20代のころの夢もしくは妄想(その2)
デッカのデコラを初めて聴いたのは、ハタチごろだった。
ちょうどモーツァルトがかかっていた、と記憶している。
この音が欲しい、と思った。
デコラを欲しい、と思っていたのは確かだが、
それ以上に、この音が欲しい、と思っていた。
二度目のデコラは、何年後だったか。
はっきりとは記憶していない。
この時も、やはり、というか、なぜだか、というべきか、
モーツァルトがかかっていた。
デコラのことは、五味先生の文章によって知った。
そのこともあって、デコラで聴くのはクラシックだ、と、
若いころは、そんなふうに思い込もう、としていた。
ハタチのころ、デコラは私にとって夢だったのか──、
とふり返るようになった。
デコラの音は、デコラでしか聴けない。
ならばデコラが欲しい、ということになるわけで、
デコラを手に入れるのは夢であったような気もする。
そんな曖昧な書き方をするのは、
やっぱりデコラの音が欲しい(聴きたい)のか、と自問自答しているからだ。
デコラをはじめて聴いて三十年以上が経った。
モーツァルトを聴くのもいい、バッハもいいし、
どうしてもデコラではクラシックとなるだろう、と思いつつも、
もう五十を超えて六十の方が近くなっていると、
見栄とか若さ故のつっぱりとかはもうなくて、
デコラでグラシェラ・スサーナがどんなふうに鳴ってくれるのか、
一度でいいから聴きたい、と思うように変ってきている。