Archive for category ステレオサウンド

Date: 10月 14th, 2025
Cate: ステレオサウンド

早瀬文雄氏の文章(余談)

10月12日から始めた早瀬文雄さんの文章の公開は、いまのところ一日一本のペースでやっている。

ステレオサウンド 95号から始めたのには、これといった理由はなく、
いちばん近くにあったからだけが、その理由だ。

95号の特集は、「最新スピーカーシステム50機種・魅力の世界を聴く」で、
大型、中型、小型の三つのグループに分けての試聴を行っているだけでなく、
単発の記事として、上杉先生の「ついに〝ジャジャ馬〟を飼い鳴らした! アルテックにおける人間研究」と、95号の表紙にもなっているゴールドムンドのアポローグもある。

別項で、ステレオサウンドを弁当に喩えると、幕の内弁当、さらにはマス目弁当化している、と書いている。

95号は、そうなる前のステレオサウンドである。

ゴールドムンドのアポローグの記事だが、これを読んで不思議に思われた方もいるだろう。
表紙にもなっていることもあって、モノクロ5ページがあてられているが、
扉のページに、製品解説:早瀬文雄、ヒアリングインプレッション:傅 信幸とある。

普通だったら、二人のうちのどちらかが製品解説も試聴も担当するのに、
このアポローグの記事だけは違う。
しかも扉のページには、編集部による文章もあったりする。

このアポローグの記事が、こうなったのにある理由がある、と確信している。苦肉の策のはずだ。
当時、舘(早瀬文雄)さんに理由をきくこともしなかった。

その理由がきくまでもなくわかっていたし、そういうことだったんですね、で通じていた。

Date: 10月 7th, 2025
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 236号(その3)

菅野先生時代の「ベスト・オーディオファイル」は、64号から始まっているから、CD登場前夜といえる。
64号は1982年9月発売、CDは10月に登場している。

このことも「ベスト・オーディオファイル」をまとめて読んでいくと興味深く感じられる。
少しずつ「ベスト・オーディオファイル」のリスニングルームにも、CDプレーヤーが導入され、登場するようになっていく。

当時はそんなふうには思いもしなかったが、いま振り返ると、なかなかの資料でもある。

無理を承知でいえば、十四年間続いた「ベスト・オーディオファイル」を全てまとめたムックを出してほしいと思うくらいだ。

そんな「ベスト・オーディオファイル」を楽しみに読んできた人にとって、236号の特集は、どうだったろうか。

物足りなく感じた人もいるように思う。
236号だけで終ってしまうのであれば、物足りなさを感じるし、もったいないとも思う。

毎号連載しろとは言わないし思わないが、定期的にやっていくことが大事だと思うからだ。

236号だけで終ってしまえば、別項「管球王国の休刊」で書いている傅 信幸氏の同軸型スピーカーの試聴記事と同じでしかない。
あと一歩の踏込みがあれば面白くなるのに、その一歩に気づかないのか、
気づいているのに、あえてやらないのか。

そのへんの事情は知らないが、236号の特集は一号限りなのか、それとも続きが読めるのか。

Date: 9月 22nd, 2025
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 236号(その2)

ステレオサウンド 64号から菅野先生の「ベスト・オーディオファイル訪問」が始まった。
十四年間続いた。

いまステレオサウンドには、黛 健司氏の「ベスト・オーディオファイルAGIN」が載っている。

菅野先生の「ベスト・オーディオファイル」はモノクロだった。
黛氏の「ベスト・オーディオファイルAGIN」はカラー。

「ベスト・オーディオファイル」のころは、「スーパマニア」があった。こちらもオーディオマニア訪問記事で、カラーの扱いだった。

「スーパーマニア」と「ベスト・オーディオファイル」は同じ訪問記事ではあっても、記事の色合いが違っていたから、
カラーとモノクロの違いがあって当然だった。

「ベスト・オーディオファイル」はその後、「レコード演奏家訪問」へと移行していく。
その「レコード演奏家訪問」も終り、「ベスト・オーディオファイルAGIN」が、その後を継いでいる。

そういう経緯があるから、昔の「ベスト・オーディオファイル」とは、色合いが違う。
昔の「ベスト・オーディオファイル」には、さまざまな人が登場している。
年齢の幅も広かった。二十代の人もごく普通に登場していた。

ちなみに早瀬文雄さんも、「ベスト・オーディオファイル」に登場されていた。本名の舘一男で載っている。

Date: 9月 21st, 2025
Cate: ステレオサウンド

管球王国の休刊(その5)

管球王国の休刊についてあれこれ思っていて思い出すのは、
Vol.98掲載記事の「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」である。

この記事については、別項「二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷」でも書いている。

「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」の筆者は、傅 信幸氏。
傅 信幸氏はステレオサウンド 94号、150ページに、こう書かれている。
《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだとぼくは思う。》

同軸型ユニットの特徴である音像定位のよさをまぼろしと思うのは、
人それぞれなのだから、傅 信幸氏と同じ意見の人もいることだろう。

同軸型ユニットにもいいモノがあればそうでないモノもあるし、
別項で触れているように同軸型ユニットの定位のよさは近距離の試聴で活きるものだ。
このことについて書いていると脱線してしまうので、これくらいにしておくが、
私が管球王国の編集者だったら、傅 信幸氏に94号のことについて訊く。

これをやるかやらないかで、「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」の面白さは大きく変る。

ステレオサウンド 94号から管球王国 Vol.98までは三十年ある。
この間に傅 信幸氏にどんな変化があったのか、なかったのか。

そういったことを含めて担当編集者が記事を作っていれば──、と残念に思うわけだが、
結局のところ、掲載された記事にとどまっている。

「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、一例であるが、一例にとどまっているわけではない。

Date: 9月 20th, 2025
Cate: ステレオサウンド

管球王国の休刊(その4)

管球王国が休刊になるのは、紙媒体のみでオンラインでは継続という指摘があった。
オンラインで継続ということは(その1)を書いた時点で知っていた。

でも、オンラインで、ということ以上のことはわからない。
いまkindle unlimitedでは、紙媒体の管球王国の電子版であり、
管球王国という雑誌そのものと変らぬものが読めるわけだが、
紙媒体の管球王国が休刊になった後でも、そうだとは思えない。

どんなふうに継続されるのかは、わからないが、
ステレオサウンド・オンラインで、管球王国編集部名義での投稿が中心となるのか、
管球王国に書かれてきた人たちの記事が、オンラインでこれからも読めるのか。
それともYouTubeでの動画を積極的に公開していくのか。

これまでの紙媒体と同じつくりのオンライン継続は、可能性は低そうだから、
私は「管球王国の休刊」とした。

オンラインに移り、紙媒体の管球王国よりも面白くなれば、創刊当時の姿勢を取り戻してくれれば、
「管球王国の復刊」というタイトルで書いてみたい。

Date: 9月 14th, 2025
Cate: ステレオサウンド

管球王国の休刊(その3)

管球王国で、私が毎号楽しみにしていたのは、vol.8から始まった「管球アンプ変遷史」だ。
井上卓也、上杉佳郎、石井伸一郎、三氏による、この記事は面白かった。

幸いなことに、「管球アンプ変遷史」は別冊「往年の真空管アンプ大研究」に収められていて、いまも読むことができる。

この連載記事の良さは、マランツのModel 1を取り上げているvol.11の中で語られている。
     *
井上 機能も豊富に揃え、何にでも対応できるようになっていますしね。やはりマランツの一号機は凄いプリアンプだったんですね。
 実は、僕は当時のマランツのアンプの中で、#1だけはあまり面白味のないアンプだと思っていたんです。けれども、今回実際に#1のシャーシ内部を見、回路図を丹念に調べてみて、いろいろと細かいことをやっているのがわかって、ずいぶん印象が変わりましたよ。#1が、こんなに面白いプリアンプだとは思っていなかった。
石井 このあたりは、一人で見ていてもなかなか気づかないことが多いんですね。今回はこうして3人でチェックしたことで、いろいろと新しい発見がありました。
     *
この姿勢は、「管球アンプ変遷史」が終了しても継続されていれば、管球王国は充実した本であり続けたはず。
でも、実際はそうではなかった。

Date: 9月 13th, 2025
Cate: ステレオサウンド

管球王国の休刊(その2)

いまはどうなのかしらないが、私がいたころのステレオサウンドの封筒には、
下の方に青い文字でStereo Soundとあって、
その下には、発刊している雑誌名が並んでいた。
おそらく、いまもそうだろう思う。

こんなことを書いているのは、雑誌を休刊するということは、この封筒も作り直すことになる。
休刊した雑誌名が入っていても何とも思わないのであれば、そのまま使って無くなったら、休刊した雑誌名を省いた封筒を作ればいいとなるわけだが、
誌面づくりにこだわっていることを謳っている会社であれば、そのままというわけにはいかない。

かといって、休刊した雑誌名の上にシールを貼って隠すのも……、である。
社名、雑誌名入りの封筒を、各サイズ作り直すのにかかる費用はわからないけれど、
こういうところをケチるわけにはいかない、それぞれの出版社の顔でもあるだから。

Date: 9月 13th, 2025
Cate: ステレオサウンド

管球王国の休刊(その1)

管球王国が、10月発売のvol.118で休刊となる。
二年前のvol.110から、kindle unlimitedで管球王国が読めるようになった。
それから編集長も交代している。
てこ入れか、と思っていた。

管球王国の発売を楽しみにしていた人もいようが、私はよく続けているな、と感じるようになっていた。
創刊当時の管球王国は、面白かった。発売を楽しみにしていた。

それも数年で終ってしまった。あとは惰性で続いていると感じていたし、
取り扱っている書店は、ここ十年ほどで減ってきている。
いつ休刊となっても不思議ではないと思っていたので、上に書いたように、よく続けているな、と感じていた。

個人的に寂しさはないが、是枝重治氏のアンプ製作記事が読めなくなるのか、と残念に感じるところはある。
ラジオ技術も、実質休刊のようなもの。

真空管アンプの製作記事を載せるのは、無線と実験だけになってしまう。
是枝重治氏が無線と実験に書かれるとは思えない。

ステレオサウンド 236号(その1)

いま書店に並んでいるステレオサウンド 236号の特集は、
「オーディオの新時代の担い手たち」で、リスニングルーム訪問記事である。

ステレオサウンドの次の号の特集は──、という話は、時々耳に入ってくることがある。
今号の特集は、若いオーディオマニアを取り上げる、ぐらいの話は耳にしていた。

若いオーディオマニアのリスニングルームの訪問記事。
まず思ったのは、文字通りの若いオーディオマニアの登場だった。

オーディオ店から紹介してもらったり、個人でウェブサイト、ブログをやっている人に声をかけたりすれば、記事はできあがるが、
それでは広告に直接的に結びつかない、ともすぐに思った。

広告のことを考えて、このテーマでやるならば、
各メーカー、輸入元、オーディオ店で働いている若い人を取り上げるのだろうな──、と思った。

実際ほぼその通りで、輸入元の若い人がいないのは、
決していないわけではないだろうに、なぜだろう、と思うところはある。

今号の特集は、悪くないと思っている。こんな書き方をするのは、
今号だけで終ってしまうのであれば、悪くない特集止まりだが、
このテーマは拡げて連載にしていけると思うから、そうなってくれれば、いい企画となる。

定番(その11)

定番モデルを持つメーカーは、それによる安定した収益によってできる冒険がある、と書いたけれど、
同じことはオーディオ雑誌にも当てはまる、と思っている。

定番の記事があればこその記事が作れる──、そう思っている。
そして、この定番といえる記事は、各オーディオ雑誌によって違ってくる。
オーディオ雑誌の個性(カラー)が、鮮明になる。

けれど実際はどうだろうか。
今のオーディオ雑誌に、それぞれの定番といえる記事があるだろうか。

昔からオーディオ雑誌を読んできたといえる人は、そういう視点で振り返ってみてほしい。
昭和のころは、確かにあった、そうだった、と思い出すはずだ。

Date: 7月 7th, 2025
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その33)

別項で「偏在と遍在」を書いているが、
いま書いていることは「偏在と遍在」とも関係してくることだろう。

現在のオーディオ雑誌の編集部の人たちがどういう人たちなのかは、全く知らない。
それでもオーディオ雑誌を、ほぼ五十年間眺めてきてなんとなく感じることは、
昭和の編集部の方が、いわば偏っていた人たちの集まりだった、ということだ。

これもどちらがいいとか悪いとかではなく、
個性というか癖のある人たちは、昔の方が多かったのではないのか。

このことはオーディオ雑誌の編集者だけに言えることではなく、
オーディオメーカーの人たちも同じではないだろうか。

そういう人たちは、いまの時代、これからの時代、お呼びでないということなのか、とも思う。

山之内正氏の名を挙げるが、山之内正氏に負の感情は持っていないことは最初に、はっきりさせておく。

以前、別項で土方久明氏をオーディオ評論家(仕事人)と書いた。
山之内正氏も、同じくオーディオ評論家(仕事人)だと感じている。

山之内正氏の、オーディオ業界での評判はとても高い、と聞いている。
そうだろう、と山之内正氏の文章を読んでいると思う。

山之内正氏は、ステレオサウンド、オーディオアクセサリー、ステレオ、
それぞれのオーディオ賞の選考委員をされている。

このことをどう捉えるか。

編集者の悪意とは(その32)

以前のオーディオ雑誌には、偏りがあった。
この偏りが、それぞれのオーディオ雑誌の個性(カラー)につながっていた。

これはいいことなのか、悪いことなのか。

一般的には、偏りがあるのだから悪いことになるだろうが、
オーディオ雑誌においても、そうだと言えるのか。

オーディオ機器の評価のためには、偏りなんてあってはならない──、
果たしてそうなのか。

それぞれのオーディオ雑誌の偏りをなくしていく方向になってしまったら、
そして偏りをほぼ完全に無くすことができたなら、
オーディオ雑誌は一つでいい、ということになる。

偏りをなくしていくのは、オーディオ雑誌の編集者としての善意と言えるのか、それとも悪意なのか。

Date: 6月 23rd, 2025
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その11)

二年前の(その9)で、いまのステレオサウンドの見出しならば、
ChatGPTにまかせてもいいぐらいと書いたし、
さらに編集作業のいくつかはChatGPTにまかせたほうがクォリティが高くなるくらいには、
なっていてもおかしくない、とも書いている。

Googleのおせっかいな機能が、ステレオサウンド・オンラインの記事を表示した。

惚れ惚れするような余韻の細かさと美しさ。Qobuzの真価、魅力をさらけ出す!》とある。
普段ならば、アクセスすることはしないが、
《さらけ出す!》を、こういう見出しに使うのか、
誰が書いているのか知らないが、本文にも《さらけ出す!》とあるのか。

それが気になって本文を読んでみた。
どこにも《さらけ出す!》は、ない。

ステレオサウンド・オンラインの編集者が、《さらけ出す!》としたのだろう。

見出しは何も本文中にある言葉だけを使うものではない。
とはいえ《さらけ出す!》は、ないだろう。

さらけ出すは、曝け出すと書く。
この漢字が、どういう意味なのか、どういう使い方なのかを表している。

ずいぶん前から、耳障りを、耳ざわりとして、耳ざわりのいい音という使い方をする人がいる。

言葉は変っていくものだから、さらけ出すも、そういうふうになっていくのもしれないが、
まだいまのところは、いい意味での使われ方はわざわざではないだろうか。

《さらけ出す!》と、ステレオサウンド・オンラインの編集者が、見出しとする。
それがそのまま公開される。

ステレオサウンド・オンラインには編集長はいないのか。
誰もチェックしないのか。

ChatGPTならば、《さらけ出す!》と、見出しにつけるだろうか。

Date: 6月 22nd, 2025
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その31)

書き手だけでなく、それぞれのオーディオ雑誌のリファレンス機器にも、個性、カラーはあらわれていた。

スピーカーシステムは、ステレオサウンドはJBLの4343、
1980年代になり後継機の4344だったが、
他のオーディオ雑誌は違っていた。

それが良かった。いまはどうだろうか。
優秀なスピーカーシステムならば、どのオーディオ雑誌でもリファレンス機器とする──、
そういう見方、捉え方もできるが、
何も優秀なスピーカーシステムは一つだけではない。

他のブランドにも、優秀なスピーカーシステムはある。
なのに、いまのオーディオ雑誌は、とあえて指摘するまでもないだろう。

昔はスピーカーシステムが違えば、アンプも違っていた。
このことですぐさま頭に浮ぶのは、Lo-Dのパワーアンプ、HMA9500である。

MOS-FETを出力段に採用したアンプは、長岡鉄男氏が高くて評価されてたし、
自宅でも使われていたから、長岡鉄男信者、長岡教信者の間では、
高い人気と評価を得ていたが、ステレオサウンドでは、その熱気がウソのような取り上げられ方だった。

HMA9500は、だから中古市場でも人気のようだが、
私はそのことを傍観者として眺めている。

HMA9500が優れていたとかそうでなかったとか、言いたいのではなく、
HMA9500は、オーディオ雑誌によって、取り扱われ方の熱気が違っていた、ということだ。

Date: 6月 20th, 2025
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その30)

私がオーディオ雑誌を初めて手にしたのは1976年の終りごろだった。
まずステレオサウンドがあった。
ステレオがあった、オーディオピープルが、サウンドメイトが、別冊FM fan、ステレオ芸術、サウンドレコパルが、オーディオアクセサリーなどがあった。

それぞれに、その雑誌を代表すると言える書き手(オーディオ評論家)がいた。
この雑誌しか書かないという専属制ではなかったけれど、
ステレオサウンドならば、菅野沖彦、瀬川冬樹の二人を中心に、
井上卓也、上杉佳郎、岡 俊雄、長島達夫、山中敬三といった顔ぶれだった。

これらの人たちが、他の雑誌には書かないわけではなかったけれど、
活動の中心としてステレオサウンドがあった、と言える。

他のオーディオ雑誌には、それぞれの人たちがいた。
ステレオ、別冊FM fanには長岡鉄男がいた。
オーディオアクセサリーには江川三郎がいた。

他の人たちも、どれかのオーディオ雑誌を活動の拠点としていた。

そのことが、それぞれのオーディオ雑誌の個性(カラー)を生んでいた。
それが、いまはどうだろうか。

書き手の顔触れだけで、どのオーディオ雑誌なのか、昔はすぐにわかったものだが、この点に関しても、いまはどうだろうか。