オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その11)
二年前の(その9)で、いまのステレオサウンドの見出しならば、
ChatGPTにまかせてもいいぐらいと書いたし、
さらに編集作業のいくつかはChatGPTにまかせたほうがクォリティが高くなるくらいには、
なっていてもおかしくない、とも書いている。
Googleのおせっかいな機能が、ステレオサウンド・オンラインの記事を表示した。
《惚れ惚れするような余韻の細かさと美しさ。Qobuzの真価、魅力をさらけ出す!》とある。
普段ならば、アクセスすることはしないが、
《さらけ出す!》を、こういう見出しに使うのか、
誰が書いているのか知らないが、本文にも《さらけ出す!》とあるのか。
それが気になって本文を読んでみた。
どこにも《さらけ出す!》は、ない。
ステレオサウンド・オンラインの編集者が、《さらけ出す!》としたのだろう。
見出しは何も本文中にある言葉だけを使うものではない。
とはいえ《さらけ出す!》は、ないだろう。
さらけ出すは、曝け出すと書く。
この漢字が、どういう意味なのか、どういう使い方なのかを表している。
ずいぶん前から、耳障りを、耳ざわりとして、耳ざわりのいい音という使い方をする人がいる。
言葉は変っていくものだから、さらけ出すも、そういうふうになっていくのもしれないが、
まだいまのところは、いい意味での使われ方はわざわざではないだろうか。
《さらけ出す!》と、ステレオサウンド・オンラインの編集者が、見出しとする。
それがそのまま公開される。
ステレオサウンド・オンラインには編集長はいないのか。
誰もチェックしないのか。
ChatGPTならば、《さらけ出す!》と、見出しにつけるだろうか。