Archive for category 夢物語

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その4)

和室。
二十畳、三十畳といった広い和室ではなくて、
こたつがよく似合うくらいの広さの和室。
十畳か、それよりも少し広いくらいの和室。

私にとって重要なのは和室自体の広さよりも、床の間があるかないかだ。
しっかりした床の間がある和室。

その床の間にスピーカーを置く。
ここは、もうパラゴンしかない、といいたいくらいに、
和室でパラゴンは、若い頃からしていた妄想だ。

そこにこたつ。あとは座いす。
そういう環境なのだから、アンプにあまり大袈裟なモノは使いたくない。
こたつに入って聴くのだから、冬は真空管アンプがいい。

こんなことをながいこと想像していた。
寒い季節になると、こういう世界こそいいなぁ〜、としみじみ思うわけだけど、
実現することは、たぶんないだろうし、
この世界だけで満足できるわけでもないことはわかっている。

わかっているからこそ、すごく憧れてもいる。

その2)で、一兆円という夢のような金額が与えられたとして、
ありとあらゆるオーディオに関しての贅沢を尽くしたすえに、
和室にパラゴンが残れば、とても幸せじゃないか、と思う。

やりたいことをすべてやって、最後にしたいことは──、
私の答は、こういうところに落ち着く。

Date: 12月 4th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その3)

二十数年前、自転車熱がすごく熱くなった。
自転車の雑誌もすべて買っていた。
といっても、そのころはそれほど雑誌の数は多くなかった。

秋に開催される自転車のショウにも行っていた。
そのころは、あれこれ妄想していた。

宝くじに当ったら、どの自転車を買うか。
自転車のフレームの素材は、鉄がありアルミがあり、チタン、カーボンとある。

それぞれの良さがあるわけだが、同じブランドで、それぞれの素材のフレームに乗ってみる。
これが、いちばんフレームの素材の違いを確認できるのだが、
そのころの自転車の雑誌で、それをやったところはない。

実際のところどうなのだろうか。
宝くじに当たれば、自分でやれる──、そんなことをおもっていた。

それだけでなく買いたいフレーム、パーツはいくつもある。
ロードバイクだけでなく、一台くらいはマウンテンバイクも欲しい、
それにロードバイク、マウンテンバイクにしても日常の足として乗るのには、
あまり適さないから、そういう自転車としてアレックス・モールトンも欲しい──、
こんなことを考えている(妄想している)と、ふと我にかえって、
どんなにお金があって、欲しい自転車をすべて買ったところで、
実際に乗れる自転車は、一度に一台である。

少し冷静になってみると、お金がどんなに余っていたとしても、
ロードバイクが二台、マウンテンバイクが一台、アレックス・モールトンが一台、
計四台の自転車があれば、それ以上何を欲するのか。

妄想を思いっきり拡げた後に、冷静になってみる。
いまは12月。すっかり冬である。

冬といえば、やっぱりこたつ。
和室にこたつがあれば──、私はそうおもう。

いま住んでいるところは和室ではないから、こたつはない。
こたつなんて、あんなださいもの──、という知人がいた。

彼はこたつに入ったことがないらしい。
そういう人は、こたつの良さはわからないだろう。

それで何がいいたいかというと、こたつである。
和室である。
そしてオーディオである。

この三つが揃っていれば──、そんなことをおもっている。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その2)

いまや億を超える金額であっても、
オーディオに限っても夢のような金額とはいえなくなりつつある。

ならば十億円、百億円、さらには一兆円と考えてみる。
一兆円ほどあれば、世界中、好きな場所に望むままの家を建てられるし、
リスニングルームもいくつもも持てる。

オーディオ機器に関しても、気に入ったブランドを買収して──、
そんなことまで可能になる。

それにホールを建てて、オーケストラを自前でもち、
それこそ、そこで原音再生に取り組むことだってやれる。

一兆円という数字は、無尽蔵に思えるし、実際にそうであろう。
世の中には一兆円でも現実的な数字でしかない、という人もいるだろうが、
一兆円を生きているうちにすべて使い切ることを想像してみれば、
その金額の途方のなさを、少しは実感できようというものだ。

そうやって想像(妄想)のかぎりを考えていく。
そんなばかげたことをまじめに考えていくことで、
それではやりたいことをすべてやって、最後にしたいことは──、
この問いが残るのではないのか。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その1)

瀬川先生が、ステレオサウンド別冊のHIGH TECHNIC SERIESの最初の号、
マルチアンプの号で書かれている。
     *
■思いがけない小遣いが入った。あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、レコード店に入るか、それともオーディオ装置の改良にそれを使うか……
 実は、この設問には答えていただく必要は少しもないのだが、仮にもしあなたが、「むろん装置の改良に使う」とためらいなく答えたとすれば、もしかするとあなたは、マルチアンプはやらない方がいいタイプかもしれない。
 ……などというのは半分は冗談で、ほんとうに言いたいのは、実は次のようなことがらだ。
     *
当時、学生だった私は、けっこう真面目にこの設問について考えていた。
学生だったから、思いがけない小遣いも、いくらに設定しようか、そこから考えていた。

この設問は、いくつになっても考えるのは、けっこう楽しい。
大人になれば、思いがけない小遣いの金額も学生だった頃からは違ってくるし、
同じ金額であったとしても、答は違ってくる。

私は、この設問のために、ときどき宝くじを買う。
当るとはまったく思っていない。
買うのは、月に一回程度で、ナンバーズかロト6のどちらか。
しかも一口しか買わないから、一年間の出費も二千円ほど。

なぜ買うのかといえば、ナンバーズにしてもロト6しても、
一致した数字の数によって当籤金が違う。
この具体的な数字が、あれこれ想像するうえで大事だからだ。

このくらい当籤していたら──、
そんなことを想像するためだけに買っているといえる。
なので想像する期間を長く楽しむために、結果をすぐに調べたりはしない。

宝くじの当籤金もいまでは数億円になっている。
けれど、その数億円が当籤したとして、それは思いがけない小遣いではあるが、
それだけでどれだけのことがやられるのだろうか、と現実的にもなる。

たとえばきちんとしたリスニングルームを、と想像する。
広さは? 造りは? そんな具体的な考え、費用はどのくらいかかるのか。
それから欲しいと思うオーディオ機器をすべて揃えるとしよう。

たとえばマジコのM9が欲しい、という人もいる。
けれどM9だけで一億円である。これに見合う機器を揃えたら、
そしてM9の大きさと重量にたえられるだけの部屋ということ、
それらの維持費などを積み重ねていくと、数億円はあっというまになくなる。

Date: 7月 3rd, 2022
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その6)

モノーラル音源からの完全な、
それぞれの楽器の音の分離が可能になったとして、
いずれ将来的にはすべての処理がデジタル信号処理で行われるはずだが、
そこまでの過渡期として、一時的には、一度アナログに変換して、
それぞれの楽器の音をスピーカーから鳴らして、
それらの集合音をマイクロフォンでとらえるということが行われるように考えている。

完全な分離が可能になっとしても、それぞれの楽器の音はモノーラルなのだから、
つまりは点音源といえる。
その点音源の楽器の音を、オーケストラの位置に配置したところで、
そのままではモノーラル音源の集合体で、そこには楽器のハーモニーは存在しない。

技術が進歩すれば、モノーラル音源の各楽器の音からも、
複数のヴァイオリンやヴィオラ、チェロが鳴っているようにできるだろう。

けれど、そこまでは道のりがどの程度かかるのか。
意外に早いのかもしれないし、かなり時間を必要とするのかもしれない。

ならば各楽器の音を分離できた時点で、
スピーカーの集合体というオーケストラを組み、
それぞれの楽器の位置に配置されたスピーカーから、割り当てられた楽器の音を鳴らす。

それをもう一度マイクロフォンでとらえる。
元の録音がなされた同じホールでの収録がいいのか、それとも別の音響特性のところがいいのか。
ふつうに考えれば、同じホールでやるのがいいと思われる。

スピーカーにどんなモデルを使うのか。
楽器によってスピーカーを変えた方がいいのか。
それから楽器ごとのスピーカーの数はどうするのか。
かなりの試行錯誤が求められるだろうが、うまくいけば……、と思っている。

一度録音した音源を、スピーカーから再生してもう一度録音するという手法は、
以前からあるものだ。

ある有名なジャズのライヴ録音はモノーラルで収録されているけれど、
複数のスピーカーから再生して、その音を収録することで、
モノーラル録音だとは思われていない例があるし、
別項で書いているパヴァロッティの映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」では、
同じような手法がとられている。

スピーカーの数を増やすのか、マイクロフォンの数を増やすのか、
両方の数の兼合いのうまいところが見つかれば──、
そんなことを考えるのはけっこう楽しいものだ。

Date: 7月 2nd, 2022
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その5)

音の分離技術は、日々進歩しているようだ。
たとえば市販されているCDからヴォーカルだけを検出する、
もしくはヴォーカルだけ削除する、ということが現実のものとなっている。

しかも検出の精度がどんどん高くなっている。
ということは、モノーラル音源をステレオにすることが現実味を帯びてきたことでもある。

それもモノーラルで録音されたオーケストラであっても、
ステレオに分離できるように、そう遠くない将来可能になるような気がしている。

モノーラル音源から、それぞれの楽器の音を検出し分離していく。
第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス……、
というふうにである。

オーケストラのすべての楽器の音を分離できたら、
録音された状況と同じ配置に、それぞれの音を配置していく。
そして合成することで、モノーラル音源をステレオに分離することは、
理屈の上では可能のはずだ。

正確な音の分離には、そうとうな時間と手間が必要となるだろうし、
それぞれの楽器の音源の配置にも、そうとう慎重に行う必要があるはずだ。

その際に録音現場の残響をどう処理するのか。
実際に行おうとすると、次々に細かな問題が出てきて、
それを処理していくだけでも大変なことになると思う。

それでもいまのデジタル信号処理による音の分離は、
少なくともそういう夢を見させてくれるだけのレベルに達してきている。

モノーラルからステレオへの技術の実現は、
意外にも早く訪れるのかもしれない。

Date: 12月 1st, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その4)

さきほどメールをチェックしたら、
mora qualitas お知らせ」というタイトルのメールが届いていた。

2022年3月29日23時59分で、mora qualitasサービス終了である。
2019年10月にサービス開始だったから三年もたずに徹底である。

悲しい……、という声もあろうが、私はむしろ喜んでいる。
2022年4月からTIDALの日本でのサービス開始か、と勝手に妄想して喜んでいる。

今年の夏以降、ソニー音源のMQAがTIDALで聴けるようになった。
かなりのタイトルがMQA Studioで聴ける。

クラシック、ジャズ、洋楽だけではなく、J-Pop、歌謡曲もTIDALでMQA Studioで聴ける。
しかも8月にはTIDALのウェブサイトに日本語ページが登場した。

あいかわらず日本からの登録はいまのところできないが、
日本でのサービス開始が近づいていることだけは確かだ、と思っている。

いつ始まっても不思議ではない。
いつになるのか。
12月からなのか、来年早々なのか。
そんなことを期待していたところに、mora qualitasサービス終了である。

mora qualitasはTIDALとかぶってしまう。
ソニーがTIDALの日本でのサービス開始に関るとなると、
mora qualitasの扱いをどうするのか。

サービス終了しかない。

Date: 8月 28th, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その3)

twitterをみていたら、
QUJILA(くじら)、エピック・ソニー時代の全アルバム配信が今日から開始、
というツイートがあった。

QUJILAというグループを知らない。
ただエピック・ソニーのところにだけ反応しただけであって、
ならばTIDALにもあるのかな、と思ったところ、MQA Studioで配信されていた。

早い。
この早さは、どういうことなのだろうか。

近いうちに、なにか発表があるのだろうか。

Date: 8月 13th, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その2)

三日前に書いた時は、私の妄想でしかないのだから、
タイトルに戯言とつけたし、続きを書くことはない、と思っていた。

ソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのTIDALへのMQA音源の提供は、
いまも活発すぎるほどである。

関心はどうしてもクラシックがいちばんで、次にジャズ、ポップスとなるわけだが、
J-Pop、歌謡曲に関しても、ソニーの勢いはなかなかのものである。

五日前に、松田聖子のアルバムもMQAで聴ける、と書いているが、
さらにアルバム数は倍くらいに増えている。

ざっと見ただけなのだが、郷ひろみもかなりの数がMQAで聴けるようになっている。
南沙織もある。こちらはSaori Minamiで検索してもだめで、Cynthiaで検索すると出てくる。

J-Popも、歌手、グループ名で検索してみると、すごいことになりつつあると実感できる。

それから数は少ないが落語もMQAになっている。

日本人を対象としているラインナップの拡充とうつる。

ソニーがTIDALをほんとうに買収したとしよう。
これまでTIDALは日本では利用できなかった。

日本市場はTIDALにとっても魅力的なはずだろうが、なぜだか、なのは、
それなりの理由があってのことだろうし、それをなんとかするのには、
ソニーに買収されるのがもっとも有効な気がする。

それにソニーのウォークマンはMQAに対応している。
これでTIDALが日本に参入する。

ウォークマンを持っている人は、MQAの音をすんなり聴けるようになる。
そうなったら──、ということを、つい想像してしまう。

MQAは、オーディオマニアからではなく、そうではない人たちのあいだから広まり、
大きな流れになっていく可能性がある。

Date: 8月 10th, 2021
Cate: 夢物語

真夏の夜の戯言(その1)

またTIDALのことなのだが、
ソニーのMQAへの本気度は、ほんとうにすごい。

これをMQAで聴きたいと思っているアルバムが、
かなりの割合で登場してきている。

アルゲリッチ弾き振りのベートーヴェンとハイドンのピアノ協奏曲も、
ローザ・ポンセルの椿姫も、
それからラルキブデッリも、
ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンはすでにMQAになっていたが、
私がいちばんMQAで聴きたいブラームスの弦楽六重奏曲はまだだったのが、
さっき見たら、MQAになっていた。

クラシックだけでも追いつかないほどの勢いである。
この勢いのすごさは、もしかすると──、とあることを思ってしまう。

ソニーによるTIDALの買収である。
そんなウワサを耳にしたとか、なんらかの根拠があって書いているわけではない。

今日の午後、ふとそうおもっただけだ。

Date: 4月 1st, 2021
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その5)

四十年前の春、東京で暮すようになった。
10代のころの夢、20代のころの夢が違ってきたのは、
このこともけっこう大きく影響しているのだろう。

10代の大半は実家で、であった。
そのころは純粋に趣味としてのオーディオのことだけを考えていた時期でもあった。
高校一年ぐらいまでは、ずっと実家で暮していくものだと思っていた。

弟と妹がいる。
つまり長男である。
そうなのだが、これまで長男だ、というと、えっ、と驚かれるだけだった。
長男には、まったく見えないらしい。

でも長男なので、一時、実家を離れても戻ることを当り前のこととして捉えていた。
こんな私でも、長男だから……、という意識はもっていた。

オーディオを趣味としてやるのであれば、実家にいたほうが有利だ。
広い空間が使えるし、AC電源に関しても60Hzである。
それに田舎なので、静かだし、オーディオをとりまくノイズも少ない。

それが高校三年になる前くらいから変っていった。
思い出そうとしても、なにがきっかけだったのかははっきりとしない。

1980年の秋が深まったころには、東京に行かなければ、となぜか思うようになっていた。

Date: 3月 30th, 2021
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その4)

この項を書くために、20代のころ、
どんなオーディオの夢もしくは妄想を抱いていたのかを、
あれこれ思い出していると、
10代のころのオーディオの夢もしくは妄想とは、地続きではないことがけっこうある。

ぎりぎり18で、ステレオサウンドで働くようになったことが、
10代のそれと20代のそれとの違いに関係しているのだろうが、
それでもはっきりとどう関係しているのかまでは、自分でもわかっていない。

ただなんとなく、そう感じているだけでしかない。

それでは30代のころは、どうだったかと思い出してみる。
26の誕生日の十日ほど前にステレオサウンドを辞めて、
それからは、まぁ、いろんなことがあった。

骨折もしたし、己の怠惰さが原因ではあるが、
オーディオ機器もすべて手離したし、レコードもそうなってしまった。

そんなことが影響してだろうが、
別項で書いている「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」、
こんなことを言っていたわけで、
30代のころは、10代、20代のころの夢、妄想みたいなものは、あったのだろうか。

それでも、ひとつだけおもっていたのは、
瀬川先生の著作集をなんとか出したい、ということだった。

そんなことを思い出しながら、20代のころの夢もしくは妄想を、
もう少しふり返ってみたい。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その3)

三度目のデッカ・デコラの音だった。
三度目にして、ほんとうにじっくりと聴くことがかなった。

そしてグラシェラ・スサーナを聴くことができた。

デコラを手に入れて十数年、
一度もクラシック以外のレコードはかけたことがない──、
そのデコラの鳴らし手(使い手)は、そういわれた。

なのに、そのデコラでグラシェラ・スサーナをかけてもらった。
ずうずうしい、あつかましい、
そんなふうに思われようと、
一度でいいからデコラで、グラシェラ・スサーナの、
それもタンゴやフォルクローレといったスペイン語による歌ではなく、
日本語の歌、いわゆる昭和の歌謡曲を聴かせてもらった。

この機会を逃せば、二度とデコラでグラシェラ・スサーナの歌を聴くことはない、と思っていた。
だから(その2)を書いて公開した。
読んでくださっていることがわかっているから書いた。

おかげで聴くことができた。
いろいろおもうことがあった。

Date: 10月 10th, 2019
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その2)

デッカのデコラを初めて聴いたのは、ハタチごろだった。
ちょうどモーツァルトがかかっていた、と記憶している。

この音が欲しい、と思った。
デコラを欲しい、と思っていたのは確かだが、
それ以上に、この音が欲しい、と思っていた。

二度目のデコラは、何年後だったか。
はっきりとは記憶していない。
この時も、やはり、というか、なぜだか、というべきか、
モーツァルトがかかっていた。

デコラのことは、五味先生の文章によって知った。
そのこともあって、デコラで聴くのはクラシックだ、と、
若いころは、そんなふうに思い込もう、としていた。

ハタチのころ、デコラは私にとって夢だったのか──、
とふり返るようになった。

デコラの音は、デコラでしか聴けない。
ならばデコラが欲しい、ということになるわけで、
デコラを手に入れるのは夢であったような気もする。

そんな曖昧な書き方をするのは、
やっぱりデコラの音が欲しい(聴きたい)のか、と自問自答しているからだ。

デコラをはじめて聴いて三十年以上が経った。
モーツァルトを聴くのもいい、バッハもいいし、
どうしてもデコラではクラシックとなるだろう、と思いつつも、
もう五十を超えて六十の方が近くなっていると、
見栄とか若さ故のつっぱりとかはもうなくて、
デコラでグラシェラ・スサーナがどんなふうに鳴ってくれるのか、
一度でいいから聴きたい、と思うように変ってきている。

Date: 1月 23rd, 2019
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その1)

20代のころ、こんなことをおもっていた。
70過ぎになったら、小さい名画座を経営したい、と。

スクリーン裏のスピーカーは、トーキー時代の高能率スピーカーシステムにしたい。
シーメンスのオイロダイン、ウェスターン・エレクトリックのシステム。

アンプはもちろん真空管。
往年の名画を、その時代の音で上映する。
100名程度の映画館をもてたらなぁ〜、と、かなり無理なことを夢見ていた。

それで入場券のもぎりをやって一日を過ごす。
たまにレコードコンサートをやる。

そのころとは映画館の経営もずいぶん変ってきてしまった。
デジタル上映が一般的になってきて、名画座の経営も大変だと聞いている。

私が30年ほど前に夢見ていたことは資金があるだけでは実現困難になりつつあるのかもしれない。

それでも、今日ヤフオク!に,JBL/AMPEXのmodel 6000が出ているのを、
友人が教えてくれた。

巨大なシステムだ。
ウーファーはJBLの150-4Cが片側四発、ドライバーは375で、ホーンは業務用の蜂の巣。
ドライバーとホーンは片チャンネルあたり二組。

これがフロントホーン、バッフル付きのエンクロージュアに収められている。
Model 6000の存在は知っていたけれど、この時代に入手できるとはまったく思ってなかった。
価格はかなりの金額である。

程度は良さそうだし、問題はなさそうである。
その価格が、このシステムの適正価格といえるののかどうかは判断が難しい。
それにアメリカからの出品だから、輸送費もかなりかかるはず。

私には到底無理だが、こういうシステムをポンと買える人はいる。
そういう人の中に、このシステムで映画を上映してみようという人がいてほしい──、
と勝手なことをおもっている。

Model 6000がヤフオク!に出ているのを知って、
30年前の夢(妄想)をおもいだしていた。