Date: 5月 4th, 2020
Cate: 進歩・進化
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拡張と集中(その11)

長島先生が、どんな音を求められていて、
どんな音をダルな音と表現されていたかは、
ステレオサウンドをずっと読んできている人ならば、
きちんと読んできた人ならば、
長島先生の音を聴いたことがなくとも理解されているはずだ。

そうはいっても長島先生が亡くなられて二十年以上が経つ。
ならばステレオサウンド 127号の「レコード演奏家訪問」だけでも、読んでほしい。

127号のバックナンバーを手に入れるのは難しいだろう。
けれど、幸いなことに「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」がある。

長島先生の回もおさめられている。
長島先生と菅野先生の会話を読めば、
ダルな音が、どんな音かはすぐに理解できるはずだ。

冒頭のところだけ引用しておこう。
     *
菅野 とにかく技術畑の出身で、テクノロジーを、ある意味ではプライオリティにしてこられた長島さんだと思ってきたわけですが、およそ技術畑の人の音のイメージじゃないんです。この激しく奔放で強烈なインパクトがあって、しかもデリカシーもあるという音はね。
長島 これでもテクノロジーはプライオリティにしているつもりなんですよ(笑)。
菅野 でも、この音は、そんなものはクソ食らえ! っていう印象を与えますよ。非常にエネルギッシュな音の出方。音色の変化の鮮やかさ。血湧き肉躍るような、生命感にあふれる生々しい音楽の躍動感。そのなかに長島さんが没頭して音楽に酔いしれる姿を僕は傍らでみていて、いつもの長島さんじゃないような気がしたんだ。ここまであなたが感情移入をして音楽を聴かれるとは思っていなかった。
長島 僕はね、きれいな音を出すこともだいじだけれども、音は、まず、生きていなければならないと、いつも考えているわけです。どれほどの美音でも、生きていない音は絶対に嫌だ。聴いていると体調がわるくなってくるんです。

こうやって書き写していると、もっともっと書き写したくなる。
このあとに、ワインの澱を例にした話も出てくる。

「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
スミ・ラジ・グラップについても語られている。

長島先生の音と真逆な音が、ダルな音である。

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