Archive for category ステレオサウンド

Date: 2月 11th, 2024
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その4)

《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。

過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。

Date: 2月 4th, 2024
Cate: ステレオサウンド

管球王国 Vol.110(その4)

(その1)で書いているようにVol.110から、
Kindle Unlimitedで読めるようになっている。

いま書店に並んでいるVol.111もKindle Unlimitedで読める。
その一方で書店で見かけなくなった。

1月30日発売だったはずだが、いくつかの書店を見たけれど、置いてない。
もともと取り扱っている書店は少ないのだが、
いずれもそれまで扱っていた書店にも関わらずだ。

Date: 11月 30th, 2023
Cate: ステレオサウンド

管球王国 Vol.110(その3)

管球王国 Vol.110で、是枝重治氏はこんなことも書かれている。
     *
野口さんは初期の『ステレオサウンド』誌の五味康祐「オーディオ巡礼」に登場しておられました。正座して首を垂れ、エネスコを奏するクレデンザにじっと聴き入る五味一刀斎の後ろ姿は極めて印象的です。写真からその場の音が聴こえてきました。撮り手は誰でしょう。室内照明のまま絞り解放で撮られた思わしきモノクローム写真は味わい深いのです。
     *
ステレオサウンド 15号の「オーディオ巡礼」の扉の写真が、
五味先生の後ろ姿である。

この記事は不思議なことに、岡鹿之介氏のリスニングルームの写真はあるけれど、
野口晴哉氏のリスニングルームの写真はない。
かわりなのか、そのへんははっきりしないが扉の写真は五味先生の後ろ姿である。

《野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた》と五味先生は書かれている。
思うに、五味先生の後ろ姿は、安岡章太郎氏が撮られたのだろう。

Date: 11月 7th, 2023
Cate: ステレオサウンド

管球王国 Vol.110(その2)

管球王国 Vol.110を読んでいて、目に留ったのは82ページだった。
是枝重治氏の記事で、そこにはこう書いてある。
     *
1960年1月号だったか『ラジオ技術』誌のグラビアに、野口晴哉さんのオールWEの装置が出ています。まだモノーラルでした。アンプは東洋ウエストレックスが作った807のppアンプでした。既にその頃はベルシステムから分離されていたのかもしれません。それ以前のウエストレックスはすべてリースが前提で、個人の注文を受けることなどあり得ないからです。数年前にお亡くなりになったラジオ技術社の金井 稔さん(ペンネーム五十嵐一郎、青山六郎)のお話では、野口晴哉さんは東洋ウエストレックスの技術部長・斉藤利千代さんと懇意だったそうです。
     *
1976年末に朝日新聞社から出た「世界のステレオ」、
このムックに、「野口晴哉コレクションより 幻の名器」という記事がある。

記事中にあるいくつかの写真。
そこにかなり大型の管球式パワーアンプらしきものが写っている。
とはいえ、このアンプについての詳細は触れられていなかった。

なにも資料がないためらしい。

おそらくこのアンプが、東洋ウエストレックス社製の807のプッシュプルアンプなのではないだろうか。

Date: 11月 6th, 2023
Cate: ステレオサウンド

管球王国 Vol.110(その1)

さきほどkindleを眺めていたら、
読書履歴に基づくおすすめのところに、管球王国 Vol.110が表示された。

Kindle Unlimitedで読めるようになっている。
いまのところVol.110だけであり、それ以前の管球王国は有料。

Vol.111以降もKindle Unlimitedで読めるようになるのか、
バックナンバーもKindle Unlimitedで読めるようになるのか、
そのへんははっきりしないが、とにかくVol.110は読める。

ステレオサウンドもHiViもKindle Unlimitedで読めるのに、
管球王国はだめなのか、と思っていただけに嬉しいといえば嬉しい。

Date: 1月 19th, 2023
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その26)

ステレオサウンド 69号でのJr.さんのExclusive 2401twin、
というよりも、Exclusive 2401twinに搭載されているTADのユニット群へのおもいは、
深く強かったわけで、だからこそ、Jr.さんはExclusive 2401twinをとびきりよく鳴らしたい──、
そういう気持があった、と思っている。

その意味で、89号でのKHさんのマッキントッシュのXRT18へのおもいもそうである。

二人とも、そこに悪意はなかった。
けれど、Jr.さんはExclusive 2401twinを、
KHさんはXRT18を、よく鳴らしたいという気持は、
他のスピーカーよりもよく鳴らしたい、であったはずだ。

それは善意ではない。
こういう試聴におけるオーディオ雑誌の編集者の善意とは、
すべての機器をきちんと鳴らす、ということであって、
ある特定の機種をよく鳴らす、ということではない。

善意の履き違えが、69号と89号での結果を生んだ、と私はいまも思っているし、
この二つの例も、編集者の悪意につながっていくことだともおもっている。

Date: 1月 17th, 2023
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その25)

ここで一つの例として挙げているステレオサウンド 87号での、
マッキントッシュのXRT18のヴォイシングの失敗。

これによく似た例が、もう一つあった。
69号の特集「超大型スピーカーの魅力的世界」であったことだ。

この特集は、タンノイのウェストミンスター、
エレクトロボイスのパトリシアンII、JBLの4355、UREIのModel 813B、
ダイヤトーンのDS5000、パイオニアのExclusive 2401twinを集めての、
試聴と組合せの記事だ。

XRT18と同じようなことはExclusive 2401twinの時に起った。
このときの編集者で、Jr.さん(Nさん)はTADのユニットにベタ惚れだった。
それまでJBLの高能率型ユニットにぞっこんだった人が、TADのユニット、
そして設計者の木下正三氏に急速に惹かれていった。

Exclusive 2401twinの番になったとき、
Jr.さんの心境は、89号のKHさんの心境に近かったのかもしれない。

なのに鳴ってきた音は奇妙な音だった。
1983年のころだから、こまかいことがすこしあやしくなってきているが、
最初にExclusive 2401twinに接続したパワーアンプは、
ソニー・エスプリのTA-N902だったと記憶している。

TA-N902は130W+130Wのステレオパワーアンプだが、モノーラル接続で400Wになる。
この時、なぜかTA-N902の背面のスイッチがMONOポジションになっていた。

たしかスピーカーケーブルの接続はJr.さんだった。
彼が意図的に、こんな接続をするわけがない。
それでもなぜかそうなっていた。
その音が第一声だった。

間違った接続で鳴らしたわけだから、奇妙な音になって当然。
すぐさまどこか間違っているはず、ということで接続をチェックして、試聴が再開した。

89号のXRT18とは違い、その後の試聴は問題なく進んだ。
けれどJr.さんの落ち込みようは、いまもはっきり憶えている。

Date: 12月 23rd, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その3)

《過去を大きな物語として語れる》と
過去を物語として語れると決して同じではない。

大きな物語なのか、物語なのか。
「大きな」がつくかどうかの違いは、小さな違いではない。

Date: 12月 23rd, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その2)

その1)で、
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。

そう書いた。
このことは、編集者、オーディオ評論家側だけの問題ではない。

《過去を大きな物語》とした語られたものを、読み手側は求めていない、
そういう読み手が増えたことも関係してのことだ。

Date: 12月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その1)

《過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました》
七年前、川崎先生が語られていたことばだ。

ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めていると、
川崎先生の、このことばが浮んでくる。

《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。

Date: 9月 4th, 2022
Cate: ステレオサウンド

3.11とステレオサウンド(その4)

その2)で触れている「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」という問い。
これを発した人にとって、そのころすでにステレオサウンドはつまらなく感じていて、
それゆえの「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」だった。

ステレオサウンドは変っていっている。
おそらく私に「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊ねた人も、
そう感じている。

そうであっても、その人は「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊く。
くり返すが、それはステレオサウンドがつまらくなっていて、
そのことが変らないからである。

ステレオサウンドがつまらない──、
そういう人もいるし、そうでない人もいる。
面白い、という人ももちろんいる。

223号の「オーディオの殿堂」を、オーディオの歴史の勉強にもなる、
そんなふうに高く評価している人が、ソーシャルメディアにいた。

そうなのかぁ……、としかいえないのだが、
受けとり方は人によって大きく違うのだから、
「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」が、
ステレオサウンドはつまらなくなったまま、という捉え方も、
その人個人のものでしかないわけだ。

それでも、その人は私に、そう訊ねてきたのは、
その人は私もそう感じていると思ったからなのだろう。

私は、どう感じているのか。
ここ十年のステレオサウンドを眺めて思っているのは、
つまらない、とか、変らないなぁ、とか、そういったことではなく、
ダサくなった、である。

Date: 8月 22nd, 2022
Cate: ステレオサウンド

奇妙な光景(その2)

そんなふうに立読みされなくなりつつあるオーディオ雑誌だけを、
なぜビニールで巻いているのか。

そんな手間を紀伊國屋書店がするようにしたとは思えない。
私の勘ぐりでしかないのはわかっているが、
ステレオサウンド、音楽之友社側からの要望なのではないのか。

HiViは別項で書いているように、
6月発売の号で月刊誌としては終りで、9月発売の号からは季刊誌になる。
隔月刊誌ではなく、いきなり月刊から季刊である。

それだけ売れていないのだろう。
売れていないのだから、紀伊國屋書店という大型書店で、
ビニールを巻いてもらい、立読みを防ぐ。
それで売行きを少しでも増えそうということなのか。

何ひとつ確かめているわけではない。
くり返すが、私の勘ぐりでしかない。

売行きが落ちていても、内容に自信があれば、こういう選択はしない。
むしろ書店で手にとってもらい、ぱらぱらと立読みしてもらうことで、
買ってもらえることだって生じるからだ。

事実はわからない。
でも、自信を失った雑誌の悪あがきのようにもうつる。

それともいま書店に並んでいる三誌には、附録でもついていて、
万引き防止のためのビニール巻きなのか。

Date: 8月 22nd, 2022
Cate: ステレオサウンド

奇妙な光景(その1)

今日の午後、ひさしぶりに新宿の紀伊國屋書店に行った。
以前はよく行っていたけれど、コロナ禍のせいで、
ここ三年弱は足が遠のいていた。

今年はまだ二回目のはず。
八階までエレベーターで行き、それから階段で下の階に移動しながら、
あれこれ見てまわっていた。

雑誌コーナーは一階。
以前とはレイアウトが変更になっている。
音楽関係、オーディオ関係の雑誌のコーナーはどこかなと探していたら、
ステレオサウンドの223号の表紙が目に留った。

けれど、ちょっと変な感じがする。
近づいてみたら、ステレオサウンドには透明のビニールが巻かれてあった。
隣りにあったステレオもそうだった。
さらに隣りのHiViもそうだった。

紀伊國屋書店が雑誌を立読みさせないように、こうしたのであれば、
他の雑誌も同じようにビニールで巻かれているはずなのに、
少なくとも今日、私が見た範囲では上記の三冊だけだった。

奇妙な光景だった。
ステレオサウンドもHiViもKindle Unlimitedで読める。
発売日に読めるわけではないが、少し待てば読めるわけで、
Kindle Unlimitedユーザーは立読みしようとは思っていないだろう。

ステレオはKindle Unlimitedでは読めない。
けれど、ここ十年以上、書店でオーディオ関係の雑誌を立読みしている人は、
あまりいない、というか、ほとんどみかけない。

私の行動範囲では、年に二人か三人ほどである。

Date: 8月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(その7)

オーディオテクニカ独自のVM型。
この方式を開発したのは、普通に考えれば、
当時のオーディオテクニカの技術者ということになる。

私だって、オーディオに関心をもち、ステレオサウンドで働くようになるまでは、
そう思っていた。

けれど井上先生という人を知るにつれて、
もしかするとオーディオテクニカのVM型のアイディアは井上先生なのではないのか。
そんなふうに思うようになってきた。

だからといって、何らかの確証、
それがちっぽけなものであっても確証へとつながっていくことを知っているわけではない。

井上先生に訊ねたところで、うまくごまかされたであろう。
そのことを話題にしたこともない。

それでもオーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏と井上先生のつきあい、
そのことから私が勝手に妄想しているだけにすぎないのは自覚している。

それでも私はVM型のアイディアは井上先生と確信している。

Date: 8月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(感じていること)

三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。

ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。