見えてきたもの
ステレオサウンドは、この9月に出る180号で創刊45周年となる。
ステレオサウンドは45歳なのか、と思い、ふと振り返ってみると、
私も今年の秋、「五味オーディオ教室」を読んだときから35年がたつ。
「五味オーディオ教室」を読んだとき、ステレオ再生出来る装置は持っていなかった。
音楽を聴くのは、モノーラルのラジカセだった。
だからこそ「五味オーディオ教室」に夢中になれた、ともいえる。
「五味オーディオ教室」を最初に読んだときに刻みつけられたことは、私にとってのオーディオの原点であり、
核であり、いまもそれは変ることはない。これから先も変らない、とこれは断言できる。
「無音はあらゆる華麗な音を内蔵している」
「素晴らしい人生にしか素晴らしい音は鳴らない」
このふたつは、刻みつけられたものの中でも、もっとも深いもので、
それからの35年間は、結局のところ、このことについて考え答えを求めていた、といえよう。
やっといま、答えといえるものが見えてきた、と感じている。
しかも、このふたつは実のところ、ほぼ同じことを、別の視点から捉え表現したものではないか、とも思っている。
そう考えることで、いままで体験してきたことの中で、
私の中で不思議な位置づけにいる事柄のいくつかが結びつく予感もある。
「五味オーディオ教室」から35年たち、やっと再出発できるところなのかもしれない。