第7回公開対談のお知らせ
8月3日(水曜日)に、イルンゴ・オーディオの楠本さんとの公開対談を行います。
時間は夜7時から、です。
いつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
今回のテーマは先月告知しましたように、JBLの4343について、です。
8月3日(水曜日)に、イルンゴ・オーディオの楠本さんとの公開対談を行います。
時間は夜7時から、です。
いつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
今回のテーマは先月告知しましたように、JBLの4343について、です。
ブランド名としてのJBLときいて、思い浮べるモノは人によって異る。
現在のフラッグシップのDD66000をあげる人もいるだろうし、
1970年代のスタジオモニター、そのなかでも4343をあげる人、
オリンパス、ハークネス、パラゴン、ハーツフィールドといった、
コンシューマー用スピーカーシステムを代表するこれらをあげる人、
最初に手にしたJBLのスピーカー、ブックシェルフ型の4311だったり、20cm口径のLE8Tだったり、
ほかにもランサー101、075、375、537-500など、いくつもあるはず。
けれどJBLといっても、ブランドのJBLではなく、James Bullough Lansing ということになると、
多くの人が共通してあげるモノは、やはりD130ではないだろうか。
私だって、そうだ。James Bullough Lansing = D130 のイメージがある。
D130を自分で鳴らしたことはない。実のところ欲しい、と思ったこともなかった。
そんな私でも、James Bullough Lansing = D130 なのである。
D130は、James Bullough Lansing がJBLを興したときの最初のユニットではない。
最初に彼がつくったのは、
アルテックの515のセンターキャップをアルミドームにした、といえるD101フルレンジユニットである。
このユニットに対してのアルテックからのクレームにより、
James Bullough Lansing はD101と、細部に至るまで正反対ともいえるD130をつくりあげる。
そしてここからJBLの歴史がはじまっていく。
D130はJBLの原点ではあっても、いまこのユニットを鳴らすとなると、意外に使いにくい面もある。
まず15インチ口径という大きさがある。
D130は高能率ユニットとしてつくられている。JBLはその高感度ぶりを、0.00008Wで動作する、とうたっていた。
カタログに発表されている値は、103dB/W/mとなっている。
これだけ高能率だと、マルチウェイにしようとすれば、中高域には必然的にホーン型ユニットを持ってくるしかない。
もっともLCネットワークでなく、マルチアンプドライヴであれば、低能率のトゥイーターも使えるが……。
当然、このようなユニットは口径は大きくても低域を広くカヴァーすることはできない。
さらに振動板中央のアルミドームの存在も、いまとなっては、ときとしてやっかいな存在となることもある。
これ以上、細かいことをあれこれ書きはしないが、D130をベースにしてマルチウェイにしていくというのは、
思っている以上に大変なこととなるはずだ。
D130の音を活かしながら、ということになれば、D130のウーファー販である130Aを使った方がうまくいくだろう。
実のところ、バックロードホーンのスピーカーシステムの鳴らしにくさは、
エンクロージュアにその理由があるということよりも、そのユニット構成に理由があるという視点からみていきたい。
たとえばタンノイのバックロードホーンを採用したシステム、
GRFやRHRのユニットはいうまでもなく同軸ユニットで、中高域はホーン型が受け持つ。
タンノイだけにかぎらず、バックロードホーンのスピーカーシステムの多くは、
中高域にホーン型をもってくるものが大半だといえよう。
そうすると、そこにはホーンの受持ち帯域の不連続が生じることになる。
つまりウーファーはたいていの場合、30cm、38cm口径のコーン型ユニット。
設計によって変化するものの、バックロードホーンが受持つ帯域は数百Hz以下の低音域。
タンノイが発表している値では、ウェストミンスターで200Hz以下となっている。
この値に関してはバックロードホーンの構造、大きさによって多少は変動するとはいえ、
それほど大きくは変化しない。
たとえば、もしウェストミンスターにフロントショートホーンがついていなかったら、どうなるか。
200Hz以下はバックロードホーンで、1kHz以上は中高域のホーンによって、
ホーンロードがかかっている帯域となり、中間の200Hzから1kHzの帯域に関してどうかといえば、
フロントショートホーンがなければホーンロードはかからない。
ホーンロードがかからない帯域が存在していることが問題なのではなく、
ホーンロードがかからない帯域が、ホーンロードがかかっている低域と高域のあいだにある、ということが、
バックロードホーンのスピーカーシステムの鳴らしにくさにつながっているのではないだろうか。
タンノイを例にとったけれど、同じことは他社のバックロードホーンのスピーカーシステムにいえることだ。
ホーンロードがかかっていない中間の帯域を、どう鳴らすかが、
実はバックロードホーンと中高域にホーン型を採用したスピーカーシステムの鳴らすうえでのコツではないだろうか。
そう考えると、JBLのD130をバックロードホーンにいれてしまったら、
いっそのこといさぎよく中高域にユニットを追加することなくD130だけで鳴らすのが、
気持ちいい音が得られるようにも思えてくる。
もしくはコーン型もしくはドーム型といったダイレクトラジエーター型のトゥイーターをもってきて、
ひっそり隠し味的に使うという手も考えられる。
もちろんフロントショートホーンを足すことができれば、鳴らし方も広がってくるであろうが……。
タンノイのスピーカーシステムでフロントショートホーンがつくものは、わずかだ。
バックロードホーンを採用しているものは、いくつもある。
バックロードホーンの設計は難しい、と以前からいわれてきている。
設計だけではなく、うまく鳴らすことも難しい、ともいわれて続けている。
オーディオにも流行はあって、
バックロードホーンのスピーカーシステムがいくつかのメーカーから発売されたこともあった。
その多くは、ごく短い期間だけの発売でしかなかった。
バックロードホーンのスピーカーシステムをつくり続けているメーカーは、
じつはタンノイだけ、といってもいいだろう。
オートグラフはフロントショートホーンとバックロードホーンの複合型、
これ以降GRFもバックロードホーン、1954年に設立されたアメリカ・タンノイのラインナップにも、
オートグラフとGRFは存在し、やはりバックロードホーン型となっている。
アメリカ・タンノイのオートグラフとGRFはイギリス本家のそれらとは外観も異り、
アメリカ・タンノイのオートグラフには2つの仕上げがあり、フロントショートホーンは省かれている。
1986年、創立60周年記念モデルとして登場したRHRもバックロードホーン。
いまも1982年に登場したウェストミンスターが現役モデルとして存在しており、
つねにタンノイのスピーカーシステムのラインナップにはバックロードホーンがあった、といえる。
これだけ長くバックロードホーンのエンクロージュアをつくり続けているメーカーはタンノイは、
同軸型ユニットをつくり続けていることとともに、そこにタンノイ独自のポリシーともいえるし、
ある種の頑固さともいえるものを感じとれる気もする。
それにして、なぜバックロードホーンはうまく鳴らすのが難しいのだろうか。
エンクロージュアの構造に起因する問題点は確かに存在するものの、理由はそれだけはないようも感じている。
2003年から数年間、audio sharingでメーリングリストをやっていた。
いまも、メーリングリスト、もしくはメーリングリスト的なことは始められないんですか、という声をいただく。
いま契約しているレンタルサーバー会社にメーリングリストのサービスはない。
仮にあったとしても、いまメーリングリストを、数年前のまま再開することに抵抗がまったくないわけではない。
今月にはいり放ったらかしにしていたfacebookを使いはじめたのは、
メーリングリストに代わるものとして使えそうだと思ったからである。
思いつくまま使ってみた。
facebookページに「オーディオ彷徨」と「聴こえるものの彼方へ」もつくった。
それで今日(7月24日)未明、「audio sharing」というグループをつくった。
いまのところ非公開にしている。
これから先に公開していくかどうかは決めていない。
ずっと非公開のまま運営していくかもしれない。
このfacebookグループを、メーリングリストに代わるものとしていく。
音楽、オーディオに関することであれば、どんなこともでも気軽に書き込め、
そして真剣な討論もできるような場にできればと考えている。
メーリングリストでは文字だけだったが、facebookなので写真、動画なども添付できる。
気軽に登録・参加していただければ、と思っている。
facebookのアカウントをお持ちの方は、私のfacebookアカウントまでメッセージをくだされば登録いたします。
ここをクリックしていただいても可能だと思います。
お待ちしております。
(多くの方に参加していただきたいので、24日に公開したものを再掲しました。)
ステレオサウンドは、この9月に出る180号で創刊45周年となる。
ステレオサウンドは45歳なのか、と思い、ふと振り返ってみると、
私も今年の秋、「五味オーディオ教室」を読んだときから35年がたつ。
「五味オーディオ教室」を読んだとき、ステレオ再生出来る装置は持っていなかった。
音楽を聴くのは、モノーラルのラジカセだった。
だからこそ「五味オーディオ教室」に夢中になれた、ともいえる。
「五味オーディオ教室」を最初に読んだときに刻みつけられたことは、私にとってのオーディオの原点であり、
核であり、いまもそれは変ることはない。これから先も変らない、とこれは断言できる。
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
「素晴らしい人生にしか素晴らしい音は鳴らない」
このふたつは、刻みつけられたものの中でも、もっとも深いもので、
それからの35年間は、結局のところ、このことについて考え答えを求めていた、といえよう。
やっといま、答えといえるものが見えてきた、と感じている。
しかも、このふたつは実のところ、ほぼ同じことを、別の視点から捉え表現したものではないか、とも思っている。
そう考えることで、いままで体験してきたことの中で、
私の中で不思議な位置づけにいる事柄のいくつかが結びつく予感もある。
「五味オーディオ教室」から35年たち、やっと再出発できるところなのかもしれない。
私のチューナーに対する関心度の低さを表していることが、
チューナーの中に、絵を描けるモノがひとつなかった、ということがあげられる。
スピーカーシステムにしろ、アンプにしろ、プレーヤーにしろ、
憧れのオーディオ機器は細部まで記憶しているし、絵のうまい下手は措いとくとして、記憶だけで細部まで描ける。
そういうふうに描けるオーディオ機器はいくつもあるのに、チューナーに関してはなかった。
使っていたMR71ですら、きちんと描くことはできない。
とはいっても大まかな構成については記憶しているので、なんとなくそれらしきものは描けても、
細部の記憶となると、まったくだめである。
つまりそれだけチューナーへの関心は低かったわけだ。
1980年代のおわりからFMの多局化がはじまった。
でもそのころにはすっかりチューナーは、私のオーディオのシステムにはもうなかった。
FMを聴くためにチューナーを購入しようという気もまったくなかった。
それがずっと続いてきていた。
もうひとつ、チューナーのデザインについても、なめていたところを持っていた。
所詮、チューナーは横に長い受信周波数の表示された表示とメーター、チューニングダイアル、
大ざっぱにいえばこれらからなり、これらによるデザイン上の制約が大きいし……、
愚かにもそう捉えていたことも、正直にいえば、あった。
チューナーのデザインは、実際にはそういうものではないということには気づくものの、
それでもチューナーへの関心が高まることはなく、ここまできたのが、私の中では反転してしまった。
なにかきっかけといえるものがあったわけでもない。
コントロールアンプについて考えていたときに、
これから先のコンピューターとの融合についてなんとなく思っていたときに、
チューナーの在り方について考えていくことが答えになるのではないか、と思いついたからだ。
いまではティール・スモール・パラメーターによるエンクロージュアの最適化が、
パソコンの普及と高性能化のおかげで誰でもが手軽にできるようになった。
実際にシミュレーションしていくとわかることだが、
エンクロージュアの内容積をただ増やしていくだけでは低域のレスポンスに関しては、
必ずしも良好な特性とはならない。
使用するウーファーのティール・スモール・パラメーターによるけれども、
一般的にいって適正内容積のエンクロージュアではフラットな低域のレスポンスも、
最適値から外れて内容積を大きくしていくと低域のレスポンスはだら下りの傾向になる。
その下りはじめる周波数も、適正内容積のエンクロージュアにくらべて高くなりがちである。
だからエンクロージュアの内容積をむやみに大きくしても、それは自己満足であって意味がないどころか、
デメリットのほうが大きい、という意見がある。
たしかに低域のレスポンスを見る限りはそういえなくもないが、
その特性は無響室での特性のシミュレーションの結果でしかない、ともいえる。
そして実際のリスニングルームに置き音を出したときの聴感上、
自然な低音を聴かせてくれるのはどっちか、ということとシミュレーション結果は常に一致するものではない。
ヨークミンスターに採用されている同軸ユニットのティール・スモール・パラメーターがどうなのかはわからない。
だが25cmや38cm口径の同軸型ユニットと、
ヨークミンスターに搭載されている30cm口径のユニットだけが異る性格をもつものとは思えない。
にもかかわらずヨークミンスターだけユニットの口径に対して内容積が大きくとっている。
技術資料がないので憶測の粋をでないけれど、
ヨークミンスターはあえて内容積を大きくとることを選択したように思えてならない。
フロントショートホーンのついていないタンノイのスピーカーシステムは、
おまえにとってタンノイではないか、と問われれば、
そうじゃない、とはっきり否定できない微妙なところはやっぱりどこかに残っている。
それだけオートグラフというスピーカーシステムの存在は、私の中では大きすぎていて、
オートグラフ・イコール・タンノイ、となってしまう。
これは、この先どうにかなるものではない、と思っている。
そのくらいしっかりと刻印されていることは、もう消しようがない。
そんなことがあるから、タンノイのスピーカーシステムに関しては、
キングダム(オリジナルのKingdom)に魅力を感じるかもしれない。
とはいいつつも、いのタンノイのラインナップの中で、気に入っているスピーカーシステムがある。
ヨークミンスター(Yorkminster/SE)がそうだ。
フロントショートホーンはついていない。
けれど、まずサランネットをつけているとオートグラフを思わせる外観が、
たとえばカンタベリーとは異り、好感がもてる。
それにエンクロージュアの容積が、ユニットの口径に対して、
現在のタンノイのスピーカーシステムの中ではもっとも余裕のある設計となっている点が、またいい。
ヨークミンスターは30cm口径の同軸型ユニットに対して、200リットルのエンクロージュアとなっている。
上級機種のカンタベリーは38cm口径とひとまわりユニットは大きくなっていても、内容積は235リットルどまり。
25cm口径のユニットを搭載した3機種、スターリング、ターンベリー、キングストンは、
それぞれ85リットル、100リットル、105リットルとなっている。
ヨークミンスターの200リットルが、いかに余裕をとったものかがわかる。
これはタンノイ同士の比較だけでなく、
他社製の30cm口径のウーファーを搭載したスピーカーシステムと比較しても、
ヨークミンスターの200リットルは、いまでは異例の内容積といっていい。
パラゴンの組合せに関することをまとめて書いてしまったのは、
早くタンノイの組合せについて書きたかった、ということがある。
タンノイ、といえば、私にとっては、オートグラフである。
これは何度も書いているように、五味先生の書かれたものに影響されてのことであり、
つまり私にとっては、五味先生のオートグラフの音こそが、「タンノイの音」ということになるわけだ。
もちろん五味先生のオートグラフを聴いたことがあるわけではない。
ひたすら書かれたものを読んで,私の中であるかたちになってきたものが、タンノイの音ということになる。
だから、これまで多くのタンノイのスピーカーシステムを聴いてきても、
それは、私にとっては、私の中で、あるかたちになっているタンノイの音ではなかった。
タンノイのスピーカーシステムの新製品が出るたびに期待し、やはり違う、ということになる。
オートグラフ以外のタンノイの音が悪い、ということではもちろんない。
ただ、あくまでも私の中にある五味先生のオートグラフの音とは違うし、
そこに通じる何かを感じとることができなかった、というだけ話である。
そういうこともあって、タンノイのスピーカーに関しては、
むしろロックウッドのスピーカーシステムに対しての関心が強くあり、
この項の番外として、ロックウッドの組合せについて書いているぐらいである。
とはいうもの、これまで聴いてきたタンノイの音に、
ハッとさせられたモノがいくつかある。
五味先生がオートグラフに求められていたのは、
こういうことなのかもしれない、と確かな何かを感じさせてくれたのは、
ウェストミンスターであり、ステレオサウンドの記事によってつくられたコーネッタである。
どちらもフロントショートホーンをもつ。
オートグラフにもついている。
オートグラフにあってGRFにないもの、
そして実際に音を聴いてもオートグラフとGRFは別物と私の耳には聴こえてしまう、
その理由はフロントショートホーンだということになる。
ジェンセン、ルンダール、マリンエアまで候補としてあげておきながら、
ひとつ忘れていたトランス・メーカーを思い出した。
ドイツのHAUFEだ。
ドイツのオーディオ機器に詳しい方ならご存じの方もおられるだろうし、
メーカー名は知らなくても、この会社が作っているトランスの写真を見れば、
どこかで見たことがある、と思われるはず。
EMTの管球式イコライザーアンプに搭載されているトランス、
ノイマンの業務用機器に搭載されていたトランスを作っていた会社が、HAUFEだ。
この会社の感心、というよりも凄いところは、
オーダーを出せば、すでに製造中止になっているトランスでも作ってくれるところにある。
まったく同じモノかどうかは断言できないけれど、少なくとも期待を裏切るようなモノは作ってこないだろう。
だからといって、昔のトランスの復刻だけをやっているわけではない。
このHAUFE社のトランスも、候補のひとつしてあげておく。
FMはひとつの電波でステレオ放送を可能にするために、送信側で一旦ステレオの合成波にして送り出し、
その合成波を受信側(チューナーの内部)で、元の2チャンネルの信号に分離するわけだが、
そのために必要な信号としてパイロット信号が、ステレオ合成波には含まれている。
このパイロット信号は19kHz。この信号を目印にしてチューナーは左右の信号をまちがえることなく分離できる。
ただ19kHzは、いちおう可聴周波数に含まれている。
そのためチューナーの内部にはこの19kHzのパイロット信号を取り除くためのハイカットフィルターがある。
チューナーによってフィルターの次数、遮断周波数は異るものの、
どんなに高いチューナーでも16kHz以上はカットしている。
ローコストのチューナーであれば、15kHzもしくはもう少し下の周波数からカットしている。
チューナーからの音はだいたい15kHz以上はカットされている。
そういうものであるから、お金をかけるなんてもったいない、という意見もある。
確かに市販されているレコードの放送を聴くのであればそのとおりだが、
15kHz以上がカットされていても、生放送、つまりいちども録音されていない音が送られてくると、
その美しさに驚くことがある。単に周波数特性だけでは語れない音の美しさがあり、
それに魅了された人たちは、最高のチューナーを求め、多素子の専用アンテナを立て、最高の録音器を用意する。
私は、それを実現できなかった。
だからというわけではないが、チューナーへの関心は、
他のオーディオ機器──スピーカー、アンプ、プレーヤーなど──にくらべると薄かった。
マランツ10Bやセクエラの凄さはわかっていも、憧れの対象にはならなかった。
各社から発売されているチューナーにどういうモノがあるのは知っていても、細部まで知っていたわけではない。
カッコいいチューナであれば、性能的にも大きな不満がなければ、それで十分ぐらい、という捉え方をしていた。
それがいま(この1、2年のことだが)、チューナーのデザインへの関心が強くなっている。
細かいことに要求をしなければ、FM放送はAM放送のような雑音もなく、
カセットデッキがあればエアチェックによって、自由に聴ける音楽は増えていく。
レコードを購入することに較べれば、ずっと少ない予算ですむ。
そういう意味では、コストパフォーマンスの高い音楽を聴く手段といえる。
けれどひとたびクォリティを求めるようになったら、
五味先生のように生放送の録音や、
その当時は毎年暮に放送されていたバイロイト音楽祭をできるかぎり最高の音で録音しようということになったら、
チューナーに最高のモノをもってくるだけでは無理で、多素子のアンテナも立てなければならない。
たとえフィーダーアンテナでも十分すぎる感度が得られていても、専用の多素子のアンテナを立てて、
感度が高過ぎたらチューナーとの間にアッテネーターを挿入した方が音の面では有利だ、と聞いている。
これは試聴したことがないので断言できないけれど、おそらくそうだと思う。
アンテナを立てるために必要な条件が実現することは、東京ではかなり大変なことでもある。
そうやって最大限受信したものをできるだけそのまま録音しようとしたら、
それなり、というよりも最高のデッキが求めたくなるものだ。
カセットデッキでも、ナカミチの1000のような製品もあるけれど、
限界まで目ざすのであれば、やはりオープンリールデッキで、それも2トラックの38cm/secのもの、
いわゆる2トラ38のモノに自然と行きつくことになる。
最高のチューナー、マランツの10Bもしくはセクエラを買って、専用アンテナも2トラ38のデッキも用意した。
これだけ揃えればすむというものではなくて、
クラシックの曲は、テープの録音時間などまったく考慮していない長さをもつものもあるから、
2トラ38では曲の途中でテープ交換の必要が出てくる。
カセットデッキでさえテープの交換には多少の時間がかかる。
ましてオープンリールデッキでは、カセットデッキのように片手でできるわけではないから、
ここは当然もう1台オープンリールデッキが必要となる。
できれば同じオープンリールデッキで揃えたい。
テープの価格も、オープンリールは安いとはいえない。
こうやって考えていくと、クォリティを求めていくとエアチェックの大変さが一気にましていく。
「コンポーネントステレオの世界 ’80」でつくられた組合せの音について、どう語られているを拾っていくと、
まず4343の、予算400万円の組合せでは、当時、自宅で愛用されていたものでの組合せということもあってか、
最終的な音に関しては、あまり語られていない。
まず「日常的に聴いている音ですから、満足していますというよりいいようがない」と言われ、
つけ加えるように、
「満足していながら、いわばないものねだりみたいなところもあるんです。たとえば、このままの解像力で、
このままの透明感をたもちながら、また質感をたもちながら、そこにいま以上の豊麗さ、
それから色っぽさみたいなものが出てきてほしいといったような……」と。
アルテックの620Bの組合せは、4343の組合せの予算の半分、
その音については、「かなり享楽的な色彩をもっているのです。爛熟した、といいたいほど、熟した感じの音で、
リッチな音といってもいいかもしれません」と語られたうえで、
「こういう感じの音は、以前のぼくは、どちらかというと敬遠していたわけですが、なぜか最近好きになってきた。
好きになったというより、積極的に憧れるようになってきたんでね(笑)。」
言葉の上であっても、4343の組合せと620Bの組合せは、音の世界としては共通しているところうもちながらも、
そこから違う方向に分岐した、それぞれに良質の音といえ、
4343の組合せに対して、こういう音が出てくれれば、と求められているところを、620Bの組合せは特長としている。
この620Bの組合せの印象は、パワーアンプにアキュフェーズのP400なのか、
ミカエルソン&オースチンのTVA1なのか、はっきりと書かれていないが、全体の音の印象から判断すると、
TVA1で鳴らされた音と受けとっていいだろう。
TVA1の音について語られているところを引用しておく。
*
こうしたアンプというのは、いままで日本とアメリカでしか見られなかったのですが、イギリスからも登場したというところが、興味ぶかいと思うのです。アンプというのはじつに面白いなと思うのは、エレクトロニクスでコントロールできそうな機器であるにもかかわらず、きわめてデリケートなところで、日本とアメリカとイギリスの製品では、音のニュアンスとか味わいにちがいが聴かれることですね。
このTVA1という管球アンプも、アメリカのものとも日本のものともちがっていて、どこか渋い、くすんだ色調の、そしてたいへん上品な味わいの音をもっています。しかも、いまイギリスのアンプを代表しているQUADの、贅肉を抑えた、潔癖症の音の鳴り方とは、まるで正反対の、豊かな肉づきの、たとえていえば充分に熟成した果実のような、水気をたっぷりとふくんだ音とでもいいましょうか、そういったイメージの音を聴かせてくれるのです。
中継局を経由することによる音質の劣化がどれだけなのか実際に聴いたわけではないが、
テレビで衛星放送がはじまったとき、大晦日の紅白歌合戦の見較べはFMの聴き較べと理屈の上では同じことになる。
テレビの電波も中継局をいくつか経由して東京から九州まで届く。
一方衛星放送(BS放送)では受信する地域によって経由が異るわけではない。
もちろんそれ以外の違いがあるから厳密な、経由局による劣化を確認していることにならないだろうが、
それでもチャンネルを変えてみると、こうも発色の具合、鮮度の良さが違うものかと驚いた。
こういう比較は、東京に住んでいると逆にできなくて地方に住んでいたから可能なことでもあった。
おそらくこれに近いことがNHK-FMを聴くときには生じていたはずだ。
1980年以降、中継局間をデジタルによる伝送方式に置き換わっていくことで、
この中継局経由によるクォリティの劣化はほとんど無視できるようになっているはずだが、
私がいなかに住んでいたころは、まだそういう時代ではなかった。
1981年に上京して、東京FMが聴けるようになった。
初めて聴いた民放のFM放送だ。
とはいっても私がそのころ用意できた受信環境は貧弱だった。
とにかく受信できた、聴けた、といったところだった。
それからしばらくしてマッキントッシュの管球式のFMチューナーMR71を使っていたころがあったが、
集合住宅に住んでいると専用アンテナを立てるわけにはいかずフィーダーアンテナ。
「五味オーディオ教室」を読んだ時から思っていた、
いつかはFMの受信環境をきちんと整えて、生放送を聴く、ということはなかなか実現できなかった───、
ではなく、ついに実現できなかった。
このころになって、FMとは、実は贅沢なものであることに気づく。