Archive for 4月, 2022

Date: 4月 30th, 2022
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その9)

パブロ・カザルス指揮のモーツァルトはよく聴く。
モーツァルトの交響曲を誰の指揮で、いちばん多く聴いたか。

正確に数えたわけではないが、カザルスのモーツァルトをもっとも数多く聴いている。
カザルスのモーツァルトが好きである。

だからといって、カザルスのモーツァルトばかり聴いているわけではなく、
ベンジャミン・ブリテン指揮のモーツァルトもカザルスについでよく聴いている。

カルロ・マリア・ジュリーニのモーツァルトもよく聴くし、
他にも同じくらいよく聴く指揮者は何人もいる。

こんなふうに書いていくと、節操ないように思われるだろうが、
聴きたいとおもったモーツァルトは、けっして一つ二つではない。

それと同じくらい、もうこの人(指揮者)のモーツァルトはもう十分だ──、
そんなふうに思ってしまっている指揮者もいる。

昨晩、ユッカ=ペッカ・サラステのモーツァルトの交響曲集を聴いていた。
2011年に発売になっているけれど、私は昨晩初めて聴いた。

サラステという指揮者を、私は過小評価していたことに気づかされるほどに、
清新な印象のモーツァルトである。

カザルスのモーツァルトとは、かなり違う。
それでも、どちらのモーツァルトも活き活きとしている。

そつなく演奏(指揮)しているけれど……、といった感じのモーツァルトではない。
モーツァルトの魅力を、こちらの心にあらたに残る感じで、
モーツァルトの聴きなれた交響曲が鳴ってくる。

私が寡聞にして知らないだけで、
サラステのモーツァルトは高い評価を得ているのだろうか。
どうなのだろう。

Date: 4月 29th, 2022
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その17)

直列型ネットワークも、スロープ特性が6dBではなく12dBになると違ってくる。

6dB/oct.であれば、2ウェイが3ウェイになっても、
ウーファー、スコーカー、トゥイーターは直列に接続され、
それは直流的にも接続されていることになる。

ところが12dB/oct.になると、
2ウェイであってもウーファーのみが直流的に接続されていて、
トゥイーターは直流的には浮いていることになってしまう。

しかも12dB/oct.の場合、
並列式ではウーファーは、プラス側はハイカットフィルターのコイルのみを介して、
ウーファーのマイナス側はアースに接続されるわけだが、
12dB/oct.の直列式になると、ウーファーをはさむかっこうで、
ウーファーのハイカットフィルターのコイル、
トゥイーターのローカットフィルターのコイルが介在することになる。

グリッドチョーク的ケーブルを聴いての私の推論が正しければ、
直列型ネットワークは、6dB/oct.においてもっとも特長が活きてくる。

Date: 4月 29th, 2022
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカーのネットワーク)

別項「ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その13)」で、
セレッションのDitton 15のネットワークには、
トゥイーター側にたいてい挿入されるアッテネーターがないことを書いた。

アッテネーターがないのはDitton 15だけなのか。
Ditton 25やDitton 66はどうなのか。

インターネットがここまで普及していると、
ほんとうに便利になったと思う。

「ditton 66 crossover」で検索すれば、
すぐにDitton 66のネットワークの写真、回路図が見つかる。
Ditton 25に関してもそうだ。

Ditton 25にもDitton 66のネットワークにもアッテネーターはない。

いうまでもなくマルチウェイのスピーカーシステムで、
変換効率が低いのはたいていの場合ウーファーであり、
システムとして出力音圧レベルを揃えるために、
ウーファーよりも能率の高いスコーカー、トゥイーターにはアッテネーターが挿入される。

このアッテネーターをどう処理するのか。
連続可変型にするのか、固定型にするのか。
回路構成はどうするのか、どういう部品を使うのか。

それでもアッテネーターはないほうがいい。

ただこのへんはスピーカーの捉え方によっては、
ウーファーの能率にスコーカー、トゥイーターの能率を合わせて、
アッテネーターを省略するよりも、
スコーカー、トゥイーターの磁気回路をケチらずに、できるだけ高能率として、
アッテネーターで調整したほうがいい、という考え方もある。

どちらが正しい、というわけではなく、
そのスピーカーシステムの価格、ユニット構成、目指しているところなどによって、
どちらが好適なのかは違ってこよう。

Dittonシリーズを積極的に展開していったころのセレッション。
そのセレッションがDittoシリーズで目指していた音と、
アッテネーターが存在しないということは、
見落せないポイント(共通の鍵のようなもの)だと思う。

Date: 4月 28th, 2022
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(オーディオショウにて・その3)

その1)で書いている録音、
そういえばTIDALで聴けるかも──、と思って検索してみたら、あった。

2018年のインターナショナルオーディオショウでの、
とあるブースで聴いた楽章だけを聴いてみた。

やっぱりとでもいおうか、
2018年に聴いた印象とはまるで違う演奏のように聴こえる。

2018年にきいた印象は、スタティックとしかいいようがなかった。
今回TIDALで聴いて確認できたのは、
演奏直後の熱狂的な拍手が示しているように、
少なくとも熱い演奏であった。

その演奏を高く評価するかどうかは別として、
熱を帯びた演奏であり、2018年のあの日、私が抱いた違和感は間違ってなかった。

たまたま、それがライヴ録音で、最終楽章を最後まで鳴らしていたから、
聴衆の拍手の音が聴けて、そこでの音(音楽)に疑問をもったわけなのだが、
もしこれがスタジオ録音であったりしたら、どうだっただろうか。

こういう冷めた演奏もあるんだな、ぐらいに捉えていたかもしれない。

(その1)ではあえて書かなかったけれど、
このブースの音は、鳴らしていた(録音を選択していた)人が調整した、とのこと。

つまり、その人がいいと思っている録音(演奏)を、
いいと感じられる音(その人が求めている音)で鳴らしたのだろう。

だとすれば、その人は、この演奏をそういう音で聴いていて、
いいと感じたことになる。

その人の耳に、あの時の音で、あの演奏がどう響いているのかは、
他人の私にはまったくわからない。
その人の耳には、あの冷めた音で、熱狂的な演奏と聴こえているのかもしれない。

それとも私と同じように冷めた演奏と思って聴いていたのだろうか。

人の心の中はのぞけない。
その人がどんな音楽の聴き方をするのかもわからない。

なので考えても無駄なことなのだろうが、
それでも、ここでもうひとつ考えたいのは、
ナチュラルな音、自然な音という表現が使われる音について、である。

Date: 4月 28th, 2022
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その4)

ステレオの5月号の特集は、
「メーカー試聴室から学ぶ再生メソッド」である。

まだ読んでいないのが、音楽之友社のサイトによれば、
アキュフェーズ、エソテリック、日本音響エンジニアリング、
フェーズメーション、フォステクス、マランツ、ラックスマン、
これら七社の試聴室を訪問しているようだ。

表紙はフォステクスの試聴室だろう。

おそらくなのだが、どの試聴室にも窓はないように思っている。

Date: 4月 27th, 2022
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その16)

音楽信号は交流である。
直流では決してない。

ならば直流的にどう接続されているとか、
直流的にどう作用しているとかは、アンプやスピーカーの動作、
さらには音には関係してこないのではないか、と考えようと思えば考えられる。

けれどグリッドチョーク的ケーブルの音について考えていると、
そしてそこから関連してくることをも併せて考えると、
意外にも直流的にはどうなのかは、かなり重要な要素のように思えてならない。

スピーカーシステムのネットワークは並列式と直列式があるのは、
以前から書いていることで、世の中の多くのスピーカーシステムのネットワークは並列式である。

スピーカーの自作に関する本を読んでも、並列式ネットワークの設計について詳しく記述されていても、
直列式ネットワークに関しては、まったく触れられていないか、
さらに直列式という方法もある、みたいな書き方でしかなかったりする。

少なくとも私がこれまで読んできた範囲内では、
直列式ネットワークでは、
ウーファーもトゥイーターも直流的に接続されている、
並列式ネットワークでは、ウーファーはそうであっても、
スコーカー、トゥイーターは直流的には浮いている(絶縁されている)、
そういう違いがあると記述されているものはなかった。

なかったけれど、この直流的にどうなのか、ということは、
くり返すが、意外にも重要なことのはずだ。

Date: 4月 26th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その78)

オーディオの想像力の欠如した者は、音による自画像を描けない──、
描けないのは確かなのだが、結果として描かれているのかもしれない。

Date: 4月 26th, 2022
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その15)

グリッドチョーク的ケーブルを、
2020年のaudio wednesdayで何度か試して好結果を得ている。

なぜ、こんなに音が変ってくるのか。
その理由について考えていて、
ふと直列式ネットワークもそうなのかも──、と気づいた。

audio wednesdayを行っていた四谷三丁目にあった喫茶茶会記は、
いまは長野県茅野市に移転している。
喫茶茶会記のスピーカーはアルテックのユニットを中心とした自作スピーカーで、
最初のころは、12dB/oct.の市販のネットワークだった。

市販のだから、一般的な並列式ネットワークである。
それをある時期から、何回かの実験を経て、
6dB/oct.の直列式ネットワークに変更した。

直列式と並列式、
その優劣をはっきりさせたいわけではなく、それぞれに長所短所があり、
私が試した範囲では、6dB/oct.のゆるやか遮断特性で、
2ウェイ構成であるならば、直列式のメリットはより活きてくるように感じている。

直列式はスピーカーユニットを直列に接続するところからきている。
ウーファーはトゥイーターを直列に接続し、
ウーファーに対してコンデンサーを、トゥイーターに対してコイルを並列に接続する。

これがどういうことなのかを別の視点から説明すれば、
仮にパワーアンプが故障して、その出力にDC(直流)があらわれた場合、
一般的な並列式のネットワークのスピーカーであれば、
ウーファーは直流がそのまま流れてしまい故障してしまうが、
トゥイーター、スコーカーはコンデンサーによって、直流はカットされる。

直列式のネットワークだと、
ウーファー、トゥイーターといったユニットは直列接続されているのだから、
どちらも直流がコンデンサーでカットされることなく流れ込むことになる。

Date: 4月 25th, 2022
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの聖地は、いまはどこにあるのだろうか

聖地は、辞書には聖人・教祖などに関係ある神聖な土地、とある。
本来の意味では、聖地とはそういうところなのだが、
広義で、いまの時代に使われている「聖地」には、
そこだけの意味にとどまらず、多種多様な聖地がある。

そういった意味でのオーディオの聖地は、どこかにあるのだろうか。

19歳の誕生日をむかえる二週間ほど前に、
ステレオサウンド編集部に行く機会があった。

その時、試聴室を見せてもらったし、入った。
ステレオサウンドの誌面で見るだけだったステレオサウンドの試聴室である。

瀬川先生が亡くなられて三ヵ月ほど経っていた。
試聴室横の倉庫の一角には、
瀬川先生愛用のKEFのLS5/1A、
マークレビンソンのLNP2、スチューダーのA68があった。

八ヵ月ほど前までは、ここで瀬川先生は試聴されていたのか……、
そんなおもいがわきおこってきたこともあって、
あの時、ステレオサウンドの試聴室は、
はっきりと私にとってはオーディオの聖地だった。

Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その6)

ステレオサウンド 36号に瀬川先生の「実感的スピーカー論 現代スピーカーを展望する」が載っている。
     *
 日本のスピーカーの音には、いままで述べてきたような特色がない、と言われてきた。そこが日本のスピーカーの良さだ、という人もある。たしかに、少なくとも西欧の音楽に対してはまだ伝統というほどのものさえ持たない日本人の耳では、ただひたすら正確に音を再現するスピーカーを作ることが最も確かな道であるのかもしれない。
 けれどほんとうに、日本のスピーカーが最も無色であるのか。そして、西欧各国のスピーカーは、それぞれに特色を出そうとして、音を作っているのか……? わたくしは、そうではない、と思う。
 自分の体臭は自分には判らない。自分の家に独特の匂いがあるとは日常あまり意識していないが、他人の家を訪問すると、その家独特の匂いがそれぞれあることに気づく。だとすると、日本のスピーカーにもしも日本独特の音色があったとしても、そのことに最も気づかないのが日本人自身ではないのか?
 その通りであることを証明するためには、西欧のスピーカーを私たち日本人が聴いて特色を感じると同じように、日本のスピーカーを西欧の人間に聴かせてみるとよい。が、幸いにもわたくし自身が、三人の西欧人の意見をご紹介することができる。
 まず、ニューヨークに所在するオーディオ業界誌、〝ハイファイ・トレイド・ニュウズ〟の副社長ネルソンの話から始めよう。彼は日本にもたびたび来ているし、オーディオや音楽にも詳しい。その彼がニューヨークの事務所で次のような話をしてくれた。
「私が初めて日本の音楽(伝統音楽)を耳にしたとき、何とカン高い音色だろうかと思った。ところがその後日本のスピーカーを聴くと、どれもみな、日本の音楽と同じようにカン高く私には聴こえる。こういう音は、日本の音楽を鳴らすにはよいかもしれないが、西欧の音楽を鳴らそうとするのなら、もっと検討することが必要だと思う。」
 私たち日本人は、歌舞伎の下座の音楽や、清元、常盤津、長唄あるいは歌謡曲・艶歌の類を、別段カン高いなどとは感じないで日常耳にしているはずだ。するとネルソンの言うカン高いという感覚は、たとえば我々が支那の音楽を聴くとき感じるあのカン高い鼻にかかったような感じを指すのではないかと、わたくしには思える。
 しかし、わたくしは先にアメリカ東海岸の人間の感覚を説明した。ハイの延びた音を〝ノーマル〟と感じない彼らの耳がそう聴いたからといっても、それは日本のスピーカーを説明したことにならないのではないか──。
 そう。わたくしも、次に紹介するイギリスKEFの社長、レイモンド・クックの意見を聞くまでは、そう思いかけていた。クックもしかし、同じようなことを言うのである。
「日本のスピーカーの音をひと言でいうと、アグレッシヴ(攻撃的)だと思います。それに音のバランスから言っても、日本のスピーカー・エンジニアは、日本の伝統音楽を聴く耳でスピーカーの音を仕上げているのではないでしょうか。彼らはもっと西欧の音楽に接しないといけませんね。」
 もう一人のイギリス人、タンノイの重役であるリヴィングストンもクックと殆ど同じことを言った。
 彼らが口を揃えて同じことを言うのだから、結局これが、西欧人の耳に聴こえる日本のスピーカーの独特の音色だと認めざるをえなくなる。ご参考までにつけ加えるなら、世界各国、どこ国のどのメーカーのエンジニアとディスカッションしてみても、彼らの誰もがみな、『スピーカーが勝手な音色を作るべきではない。スピーカーの音は、できるかぎりプログラムソースに忠実であり、ナマの音をほうふつとさせる音で鳴るべきであり、我社の製品はその理想に近づきつつある……』という意味のことを言う。実際の製品の音色の多彩さを耳にすれば、まるで冗談をいっているとしか思えないほどだ。しかし、日本のスピーカーが最も無色に近いと思っているのは我々日本人だけで、西欧人の耳にはやっぱり個性の強い音色に聴こえているという事実を知れば、そして自分の匂いは自分には判らないという先の例えを思い出して頂ければ、わたくしの説明がわかって頂けるだろう。
     *
ステレオサウンドが出しているムック「良い音とは 良いスピーカーとは?」にも収められている。

ここではスピーカーがつくられた国による音の違いなのだが、
同じことが時代による音の違いについてもあてはまるように、
最近思うようになってきた。

つまり、過去の時代の音の香り(匂い)については感じることがあっても、
同時代の香り(匂い)に関しては、自分の体臭がわからないのと同じように、
わからないのかもしれない、ということだ。

ウラッハは、遠い時代のクラリネット奏者である。
フレストは、まさに、いまの時代の同時代のクラリネット奏者である。

Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その5)

ハタチになるかならないかのころ、
クラリネット奏者といえば、
ベニー・グッドマンをまず思い浮べるだけのころ、
レオポルト・ウラッハを、サウンドボーイの編集長だったOさんからすすめられて、
はじめて聴いた。

そころウラッハのレコードは国内盤しかなかった。
音の艶に欠けがちな、という印象のある国内盤であっても、
ウラッハの音色は、ベニー・グッドマンをはじめて、
他のクラリネット奏者とは大きく違って、私の耳には聴こえた。

佳き時代のウィーンの香りが漂う──、
そんな陳腐な表現しか、その時は思い浮ばなかったけれど、
でもまさにそういう響きが、ウラッハのクラリネットの音からは感じられた。

そして、これが国内盤ではなく、いわゆるオリジナル盤だったら──、
その香りにむせたりするのだろうか──、そんなこともおもっていた。

マルティン・フレストのクラリネットを聴いていて感じたのは、
ウラッハの音に感じた香りが稀薄なのかもしれない、ということだ。

同じ香りがでなければならないなんて、いう気はもちろんない。
けれど、香りが稀薄と感じてしまうのはなぜなのか。

フレストの音に、もともとそういう香りがないのだろうか。
それとも私が感じていないだけなのか。

自分の体臭は気づかないものである。
同じことが時代の香り(匂い)についてもいえるのではないのか。

それゆえに、いまはフレストから感じていないだけなのかもしれない。

Date: 4月 23rd, 2022
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その4)

さっきTIDALで、マルティン・フレストの“Night Passages”を聴いていた。
“Night Passages”は昨日発売になったばかりのソニー・クラシカルからの新譜。

TIDALでは96kHzのMQA Studioで聴くことができる。
e-onkyoでは、96kHzのflacである。

マルティン・フレストは、クラリネットの魔術師と呼ばれている、らしい。
そのことは、聴けばわかる。

クラリネット奏者にそう詳しくない私だけど、
フレストのクラリネットの演奏技術の高さは、
一曲目の頭を少し聴いただけでも、すぐにわかる。

それに録音もいい。
MQAで聴いていると、よけいにそう感じる。
MQAによる音の良さに関しては、別項で書くつもりなのでここでは省略するが、
フレストの演奏を聴いていて、
なにもここでのテーマである「陰翳なき音色」だと感じたわけではないことは、
さきに書いておく。

なのに、ここでフレストの“Night Passages”を取り上げているのは、
ふとウラッハのことを思い出したからである。

ウラッハとは、レオポルト・ウラッハのことであり、
ウラッハは1902年生れのクラリネットの名手である。

Date: 4月 22nd, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その30)

1970年代の終りごろといえば、JBLの4343が爆発的に売れていたころである。
4343に憧れていた私にとって、それは素直にすごいことと受け止めていたけれど、
いまこうやって当時のことをふり返ると、
4343の人気が凄すぎて、その陰に隠れてしまった感のある、
いくつかの特徴的なスピーカーシステムを聴く機会が、
かわりに失われていた──、そういえるような気がしてならない。

当時、東京に住んでいれば、それほどでもなかったのかもしれないが、
田舎暮しの高校生にとっては、
聴きたいスピーカーがあるからといって、都会に出て行くこともできなかった。

ゆえに聴きたいスピーカーシステムはいくつもあっても、
すべてが聴けたわけではなく、聴けたスピーカーの方が少ない。

Concert Master VIは、どんな音がしたのだろうか。

聴けなかったスピーカーシステムがけっこうあると同時に、
ステレオサウンドで働いたおかげで、聴けたスピーカーシステムも多い。

セレッションのSystem 6000をじっくり聴けたことは、
いまふりかえってみても幸運だった、といえる。

しかも当時はSL600を鳴らしていたころでもあったのだから、
よけいに関心は強かったし、いろいろかんがえるところは多かった。

SL600はSL700へとなっていったが、
System 7000は残念なことに登場しなかった。

日本だけでなく、他の国でもSystem 6000はあまり売れなかったのだろうか。
それでもいい。

いまSystem 6000の可能性を捉え直してみると、
さほど大きくない平面バッフルにとりつけた604-8Gに合うサブウーファーは、
こういうところにヒントがあると思ってしまう。

Date: 4月 22nd, 2022
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その29)

ステレオサウンド 48号の特集はアナログプレーヤーだった。
しかもブラインドフォールドテストだった。

第二特集は、サブウーファーだった。
48号のころ(1978年ごろ)は、
サブウーファー新製品として各社から登場しはじめたころでもあった。

52号から連載が始まったスーパーマニア。
一回目は郡山の3Dクラブだった。

いまでこそ3Dといえば映像のほうなのだが、当時は違っていて、
いまでいうセンターウーファー方式を3Dといっていた。

この時代は、ハートレーのウーファーの他に、
エレクトロボイスの30Wも現行製品だったし、
フォステクスから80cm口径のウーファーが新製品として出てきた。

さらにダイヤトーンからは160cm口径の大型ウーファーのプロトタイプが出て、
ステレオサウンドでも取り上げている。

1970年代の終りごろはそういう時代でもあった。
そういう時代を見てきているから、
大口径ウーファーに対してのアレルギーみたいなものはない。

当時ハートレーの輸入元はシュリロ貿易だった。
シュリロから、224HSを搭載したサブウーファーも出てきた。

ハートレー・ブランドで売られていたが、
密閉型エンクロージュアはハートレー指定による国産だった。

このサブウーファー(型番はSub Woofer System)は密閉箱だったが、
当時のハートレーのスピーカーシステム、Concert Master VIは、
224HS搭載なのはサブウーファーと同じなのだが、
エンクロージュアは後面開放型である。

ダリのSkyline 2000は知人が気にいって購入していたから、
かなりの時間を聴く機会があった。

ハートレーは実機を見たことはあるが、音は聴いていない。

Date: 4月 21st, 2022
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その33・番外)

ロケットニュース24というサイトがある。
ニュースとついているからニュース系のサイトといえばそうなのだが、
ロケットニュース24のサイトには、
《あまり新しくないことを早く伝えたい、という気持ちだけは負けていないネットメディア》
とある。
さらに《くだらなくて、おもしろい出来事などを、8割くらいの智からでお届けします》
ともある。

このロケットニュース24が数日前に、
【ガチ】無印良品の「レトルトカレー」全53種類をすべて混ぜたらこうなった
という記事を公開している。

タイトルどおりの内容の記事である。
結果は、つまりその味は、というと、想像以上に美味しい、とのこと。

ロケットニュースは、以前、市販カレールー43種類をすべて混ぜた記事も公開している。
カレールーを一つではなく、二つほど混ぜて使う人はけっこういると思う。

一つのカレールーよりもたいていの場合、二つのカレールーを混ぜた方がおいしく仕上がる。
なのでレトルトカレーも混ぜたほうがいい結果がえられやすいとは思っていたが、
53種類というさまざなカレーを混ぜても、何の工夫もそこには要らずに美味しくなる、ということは、
なかなか興味深いことである。

この項の(その32)と(その33)で、イソダケーブルのことを取り上げている。

イソダケーブルとは、何種類かの金属線を一纏めにした構成のケーブルである。
私が聴いたのは1980年代半ばのころで、
その時のステレオサウンドの試聴室で、JBLの4344で聴いた限りでは、
芳しい結果は得られなかった。

けれど考え方としては面白い、といまでも思っている。
数種類程度ではなく、ロケットニュース24のカレーの記事のように、
もっとさらに徹底していたら、どうなっていただろうか。