Archive for category Jazz Spirit

Date: 9月 3rd, 2018
Cate: Jazz Spirit

二度目のナルシス(その3)

空間プロデュースの会社に「ビートニク風に」と依頼すれば、
どんなふうに仕上がるのは想像できないけれど、なんとなくそれっぽいビートニクには、
腕のいい空間プロデュースの会社ならば仕上げるだろう。

依頼した人が納得していなくとも、
ここがこうだからビートニクなんですよ、と、細かく説明していって納得させるかもしれない。

私の勝手な想像で書いているだけだから、実際はどうなのか。
真剣にビートニクに取り組む空間プロデュースの会社もあるはずだ。

金と時間に糸目をつけなければ、いい感じに仕上がるとは思う。
けれど、それはどこか映画のセット的趣をわずかとはいえ残したままなのかもしれない。

それがこだわり抜いたビートニクであればあるほど、
ナルシス的ビートニクとは違うものになっていくのかもしれない。

こんなことを書いているけれど、ビートニクを理解しているわけではない。
それでも、ビートニクとは、そういうものではないはずだ、とは感じている。

少なくとも、ナルシスはつくりものという感触はない。

Date: 9月 2nd, 2018
Cate: Jazz Spirit

二度目のナルシス(その2)

ナルシスが今の場所(東京都新宿区歌舞伎町1-13-6 YOビル2F)に移ったのは1978年(らしい)。
40年である。

行けばわかる、古い建物の二階にナルシスはある。
トレイは和式だし、床はタイル張り。
店内にはピンクの公衆電話があった。
Free Wi-Fiなんてものはない。

どっぷり昭和である。
だから、いい、といいたいのではない。

金曜日の別れ際に野上眞宏さんが「ナルシス、最高!」といわれた。
そうだろうとおもう。

ナルシスは堅苦しいジャズ喫茶ではない。
ジャズがかかっていても、おしゃべりしてもいい。

ナルシスにいるときに野上さんは、
「(時代的には)ヒッピーの前のビートニクだね」といわれた。

こういう感覚、捉え方は私にはなかった。

ナルシスは一人で行っても楽しいだろう。
でも、誰かと一緒に行くと、より楽しいはずだ。

前回のナルシスは四年前。
その後、一人でナルシスに何度か通っていたとしても、
「ヒッピーの前のビートニクだね」とは感じなかった、とおもうからだ。

Date: 8月 31st, 2018
Cate: Jazz Spirit

二度目のナルシス(その1)

空間プロデュース、空間プロデューサーという言葉を頻繁に耳にするようになったのは、
いつごろからなのだろうか。

ウソっぽい仕事とは思っていないが、
それでも薄っぺらいと感じることがないわけではない。

どこかの空間プロデュースの会社、
空間プロデューサーの誰かがてがけた店舗というのが、増えているようにも感じる。

空間プロデュースというのは、こういう仕事なのか、と感心する店舗もあれば、
既視感たっぷりの店舗もある。
どういう仕事であっても、ピンもあればキリもある。

それでも個人経営の店であれば、空間プロデュースの必要性はいかほどだろうか──、
と思ったのは、今日、新宿歌舞伎町にあるジャズ喫茶・ナルシスに行ってきたからだ。

ナルシスには四年前に一度行っている。
また行こう、と思いながら、夕方からの営業だから、
ブログを書くことを優先していると、早く帰って……、と思ってしまい、
結果、二度目が今日になってしまった。

前回のことは「会って話すと云うこと(その6)」に書いている。
店は四年前となにも変っていなかった。
記憶にある四年的の比較なのだから、変っているところもあったのかもしれないが、
何も変っていなかった、としか感じなかった。

グッドマンのダブルコーンに、
おそらくパイオニアのホーンEH351Sである中高域が足されている。
アンプも上等なモノではないし、オーディオマニアの興味を惹くシステムとはいえない。

オーディオも四年前のままだった。
ナルシスが入っているビルは、四年分だけ古くなっているはずだろうが、
元々老朽化したビルだから、変ったようにも見えない。

そのナルシスに、今日は写真家の野上眞宏さんと一緒に行ってきた。

Date: 6月 16th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(番外)

ジャズ喫茶と、日本でのJBL、アルテックの人気の高さは、けっして無関係ではない。
私は、そう思っている。

今日、OTOTENに行ったことは別項に書いた通り。
B1フロアーで「オーディオ10年の歩み」を買って帰った。
日本オーディオ協会が1997年に発行したもので、中島平太郎氏が編集委員長をつとめられている。

定価は8,000円なのだが、もう20年以上前の、いわば売れ残りという扱いなのだろう、
1,000円(税込み)だった。

この本の第八章、「ホール/スタジアムにおける音響装置」のなかに、こうあった。
     *
 1966年のビートルズの来日は劇場(PA)音響技術の展開について画期的なものになった。当時の演奏会場としては客席数3,000を超えるせのはなく、ましてや1万人を収容して音楽を演奏し観客を満足させることができる施設は横浜市の文化体育館ぐらいであった。
 ビートルズの公演回数は5ステージで諸経費を考慮すると1万人以上を収容できる会場を手当てできないと成立しない公算であった。その結果日本武道館に白羽の矢が立ち、同館の承諾を得、公園が実現した。音響はヒビノ(株)が担当し、センターに組まれた舞台の真上に八方に向けてクラスターが吊られた。スピーカーはJBLの2ウェイであった。
     *
ビートルズの日本公演でのスピーカーはJBLだった。
私は初めて知る事実だった。

当時、ビートルズの公演に来ていた人たちのどのぐらいがそのことを知っていたのか、定かではない。
おそらくほとんどの人が知らずにいたことだろう。

それでも、その音はしっかりと耳に残っていたのではないのか。
このことも日本でのJBLの人気の高さに、まったく関係していない、とは思えないのだ。

Date: 4月 1st, 2018
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その6)

マガジンハウスの雑誌のHanakoのウェブサイトで、喫茶茶会記が取り上げられている。

そこでも、ジャズ喫茶として紹介されている。

Date: 3月 18th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(その5)

ジャズ喫茶、名曲喫茶が日本独自の文化といえるのならば、
レコードコンサートもまた日本独自の文化である。

レコードコンサートといっても、もう通じなくなった世代の方が多くなっているかもしれない。
こう書いている私だって、レコードコンサートには行ったことはない。

私がオーディオ雑誌を読みはじめたころは、まだレコードコンサートは残っていた。
でも、それは大都市でのことであって、地方に住んでいる者、
それも学生にとっては、都会への憧れを募らせるものでしかなかった。

レコードコンサートについて、瀬川先生がステレオサウンド 25号に書かれている。
     *
 レコード・コンサートという形式がいつごろ生まれたのかは知らないが、LPレコード以降に話を限れば、昭和26年に雑誌『ディスク』(現在は廃刊)が主催した《ディスク・LPコンサート》がそのはしりといえようか。この年は国産のLPレコードが日本コロムビアから発売された年でもあるが、まだレパートリーも狭かったし、それにも増して盤質も録音も粗悪で、公開の場で鳴らすには貧弱すぎた。だからコンサートはすべて輸入盤に頼っていた。外貨の割当が制限されていた時代、しかも当時の一枚三千円から四千円近い価格は現在の感覚でいえば十倍ぐらいになるだろうか。誰もが入手できるというわけにはゆかず、したがってディスクのコンサートも、誌上で批評の対象になるレコードを実際に読者に聴かせたいという意図から出たのだろうと思う。いまではバロックの通俗名曲の代表になってしまったヴィヴァルディの「四季」を、ミュンヒンガーのロンドン盤で本邦初演したのが、このディスクの第二回のコンサート(読売ホール、昭和26年暮)であった。
 これを皮切りに、その後、ブリヂストン美術館の主催(松下秀雄氏=現在のオーディオテクニカ社長)による土曜コンサートや、日本楽器・銀座店によるヤマハLPコンサートが続々と名乗りを上げた。これらのコンサートは、輸入新譜の紹介の場であると同時に、それを再生する最新のオーディオ機器とその技術の発表の場でもあった。富田嘉和氏、岡山好直氏、高城重躬氏らが、それぞれに装置を競い合った時代である。
 やがて音楽喫茶ブームが来る。そこでは、上記のコンサートで使われるような、個人では所有できない最高の再生装置が常設され、毎日のプログラムのほかにリクェストに応じ、レコード・ファンのたまり場のような形で全国的に広まっていった。そうしたコンサートや音楽喫茶については、『レコード芸術』誌の3・4・5月号に小史の形ですでにくわしく書いたが、LPの再生装置が単に珍しかったり高価なだけでなく、高度の技術がともなわなくては、それを作ることもまして使いこなしてゆくことも難しかったこの時代に、コンサートと喫茶店の果した役割は大きい。
     *
ステレオサウンド 25号は1972年に出ている。
レコードコンサートはオーディオメーカーの主催によるものが多かったようだが、
レコード会社によるものもあったようだ。

この時代までの日本では、レコードと聴き手の関係は、一対一とはいえない面があった。

Date: 3月 10th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(その4)

アルテックやJBLでなくとも、故障しないように使う(鳴らせば)、
いいじゃないのか、ということになろうが、
ジャズ喫茶においてのスピーカーの使われ方は、
一般家庭におけるそれとは、鳴らす時間だけでも、大きく違ってくる。

開店時間から閉店時間まで鳴らされる。
閉店時間後も鳴らされていることだってあろう。
開店時間前もそうであろう。

営業時間は店によって違うが、平均して八時間は鳴らされている、であろう。
それが店によっては毎日鳴らされるわけだ。

故障しないように鳴らしていても、それだけの長時間の使用においては、
スピーカーがヘタってくる。
それに音量の違いも加わってくる。

ヘタってきたら、新しいスピーカーに買い換える、という方針のジャズ喫茶ならば、
スピーカーの選択肢は広がるが、
心底気に入ったスピーカーをずっと鳴らしていきたい、という方針のジャズ喫茶もある。

私がタフなスピーカーというのは、そういう意味も含まれている。
故障しにくいだけでなく、ヘタりにくいスピーカーであること。
それからコンディションを、あるレベル以上で維持できるスピーカーであること。

ジャズ喫茶のスピーカーに求められる条件は、音だけではない。
ジャズ喫茶で、アルテック、JBLが選ばれてきたのは、
そういうことも含めてのことだったと、考えることもできる。

どれだけ音がよくても、信頼性に乏しいスピーカーを、
私はジャズ喫茶のスピーカーとしては選ばない。

その日その日、もっといえば数時間単位でコンディションが変化していくような道具は、
金を稼ぐ道具(商売道具)としては適さない。

Date: 3月 10th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(その3)

岩崎先生に
《スピーカーは15インチ=38センチでなければだめだという認識》を強く植えつけるほどに、
アルテックの音は強烈だったわけだ。

ジャズ喫茶の歴史に詳しいわけではないが、
私がオーディオに興味を持ち始めたころのジャズ喫茶は、
スピーカーといえばJBLかアルテックだった。

スタックスのコンデンサー型スピーカーで聴かせるジャズ喫茶もあったのは知っているが、
アルテックとJBLで、八割以上は占めていたのではないだろうか。

なぜアルテックとJBLなのか。
音だけが理由ではない、と思う。

自分でジャズ喫茶を始めようと考えてみたときに、
スピーカーは何を選ぶか、どういう基準で選ぶか。

音は第一にこよう。
次に来るのは、というう、音と同じくらいに大きなウェイトを持ってくるのは、
タフなスピーカーであるということだ。

ジャズ喫茶にとって、スピーカーは商売道具である。
オーディオは音楽を聴くための道具であるけれど、
ジャズ喫茶にとっては、そういう意味での道具であるとともに、商売道具である。

音も大事であるし、タフであること、
つまり故障しにくいことも、大事なことである。

さらに故障しても、すぐに復旧できることも重要である。
先日のaudio wednesdayで、会の途中でドライバーのダイアフラムを交換した。
こういうことが、ジャズ喫茶のスピーカーでは起り得るし、
そういうときにすぐに対処できるという点は、大きなメリットである。

スタックスのコンデンサー型スピーカーで、ダイアフラムがダメになったとして、
同じように店内での交換がすぐさま可能だろうか。

スタックスでなくともいい。
ドーム型のトゥイーター、スコーカーを採用したスピーカーで、
ユニットをトバしてしまったとき、ユニットを交換することになる。
それはそれでいいのだが、そのユニットが単売されていたら、それは可能であっても、
補修パーツとして取り寄せるか、メーカーのサービスステーションに持っていくことになる。

アルテックやJBLはユニットそのものが単売されていて、
交換ダイアフラムも入手が容易であった。

Date: 3月 10th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(その2)

岩崎先生が書かれている。
     *
 ぼくの場合ですと、そのとき好きだった音楽によってスピーカーの変遷があり、その時その時でずいぶん変わっているのです。また、部屋の広さが変わることによって、またまたスピーカーへの期待というか、選び方がすっかり変わってきてしまった。
 そのへんのことをここで書いておきたいと思います。
 昔、洋間というより板の間と言うにふさわしいかなりちゃちな板の間で鳴らしていたわけです。そのときまで、いくつかの国産スピーカーを経て、戦前からある英国系のローラーとか、アメリカのマグナボックスなどを、戦後の国産スピーカー、たとえば、ミラグラフやダイナックスなどにまじって聴いていたのですが、どうも外国製のスピーカーのもっている良さというのが非常に強く印象づけられ、傾倒するきっかけになっていたわけです。その頃はまだラジオ雑誌でも、海外製品を取上げることはまずなくて、単に自分自身の聴いた感じとか、外観のすばらしさだけでもって選んでいました。
 たまたまその時期——学生時代からやっと社会に出たてのときなのですが、たいへんショックを受けたというか、オーディオに強く指向するきっかけになったことがあります。銀座の松屋の裏に「スイング」という喫茶店があり、デキシーランドとニューオルリンズジャズを鳴らしていた。当時はジャズ喫茶そのものがまったくなかったころで、店の客の半分は当時の占領軍の兵隊だったわけです。
 その店を知ったのは、たまたま通りがかりに非常に陽気な音楽が聴こえてきて、ついふらふらと中へ入っていったからです。店内で鳴っている音は当時のぼくにはとうていスピーカーから出ている音には聴こえなかった。奥にバンドがいて演奏しているのではないか、と思ったくらい、生き生きした大きなエネルギーで鳴っていました。紫煙の中に入っていくと、目の前にスピーカーがあった。それは今までに見たこともないスピーカーでした。それが実はあとでわかったのですが、アルテックの603Bというスピーカーで、いまの604Bのジュニア型として出ていたスピーカーです。
 この38センチの、マルチセラーホーンをつけたスピーカーに接したときに、スピーカーのもっている性格というか、再生装置の中においてスピーカーがいかに大事であるかということを、強烈に知らされたわけです。ぼくが大型スピーカーに執着するというのは、このときに植えつけられたもので、それ以来、スピーカーは15インチ=38センチでなければだめだという認識を強くもっています。
(「オーディオの醍醐味はスピーカーにあり」より)
     *
銀座・松屋の裏にあった「スイング」のことは、
オーディオ歴の根底をなす二十六年前のアルテックとの出会い」の冒頭にも書かれている。

そう、このころからすでにジャズ喫茶ではアルテックが鳴らされていた。
この時代のアルテックの603Bの価格を、私は知らないが、
そう簡単に買えるモノではなかったはずだ。

Date: 3月 10th, 2018
Cate: Jazz Spirit

ジャズ喫茶が生んだもの(その1)

JBL、アルテックのスピーカーの人気(評価)が、これほど高い国は日本だけ、
いまもいわれているし、昔もいわれていた。

ときどき「なぜですか」ときかれることもある。
理由はひとつではない。
いくつもあって、それらすべての理由によって、
使い手(聴き手)の高い評価になっているというより、
すべての理由のなかから、人によっていくつかが選択され組み合わされての現象なのだろう。

その理由のひとつとして、ここでとりあげたいのは、
日本独自の文化ともいえるジャズ喫茶の存在である。

このあいだSNSで、現在のニューヨークにはジャズ喫茶は一軒もない、という書き込みを見た。
そうだろう、と思う。
あるはずがない、ニューヨークにはジャズ喫茶という存在はもともとないはずなのだから。

少なくともジャズ喫茶、名曲喫茶という存在は、日本で生れてきたもののはずだ。
高度成長前の日本、
レコードの価格が、物価が上昇したにもかかわらず、いまの価格とそう変わらなかった時代があった。

貧しかった時代の日本で、ジャズ喫茶も名曲喫茶も生まれている。
レコードは、おいそれと買えるモノではなかった。
それを再生する装置となると、さらに高価だった時代があったから、
ジャズ喫茶、名曲喫茶という商売が成り立った、ともいえるのだろう。

同じ時代、日本だけでなく、アジア各国も、アメリカ、ヨーロッパからみれば貧しかったはずだ。
けれど韓国、中国といった国に、ジャズ喫茶、名曲喫茶があったとはきかない。

あったのかもしれないが、私にはあったとは思えない。

ジャズ喫茶が誕生した時代を体験しているわけではない。
その世代の人たちも少なくなってきている。

Date: 11月 2nd, 2017
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その2)

昨晩のaudio wednesdayは、飲み会だった。
喫茶茶会記で音を出すのは楽しい。
それと同じくらいに、喫茶茶会記を離れて、
美味しいものを食べながら飲んで、あれこれ話すというのも、実に楽しかった。

そこで、最近頻繁に鳴らしている「THE DIALOGUE」のドラムスの音は、
現実のドラムスよりも大きくないか、ときかれた。

私は決して大きくない、と思っている、と答えながら考えていたのは、
現実のドラムスよりも……、ということは、
現象の比較である、ということだった。

いわゆるナマのドラムスと再生音のドラムスの音量の違いとは、そういうことである。
物理現象としての比較である。

私はもっと音量を上げたい、と思っている。
それは比較ということでは同じであっても、心象の比較として、
もっと音量を求めるからだ。

昨晩も少し話したが、ほんとうに求めているのは音量の大きさではなく、
エネルギーの再現である。

心象の比較として私が最優先しているのは、エネルギーである。

Date: 10月 25th, 2017
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その1)

ステレオサウンド 38号で、黒田先生が書かれている。
     *
 大きな音で、しかも親しい方と一緒にきくことが多いといわれるのをきいて、岩崎さんのさびしがりやとしての横顔を見たように思いました。しかし、さびしがりやというと、どうしてもジメジメしがちですが、そうはならずに、人恋しさをさわやかに表明しているところが、岩崎さんのすてきなところです。きかせていただいた音に、そういう岩崎さんが、感じられました。さあ、ぼくと一緒に音楽をきこうよ──と、岩崎さんがならしてくださった音は、よびかけているように、きこえました。むろんそれはさびしがりやの音といっただけでは不充分な、さびしさや人恋しさを知らん顔して背おった、大変に男らしい音と、ぼくには思えました。
     *
《さびしさや人恋しさを知らん顔して背おった、大変に男らしい音》、
これこそがジャズ喫茶の音なのだろう、と、
ジャズの熱心な聴き手でない私は、勝手にそう思っている。

私がaudio wednesdayで鳴らしている音は、まだまだだとも思う。

Date: 6月 12th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その5)

喫茶茶会記が、5月26日で十周年だった。
何度も書いているが、私はここで喫茶茶会記を、
四谷三丁目のジャズ喫茶と紹介している。

喫茶茶会記に行かれたことのある人ならば、
ジャズ喫茶ということばからイメージするものと違った雰囲気を受けるかもしれない。
喫茶茶会記の常連の方の中には、ジャズ喫茶という認識のない人も少なくないようだ。

それでも、私は喫茶茶会記をジャズ喫茶と呼んできた。
でも十年経った。

これからジャズ(スピリット)喫茶と呼ぶことにしよう。
ジャズスピリット喫茶と言葉にするのは長ったらしいし、
言葉として発する場合には、これまで通りジャズ喫茶といっても、
それはジャズ(スピリット)喫茶のことである。

Date: 2月 26th, 2017
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その4)

喫茶茶会記は、2007年5月26日にオープンしている。
あと三ヵ月で開店十年を迎える。

喫茶茶会記のある場所は、以前、音の隠れ家というオーディオ店があった。
店主の福地さんが、そのスペースを引き継ぐ形での喫茶茶会記の開店であった。

最初の頃は、喫茶スペースだけだった。
毎月第一水曜日にaudio wednesdayを行っているイベントスペースは、まだだった。

福地さんと私のつきあいは、喫茶茶会記の開店よりも少し長い。
2003年春から、audio sharingのメーリングリストを開始した。
福地さんはすぐに参加してくれた一人である。

福地さんからジャズ喫茶を開店するという話を聞いた時は、
開店までも大変だろうけど、続けていくのはもっと大変だろうな、と思っていた。

喫茶茶会記は、四ツ谷駅ではなく四谷三丁目駅の近くである。
しかも大通りから路地に入り、さらにもう一本奥まったところにあるから、
一見の人はあまり入ってこないロケーションともいえる。

それゆえの苦労はあっただろうし、いまもあるのだろうが、
それゆえの良さが、喫茶茶会記の雰囲気を生み出しているともいえる。

喫茶茶会記の雰囲気を気に入る人もいればそうでない人もいよう。
万人向けの雰囲気とは違う。

そんな喫茶茶会記が十年続いている。
たいしたものだ、と思う。

十周年イベントを行う予定だときいている。
audio wednesdayも少しは役に立てれば、と思っている。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その3)

毎月第一水曜日のaudio sharing例会に場所を提供してくださっている喫茶茶会記を、
私はジャズ喫茶と認識している。
なので、ここでも四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記と書くようにしている。

ジャズ喫茶全盛の時代は、1970年代だろう。
私はその全盛時代のジャズ喫茶を知らない。
私が上京したのは1981年春。

そのころならば、まだ全盛時代のジャズ喫茶の雰囲気を感じとれたであろうが、
ひとりでジャズ喫茶に入っていく度胸みたいなものがなかった。

最近、ふと思うのは全盛時代のジャズ喫茶は、
ジャズとオーディオの最先端の場であったはずだ、ということ。

ここのところが名曲喫茶とは違う、と思う。
名曲喫茶、いわゆるクラシック喫茶も東京には、そのころいくつもあった。
名曲喫茶の全盛時代は、ジャズ喫茶のそれよりも以前のことだろう。

名曲喫茶は、クラシックとオーディオの最先端の場であったことはあるのだろうか。

最先端の場であることが絶対的なことだとはいわないが、
この点が、ジャズ喫茶と名曲喫茶の決定的な違いであったように感じている。

もっともどちらの全盛時代も肌で知っているわけではないから、
あくまでも想像で書いているにすぎないのだが、間違ってはいないと思う。

いまも東京にはいくつものジャズ喫茶がある。
古くからやっているジャズ喫茶も、比較的新しいジャズ喫茶もある。

でも、いまのジャズ喫茶が、ジャズとオーディオの最先端の場とは感じない。
1970年代とは、時代が違う、といってしまえば、そのとおりだ。
40年も経っているのだから、最先端の場でなくなっても……、ということになるかもしれない。

何をもってして、ジャズとオーディオの最先端の場というのか。
それは言葉で語ることではなく、肌で感じるものだとも思う。