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Date: 8月 9th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その12)

瀬川先生は、
マイケルソン&オースチンのパワーアンプによる4350Aのバイアンプ駆動の組合せで、
コントロールアンプはアキュフェーズのC240を、やはり選ばれるのか……、とも思う。

4343やアルテックの620Bの組合せでは、C240とTVA1の組合せは好ましい。
けれど、ここでの組合せは4350Aであり、しかもバイアンプである。

低域用にもTVA1をもってこられるとしたら、コントロールアンプはC240ですんなりと落着くと思う。
だが低域用にはM200である。
となると、もしかするとマークレビンソンのML6という可能性もあったのではないか……、そんな気もしてくる。

ML6だったとしたら、エレクトリックデヴァイディングネットワークはLNC2になる。
ML6がモノーラル仕様だからLNC2もモノーラルにされるかもしれない。
M200もモノーラル仕様だからだ。
となると、中高域用のTVA1も贅沢に片チャンネルのみ使用するということになるかもしれない。

コントロールアンプがC240だったら、こんなことはされないと思うが、
ML6をもし選択されたのであれば、ここまでいかれたのではないか。

そんな気がするのは、オール・レビンソンによるバイアンプ駆動の音を「ひとつ隔絶した世界」と表現され、
M200の音の切れ味に関して、次のように書かれているからだ。
     *
切れ味、という点になると、このアンプの音はもはや剃刀のような小ぶりの刃物ではなく、もっと重量級の、大ぶりで分厚い刃を持っている。剃刀のような小まわりの利く切れ味ではない。力を込めれば丸太をまっ二つにできそうな底力を持っている。
     *
この音の切れ味は、レビンソンの音の切れ味と対極にある。
《どこまでも音をこまかく分析してゆく方向に、音の切れこみ・切れ味を追求するあまりに、まるで鋭い剃刀のような切れ味で聴かせるのが多い。替刃式の、ことに刃の薄い両刃の剃刀の切れ味には、どこか神経を逆なでするようなところがある》、
この傾向がもっとも強いといえるのが、この時代のマークレビンソンのアンプの音だった。

「ひとつ隔絶した世界」と対極にあるもうひとつの「ひとつ隔絶した世界」を、
マイケルソン&オースチンのTVA1とM200のバイアンプ駆動によって、
4350Aから抽き出すことができるのであれば、そこまで瀬川先生は試されたような気がする。

《力を込めれば丸太をまっ二つにできそうな底力》は、
内蔵ネットワークでの4343以上に研ぎ澄まされるはずである。

4350Aではウーファーにはネットワークが介在しない。
しかもダブルウーファーである。
《力を込めれば丸太をまっ二つにできそうな底力》は、力を込めれば丸太をまっ二つにできる底力になるはずだ。

大ぶりの分厚い刃は、より鍛え抜かれたものになるのではないか。
それがどういう音なのか、想像するのが楽しくてならない。

Date: 7月 23rd, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その11)

「コンポーネントステレオの世界 ’80」でM200(B200)のことを書かれているが、
このときのコントロールアンプについては何も書かれていない。

M200は自宅で試聴されているから、
瀬川先生が自宅で使われていたコントロールアンプとなると、
マークレビンソンのLNP2とML6、それにアキュフェーズのC240である。

このころのステレオサウンドを読まれていた方ならば、
TVA1とC240のペアを、《近ごろちょっと類のない素敵な味わい》と評価されているから、
C240の可能性が高い。

けれどTVA1とM200は出力管の種類も数も違うから、
もしかするとマークレビンソンだったかもしれない可能性は捨てきれないが、
4350Aで、オール・レビンソンによる世界と対極にある音の世界を求めてということになれば、
C240をコントロールアンプにされるだろう。

マルチアンプドライヴで要となるエレクトロニッククロスオーバーネットワークはどうされるか。
オール・レビンソンではLNC2を、片チャンネルを遊ばせたモノーラル使いだった。

ここではコントロールアンプがアキュフェーズだから、
同じアキュフェーズのF5だろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」で瀬川先生は4343のバイアンプドライヴをやられている。
ここでは予算100万円の組合せから、200万円、400万円とステップアップするもので、
最終的に4343を、コントロールアンプはML6、パワーアンプはアキュフェーズのP400、
エレクトロニッククロスオーバーネットワークは、同じアキュフェーズということでF5を選ばれている。

ただしヤマハのEC1も候補にあげられていた。
そして、どちらにしようか、いまも迷っている、と発言されている。

F5はクロスオーバー周波数を別売のクロスオーバーボードを差し替えて行なう。
EC1はクロスオーバ周波数を細かく、ツマミでいじれるようになっている。
F5の減衰特性は-12dB/octと-18dB/octに対し、EC1は-6dB/octの選択できる。
それに-12dB/oct時のQ特性も05〜1.0のあいだで連続可変となっている。

だから瀬川先生は、
《ぼくはこういったところをいじるのが好きですから、こちらの方を気に入っている》といわれている。
だからEC1を選択された可能性もある。ただしEC1には250Hzという、4350にぴったりの値はない。
4350の場合、EC1だとクロスオーバー周波数が200Hzになってしまう。

アキュフェーズからは、F5の上級機にあたるF15が、M200から遅れて登場している。
組合せをつくる時期によっては、F15、それからエスプリのTA-D900も候補にはいってくる。

4343をTVA1二台でバイアンプというのであればF5でもいいと思うけれど、
4350を、それも低域にはM200をもってくるバイアンプでは、正直F5ではなくF15にしたいところだ。

Date: 7月 22nd, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その10)

瀬川先生はステレオサウンド 52号で、書かれている。
     *
 ところで、ML6の音は良いと思い、ML2Lの音にまた感心し、両者を組合わせたときの音の素晴らしさに惚れ込みながら、しかしその音だけでは十全の満足が得られないように思われる。それは一体何だろうか。
 おそらく、音の豊かさ、それも、豊潤(あるいは芳醇)とか潤沢とか表現したいような、うるおいも艶もそして香りさえあるかのような豊かさ。光り輝くような、それも決してギラギラとまぶしい光でなく、入念に磨き込まれた上品な光沢、といった感じ。
 そんなリッチな感じが、レビンソンの音には欠けている。というよりもレビンソン自身、そういう音をアンプが持つことを望んでいない。彼と話してみてそれはわかるが、菜食主義者(ヴェジタリアン)で、完璧主義者(パーフェクショニスト)で、しかもこまかすぎるほど繊細な神経を持ったあの男に、すくなくとも何か人生上での一大転換の機会が訪れないかぎり、リッチネス、というような音は出てこないだろうと、これは確信をもっていえる。
 いわゆる豊かな音というものを、少し前までのわたくしなら、むしろ敬遠したはずだ。細身で潔癖でどこまでも切れ込んでゆく解像力の良さ、そして奥行きのある立体感、音の品位の高さと美しさ、加えて音の艶……そうした要素が揃っていれば、もうあとは豊かさや量感などむしろないほうが好ましい、などと口走っていたのが少し前までのわたくしだったのだから。たとえば菅野沖彦氏の鳴らすあのリッチな音の世界を、いいな、とは思いながらまるで他人事のように傍観していたのだから。
 それがどうしたのだろう。新しいリスニングルームの音はできるだけライヴに、そしてその中で鳴る音はできるだけ豊かにリッチに……などと思いはじめたのだから、これは年齢のせいなのだろうか。それとも、永いあいだそういう音を遠ざけてきた反動、なのだろうか。その詮索をしてみてもはじまらない。ともかく、そういう音を、いつのまにか欲しくなってしまったことは確かなのだし、そうなってみると、もちろんレビンソン抜きのオーディオなど、わたくしには考えられないのだが、それにしても、マーク・レビンソンだけでは、決して十全の満足が得られなくなってしまったこともまた確かなのだ。
     *
そして53号で、オール・レビンソンによる4343のバイアンプの音を聴かれて、書かれている。
     *
「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。
 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。
 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
 そう思ってみてもなお、ここで鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。
     *
サンスイのショールーム、スイングジャーナルの試聴室での4350のオール・レビンソンによる音を聴かれ、
自身のリスニングルームで自身の4343を、4350と同じラインナップで鳴らされている。
その感想を、53号に書かれている。

オール・レビンソンの音を「ひとつ隔絶した世界」と認めながらも、
そこに決定的に欠けているものを求めようとされている。

ちょうどそのころにマイケルソン&オースチンのTVA1が登場している。

Date: 7月 22nd, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その9)

「4350の組合せ」について書こうとしたのは、
井上先生が4350Aを所有されていたこと、井上先生ならばどういうシステムで鳴らされたのか。
そのことを考えていたからである。

最初はそのことについて書く予定だったのが、書いていくうちに書きたいことが出てくる。
瀬川先生はオール・レビンソンの組合せだったわけだが、
こんな組合せもつくられたのではなかろうか……、そうおもえることがある。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭の冒頭を読んでほしい。
     *
 秋が深まって風が肌に染みる季節になった。暖房を入れるにはまだ少し時季が早い。灯りの暖かさが恋しくなる。そんな夜はどことなく佗びしい。底冷えのする部屋で鳴るに似つかわしい音は、やはり、何となく暖かさを感じさせる音、だろう。
 そんなある夜聴いたためによけい印象深いのかもしれないが、たった昨晩聴いたばかりの、イギリスのミカエルソン&オースチンの、管球式の200ワットアンプの音が、まだわたくしの身体を暖かく包み込んでいる。
 この200ワットアンプは、EL34/6CA7を8本、パラレルPPでドライヴするモノフォニック構成の大型パワーアンプで、まだサンプルの段階だから当分市販されないらしいが、これに先立ってすでに発売中のTVA1という、KT88・PPの70ワットのステレオ・パワーアンプの音にも、少々のめり込みかけていた。
 近ごろのТRアンプの音が、どこまでも音をこまかく分析してゆく方向に、音の切れこみ・切れ味を追求するあまりに、まるで鋭い剃刀のような切れ味で聴かせるのが多い。替刃式の、ことに刃の薄い両刃の剃刀の切れ味には、どこか神経を逆なでするようなところがあるが、同じ剃刀でも、腕の良い職人が研ぎ上げた刃の厚い日本剃刀は、当りがやわらかく肌にやさしい。ミカエルソン&オースチンTVA1の音には、どこか、そんなたとえを思いつかせるような味わいがある。
 そこにさらに200ワットのモノ・アンプである。切れ味、という点になると、このアンプの音はもはや剃刀のような小ぶりの刃物ではなく、もっと重量級の、大ぶりで分厚い刃を持っている。剃刀のような小まわりの利く切れ味ではない。力を込めれば丸太をまっ二つにできそうな底力を持っている。
 たとえば、少し前の録音だが、コリン・デイヴィスがコンセルトヘボウを振ったストラヴィンスキーの「春の祭典」(フィリップス)。その終章近く、大太鼓のシンコペーションの強打の続く部分。身体にぴりぴりと振動を感じるほどの音量に上げたとき、この、大太鼓の強打を、おそるべきリアリティで聴かせてくれたのは、先日、SS本誌53号のための取材でセッティングした、マーク・レビンソンML2L2台のBTL接続での低音、だけだった。あれほど引締った緊張感に支えられての量感は、ちょっとほかのアンプが思いつかない。ミカエルソン&オースチンB200の低音は、それとはまた別の世界だ。マーク・レビンソンBTLの音は、大太鼓の奏者の手つきがありありとみえるほどの明解さだったが、オースチンの音になると、もっと混沌として、オーケストラの音の洪水のようなマッスの中から、揺るがすような大太鼓の轟きが轟然と湧き出してくる。まるで家全体が揺らぐのではないかと思えるほどだ。
 B200の音の特徴は、もうひとつ、ピアノの打音についてもいえる。もう数年前から、本誌での試聴でも何度か使ってきた、マルタ・アルゲリチのショパンのスケルツォ第2番(グラモフォン)の打鍵音は、ふつうとても際どい音で鳴りやすい。とくに高音の打鍵ほど、やせて鋭い人工的な鳴りかたになりやすい。しかしB200では、現実のピアノで体験するように、どんな鋭い打鍵音にもそのまわりに肉づきの豊かな響きが失われない。ただ、アルゲリチ独特の──それを嫌う人も多いらしいが──癇性の強い鋭いタッチが、かなり甘くソフトになってしまう。まるで彼女の指までが肉づき豊かに太ってしまったかのように。それにしても、近ごろ聴いた数多くのアンプの中で、音の豊かさ、暖かさが、高域の鋭さまでを柔らかくくるみ込んでしまって、ピアノの高域のタッチをこれほど響きをともなって聴かせてくれるアンプは、ほかにちょっと思い浮かばない。いくら音量を上げても、刺激性の音がしない。それで、最後に、アース・ウィンド&ファイアの「黙示録」(CBSソニー)の中から、おそらくこれ以上上げられないと言う音量で二曲聴き終えたら、同席していた3人とも、耳がジーンとしびれて、いっとき放心状態になってしまった。あまり大きな音量だったので、玄関のチャイムが聴こえずに、そのとき友人が表でウロウロしていたのだが、遮音については相当の対策をしたはずのこの部屋でも、EWFのときばかりは、盛大に音が洩れていたらしい。
     *
この時は試作品だということで型番がB200となっているアンプは、マイケルソン&オースチンのM200のことだ。
EL34を八本使った出力段をもつこのアンプは200Wで、KT88プッシュプルのTVA1の約三倍の出力を持つ。

シャーシーはTVA1とM200は共通。TVA1がステレオ仕様に対してM200はモノーラル仕様。
出力トランスもM200のそれはTVA1の出力トランスのふたつ分の大きさとなっている。

瀬川先生はこのM200を低域用として、TVA1を中高域用として4350Aを鳴らされたのではないか。
そうおもえてくるのだ。

Date: 7月 21st, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その8)

もう少し水にこだわって書けば、
マークレビンソンのML6とマッキントッシュのC29の違いには、のどごしの違いもあるように思う。
のどごしにも好みがあろう。

1995年ごろだったか、
日本にもフランスのミネラルウォーターの中で最も硬水といわれるコントレックスが輸入されるようになった。
いまではどのスーパーマーケットにも置いてあるし、
ディスカウントストアにいけば1.5ℓのペットボトルが150円を切っている。

いまから20年ほど前は扱っているところも少なかった。
そのころ祐天寺に住んでいたけれど、まわりの店にはどこにもなく、
隣の駅の学芸大学の酒屋で偶然見つけたことがある。
価格は1.5ℓで400円ほどしていた。

水の味といってもたいていは微妙な違いであるが、
コントレックスは誰が飲んでも、味がついているとくらいだった。
しかもたまたま遊びに来ていた友人に出したところ、硬くてのみ込みにくい、といわれた。

コントレックスののどごしが私は好きだったけれど、友人は苦手としていた。
音にも、水ののどごしに似た違いがある。

耳あたりのいい音とは、違う。
耳(外耳)を口だとすれば、鼓膜が舌にあたるのか。
耳は、音によって振動する鼓膜の動きを耳小骨を用いて蝸牛の中へと伝えるわけだから、
咽喉にあたるのは蝸牛か。
となると喉越しではなく蝸牛越しとでもいうべきなのか。

とにかく音ののどごしは、人によって気持ちよく感じられるものに差はあるだろう。
ある人にすんなりと受け容れられる音ののどごしを、別の人はものたりないと感じることだってあろう。
コントレックスのように、気持いいのどごしと感じる人もいれば、重すぎるのどごしと感じる人もいる。

こうやって書いていると、アンプの音とは水のようなものぬたと思えてくる。
オーディオではアンプの音だけを聴くことはできない。
スピーカーが必要だし、プログラムソースも必要となって音を聴けるわけだから、
水そのものの味を聴いているわけではないが、
水の味はコーヒー、紅茶を淹れるときにも関係してくるし、
ご飯を炊くのであっても水の味は間接的に味わっている。
料理もそうだ。

水そのものを直接口にしなくとも、
口にいれるコーヒー、や紅茶、料理を通して、われわれは水の味の違いを感じとれる。
アンプの音とは、そういうものだと思う。

そして、1981年夏、レコード芸術で始まった瀬川先生の連載、
「MyAngle 良い音とは何か?」を思い出す。

この連載は一回限りだった。
一回目の副題は「蒸留水と岩清水の味わいから……」だったのを思い出していた。

Date: 7月 19th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その7)

井上先生が4350Aの組合せをつくられている「コンポーネントステレオの世界 ’80」、
その前年の’79年版で、瀬川先生はこう語られている。
     *
ぼく自身がレコード再生に望んでいることは、もう少しシビアなものです。それをうまく説明できるか自信はあまりないんだけれども、つまり、レコード音楽を再生するには、まず音が美しくなければならない。これがぼくきゼタ以上件なんですね。
 音が美しいというと、ちょっと誤解をまねくかしれませんが、もちろん音楽のなかには、不協和音をもつもの、あるいはもっと極端にノイズ的な音を出すもの、また一部のロックやクロスオーバーのように音源側ですでに音が歪んでいるもの、そういうものがあるわけだけれど、それを再生した場合に、音楽のイメージをそこなわない範囲で、しかし美しく再生したい、ということです。このことは、よくしゃべったり書いたりしているんだけど、ぼくは再生というものは虚構のなかの美学だという意識をもっています。だから、出てくる音をより美しく磨き上げて出すということが、ぼくにとっては絶対の条件なんですね。
 それを第一とすると、第二の条件としては、虚構であるからこそ、本物よりもっと本物らしくあってほしい、本物らしさを意識したい、という気持がぼくにはある。つまり作りものだから、いっそう本物らしくあってほしい、ということですね。このことについて、かつて菅野沖彦さんがうまいたとえを使われたから、それを借用すると、プラモデルの正確な縮尺モデルというものは、ビスの頭ひとつとっても正確な縮尺で作られているべきなのかもしれないが、現実にそう作ったらビスなどは見えなくなる。だから、実物らしくみせるには、ときには正確さをゆがめることも必要なんだ、ということですね。
 オーディオ再生というのは、それと同じで、縮尺の作業だと思う。つまり6畳とか8畳の空間に百人をこすオーケストラが、入りこめるはずはないんです。そのオーケストラを縮小して、ぼくらは聴いているわけでしょう。そしてそういう狭い空間でも、コンサートホールで聴いているような雰囲気を再現することができるのは、縮尺しているからです。しかし、たとえば25分の1とか50分の1といった形で、物理的に正確な縮尺をとったら、さっきのビスの頭と同じで、聴こえなくなる音がいっぱい出てきます。そこでそれを、部分的に強調してやる。強調するという言葉に抵抗があるんだったら、レトリックといってもいいてしょう。レトリックの作業を行うわけです。いいかえると、オーディオ再生には、より生々しく感じさせるための最少限のレトリックが必要なんだ、と思う。そしてそれを十全に表現してくれるスピーカーが、ぼくにとって望ましいんです。
 したがって、いわゆる〈生〉と、物理的にイコールかどうかと測定の数値ばかりを追いかけたり、物理的に比較したりすることだけが、製作の最良の方法だと考えて作られたスピーカーは、ぼくには不満がのこります。音の美学といいたいところのものを、十分に理解したうえで作られたスピーカーでないと、ぼくは共感がもてないんです。
 そのことをさらに押しすすめていうと、これもぼくが口ぐせみたいにいっていることですが、音が鳴り出すと同時に、演奏している場と自分の部屋とか直結したような感じ、それがあるかどうかということです。それを臨場感とか音場感といった言葉でいっているわけだけれど、要するに、そこに楽器の音があるだけではなく、音の周辺にひろがっている空間までもが、自分の部屋で感じられるかどうか、それからより濃密に感じられるかどうか、ということですね。
     *
井上先生と瀬川先生がレコード音楽再生において望まれているものは、基本的には同じでありながらも、
細部において違いがある。

それはプラモデルの正確な縮尺モデルで、どの部分の正確さを歪めるかの違いではないだろうか。
最少限のレトリックが必要ではある。
その最少限のレトリックを、どの部分にもってくるのか──、
これによってコントロールアンプの選択がマークレビンソンのML6かマッキントッシュのC29か、
わかれてしまうのではないだろうか。

井上先生の組合せには400万円という予算の制約があり、
瀬川先生の組合せには予算の制約がないということも忘れてはならないことにしてもだ。

Date: 7月 15th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その6)

ステレオサウンド 52号で瀬川先生は、マークレビンソンのML6のことを書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
 ともかくML6の音は、いままで聴きえたどのプリアンプよりも自然な感じで、それだけに一聴したときの第一印象は、プログラムソースによってはどこか頼りないほど柔らかく聴こえることさえある。ML6からLNPに戻すと、LNPの音にはけっこう硬さのあったことがわかる。よく言えば輪郭鮮明。しかしそれだけに音の中味よりも輪郭のほうが目立ってしまうような傾向もいくらか持っている。
     *
また《ML6がML2Lの内包している音の硬さを適度にやわらげてくれる》とも書かれている。

瀬川先生と井上先生は、同じことをML6に関して言われている。
同時にふたりの違いもまた読み取れる。

4350Aではないが、4343の組合せを「続コンポーネントステレオのすすめ」でいくつかつくられている。
そのなかに4350Aの組合せとほぼ同じ例があり、
そこには「あくまでも生々しい、一種の凄みを感じさせる音をどこまで抽き出せるか」とある。

ここでの組合せはEMTのアナログプレーヤー950に、
アンプはマークレビンソンのML6とML2のペアである。

井上先生はリアリティのある音で聴きたいということでML6からマッキントッシュのC29に、
コントロールアンプを換えられた。
瀬川先生は、あくまでもパワーアンプにML2を使うことが前提ではあるものの、ML6を選択される。

《あくまでも生々しい、一種の凄みを感じさせる音》も、
リアリティのある音であり、それは《もはやナマの楽器の実体感を越えさえする》音でもある。

井上先生は「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、C29とML6を水に例えられてもいる。
     *
たとえていうと、マークレビンソンの音が、きわめて純度の高い蒸留水だとすれば、マッキントッシュC29+MC2205の音は、鉱泉水、つまりミネラルウォーターのような、そんな味わいをもっています。自然の豊かさの魅力、とでもいったらいいでしょうか。
     *
アンプの音を水に例えるのは、瀬川先生も52号の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」の最後でやられている。
     *
 アンプの音に、明らかに固有のクセのあることには、わたくしも反対だ。広い意味では、アンプというものは、入力にできるだけ正直な増幅を目ざすべきだ。それはとうぜんで、アンプがプログラムに含まれない勝手な音を創作することは、少なくとも再生音の分野では避けるべきことだ。
 しかし、アンプの音が、いやアンプに限らずスピーカーやその他のオーディオ機器一切の音が、蒸留水をめざすことは、わたくしは正しくないと思う。むろん色がついていてはいけない。混ぜものがあっても、ゴミが入っていても論外だ。けれど、蒸留水は少しもうまくない。本当にうまい、最高にうまい水は、たとえば谷間から湧き出たばかりの、おそろしく透明で、不純物が少なくて、純水に近い水であるけれど、そこに、水の味を微妙に引き立てるミネラル類が、ごく微量混じっているからこそ、谷あいの湧き水が最高にうまい。わたくしは、水の純度を上げるのはここまでが限度だ、と思う。蒸留水にしてはいけない。また、アンプの音が、理想の上では別として現実に蒸留水に、つまり少しの不純物もない水のように、なるわけがない。要は不純物をどこまで少なくできるかの闘いなのだが、しかし、谷間の湧き水のたとえのように、うまさを感じさせる最少限必要なミネラルを、そしてその成分と混合の割合を、微妙にコントロールしえたときに、アンプの音が魅力と説得力をもちうる。そういうアンプが欲しいと思う。そして水の味にも、その水の湧く場所の違いによって豊かさが、艶が、甘味が、えもいわれない微妙さで味わい分けられると同じように、アンプの音の差にもそれが永久に聴き分けられるはずだ。アンプがどんなに進歩しても、そういう差がなくならないはずだ。そこにこそ、音楽を、アンプやスピーカーを通じて聴くことの微妙な楽しみがある。
     *
私はC29もML6、どちらもミネラルウォーターだと思う。
ただ《その水の湧く場所の違い》があり、そのことによる含有されるミネラル類の量、割合に違いがある。
ML6は軟水のミネラルウォーターで、C29はML6よりは硬水という、そんな違いだと感じている。

Date: 7月 13th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その5)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」での、
井上先生の4350Aの組合せは、
マークレビンソンのML6のキャラクターとのミスマッチングかもしれないということで、
マッキントッシュのC29に変更されている。

記事では、ここで井上先生にML6に対する感想をきかせてください、とある。
     *
井上 ご承知のように、マークレビンソンにはLNP2Lというコントロールアンプがあります。ML6よりひとつ前の製品、ということになりますが、このLNP2Lはかなり明快な音で、輪郭をくっきりと出すアンプです。ただ音の作り方からいうと、やや古典的な感じがある。表情の豊かさとなめらかさ、それから音場感的な広がりという聴き方をしたときには、いまとなるとちょっと古典的かなという音になっているんですね。
 それに対してML6は、音の粒立ちもさらにこまかくなったし、帯域も広く感じるようになったし、いかにも現代的な音になっています。極端にいえば、アナログ録音に対するデジタル録音、といった感じがあるのです。
 しかし、JBL♯4350Aと組み合わせてみると、ややものたりなさがあります。音としてはたいへんきれいなんだけど、もうひとつ力感が不足なのですね。これだけの大型スピーカーを使うことの、大きな理由のひとつは、通常の音量でも力強く、リアリティのある音で聴きたい、ということでしょう。たんにきれいな音というだけでは、万全ではないと思うんですよ。それはむしろ、かつての古い聴き方で要求されたことです。つまり、レコードによごれた、きたない音が入っていても、それをいわば濾過してきれいに鳴らす、そういう要素がかつては重要視させていたのです。
 しかし、現代はそうではない。レコード側もずいぶん進歩して、録音もきわめてよくなってきていますから、最近では、再生音楽のなかのリアリティの追求ということが、大きくクローズアップされていると思います。そういう要素を追求する聴き手が、しだいに増加してきているわけです。
     *
この井上先生の発言を、
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭にある「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」(瀬川先生が書かれている)、
この中に登場してくるML6についての文章と対比させて読んでいくと、ひじょうに興味深い。

Date: 7月 11th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その4)

井上先生の4350Aの組合せはどうだろうか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」での組合せは次のとおり。

●スピーカーシステム:JBL 4350AWX(¥850.000×2)
●コントロールアンプ:マッキントッシュ C29(¥438.000)
●パワーアンプ:マッキントッシュ MC2300(低域用・¥798.000)/MC2205(中高域用・¥668,000)
●エレクトロニッククロスオーバー:JBL 5234(¥120.000)+52-5121(¥5,000×2)
●カートリッジ:オルトフォン MC20MKII(¥53.000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P10(¥300.000)
●昇圧トランス:コッター MK2 Type L(¥240.000)
組合せ合計 ¥4.227.000(価格は1979年当時)

菅野先生、瀬川先生の組合せでは予算の制約は設けられてなかったが、
井上先生の組合せでは400万円という予算の制約があってのものだ。

予算がもう少し上に設定されていれば、
アナログプレーヤーは上級機のExclusive P3になっていたと思う。

とはいえ、井上先生の意図は伝わってくる。

菅野先生、瀬川先生の組合せでは、アンプは最初から決っていたといえるのに対し、
井上先生の組合せではアンプ選びから始まっている。

最終的にはマッキントッシュのコントロールアンプとパワーアンプに決っているが、
最初はコントロールアンプを、瀬川先生と同じマークレビンソンのML6を使い、
低域に、当時ステレオサウンド試聴室のリファレンス的パワーアンプであったマランツのModel 510M。
このふたつを固定して中高域用のアンプとして、
ヤマハのB5、ビクターのM7050、デンオンのPOA3000を試されている。

この中ではPOA3000が粒立ちが滑らかですっきりとした音を聴かせてくれて、
組合せとしてはいいかな、ということになったけれど、
聴きつづけていると、4350Aの音を十全に鳴らしていないような感じがしてきた、ということで、
アンプの選択をコントロールアンプから再検討されている。

Date: 7月 11th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その3)

スイングジャーナルでの瀬川先生の組合せは次の通り。
この記事がいつだったのか正確には記憶していないが、1979年のものであることは確かだ。

ステレオサウンド 53号で4343を、
オール・マークレビンソン(しかもモノーラル仕様)のバイアンプで鳴らされた記事に、
このスイングジャーナルの4350の組合せ記事について触れられているのだから。

●スピーカーシステム:JBL 4350WXA(¥850.000×2)
●コントロールアンプ:マークレビンソン ML6L(¥980.000)
●パワーアンプ:マークレビンソン ML2L(¥800.000×6)
●エレクトロニッククロスオーバー:マークレビンソン LNC2L(¥630.000)
●カートリッジ:オルトフォン MC30(¥99.000)
●トーンアーム:オーディオクラフト AC4000MC(¥67.000)
●ターンテーブル:マイクロ RX5000+RY5500(¥430.000)
●ヘッドアンプ:マークレビンソン JC1AC(¥145.000×2)
組合せ合計 ¥8.996.000(価格は1979年当時)

LNC2はステレオサウンド 53号ではモノーラルで使われていたが、
スイングジャーナルでの試聴では都合がつかなかったのか、通常の使い方である。

1979年の瀬川先生は、ステレオサウンド 53号の「4343研究」で書かれている。
     *
サンスイオーディオセンターでの「チャレンジオーディオ」またはそれに類する全国各地での愛好家の集い、などで、いままでに何度か、♯4343あるいは♯4350のバイアンプ・ドライブを実験させて頂いた。そして、バイアンプ化することによって♯4343が一層高度な音で鳴ることを、そのたびごとに確認させられた。中でも白眉は、マーク・レビンソンのモノーラル・パワーアンプ6台を使っての二度の実験で、ひとつは「スイングジャーナル」誌別冊での企画、もうひとつは前記サンスイ「チャレンジオーディオ」で、数十名の愛好家の前での公開実験で、いずれの場合も、そのあとしばらくのあいだはほかの音を聴くのが嫌になってしまうなどの、おそるべき音を体験した。
 その音を、一度ぐらい私の部屋で鳴らしてみたい。そんなことを口走ったのがきっかけになって、本誌およびマーク・レビンソンの輸入元RFエンタープライゼスの好意ある協力によって、今回の実験記が誕生した次第である。以下にその詳細を御報告する。
     *
このころの瀬川先生は世田谷に建てられた新居でのリスニングルームで、
4343をマークレビンソンのML6とML2の組合せで鳴らされていた。バイアンプではなくシングルアンプで。

つまり4350の組合せは、瀬川先生のシステムを、
4343を4350Aにし、4350の仕様から必然的にバイアンプになり、
パワーアンプは同じML2でも、低域に関してはブリッジ接続へとなっていったものといえる。

このころの瀬川先生が1979年の時点で、
ご自身のシステムをゼロから、それも予算の制約がなく組まれたのであれば、
この4350Aの組合せそのままになっていたであろう。

このスイングジャーナルでの組合せでは、こんなことも書かれている。
     *
いうまでもなく4350は、最初からバイ・アンプ・オンリーの設計になっている。だが、この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬は、いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする。菅野沖彦氏は、かってこの中〜高音用にはExclusiveのM−4(旧型)が良いと主張され、実際、彼がM−4で鳴らした4350の中高域は絶妙な音がした。
     *
そういえば岩崎先生もパラゴンをExclusive M4で鳴らされていた。
パラゴンには375、4350には375のプロフェッショナル仕様の2440が使われている。
この時代、JBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーにはExclusive M4が合っていたようだ。

井上先生もHIGH-TECHNIC SERIES-1でのパラゴンの組合せに、
《ここではかつて故岩崎千明氏が愛用され、
とかくホーン型のキャラクターが出がちなパラゴンを見事にコントロールし、
素晴らしい低音として響かせていた実例をベースとして》Exclusive M4を、やはり選ばれている。

Date: 7月 9th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」での菅野先生の組合せは次の通り。

●スピーカーシステム:JBL 4350A(¥940,000×2)
●コントロールアンプ:アキュフェーズ C220(¥220,000)
●パワーアンプ:低域用・アキュフェーズ M60(¥280,000×2)/中高域用・パイオニア Exclusive M4(¥350,000)
●エレクトロニッククロスオーバー:アキュフェーズ F5(¥130,000)
●グラフィックイコライザー:ビクター SEA7070(¥135,000)
●ターンテーブル:テクニクス SP10MK2(¥150,000)
●トーンアーム:フィデリティ・リサーチ FR64S(¥69,000)
●カートリッジ:オルトフォン MC20(¥33,000)
●プレーヤーキャビネット:テクニクス SH10B3(¥70,000)
組合せ合計 ¥3,614,000(価格は1977年当時)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」とほぼ同じ頃ステレオサウンドから出たHIGH-TECHNIC SERIES-1、
この本の「マルチスピーカー マルチアンプの魅力を語る」で、菅野先生は書かれている。
     *
ウーファー決まってみると、今度はそれうドライブするためのパワーアンプ遍歴が始まった。そして一応落着いた現在のラインアップはというと、エレクトロニック・クロスオーバーはアキュフェーズのF5でクロスオーバー周波数は500Hzと7kHz。パワーアンプは、ウーファー用にアキュフェーズのM60を二台、スコーカーはパイオニアM4、トゥイーターにサンスイAU607のパワーアンプ部を使っている。
     *
菅野先生の、このときのウーファーとはJBLの2205である。
「マルチスピーカー マルチアンプの魅力を語る」では2220と書かれているが、
これは菅野先生の勘違いでこの時点で2205を使われていた。
スコーカーはJBLの375+537-500、トゥイーターは075である。

4350Aを鳴らすアンプは、菅野先生が1977年当時自宅で使われていたラインナップと重なる。
もし菅野先生、1977年の時点でご自身のシステムをゼロから組まれたとしたら、
それもメーカー製のスピーカーシステムの中から選ばれるのであれば、
ほぼ間違いなくJBLの4350Aであっただろうし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せとかなり近いシステムとなったはずだ。

菅野先生の4350Aの組合せの取材に立ち会われていた瀬川先生は、こう発言されている。
     *
瀬川 じつは菅野さんならこんな組合せになるんたろうと予想していたことが、ほとんど的中しましてね。内心ニヤニヤしながら聴いていたんですよ(笑い)。
     *
そうであろう。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その1)

別項でダブルウーファーのことを書いていると、
頭の中にJBLの4350のことが何度も浮んでくる。

私にとって、最初の、そしてもっとも強烈だったダブルウーファーのスピーカーは4350Aだった。
4350Aで聴いた菅野先生録音のザ・ダイアローグの音はすごかった。

調整に十分な時間がかけられていたわけでもないだろうし、
完全な鳴り方でもなかったのだけれど、それでも凄い音が鳴ってきた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
菅野サウンドのジャズ・レコードを製作者の意図したイメージで聴きたい、
という読者から手紙に応えて、菅野先生がつくられた組合せのスピーカーは4350だった。

《私としては自分がこのシリーズを録音したときの意図というものを、理想的に再生するシステムとしては、
JBLのスピーカーしか、現在のスピーカー・システムの中では見当たらないわけです》
と菅野先生は4350を選択した理由を語られている。

ステレオサウンド、別冊をみても、4350の組合せは意外と少ない。
バイアンプ駆動ということ、
組合せにはたいてい予算の制約が設けられているから、4350はその点で不利になる。
そんな理由であまり組合せ記事に登場してこなかったのか。

私が記憶している4350の組合せは上に書いた菅野先生の例と、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」での井上先生の組合せ、
それからスイングジャーナルでの瀬川先生の組合せだけである。

スピーカーが同じでも組合せをつくる人が違うと、
そこで選ばれるアンプ、プレーヤーはずいぶん違ってくる。

三つの記事を並べて読むと、実に興味深い。

Date: 6月 3rd, 2014
Cate: 4350, JBL

JBLのユニットのこと(2440と2441のこと、4350のこと)

いまでは話題にする人はいなくなってしまったようだが、
JBLから2441(376)が登場してからしばらくは、
4350のドライバーを2440から2441にしたら良くなるのか、という話題がときどき出ていた。

2440(375)と2441(376)の違いはダイアフラムのエッジだけである。
2440(375)はロールエッジ、2441(376)は、日本の折り紙からヒントを得たダイアモンドエッジ。
違いはこれだけである。

だが実測データを比較してみると、高域の延びに関してはけっこうな違いがある。
2440はエッジの共振点を9.6kHzに設定してあるため、
10kHz以上はネットワーク(ハイカットフィルター)なしでも急峻にレスポンスが低下している。
その反面、10kHz以下の帯域に関してはレスポンスをできるだけ得られるようになっている。

2441はダイアモンドエッジとすることでエッジのスティフネスを高め、共振点を2440よりも高く設定。
そのため4kHzあたりからなめらかにロールオフする周波数特性となっている。
2440にみられる10kHz付近の肩の張った特性ではなく、素直な特性ともいえる。

つまりトゥイーターなしで2ウェイで使用した場合、
2440ではイコライザーで10kHz以上を補整しても効果的ではない。もともと出ていないのだから。
2441では高域のイコライジングが容易になる、という違いがある。

その一方で5kHzから10kHzにかけてのレスポンスは2440の方が高い。

どちらが優れているのかは、それぞれを単体で鳴らすわけではなく、
ウーファー、さらにはトゥイーターと組み合わせてシステムを構成しての評価となるため一概にはいえない。

4350の2440を2441に交換したとする。
やったことはないが、あまりうまくいかないように思える。

4350の2440はローカットに12dB/oct.のネットワークがはいっているが、
高域(ハイカット)に関しては10kHz以上はフィルター無しでもレスポンスが休止んゅん二低下するため、
フィルターが入っていない。

そういうネットワークの4350に10kHz以上もロールオフしながらもレスポンスがのびている2441に交換しても、
おそらく2405とのつながりがうまくいかないと思えるからだ。

4350のネットワークまで変更するのであればうまくいく可能性は高くなるが、
そのままでは2441への交換を考えない方が無難である。

Date: 5月 24th, 2014
Cate: 4350, JBL

JBL 4350(その14)

「サンチェスの子供たち」と同時期のレコードで、すぐに浮んでくるのは、
フィリップスから出ていたコリン・デイヴィスによるストラヴィンスキーの「春の祭典」と「火の鳥」がある。
これらも試聴レコードとして登場していた。

ステレオサウンド 53号の瀬川先生の4343の記事にも「春の祭典」は出てくる。
〈「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。〉
何度も読み返しては、その音を想像していた。

国産ブックシェルフの、25cmウーファーでも、
「サンチェスの子供たち」、「春の祭典」、「火の鳥」の録音がいいことははっきりとわかったし、
低音の凄さは伝わってくる。
とはいってもプリメインアンプで鳴らし、音量もけっこう出せた環境とはいえ、
4343、4350Aでこれらのディスクを鳴らしたのと比較すれば、違いは大きいのはわかっていても、
どのくらいの違いなのかは、はっきりとわからなかったころでもあり、
よけいに想像を逞しくしていた。

これらのディスクを4343で聴く機会はわりとすぐにあった。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に定期的に来られていた時期があったからだ。
4343を内蔵ネットワークで鳴らして、これだけの音が鳴るのだから、
4343をマークレビンソンのML2のブリッジで低域を鳴らしたときの音はいったいどういうレベルなのか、
さらに4350Aを、やはりML2のブリッジで低域を受け持たせたときの凄さとは、いったいどういう音なのか。

本を読み、その音を想像し、
そのディスクを買ってきて自分のシステムで鳴らし、4343、4350Aでの音を想像する。
4343で同じディスクを聴けば、ML2のブリッジで鳴らした音を想像する──。

Date: 5月 24th, 2014
Cate: 4350, JBL

JBL 4350(その13)

瀬川先生のスイングジャーナルでの4350Aの組合せ記事、
ステレオサウンド 53号での4343のバイアンプの記事、
どちらにもチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」が出てくる。

「サンチェスの子供たち」は黒田先生も、ステレオサウンド 49号で、
「さらに聴きとるものとの対話を」で取り上げられている。

このころからステレオサウンドの試聴用レコードとしてもでてくようになってきた。

チャック・マンジョーネのレコードは一枚も持っていなかった私も、
ステレオサウンドをみて「サンチェスの子供たち」を買った。
輸入盤を買った(たぶん輸入盤しかなかったようにも記憶している)。

「サンチェスの子供たち」は二枚組だった。
いわゆるサントラ盤である。

一枚目の一曲目から聴いていく。
ギターを伴奏にドン・ポッターが、チャック・マンジョーネの詩による「サンチェスの子供たち序曲」を歌う。
歌が終ると、曲調は一変する。
ここが、実にスリリングである。

この序曲を4350Aで聴いたら、さぞかしスリリングだと思う。

当時はLPで聴いていた。
いまはCDで聴けるようになっている。

30年以上前のレコード。
当時はブックシェルフ型スピーカーだった。ウーファーの口径は25cmだった。
それからいろんなシステム(スピーカー)で、このディスクを聴いてきた。
その度に音は変る。

その意味で、レコードにおさめられている音楽は、決して不動でも不変でもない、といえる。
けれど、LPにしろCDにしろ、レコードそのものは変っていない。

30数年前、まだ高校生のころ買った「サンチェスの子供たち」のLP(いまも実家にある)は、
ジャケットに多少傷みはあるけれど、何かが変ったわけではない。

レコード(LP、CD)とはそういうものであり、
そういうものだからこそ、思い出させてくれる存在でもある。