Archive for category 音の良さ

Date: 10月 5th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(続余談)

アキュフェーズのパワーアンプのリアパネルの両端には、プラスチック製のプロテクターといえるモノが取り付けられている。

アキュフェーズのウェブサイトで見ると、コントロールアンプやプリメインアンプにはないが、
パワーアンプには、今も取り付けてある。
A20Vにもある。

これを指で弾くと中は空洞だとわかる。それに安っぽい音がする。
これを取り外すと、音は変るのはわかっていても、そのままにしていた。
外すのは簡単だ。上下二本のネジで止まっているだけだから、プラスドライバーがあれば、すぐに外せる。

10月1日のaudio wednesdayでは外した。外した音を聴いてもらっている。
外すことを勧めはしないが、このくらいのことでも音は変化する。

取り付けてある、いわば標準の音、
外した状態の音があり、中間に、このプラスチック製プロテクターの空洞に綿など詰めた音がある。

A20Vの、この部分は安っぽいつくりだが、
現在のモデル、上級機ではしっかりしたつくりになっているのだろうか。

Date: 7月 24th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その6)

SUMOのTHE GOLDと同時期にアキュフェーズからP400が登場した。
200W+200Wのパワーアンプで、コントロールアンプC240とペアとなるモデルだ。

P400には、ヤマハのプリメインアンプ同様、A級動作への切り替えが可能だった。
その場合、出力は50W+50Wと四分の一となり、パイオニアのExclusive M4と同じ規模のアンプとなる。

P400のA級動作時の音は、短い時間しか聴いていない。Exclusive M4のライバル機だと感じていたし、
Exclusive M4が作ったA級アンプの音のイメージの中での、
パイオニアの音、アキュフェーズの音というふうにも捉えることができる。

こうやって振り返ってみると、
Exclusive M4、P400、ヤマハのプリメインアンプのA級動作の音は、
あくまでも日本のA級アンプの音だったことに気づく。

そして、いまアキュフェーズのA20Vを聴くと、もうそこには日本のA級アンプの音のイメージはない。
中には、いまでも感じられるという方もいるかもしれないが、
私の耳には、そうは聴こえない。

Exclusive M4、P400の音は、古き良き時代の日本のA級アンプの音なのだろう。

Date: 7月 23rd, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その5)

私がパイオニアのExclusive M4を初めて聴いた時、
すでにマークレビンソンのML2は市販されていたが、
ML2を聴いたのは、その一年ほど後だった。

ML2に関する記事は、ほぼ全て読んでいた。
どんなにすごい音が聴けるんだろか──、
試聴記を何度も読み返しては想像していた。

こんなことをやっていると一方的に期待が膨らみすぎて、実際に、その音を聴くと、こんなものなのか……、と思うこともある。

ML2の音は違った。
ステレオサウンド 45号にあった新製品紹介記事の通りだ、と感じたし、
そのころは瀬川先生による文章もいくつかあって、これらにも頷いた。

Exclusive M4とは、まるで違う。
違って当然なのであって、A級アンプということにとらわれすぎていたともいえる。

アンプの動作方式だけで、そのアンプの音がおおかた決まるわけではない。あくまでも一要素に過ぎないのはわかっていても、
オーディオマニアにとって、管球式OTLアンプとA級アンプは、
どこか特別な響きを持っている。

ML2の二年ほど後に、今度はSUMOのTHE GOLDが登場した。
A級で、出力は125W+125W。ML2が25Wだったのに対し、五倍の出力を持つ。

THE GOLDは、私にとっては特別な存在のアンプだ。このことは、以前別項で触れているので省略するが、
THE GOLDを手に入れたことで、アンプに対する考えは、かなり変っていった。

もちろんML2も、特別な存在ではあるけれど、個人的な思い入れが、THE GOLDに加わってくる。

とにかくML2とTHE GOLDによって、少なくとも私の中にあったA級アンプの音のイメージは、完全に消え去った。

Date: 7月 22nd, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その4)

パイオニアのExclusive M4と同時代のスタックスのA級アンプは、三機種、どれも聴く機会はなかった。

1980年代にスタックスが出してきたタワー型のDA100Mは、
ステレオサウンドの試聴室で、まだ試作機の段階のモノから製品化されてからも、
何度か聴いている。

けれど、このアンプの音が、それ以前の三機種の音を受け継いでいるのかは、なんとも言えない。
まず私が聴いていないこともあるが、DA100Mはスタックスの創始者によるモデルではなく、
二代目の方によるモデルという印象が、当時からかなり強く感じていた。

DA80、DA300の音は、当時の試聴記を読んで想像するしかない。
A級アンプという括りでアンプの音が決まるわけではないことは承知の上で、
いま読み返してみると、私としてはけっこう面白く感じている。

パワーアンプとしては、パイオニアとスタックスだけどいえる状況だったが、
プリメインアンプではヤマハがA級動作への切り替え機能を搭載していた。

私は聴く機会がなかったが、どのくらいの人がスタックスの音を聴いているのだろうか。
少なかったのだとしたら、
日本において、A級アンプの音のイメージを作ったのは、
やはりExclusive M4だろうし、
そこにヤマハのプリメインアンプも加わっていた。

Date: 7月 21st, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その3)

パイオニアのExclusive M4は何度か聴いているし、
その改良モデルのExclusive M4aも聴く機会は多かった。

いまもし、新品に近いコンディションのM4とM4aがあれば、
私が欲しいのはM4である。
アンプ単体としては、M4aが完成度は高くなっているという評価を受けるだろうが、
瀬川先生が書かれているM4ならではの特徴が、M4aでは薄れていると感じられるからだ。

あの頃、A級アンプの音の代名詞とも言えたM4は、機会があれば、ぜひ聴いてみたいのだが、
現実問題として、コンディションのいいM4は、かなり少ないだろう。

ソーシャルメディアを眺めていると、オーディオマニアが自分のシステムの写真を公開しているのが表示される。
それらの写真を眺めて思うのは、
プリメインアンプ、パワーアンプをなぜ押し込めるのか、だ。

ラックに収納ではなく、押し込める、としたのは、
アンプの上部に十分な空間がないからだ。
けっこうな発熱のアンプなのに、10cmも開いていなかったりする。
そんな状態で使っていたら、アンプ筐体内の温度はかなり上昇する。

発熱がそれほどないアンプであっても、こんな置き方をしていたら、熱がこもって熱くなる。
以前、マッキントッシュのパワーアンプのフロントパネルが熱くなる、という投稿を、
ソーシャルメディアで見かけた。

けっこう前のモデルで、以前ステレオサウンドでもリファレンス的に使っていたからはっきり言えるのだが、
このモデルのフロントパネルが熱くなるのは、置き方に問題があるからだ。
押し込めた置き方では、熱の逃げ場がほとんどない。少ない発熱であっても、長い時間鳴らしていれば、熱くなってしまう。

そういう使われ方の写真をいくつも見ていると、外観はどんなにキレイでも、
内部の劣化は、また別だということを思うし、
外観と内部の劣化は、必ずしもイコールではない。

Date: 7月 20th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その2)

世界のコントロールアンプとパワーアンプ(ステレオサウンド別冊・1978年春発行)で、
瀬川先生は、Exclusive M4について、こう書かれている。
     *
 たとえば入力に対する応答速度とか解像力という面からみれば、ごく最近の優秀な製品には及ばない。が、ここから鳴ってくる音のニュアンスの豊かな繊細なやさしさは、テストソースの一曲ごとに、ついボリュウムを絞りがたい気持にさせてしまう。そのこと自体がすでにきわめて貴重であることを断わった上で細かなことを言えば、それぞれの単体のところでも書いたように、繊細さの反面の線の弱さ、柔らかさの反面の音の密度の濃さや充実感、などの面でわずかとはいえ不満を感じないとはいえない。本質的にウェットな傾向は、曲によっては気分を沈みがちにさせるようなところがなくもない。ただ、そうした面を持っているにもかかわらず、菅野録音のベーゼンドルファーの音を、脂こさはいくぶん不足ながらかなりの魅力で抽き出したし、シェフィールドのダイレクトカットでさえ、意外に力の支えもあって楽しめた。アラ探しをしようという気持にさせない音の品位とバランスの良さが聴き手を納得させてしまう。
     *
繊細で上品で、ウェットな音というのが、Exclusive M4の音のイメージであり、
これはそのまま当時のA級アンプの音のイメージだった。

このころA級アンプは、国産アンプしかなかった。少なくとも日本に輸入されていた海外製アンプには、なかった。

そこにマークレビンソンのML2が登場した。1977年のことだ。
ステレオサウンド 45号の新製品紹介の記事に登場している。
     *
山中 このパワーアンプを開発するにあたってマーク・レビンソン自身は、本当のAクラスアンプをつくりたい、そこでつくってみたところがこの大きさと出力になってしまった。出力ももっと出したいのだけれど、いまの技術ではこれ以上無理なんだといっているのですが、いかにも彼らしい製品になっていと思います。
 実際にこのアンプの音を聴いてみますと、今までのAクラスパワーアンプのイメージを打ち破ったといえるような音が出てきたと思うのですがいかがでしょうか。
井上 そうなんですね。いままでのAクラスパワーアンプは、どちらかといえば素直で透明な音、やわらかい音がするといわれてますね。それに対してこのアンプではスピーカーとアンプの結合がすごく密になった感じの音といったらいいのかな……。
山中 その感じがピッタリですね。非常にタイトになったという感じ。スピーカーを締め上げてしまうくらいガッチリとドライブする、そんな印象が強烈なんです。
井上 一般的に「パワーアンプでスピーカーをドライブする」という表現が使われるときは、一方通行的にパワーアンプがスピーカーをドライブするといった意味あいだと思うのです。このマーク・レビンソンの場合は対面通行になって、アンプとスピーカーのアクションとリアクションがものすごい速さで行われている感じですね。
山中 ともかく片チャンネル25Wの出力のアンプで鳴っているとは思えない音がします。この25W出力というのは公称出力ですから、実際の出力はもう少しとれているはずですし、しかもインピーダンスが8Ω以下になった場合はリニアに反比例して出力が増えていきますから、やはり電源のしっかりしたアンプの底力といったものを感じますね。
井上 昔から真空管アンプのパワーについて、同じ公称出力のトランジスターアンプとくらべると倍とか四倍の実力があるといったことがよくいわれていますね。
山中 それに似た印象がありますね。
井上 でも真空管アンプというのはリアクションが弱いでしょ。やっぱり一方通行的な部分があって、しかも反応がそんなに速くない。アンプとの結びつきが少し弱いと思うのだけど、この場合はガッチリ結びついた感じのするところが大変な違いだと思います。
山中 とにかく実際にこのアンプを聴いた人はかなり驚かされることになると思います。
     *
マーク・レヴィンソンは、ML2以前、自社製のパワーアンプを持たない時期、
スタックスのパワーアンプとExclusive M4を使っていたことを、後で知る。

Date: 7月 19th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(A級アンプのこと・その1)

井上先生が1970年代の終りごろから1980年代にかけていわれていたことは、
日本での、あたたかくてやわらかい、という真空管アンプの音のイメージは、
ラックスのSQ38FD/II(過去のシリーズ作も含めて)によって生れてきたものだ、だった。

同じ意味で、日本においてA級アンプの音のイメージをつくってきたのは、
パイオニアのExclusive M4といえよう。

トランジスターアンプが登場するまでは、言うまでもなく真空管アンプしかなくて、
だからと言って、市販されていた全ての真空管アンプの音が、
柔らかくあたたかい音なわけではなかった。
いろんな音のするアンプが、これまた当たり前すぎることだが、あった。

なのにいつごろから日本では、真空管アンプの音の特徴として、
柔らかくあたたかくて、その反面、音がやや甘い──、
そんなイメージで語られていた時期がある。
だから弦楽器(特にヴァイオリン)、それから女性ヴォーカルを、
しっとり艶やかに聴きたいのであれば、真空管アンプが向いている、そんなことも一緒に語られていた。

同じことが、ほぼ同時代、トランジスターアンプでヴァイオリン、女性ヴォーカルをそんなふうに聴きたいなのであれば、
A級動作のアンプといわれていたのは、Exclusive M4の音のイメージからだろう。

1976年、私がオーディオに興味を持った時期、確かにそんな感じだったし、
私もそれに影響されて、女性ヴォーカルを聴くのであればA級アンプしかない──、そんな思い込みを持っていた。

確かに、Exclusive M4の音はそうだった。
私が初めて聴いたA級アンプは、Exclusive M4だっただけに、
そう思い込むのも、若さ(幼さ)もあってのこと。

このころA級アンプは少なかった。
パイオニアからM22、スタックスのDA80、DA80M、DA300ぐらいしかなかった。

Date: 7月 15th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと(余談)

アキュフェーズのA20Vをメインのパワーアンプとして使っているわけではない。
それでも、というか、だからこそ、なのか、
手を加えようと考えて二年ほど経つ。

メインとして使っていないからこそ、毎日少しずつやっていけばいい、とも言えるし、
メインとして使っていないから、あれこれ考えても、もうひとつ実行にうつす気がわいてこない、ともいえる。

けれど、今回、ウェストレックス・ロンドンでのA20Vの音(実力)を聴いて、
これは早いうちに手を加えようと思うようになった。

具体的にどこに手を加えるのかは、すでに決めている。
複数箇所、手を加える予定で、さほど費用はかからないので、その気になれば、一気にやってしまえるけれど、
いまA20Vは来月のaudio wednesdayでも使うので、手元にない。

手を加えたら、またウェストレックス・ロンドンを鳴らしてみたい。

Date: 7月 14th, 2025
Cate: 音の良さ

アキュフェーズ A20Vのこと

7月9日のaudio wednesdayでは、
アンプはマランツのModel 7とマッキントッシュのMC275の組合せの予定だった。

けれどMC275の不調で、急遽、代わりのアンプを取りに戻ることになった。
持ってきたのは、アキュフェーズのA20Vである。
A級動作で、出力は8Ω負荷で20W+20W。小出力アンプである。

いまから二十以上前のアンプである。
他にもアンプはあるけれど、A20Vにしたのは、保護回路がしっかりしているからだ。

修理が可能なスピーカーならば、まだいいけれど、
野口晴哉氏のスピーカーは修理が困難なモノばかりである。
何かあることはそうそうないことはわかっていても、全く起こらないわけでもない。

ならば安全なアンプにしておきたい。
ウェストレックス・ロンドンも100dB以上の変換効率の高さを持つ。
20Wならば十分と思いがちだが、実際には16Ω負荷となるから出力は半分の10W。

300Bシングルアンプ並みの出力のトランジスターアンプで、
この時代のスピーカーが、どう鳴ってくれるのか。
想像が難しいところもあったが、鳴らしてみたら、違和感がない。

真空管とかトランジスターとか、そんなことは頭からさっぱり消えていた。
出力も十分だった。

正直、A20Vの実力を低くみていたところがあった。認識不足を反省するくらいの鳴り方だった。

A20Vの後継機は、A30、A35と続いたが、現在は同クラスの製品はない。

A35と上級機のA60の中間に位置するA45が登場し、現在はA48Sとなっている。
A20Vは出力段のMOS-FETは3パラレル、A48Sは6パラレルと規模は大きい。

A45もA48Sも聴いていないので、なんとも言えないけれど、
A20Vとは傾向は同じようでいて、けっこう違うようにも思う。

どちらかがいいアンプなのかは、組み合わせるスピーカー次第だ。
ウェストレックス・ロンドンとの組合せだと、A20Vの方がいいかもしれない──、そんな気がしている。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: 音の良さ

完璧な音(その7)

すでに何度か引用していることを、ここでもまたしておこう。

ステレオサウンド 49号、
「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」という対談で、
菅野先生が語られている。
     *
菅野 一つ難しい問題として考えているのはですね、機械の性能が数十年の間に、たいへん変ってきた。数十年前の機械では、物理的な意味で、いい音を出し得なかったわけです。ですがね、美的な意味では、充分いい音を出してきたわけです。要するに、自動ピアノでですよ、現実によく調整されたピアノを今の技術で録音して、プレイバックして、すばらしいということに対して、非常に大きな抵抗を感ずるということです。
 ある時、アメリカの金持ちの家に行って、ゴドウスキイや、バハマン、それにコルトーの演奏を自動ピアノで、ベーゼンドルファー・インペリアルで、目の前で、間違いなくすばらしい名器が奏でるのを聴かしてもらいました。
 彼が、「どうですか」と、得意そうにいうので、私は、ゴドウスキイやバハマン、コルトーのSPレコードの方が、はるかによろしい、私には楽しめるといったわけです。
 すると、お前はオーディオ屋だろう、あんな物理特性の悪いレコードをいいというのはおかしい、というんですね。そこで、あなた、それは間違いだと、果てしない議論が始まったわけです。つまり、いい音という意味は、非常に単純に捉えられがちであって……。
     *
菅野先生が、ベーゼンドルファーの自動演奏ピアノをアメリカで聴かれたのがいつなのかは、
この対談でははっきりとしない。

49号は1978年12月に出ているから、それ以前であるわけで、
菅野先生が聴かれたベーゼンドルファーの自動演奏ピアノと、
スタインウェイの自動演奏ピアノSPIRIOはのあいだには、六十年ほどの隔たりがある。

同じレベルの自動演奏ピアノではないことは容易に想像できる。
再現の精度の高さの進歩は、どれほどなのだろうか。
そうとうなものであろうが、それでも、菅野先生が語られていることは、
そのままスタインウェイのSPIRIOにあてはまるはずだ。

ここを無視して、完璧な音についての判断は下せない。

Date: 1月 2nd, 2023
Cate: 音の良さ

完璧な音(その6)

ソーシャルメディアに、ときどきスタインウェイの広告が表示される。
スタインウェイの自動演奏ピアノSPIRIOである。

SPIRIOは、スタインウェイの自動演奏ピアノだから、
きちんと調律、調整がなされていれば、
いつ聴いても、どこで聴いてもスタインウェイのピアノの音が聴けるわけだ。

SPIRIOでの自動演奏を聴いて、これはベーゼンドルファーのピアノだ、とか、
ヤマハのピアノだ、という人はいないはずだ。

SPIRIOは、その意味では完璧な音に近い、といえる。
SPIRIOには、音源も用意されている。

SPIRIOのページには、
《クラシック、ポップス、ジャズ、映画音楽など様々なジャンルの楽曲が収録されているこのSPIRIOでは、ビル・エヴァンスやガーシュウィン、ユジャ・ワンやホロヴィッツなどの著名アーティストが、まるで目の前で生演奏しているかのように、お楽しみいただくことができます。》
とある。

これがどのレベルの再現なのか、
SPIRIOを聴いたことがないのでなんともいえないのだが、かなりのレベルに達しているとは思う。
そうであれば、SPIRIOはスタインウェイによる演奏の再現においても、完璧な音といえるのか。

考えたいのはここである。

Date: 1月 9th, 2020
Cate: 音の良さ

完璧な音(その5)

具体的に考えてみる。
たとえばスタインウェイのピアノによる演奏があった、とする。
その演奏を録音する。

いかなる装置で、いかなる音で聴かれるのかは制作側にはわからない。
それでも、どんな装置、どんな音であっても、
その録音はスタインウェイのピアノだ、ということが聴き手に伝われば、
完璧な音の最低条件は満たされた、といえるのか。

ただし、ここでの完璧な音とは、完璧な録音、ということになる。
完璧な録音というものが、もしあるとすれば、そういうことではないのか。
どんな装置で、どんな音でかけられても、
スタインウェイのピアノが、ヤマハのピアノやベーゼンドルファーのピアノに聴こえたりしたら、
それはどんなにいい音で録音されていたとしても、完璧な音(録音)とはいえない。

ここでもう一つ考えなければならないのは、聴き手のことだ。
世の中にはさまざまな装置、音があるように、
聴き手もまったく同じである。

聴き手が違えば、同じ音を同じ時に聴いても、印象が違うことは誰だって経験していよう。
つまりは、どんな装置、どんな音でかけられても、
さらにどんな聴き手がスピーカーの前にいようと、
その聴き手に、スタインウェイのピアノだ、ということを認識させられる音が、
完璧な音(録音)ということになる。

そんな録音があるのだろうか。
装置によっては、グランドピアノがアップライトピアノに聴こえることだってある。
スタインウェイのピアノが、ヤマハのピアノに聴こえたり、
さらにはメーカー不明のピアノの音に聴こえたりすることだってある。

そういえば、菅野先生はオーディオラボでベーゼンドルファーの録音も残されている。
菅野先生によれば、本来のピアノの音よりも、
大きめの音量で鳴らした時にベーゼンドルファーらしく鳴るようにしている──、
そんな話を聞いたことがある。

Date: 12月 21st, 2019
Cate: 音の良さ

音の良さとは(好みの音、嫌いな音・その6)

帯域バランスを、誰が聴いてもはっきりとくずれているとわかるほどまでに、
グラフィックイコライザーをいじって、嫌いな音を無理にでも抑えていく。

そうやって、彼にとって、到底がまんできないたぐいの音を出さない(抑える)ことで、
その音は、彼にとっての良い音ということになるのか。

私が知っている知人の例では、そうなっていた。
あきらかにバランスが崩れてしまっていても、
彼の耳にはバランスよく聴こえているのかもしれない──。

仮にそうであったとしても、
そうやって得られた音は、音楽の表現力に大きな制約をつくりだしてしまっている。

そうなると、そんな音で聴きたくなる音楽は狭まっていく。
オーディオで音楽を聴く、ということは、
自分の音によって、聴く音楽が影響を受けることでもある。

だからこそ、システム(音)が変れば、聴く音楽も変ってくる、とは昔からいわれている。
けれど私が知っている音の場合は、違う。

システムが変っても、そうやって音を強引にいじってしまうために、
どんなスピーカーであっても、すぐさま彼の望む音になってしまう。

なにも、このことは私だけが感じていたわけでなく、
彼の音を何度も聴いている人も、まったく同じ印象をもっていた。

嫌いな音をできるかぎり排除していく方向での、いきつく音。
それを良い音と信じ込めれば、周りがとやかくいうことではない──、
そうわかっていても、それははっきりと間違った音でしかない。

間違った音が、良い音なわけはない。

Date: 12月 9th, 2019
Cate: 音の良さ

完璧な音(その4)

くわえて完璧な録音というのが世の中には存在していない、ともいえる。
優秀録音は、その時代時代である。
いま聴いても優れた録音と感じるものが、どの時代にもある。

それでも、それらの優秀録音が完璧な録音であるかといえば、それは違ってくる。
では完璧な録音とは何か。

ナマの演奏そのままを録音したもの、という人はいる。
でも、それが本当の意味での完璧な録音なのか、となる。
完璧な文章という意味での完璧な録音は、
ナマの演奏そのままの録音なのだろうか。

こんなふうに考えていくと、
結局のところ、完璧な人間はどこにもいない、というところに帰着する。

聴き手が完璧でないからこそ、完璧な音が必要となるのか。
そうともいえるし、そうではないともいえる。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: 音の良さ

完璧な音(その3)

その1)で、完璧な文章とは、
どんな読み手であっても、
そこに書かれたことを曲解せずに、正しく受け止めることができる文章なのか──、
そう書いた。

そういう文章が世の中に存在したことがあるのか。
私にはわからないが、
仮にそういう文章こそが完璧な文章だとすれば、
完璧な音もまた、そういう音ということになる。

ここでの、そういう音とは、誰一人として誤解しない、曲解しない音ということになるのか。
完璧な音を複数の人が聴いたとしたら、
皆が同じに受け止める音になるのか。

けれど、音が伝えるのは、
そしてここで述べている完璧な音とは、スピーカーから鳴ってくる音であり、
それはあくまでも音楽を鳴らすための音である。

とすれば、完璧な音とは、たとえばベートーヴェンの交響曲第九番を鳴らしたら、
その音を聴いている人みなが、ベートーヴェンの第九を正しく捉えられる音ということになる。

けれども、世の中に完璧な演奏があるのか、ということを今度は考えることになる。
ベートーヴェンの第九の完璧な演奏があって、
完璧に聴き手に伝えられる音こそが完璧な音ということになる。

ここが完璧な文章と完璧な音との違いということでもある。

ベートーヴェンの第九の素晴らしい演奏はいくつかある。
よく知られるところでは、フルトヴェングラーのバイロイトの第九がある。

フルトヴェングラーの第九以外にも、人それぞれ素晴らしいと感じる第九がある。
私にとっては、ジュリーニ/ベルリンフィルハーモニー、
ライナー/シカゴ交響楽団の第九は素晴らしい演奏であるが、
だからといって完璧な演奏とは思っていない。