Archive for category 進歩・進化

Date: 8月 25th, 2025
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その10)

KEFには勢いがある。
このことに同意される人もいれば、そんなことはない、と否定すら人もいる。

否定する人の中には、
KEFのスピーカーシステムを強く推すオーディオ評論家がいないことを指摘する人がいるかもしれない。

確かにいない。
そこそこの評価をしている人はいても、強く推している人はいない。

ここが、いまのKEFの勢いのすごいところだ、と私は思っている。
つまりオーディオ評論家の評価とはほぼ関係なく売れている、といえる。

これをオーディオ評論家、オーディオ雑誌の編集者は、どう受け止めているのか。
危機感を感じているのか、そうでないのか。

影響力の低下。
そんなふうに受け止めているオーディオ評論家、編集者はいるのだろうか。

Date: 8月 24th, 2025
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その9)

来年の秋で、「五味オーディオ教室」で出逢って50年になる。
この五十年間で、ずっと続いているメーカー、新しく誕生したメーカー、消えていったメーカーが、当然ある。

勢いのあったメーカーもあるし、旬といえる時期を迎えていたメーカーもある。
そんな移り変りを見てきて、いま、勢いのあるメーカーはどこだろうか、と思うと、
その答は人によって違ってくるのはわかった上で、KEFではないか、という気がしている。

KEFのショールームは以前有楽町にあった。
ビルの建替えのため、いま青山に移転している。

その青山にあるKEFギャラリーを見ると、売れているんだろな、と思う。

オーディオ雑誌ではKEFよりも高く評価されるスピーカーシステムはけっこうあるし、
低い評価を受けているとは言わないものの、ステレオサウンドでの扱いは、ちょっと素っ気ないな、と感じたりもする。

そんなオーディオ雑誌の扱いは、あまり影響していないのかもしれない。
もっと別のところでの評価があるのか。

不動産に詳しいわけではないが、青山のギャラリーの開設費用、月々の維持費は、
私が想像しているよりもかかっているのではないか。

あの場所で、あの規模を維持しているということは、KEFのスピーカーが売れているから。それ以外の理由はないはず。

1980年代、BOSEのスピーカーは本当に売れていた。同じような感じで、KEFもそうなのだろうか。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その12)

変換効率の高いスピーカーと変換効率の低いスピーカー。
以前書いているように、
現在と昔とでは、この高い(低い)の値が変化している。

私がオーディオに興味をもったころ(1970年代後半)は、
90dB/W/m前半の出力音圧レベルは、どちらかというと低いという感覚だった。

95dB/W/mあたりを超えたころから高い、というよりも低くない、という感じであって、
高いというのは最低でも98dB/W/m、100dB/W/mを超えると文句無しに高い──、
そういうものだった。

それがいまでは10dBほど低いところで、高い低いが語られている。
85dB/W/m程度で、高いといわれる。

しかも私より上の世代のオーディオ評論家が、
そんな感覚で、高い(低い)といっているのをみると、
この人たちの感覚も世の中の変化につれて変ってきていて、
そのことを自覚しているのだろうか、とつい思ってしまう。

別項「Mark Levinsonというブランドの特異性(その56)」で触れているFさんは、
いまから十年ほど前に、マーク・レヴィンソンとメールのやりとりをされていたそうだ。

レヴィンソンからのメールに、こうあった、とのこと。
     *
Personally, I have gotten tired of systems based on very inefficient speakers which need big power amps.
     *
訳す必要はないだろう。
レヴィンソンも、齢を重ねて、そうなったか。
マーク・レヴィンソンが主宰するダニエル・ヘルツのスピーカーのM1の変換効率は、
確かに高い。カタログには100dB/W/mとある。

マーク・レヴィンソンも、いわゆるダルな音にうんざりしているのだろうか。

Date: 2月 11th, 2021
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その8)

旬があったメーカーとそうでないメーカーとの違いは何だろうか、
とその理由を考えると、リーダーがいる・いないの違いもあるのではないだろうか。

別項でも引用しているが、ここでもう一度引用しておきたいのが、
スイングジャーナルの1980年3月号に掲載された、
「質の時代に入るか! オーディオ界」という菅野先生と瀬川先生の対談である。
     *
瀬川 また、話しは前後してしまいますが、こうした技術とセンスのバランスがあたり前のような世の中になっても、まだ聴いても測定しても相当おかしなスピーカーが新製品として平気で出てくること自体が分らない(笑)。
菅野 それは、何と言っても組織のもたらす影響が大きいんですよ。組織がなければ、現代企業の発展はないのだけれど、起業、組織といったものは必ずしもプラスばかりに働かない。特に、こうしたオーディオ機器と作るというものは、非常に組織化しにくいものなんですね。特に編集部なんぞは管理しきれない(笑)。
     *
瀬川先生が生きておられたら、
598スピーカーが新製品として平気で出てくること自体が分からない──、
そういわれたように思っている。

598スピーカーという消耗戦が続いたのは、
菅野先生がいわれるように組織がもたらす影響が大きいのであろう。

マネージャー(管理者)はいても、
リーダー(統率者、指揮者)はいなかったからなのだろう。

優秀なマネージャーがいるメーカーは、勢いのある時期を迎えることはできるだろうし、
その勢いをけっこうな期間維持もできるかもしれない。

でも、それは旬といえる期間ではない。
旬を迎えることのできるメーカーには、しっかりとしたリーダーがいるはずだ。

メーカーだけではない、
ステレオサウンドというオーディオ雑誌にも、旬といえる期間はあった。
けれど、それは編集部にリーダーがいたからとは思っていない。
その時のリーダーは、編集部にはいなかった。
別にいた。

Date: 2月 6th, 2021
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その7)

食べ物ならば、旬の食材はひときわおいしくなる。

その観点からの598スピーカーの音は、どうだったろうか。
1980年代の598スピーカーは、ほとんど聴いている。
ステレオサウンドの試聴室で聴いている。

コスト度外視といえるほど、物量を投入したスピーカーばかりである。
けれど、そんなスピーカーから出てくる音をおいしく感じたのかといえば、
はっきりとノーである。

井上先生がきちんと鳴らされた598スピーカーの音は、
感心するような音を出してくれることもあった。

それでもアンプは、CDプレーヤーは、
価格的にアンバランスになってくるし、
使いこなしのテクニックは、多くの人が考えるよりもずっと要求される。

598スピーカーを買う人たちのほとんどが、そういう鳴らし方はできなかったはずだ。
しかも、それでもおいしいと感じる音ではなかった。

あくまでも感心する、といった程度だった。
だから、598スピーカーは、オンキヨーだけでなく、
どのメーカーであっても、旬とは到底いえなかった。

旬のものは売れる。
598スピーカーも売れた。
だから598スピーカーは旬であった──、
そういう会社・人も出てくるかもしれない。

そういう捉え方もしたとしても、
598スピーカーでおいしいと感じる音を出したモノがあったのか、と、
その人たちに問いたくなる。

Date: 2月 2nd, 2021
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その6)

勢いがあった、ということでは、
1980年代の国産メーカーの598スピーカーも、ある意味そういえる。

この598スピーカーのはしりといえるオンキョーは、この時、旬だったのか。
少なくとも私はそんなふうにはまったく感じていなかった。

いまふりかえってみてもそうではない、と思っている。

なぜそう感じるのかは、これから考えていくのだが、
ひとついえるのは、598スピーカーを、
どこも自信作として誇っていなかったからではないのか。

他社の598スピーカーが、これだけの物量を投入しているから、
ウチは……、そんな空気があったから、598戦争といわれていた。

消耗戦でもあった。
なので、そこでの勢いは、ほかの時代の、ほかのメーカーの勢いとは違っている。

Date: 5月 4th, 2020
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その11)

長島先生が、どんな音を求められていて、
どんな音をダルな音と表現されていたかは、
ステレオサウンドをずっと読んできている人ならば、
きちんと読んできた人ならば、
長島先生の音を聴いたことがなくとも理解されているはずだ。

そうはいっても長島先生が亡くなられて二十年以上が経つ。
ならばステレオサウンド 127号の「レコード演奏家訪問」だけでも、読んでほしい。

127号のバックナンバーを手に入れるのは難しいだろう。
けれど、幸いなことに「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」がある。

長島先生の回もおさめられている。
長島先生と菅野先生の会話を読めば、
ダルな音が、どんな音かはすぐに理解できるはずだ。

冒頭のところだけ引用しておこう。
     *
菅野 とにかく技術畑の出身で、テクノロジーを、ある意味ではプライオリティにしてこられた長島さんだと思ってきたわけですが、およそ技術畑の人の音のイメージじゃないんです。この激しく奔放で強烈なインパクトがあって、しかもデリカシーもあるという音はね。
長島 これでもテクノロジーはプライオリティにしているつもりなんですよ(笑)。
菅野 でも、この音は、そんなものはクソ食らえ! っていう印象を与えますよ。非常にエネルギッシュな音の出方。音色の変化の鮮やかさ。血湧き肉躍るような、生命感にあふれる生々しい音楽の躍動感。そのなかに長島さんが没頭して音楽に酔いしれる姿を僕は傍らでみていて、いつもの長島さんじゃないような気がしたんだ。ここまであなたが感情移入をして音楽を聴かれるとは思っていなかった。
長島 僕はね、きれいな音を出すこともだいじだけれども、音は、まず、生きていなければならないと、いつも考えているわけです。どれほどの美音でも、生きていない音は絶対に嫌だ。聴いていると体調がわるくなってくるんです。
     *
こうやって書き写していると、もっともっと書き写したくなる。
このあとに、ワインの澱を例にした話も出てくる。

「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
スミ・ラジ・グラップについても語られている。

長島先生の音と真逆な音が、ダルな音である。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その10)

その9)で、変換効率の高さのために物量を投入する、
という、いにしえのスピーカーにわくわくする、と書いている。

この「わくわく」は、スピーカーユニットをモノとして見てのわくわくである。
けれど、これらのユニットが聴かせる音も、また「わくわく」であることが多い。

多いと、つい書いてしまったが、あくまでも個人的にそう感じることが多い、ということであって、
他の人がどうなのかまでは知らない。

長島先生は、よく「ダルな音」という表現を、
変換効率を犠牲にして諸特性を追求したスピーカーの音に使われていた。

微細な領域での音色のわずかな変化。
これがきちんと出る(出せる)スピーカーとそうでないスピーカーとがあって、
後者のスピーカーの音は、いわゆるダルい。

山中先生も、ダルという表現は使われていた。
長島先生も山中先生も、変換効率の高いスピーカーを愛用されてきた。

この「ダルい音」は確かにある。
気配を感じにくい音ともいえるし、
音像のリアリティに欠ける音ともいえる。

私はマーラーの交響曲を、バーンスタインの演奏でよく聴く。
またか、といわれそうだが、
1980年代にさんざんステレオサウンドの試聴室で聴いたインバル指揮のマーラーを、
私は聴きたいとはまったく思わない男だ。

その後、インバルはレーベルをかわってマーラーを再録音している。
そちらのほうは聴いていないので、
私がここでいうところのインバルのマーラーは、
1980年代、デンオン・レーベルから出た一連の録音のことを指す。

バーンスタインがドイツ・グラモフォンで再録音したマーラーと、
インバルがデンオンで録音したマーラーの違い、
共通する違いを変換効率の高いスピーカーとそうでないスピーカーの音に感じる。

私にとっては、インバルのマーラーもダルい。
ダルな演奏である。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 進歩・進化

検電ドライバーのこと

一本あれば便利なのが検電ドライバー。
なくても他のモノで代用できたりするので、
以前使っていたのが使えなくなってしまってから、ずっとそのままだった。

他のモノを注文したときに、検電ドライバーも加えた。
その時知ったのだが、いまや検電ドライバーもLED化されている。

私が知っている検電ドライバーはネオン管採用だから、電池は不要。
ネオン管の寿命がそのまま検電ドライバーの寿命だった。

ネオン管式は電池もいらない。
LED式の検電ドライバーは、電池を必要とする。

電池の残量が無くなれば使えなくなる。
電池要らずが検電ドライバーの特徴でもあったはずなのに……、
と思ってしまうのだが、ネオン管の光り方が足りない、ということから生れたようだ。

ネオン管の光り方が足りない、と感じたことはこれまで一度もないが、
そう感じる人がいるのは事実のようだ。

検電ドライバーの仕組みからいっても、使う人によってネオン管の光り方には多少の差が生じよう。
でも点いているかのかどうかわからないほどではない、と思っていた。

LED式はネオン管式よりもかなり明るいようである。
それでもLED式の検電ドライバーは、進歩とは思えない。

それまで不要だった電池が必要とすること、
使えなくなった電池は廃棄する必要があること、
むしろ退歩しているように感じる。

Date: 10月 3rd, 2018
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その5)

オーディオメーカーの旬ということを考えるようになったのは、
フランスのオーディオメーカー、マイクロメガの1990年代前半の製品を見て聴いて感じたことだった。

そのころのモデルの後継機種は存在しないが、マイクロメガは、いまでは輸入されていないが、いまも活動している。

あのころはMicroAmpというパワーアンプが、特に印象に残っている。
片手で持てるサイズで、A級動作。
リアパネルいっぱいにヒートシンクのフィンが伸びていた。

筐体の奥行きの1/3くらいはヒートシンクのような感じさえ受けた。
形状は違うものの、なんとなくマークレビンソンのML2のミニサイズのようにも感じた。

MicroAmpと同寸法の筐体で、コントロールアンプ、D/Aコンバーター、CDトランスポートもあった。
MicroAmpのヒートシンクは後に飛び出ているかっこうだから、
すべてを積み重ねても放熱に影響はしなかった。

このシリーズに触って、音を聴いて、
「旬なんだなぁ、このメーカーは」ということを思っていた。
それまでは旬ということについて考えることはなかった。
それから、いくつかのメーカーの旬について、ふり返ってみるようになった。

たとえばマークレビンソン。
LNP2、JC2によって、登場時から話題になっていた。
LEMOコネクターを採用したLタイプ、それから初のパワーアンプのML2、
ハートレー、QUAD、デッカを組み合わせた大がかりなシステムHQD、
JC2(ML1)をモノーラル化したML6、
それまでのモジュール構成を一変したML7とそのモノーラルヴァージョンのML6A、
ここまでマークレビンソンの勢いは続いていた。

でも、そのころは、勢いがある、と感じていたが、
旬というふうには感じていなかった。

Date: 10月 1st, 2018
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その4)

オーディオに興味をもって40年以上。
いろんなオーディオメーカーの旬があった、と感じている。

私がオーディオに興味をもったのは1976年の秋以降。
それ以前のことももちろん知っていて、旬といえそうなところがわからないわけではないが、
やはり自分で感じてきた旬に絞って書いていきたい。

その1)でヤマハの旬について少しだけ触れている。
そのヤマハから少し遅れて旬を迎えたのは、サンスイだろう。

プリメインアンプのAU607、AU707、
それに続く上級機としてダイヤモンド差動回路を採用したAU-D907、
その技術を607と707にも採用して、AU-D607、AU-D707を出してきた。
さらにAU-D907の細部から磁気歪を取り除くために、
銅メッキを細部にまで施したAU-D907 Limited、
このころはまさにサンスイの旬といえる。

しかもサンスイ(山水電気)は、JBLの輸入元でもあった。
4343を筆頭に4300シリーズのスタジオモニターはヒットしていたし、
それ以外のJBLも売れていた。

サンスイの旬はそう長くは続かなかった(少なくとも私はそう感じている)。
プリメインアンプのD607、D707、D907は、
その後も改良が加えられて、いわゆるロングセラーモデルといわれるようになったが、
型番末尾にFがついてからの、このシリーズは、変ってしまった、と感じた。

いっそのこと新しい型番と新しいパネルフェイスを与えていれば、
見方も変ったのに、なぜか頑なに変えようとはしなかった。

それでも中身は、そして音は変っていっていた。
JBLも山水電気からハーマンインターナショナルへと移っていった。

山水電気はCIへと走る。
ルイジ・コラーニによるデザインのロゴマーク。
これに支払った、といわれる金額について具体的な数字をきいている。
驚く金額だった。

それだけの予算を、開発にまわしていれば……、
と山水電気に勤めていた人は思っていたのではないだろうか。
部外者の私だって、そう思った。

コントロールアンプのC2301、パワーアンプのB2301など、
力作をサンスイは出してきた。
それでも、二度と旬を取り戻すことはできなかった。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(余談)

ステレオサウンド 207号のスピーカーの試聴記を見ていて、
異和感をおぼえたのは能率に関することである。

いまでは90dB/W/mを超えるスピーカーの方が少数である。
その中にあって90数dBのスピーカーシステムは、相対的に能率が高い、ということになる。

まあ、でも傅信幸氏、三浦孝仁氏が、
90数dB/W/m程度のスピーカーを、能率が高い、というふうに書かれているのをみると、
異和感をおぼえる。

傅信幸氏は私よりひとまわり上、
三浦孝仁氏はひとつくらい上のはずで、いわば同世代。

93dB/W/m程度でも、最近のスピーカーは能率が低くなった、といわれていた時代を過している。
100dB/W/mの高能率のスピーカーの音も聴いている。

93dB/W/mは変換効率でいえば、1%である。
93dB/W/mより低い値のスピーカーは、いつの時代であっても能率が低いわけで、
たかだか1%の変換効率のスピーカーを、高能率だというのは、
周りの音圧レベルが低くなっているとはいえ、それでいいのか、と思う。

傅信幸氏、三浦孝仁氏が20代、30代というのなら、わかる。
90dBを切るスピーカーが多数になっていた時代にオーディオに興味をもっているのだから。

なぜ、そこに合せるのか、という疑問が、異和感につながっていく。
50代も60代もいい大人なんだから──、と思う次第だ。

Date: 12月 8th, 2017
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その9)

スピーカー単体での変換効率は、圧倒的に昔の方が高かった。

アンプも真空管の時代でも、出力は、時代とともに増していった。
マッキントッシュのMC3500は350Wの出力をもつ管球式アンプである。

時代は、真空管からトランジスターへの増幅素子の移行があり、
同じ出力であれば真空管よりもトランジスターを採用した方が、アンプそのもののサイズは小さくなる。

さらに増幅方式がA級動作からB級動作、そしてD級動作となれば、
アンプの効率が高くなっていく。
そうなればアンプのサイズはますます小さくなる。

しかもA級アンプは効率が悪い、ということは、
効率の悪いスピーカー同様、熱を大量に発する。

効率の良いD級アンプは発熱も少ない。
A級アンプに不可欠だった大型ヒートシンクは、
D級アンプには不要になってくる。サイズはさらに小さく、軽くできる。

電源もスイッチング方式が増えてきている。
効率のよい電源方式である。

増幅部も電源部も効率が飛躍的に向上している。
D級動作+スイッチング電源のアンプは、小さく軽い。

こうなってくると、スピーカーの変換効率ではなく、
パワーアンプを含めた変換効率を考えると、
スピーカーの変換効率の悪さを、変換効率の高いアンプでカバーする、
いまの方が高いといえるのではないか──、そう考えることもできる。

それにウェスターン・エレクトリックのユニットは励磁型が多かった。
そうなるとユニット用に電源が必要となる。

ユニットもずしりと重かった。
アンプも出力は低くとも大きく重かった。
スピーカーユニット用の電源も同じだった。

どれだけの物慮を投入しての変換効率の高さなのか。
そのことに対しあきれもするが、わくわくもする。

つまりそれだけの物量を、変換効率の高さのために投入していた。
まさに集中のアプローチである。

Date: 12月 8th, 2017
Cate: 進歩・進化

拡張と集中(その8)

90dB/W/mでも高能率スピーカーといわれるようになった時代しか知らない世代、
100dB/W/mあたりから高能率スピーカーといっていた時代を知っている世代。

その差は10dBである。
この10dBの差を、非常に大きいと感じる世代に、私は属している。

喫茶茶会記のスピーカーはアルテックを中心としたシステム。
測定したわけではないが、97dBほどか、と思う。
現在市販されているスピーカーと比較すれば、圧倒的に高能率といえる数字であっても、
鳴らした感触からいっても100dBを超えているとはいえないスピーカーである。

ウーファーの416-8Cの能率がいちばん低いから、ここがシステムの数字となる。
ドライバーは100dBを超えている。
トゥイーターのJBLの075は、もう少し高い数字である。

ホーン型だから、高能率はいわば当然といえるし、
それでもウェスターン・エレクトリックのドライバーからすると、低い数字でもある。

無声映画からトーキーへと、なった時代、
アンプの出力はわずか数Wだった。
そのわずかな出力でも、映画館いっぱいに観客に満足のいく音を届けなければならない。

そのために必要なことは、スピーカーの徹底した高能率化である。
他のことは犠牲にしてでも、まず変換効率をあげること。
そこに集中しての開発だった。

いまのスピーカー開発が拡張というアプローチをとっているのに対し、
古のスピーカー開発は集中というアプローチをとっていた。

Date: 12月 29th, 2016
Cate: 進歩・進化

メーカーとしての旬(その3)

2017年は、iPhone登場10周年にあたる。
日本でiPhoneが売られる(使える)ようになったのは、iPhone 3Gからである。

すぐにでもiPhoneにしたかったけれど、しなかったのは、
扱っていたのがソフトバンクだったからだ。

それでも何度か乗り換えようか、と考えた。
iPhone 4が出たときは、かなり心が動いたけれど、それでもしなかった。
ソフトバンクが嫌だった、という気持が、
iPhoneを使いたい、という気持よりも強かったからだ。

2011年秋登場のiPhone 4Sから、auも扱うようになった。
やっとiPhoneに機種変更できる、いままで我慢してきてよかった、と思った。

それまでの携帯電話(いわゆるガラケー)とは、まるで異っていた。
同じiOSのiPadは2010年から使っていたが、これともiPhoneは違う。

もっと早くiPhoneにしておけば……、という気持を、
その時まったく感じなかったわけではないが、我慢してきてよかった、とも思っていた。

iPhone 4Sを手に入れた日(発売初日に買った)は、
ブログを書くことも忘れて触っていた。
何時間触っていただろうか、ブログを書かなければ……、ということで触るのをやめたほどだ。

初めてiPhoneを手にしたときの感じたものに比べれば、
その後登場した新しいiPhoneに触れたときに感じたものは、小さいし少ない、といえる。

それまでのガラケーからiPhoneへの変化と、
古いiPhoneから新しいiPhoneへの変化は同じには、当然だが感じるわけではない。

だからといってiPhoneの旬が終っている、とは私は思っていない。
10年前のiPhone登場のころといまとでは、
iPhoneをとりまく環境も大きく変化している。

この変化が、iPhoneの在り方を変化させていてもいるわけで、
2007年のiPhoneが、iPhone単体の環境であったのに対し、
いまのiPhoneは、iPhoneをハブとする環境へ変化している。

iPhone単体だけを見て、あれこれいう時代は終っているのだ。