Date: 4月 24th, 2022
Cate: 香・薫・馨
Tags:

陰翳なき音色(その5)

ハタチになるかならないかのころ、
クラリネット奏者といえば、
ベニー・グッドマンをまず思い浮べるだけのころ、
レオポルト・ウラッハを、サウンドボーイの編集長だったOさんからすすめられて、
はじめて聴いた。

そころウラッハのレコードは国内盤しかなかった。
音の艶に欠けがちな、という印象のある国内盤であっても、
ウラッハの音色は、ベニー・グッドマンをはじめて、
他のクラリネット奏者とは大きく違って、私の耳には聴こえた。

佳き時代のウィーンの香りが漂う──、
そんな陳腐な表現しか、その時は思い浮ばなかったけれど、
でもまさにそういう響きが、ウラッハのクラリネットの音からは感じられた。

そして、これが国内盤ではなく、いわゆるオリジナル盤だったら──、
その香りにむせたりするのだろうか──、そんなこともおもっていた。

マルティン・フレストのクラリネットを聴いていて感じたのは、
ウラッハの音に感じた香りが稀薄なのかもしれない、ということだ。

同じ香りがでなければならないなんて、いう気はもちろんない。
けれど、香りが稀薄と感じてしまうのはなぜなのか。

フレストの音に、もともとそういう香りがないのだろうか。
それとも私が感じていないだけなのか。

自分の体臭は気づかないものである。
同じことが時代の香り(匂い)についてもいえるのではないのか。

それゆえに、いまはフレストから感じていないだけなのかもしれない。

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