただそれだけで終ってしまった。

ある旧いスピーカーで、ジャズのディスクが鳴らされた。
ナロウレンジの音だ。
誰が聴いてもはっきりと周波数レンジが狭いことはわかる。
ここでもひとつひとつの項目を細かくチェックしていくと、
いくつかの項目では飛び抜けてよくても、他の項目では欠点として目立つこともある。

オーディオ的な意味でケチをつけようと思えば、いくらでもつけられる。
そういうスピーカーで、そういうスピーカーの音で、ジャズのディスクが鳴らされた。

鳴り終ったあとに、聴いていた人同士で話が弾む。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: Jazz Spirit, 岩崎千明

Jazz Spirit Audio(その1)

ジャズ・オーディオということばがある。
いつごろから誰が使いはじめられたのかは定かではない。

自然発生的に生れてきたのかもしれない。
それでも、私の中では、ジャズ・オーディオ(Jazz Audio)は、岩崎千明の代名詞でもあった。

中野駅の北口から数分のところにある雑居ビルの地下で「ジャズ・オーディオ」という店をやられていた。
それもあって、岩崎千明=ジャズ・オーディオとなっていくわけだが、
ジャズ・オーディオとしてしまうことで、このことばのもつ範囲に、
岩崎千明という人間をあてはめようとする危険性がないわけでもない。

ジャズ・オーディオといってしまえば、楽である。便利である。
でも、決してジャズ・オーディオだけではない、というおもいがずっとあった。

岩崎先生がやられてきたオーディオを、ジャズ・オーディオといってしまうことは、間違いとはいえない。
でももっときちんと表現しようとすれば、
それはジャズ・オーディオではなく、ジャズ・スピリット・オーディオ(Jazz Spirit Audio)だったはずだ。