Archive for category 選択

Date: 7月 2nd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その11)

導入記は、すでにあるオーディオ機器を購入してのものだから、
購入後ではあるけれど、購入時的な導入記もある、ということだ。

何かを、それまでのしすてむに導入する。
いったいどれぐらい経ったら、購入時から購入後といえるようになるかは、
はっきりといえることではないし、人によって大きく違ってこよう。

わずか数ヵ月で購入後といえる視点をもつ人もいれば、
半年、一年、もくしはそれ以上の期間を必要とする人いるであろう。

購入時と購入後の視点をはっきりとわけるものは、
小沢コージ氏の文章中にある無意識インプレッションだと思っている。

ステレオサウンド 207号掲載の二本の導入記のうち、
原本薫子氏のそれは、力が入っているのがわかる。
それを腐すつもりは毛頭ない。

力がそうとうに入っているだけに、原本薫子氏の文章はまさに導入記といえる。
いえる、と書いてしまうのがまずければ、私にはそう感じる、といいかえよう。

つまり小沢コージ氏の文章にある
《クルマのハンドリングに関する真の評価は、そのドライバーが無意識的に走っている時にこそ行われるべきで、自分で「走るぞ!」と思っている時のステアリングの手応えや操縦安定性の評価など、あてにならないというのだ》
このことだ。

何も購入時の導入記があてにならない、といおうとしているのではなく、
いわゆる試聴テストではなく、こういう内容の記事であるからこそ、
「走るぞ!」(「聴くぞ!」)という、いわゆる蜜月をすぎたといえるようになってからの、
ようするに無意識インプレッションが、購入後の視点だと考える。

Date: 7月 1st, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その10)

ステレオサウンド 207号に購入後の視点的な記事が二本載っている。
和田博巳氏の「ファンダメンタルMA10導入記」、
原本薫子氏の「マッキントッシュMCD550導入記」である。
どちらも四ページ構成の記事だ。

文字数を数えていないが、
amazonのレヴュー投稿よりは、ずっと文字数は多い。
それにどちらも四点の写真もある。

この記事について、購入後という視点で書く予定でいたところに、
友人から、あるサイトのURLがメッセージで届いた。

webCGに六年前に公開された一本の記事へのリンクだった。
第452回:これじゃメルセデスには追いつけないぜ! “無意識インプレッション”のススメ」、
小沢コージという方が書かれている。

その冒頭に書いてあることこそ、購入後の視点ではないだろうか。
     *
「自分が言うのもなんですが、箱根で新車の試乗会やっても、あまり意味ないと思うんです。みなさんそのつもりで走ってるし、運転がうまい人ほど足りない分を自然に補っちゃうので……」いやはや、とある試乗会で、とあるテストドライバーから衝撃的なコメントを……というか、昔から漠然と抱いていた疑問に対する答えをもらってしまったぜ。いわばそれは、“無意識インプレッション”のススメだ。どういうことかというと、クルマのハンドリングに関する真の評価は、そのドライバーが無意識的に走っている時にこそ行われるべきで、自分で「走るぞ!」と思っている時のステアリングの手応えや操縦安定性の評価など、あてにならないというのだ。
いや、それも大切かもしれないけれど、最も重要なのは、ボーッと走っている時に「いかにドライバーの脳に適切な刺激やインフォメーションを与えられるか」「轍にタイヤを取られたりしないか」といったことであり、プロのテストドライバーは、運転中に意識的にその領域に踏み込んで評価できるという。
まさに達人の境地というか、スターウォーズの“フォース”みたいな話じゃないの(笑)。でも、ダメンズ小沢自身、本当にそうだと思った。というのも実際問題、箱根で走ってると、クルマの動的性能がよく分からない場合が多いのだ。もちろん、“速い”とか“フィールがいい”とか“ブレーキが効く”と感じる部分はあるし、それをなるべく自然体で分かりやすくリポートしようとはしているつもりだが……。
     *
無意識インプレッションである。

207号の二本の導入記を読んでいて感じていたのは、
購入後の視点といえる記事ではなく、あくまでも導入記としての記事ということだ。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その9)

瀬川先生が、ステレオサウンド 47号のベストバイで三つ星でつけられているモノ、
スピーカーシステムでは、QUADのESL、JBLの4343、4301、4350A、スペンドールのBCII、
ヴァイタヴォックスのCN191、ロジャースのLS3/5A、KEFのModel 104aB、Model 105、Model 103、
セレッションのDitoon 66、K+HのOL10、ヴィソニックのDavid 50である。

たしかに《すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる》。

プリメインアンプをみると、よりはっきりする。
三つ星をつけられているプリメインアンプは一機種もない。

コントロールアンプも、同じといえる。
三つ星はマークレビンソンのLNP2のみである。

パワーアンプは、いくつかに三つ星をつけられている。
パイオニアのExclusive M4、マークレビンソンのML2、QUADの405、ルボックスのA740、
SAEのMark 2600がそうである。

大半が購入されている。
スピーカーシステムで購入されていないのは、ヴァイタヴォックスのCN191、K+HのOL10、
JBLの4350Aくらいか。
4301とModel 103はどうだったのか、購入されたのか。
パワーアンプのSAEのMark 2600はその前のMark 2500を愛用されていた。

瀬川先生は(その8)で引用したところに続いて、こう書かれている。
     *
 みて頂ければわかるとおりAのつくパーツがすべて高価であるとは限らない。たとえばカートリッジのエラック(エレクトロアクースティック)STS455Eや、スピーカーのヴィソニック〝ダヴィッド50〟あるいはロジャースのLS3/5Aなどは、日常気楽にレコードを楽しむときに、私には欠かせない愛用パーツでしかもここ数年来、毎日のように聴いてなお少しも飽きさせない。
 だが反面、少しばかり本気でレコードをじっくり聴きたいときには、どうしても、EMTの♯927Dst、マーク・レビンソンのLNP2L、SAEの♯2500、それにJBLの♯4341、という常用ラインのスイッチを入れる。これらのパーツを入手したときには、それぞれに購入までの苦労はあったけれど、買って以来こんにちまで、それに支払った代償について後悔などしたこともないし、それよりも、価格のことなどいいかげん忘れかけて、ただもう良い音だなあと満足するばかりだ。
 どのような形であれ、入手した製品に対する満足感が数年間も持続するなら、それはもう文句のないベストバイといって差し支えあるまい。そして、このように本当の意味でのベストバイを上げるとなれば世の中にいくら数千点にのぼるパーツが溢れていようとも、ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品の数はおのずと限定されてしまう。
     *
つまり瀬川先生が三つ星をつけられているのは、
瀬川先生にとっての《本当の意味でのベストバイ》であり、
《ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品》でもある。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その8)

12月に書店に並ぶステレオサウンドの特集の一本は、ベストバイである。
古くから続いていてる定番の特集である。

ベストバイは、best buyである。
ベストバイの特集が始まったころは、
特集の巻頭でそれぞれのオーディオ評論家が、ベストバイについて書いていた。

ベストバイ、お買い得と訳すことはできる。
最近ではほとんどベストバイということそのものについて語られることはなくなったが、
ベストバイには、暗黙のうちにお買い得の意味が強くある。

ならばgood buy、better buyは、お買い得ではないのか。
そんな考えもないわけではない。

47号から、ステレオサウンドのベストバイには星がつくようになった。
三つ星、二つ星、一つ星である。
はっきりと書いてないが、三つ星がbest buyで、二つ星がbetter buy、一つ星がgood buy、
そう捉えることもできないわけではない。

むしろ、そう捉えた方が自然ではないか、というか、無理がないと思える。
best buyなのに、星の数に違いがあることがそもそもおかしい。
best buyならば、すなわち三つ星であるはずで、
二つ星はbetter buy、一つ星はgood buyである。

47号で、瀬川先生が書かれている。
     *
 この味に関してはここ一軒だけ、といえるほどのうまい店は、めったに他人に教えたくないし、まして〝うまいみせ案内〟などに載らないように祈る、というのが本ものの食いしん坊だそうだ。せっかく見つけた店を人に教えておおぜいが押しかけるようになればどうしても味が落ちるし、やがて店を改装したり拡張したり、さらに支店まで出すように大きくなるころには、昔日の味はどこかに失われてしまっている。うまい店をたまたまみつけて、しかもその味を大切に思ったなら、せいぜい潰れない程度の流行りかたをするよう、細心の注意で臨まなくてはならない……のだそうだ。
 それがたとえば、食べたいだけ食べても二千円でお釣りがくるほどのおでん屋であったにせよ、また逆に、二~三万円は覚悟しなくてはならないレストランであったにせよ、その店を出るたびに、心底、うまかった! と言えるようなものを食べさせてくれれば、支払った代価は忘れてあとにはうまいものを食べた満足感だけが残る……。
 ベストバイというのを例えてみれば、まあこのようになるのではないか。

 同じたとえでいえば、購入して鳴らしはじめて数ヵ月を経て、どうやら調子も出てきたし、入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお、毎日灯を入れるたびに、音を聴くたびに、ああ、良い音だ、良い買物をした、という満足感を与えてくれるほどのオーディオパーツこそ、真のベストバイというに値する。今回与えられたテーマのように、選出したパーツにA(☆☆☆)、B(☆☆)、C(☆)の三つのランクをつけよ、といわれたとき、右のようなパーツはまず文句なしにAをつけたくなる。そして私の選んだAランクはすべて、すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる。
     *
A(☆☆☆)、つまり三つ星こそがbest buyだということが伝わってくるし、
もっと大事なことは、購入してすぐに、ではなく、購入して数ヵ月後、
《入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお》と続いている。

つまり購入後、buy(買う)ではなく、bought(買った)である。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その6)

そういえばと思い出すと、
私が知っているオーディオマニアでマルチチャンネルをやっていた人も、
その時はB&Wの800シリーズだった。

2チャンネル再生だったころは、B&Wとは性格の違うスピーカーだった。
彼の鳴らすマルチチャンネルの音を聴いていない。
だからいえることはあまりないのだが、
それまでの鳴らしていたスピーカーと同じモノを、
チャンネル数だけそろえるのではなく、
スピーカーを全面的に換えてのマルチチャンネル再生であるのを考えると、
B&Wの800シリーズは、マルチチャンネルには最適といえる性格のスピーカーなのかもしれない。

けれど私はこれまでも、これからもマルチチャンネル再生をやろうとは考えていない。
それに、いまステレオサウンドに執筆している人たちで、
マルチチャンネル再生に取り組んでいる人は、誰がいるのか。
ほとんどが2チャンネル再生のはずだ。

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」、
こう言ってくる人も、マルチチャンネル再生はやっていない。
2チャンネル再生のオーディオマニアの人ばかりである。

ここまで書いて、五味先生が4チャンネルについて書かれていたことをおもいだす。
     *
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
     *
五味先生のころのマルチチャンネル(4チャンネル)は、アナログがプログラムソースだった。
しかも、いわゆる疑似4チャンネルであるから、
現在のデジタルを¥プログラムソースとするマルチチャンネルと同一視できないけれど、
マルチチャンネル再生における重要なことは、静寂さの深さであることは同じのはずだ。

Date: 9月 16th, 2017
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その5)

憧れのオーディオ機器なんてない、という人もいるのかもしれないが、
オーディオマニアなら、憧れのオーディオ機器はあるはずだ。

憧れて憧れて、やっとのおもいで自分のモノに出来たこともあれば、
手が届かなかったことだってある。こちらのほうが多い。

価格が高いだけなら、購入計画をたてて、そこを目指していけばいいけれど、
あっという間に市場から消えてしまうモノに関しては、えっ? とあきらめるしかない。

JBLの4343、マークレビンソンのLNP2、EMTの930stといったモノに憧れてきた。
他にもいくつもあるが、こういったモノは人気もあって、そこそこの数が売れている。

なのでじっくり待てば、程度のいい状態のモノと出合えることはある。
けれどあっという間に消えてしまったモノとなると、そうはいかない。

手に入れたい、という気持もあるけれど、
それ以上にもういちど、その音を聴きたい、と思う意味での憧れのオーディオ機器がある。
いまもいくつかある。

その中の半分くらいは、市場からあっという間に消えてしまっている。
ふたたび出合えることは、誰かのリスニングルームであってもないだろうと、
なかば諦めている。

諦めているからこそ、まったく予期しない機会に出合えたときの私の気持は、
ほんとうに嬉しい。

その嬉しさは、ふたたび出合えたこと以上に、
このスピーカーの良さをわかっている人が、やっぱりいてくれた、という嬉しさの方が、
ずっとずっと大きい。

心の中で「同志がいた」と叫びたくなるほどに、嬉しいものだ。
二日前(9月14日)が、まさにそういう日だった。

Date: 7月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その5)

B&Wの800シリーズについて書いていて、ふと思ったことがある。
マルチチャンネル再生をやるとしたら、
意外にもB&Wの800シリーズは候補に挙がってくるかも……、ということだった。

モノーラル時代はスピーカーシステムの数は一本、
ステレオ時代になって二本になった。

モノーラル時代には大型のホーン型スピーカーシステムがいくつも存在していた。
JBLのハーツフィールド、エレクトロボイスのPatrician、
タンノイのオートグラフ、ヴァイタヴォックスのCN191、
これらの他にも、いくつものモデルがあった。

これらのスピーカーシステムで、ステレオ再生(2チャンネル再生)を行う。
そのことに否定的なことをいう人ももちろんいたけれど、
これらのスピーカーシステムによるステレオ再生は、独自の世界を築いていたこともあって、
いまだその世界に憧れつづける者もいる。

でも、このことはステレオ再生が二本のスピーカーシステムだったこともあるように、
最近では考えている。

もしステレオ再生が2チャンネルではなく、
センターチャンネルを加えた3チャンネル、
リアチャンネルを加えた4チャンネル、
センターとリアの両方の5チャンネル、
そういうシステムであったなら、
モノーラル時代のスピーカーシステムで……、というやり方はうまくいかなかったかもしれない。

モノーラル時代の、これらのスピーカーシステムは大型で、しかも高価だった。
そういうスピーカーを三本、四本、五本揃えるのは、それだけでたいへんなことだが、
問題はそこではなく、スピーカーのもつキャラクターの濃さについてである。

いかなるスピーカーであっても、キャラクター(個性)がある。
そのスピーカー固有の音色がある。

そのキャラクターが、スピーカーの数が二本よりも多くなっていくときに、
問題として顕在化していくのではないだろうか。

私は4チャンネル再生の経験がない。
聴いたことがないわけではないが、オーディオに関心をもつ前であったし、
単にきいた、というだけでしかない。

4チャンネル再生の問題点は頭ではわかっているし、
定着しなかった理由は、知識として知っている。

それでも、ふとおもうのは、
当時B&Wの800シリーズのようなスピーカーシステムが存在していたら、
フォーマットの制定も行われていたら、
違う展開を見せていた可能性について、だ。

B&Wの800シリーズを鳴らしていたオーディオ評論家として、
小林悟朗さんがそうだったことを思い出した。

小林悟朗さんは800シリーズでマルチチャンネル再生を行われていた。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(余談・Matrix 800シリーズ)

もうながいつきあいのKさん。
彼もオーディオマニアで、録音関係の仕事もしている。
何年前だったか、B&Wのスピーカーのことが話題になった。

この項で書いていることに近いことを話していた。
Kさんがいうには「Matrixシリーズはいい」ということだった。

仕事(レコーディングのモニター)にも使えるだけでなく、
家庭用スピーカーとしても魅力的である、と。
その後も、ことあるごとにKさんはMatrixシリーズだけは違う、と力説する。

確かにレコーディングスタジオに、いまもまだMatrixシリーズが使われているところはある。
予算がないから最新モデルに買い替えられていのではなく、
あえてMatrixシリーズを使い続けているようである。

いま書店に無線と実験 6月号が並んでいる。
実はひさしぶりに無線と実験を買った。

6月号には「ソニー・ミュージックスタジオ アナログカッティングルーム完成」の記事がある。
3月にオーディオ関係のサイトでニュースになっていたから多くの方が知っているように、
ソニー・ミュージックがアナログディスクのカッティングシステムを導入している。

3月の時点では、ノイマンのカッティングシステムということはわかっても、
それらはどうやって調達したのかまではわからなかった。

ソニー・ミュージックが旧CBSソニー時代のカッティングシステムを、
どこかにしまっていたとは思えない。

無線と実験の記事には、そのあたりのことも載っている。
記事は2ページ。
10点の写真があって、その一枚にマスタリングシステムが写っている。
ここもモニタースピーカーは、B&WのMatrix 801S2である。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その4)

スピーカーは、鳴らす人によって、時として別モノのように鳴る。
ずっとずっと昔からいわれ続けている。

このことを否定するオーディオ評論家はいない(はずだ)。
どのオーディオ評論家は、表現は違っても、同じ趣旨のことをいったり書いたりしている(はずだ)。

B&Wの800シリーズをを高く評価しながらも、
決して自宅で鳴らそうとしないオーディオ評論家であっても、そのはずである。

B&Wの800シリーズを仕事(おもにステレオサウンドの試聴室)で聴いている。
ならばこそ、と私などは思う。
ほんとうにB&Wの800シリーズを優れたスピーカーだと高く評価して、
ステレオサウンドの誌面を通じて読者にもすすめているのであれば、
編集部が鳴らす試聴室の音よりも、
別モノのように800シリーズを自分のリスニングルームで鳴らせるはずである。

スピーカーシステムは同じでも部屋がまず違う。
アンプもCDプレーヤーなどのオーディオ機器が違う。
そしていちばんのファクターとしての鳴らし手の違いがある。

B&Wの800シリーズが優れたスピーカーであるならば、
ステレオサウンド試聴室での、いわば仕事モードでの音、
それから自分のリスニングルームでの、自分ひとりのための音、
そういう音も鳴らせるはずではないのか。

なのに「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」が、
現状であるのは、どうしてなのか。

(その2)を書いてから、理由をいくつか考えてみた。
最初に考えたのは、B&Wの800シリーズはウィントン・マルサリス的スピーカーなのか、だった。

私はウィントン・マルサリスの演奏についてあれこれいえるほど、
ウィントン・マルサリスのレコードを聴いているわけではない。
ただウィントン・マルサリスの名前を、
ジャズにあまり関心のなかった私でも耳にするようになったころ、
同じくらい耳にしていたのは、
「ウィントン・マルサリス、うまいけど、つまらないよね」的なことだった。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その3)

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」、
このオーディオマニアの声は、輸入元にも届いていると思うし、
オーディオ雑誌の編集部にも、オーディオ評論家の耳にも届いているであろう。

B&Wの800シリーズの評価が高いのはここ一、二年のことではない。
結構前から評価は高かった。
ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーとして800シリーズが使われるようになって、
どのくらい経つのだろうか。

誌面での評価が高く、表紙にも何度か登場している。
賞にも選ばれる。
リファレンススピーカーとしても使われる。

それだけ誌面に登場することの多くなっていくとともに、
「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」の数も多くなっていっている。
むしろ、最近ではあまり口にしなくなりつつあるような気すらする。

それでも、この項を書き始めるすこし前に、
「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」を聞いている。

あからさまに、このことを話題にしない人でも、
心のどこかに「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」がひっかかっているんだろう。
それか何かの拍子にフッと出てしまう。

初対面の人から「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」といわれた場合と、
よく話をする友人の口から「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」が出た場合、
こちらが口にする言葉は同じとはいえない。

友人の場合は、何もかも、とまではいかなくとも、
おおよそのことは察しての「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」である。

初対面の人の場合では、
どういう意図で「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」なのかを、
こちらとしては探ってしまうところがあるといえばある。

本当に疑問に感じての「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」なのか、
それとも何か裏情報のようなことを知っているんでしょう、それを聞かせてほしい、
という「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」のことだってあろう。

いっておくが、そんな裏情報のようなことは知らない。
なぜ、オーディオ評論家がB&Wの800シリーズを使わないのか──、
本音の理由を、私も訊いてみたいくらいである。

本音の理由を知らないからこそ、こうやって書いているわけだ。

Date: 4月 28th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その2)

B&Wの800シリーズの評価は、常に高い、といっていいし、
新型が出るたびに評価はあがっていく。
にも関わらず、オーディオ評論家で自家用として鳴らしている人はいない。

ここでいうところのオーディオ評論家とは、
私の場合、主にステレオサウンドに執筆している人ということになる。
他のオーディオ雑誌に執筆されている人に関しては触れないことにしている。

800シリーズは、ステレオサウンドでの評価が最も高いといえるし、
ステレオサウンドではリファレンススピーカーとしていること、
それに他のオーディオ雑誌に執筆している人のシステムに私が詳しくないこともある。

こういうことを指摘すると、
たいていは、こんな答が返ってくる。
「仕事用のスピーカーと趣味用のスピーカーは違うから」

これももっともらしい答で、これで納得する人もいるかもしれないが、
そんなお人よしな性格のオーディオマニアは少ないのではないか。

まずオーディオ評論家にとって、
自身のリスニングルームは、ひとりの音楽愛好家として音楽を聴く場であるとともに、
オーディオ評論家としての仕事場でもある。

そこにメーカーや輸入元からアンプやCDプレーヤーその他を持ち込まれて試聴もする。

もちろん、ここでも、こんなことはいえる。
B&Wの800シリーズの音を聴くと、仕事モードの耳になってしまうから、と。

ならば自家用として鳴らしているスピーカーでは、仕事モードの耳にならない、とでもいうのか。
それでは自宅に持ち込まれたオーディオ機器の試聴はできない、という道理になる。

でも実際にはそうではない。

それに仕事モードの耳とは、どういうことなのか。
細かな音の違いを聴き分けようとする耳のはずだ。

これはオーディオを仕事としていない人でも、そういうモードの耳で聴くことは当り前にある。

それとも仕事モードの耳は、もっと違うことなのか。
このメーカーの製品はほめておかなければならない、とか、
そういったことを考えながら聴く耳が、仕事モードの耳とでもいうのか。

Date: 4月 23rd, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その1)

数ある現行スピーカーシステムの中で、
もっとも欠点の少ないモノとして挙げるならば、B&Wの800シリーズとなろう。

800シリーズの新製品が出るとなると、オーディオ雑誌はページを割く。
モノクロ1ページではなく,カラーで数ページは割かれる。

オーディオ雑誌のウェブサイトでも、800シリーズの取り上げ方は力が入っている。

ユーザーの注目度も高い、と毎回感じる。
800シリーズの新製品の音に触れるたびに、興奮気味に語る人がいる。

それだけに800シリーズの新製品が、
オーディオ雑誌の賞に漏れることはない。必ず選ばれる、といえる。

けれど800シリーズを自宅で鳴らしているオーディオ評論家はいない──、
このことを指摘するオーディオマニアは、以前からいる。

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」
事実を語っているだけであっても、言外にほのめかすのは、
人によっては違っているところもあるようだ。

ステレオサウンドの試聴室では、昔はJBLがリファレンススピーカーとして使われていた。
私が働き始めたころは4343から4344に切り替るタイミングで、
私がいた七年間の大半は4344が使われていた。

4344は上杉先生が使われていたし、
4343は瀬川先生、黒田先生がそうだった。

4341から始まったJBLの4ウェイ・スタジオモニターの年数と、
B&Wの800シリーズの年数は、もうB&Wの方が長い。

けれど誰も使っていない。

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」には、
リファレンスとして頻繁に聴く機会があるから、も含まれているわけだが、
それでも、ほんとうに惚れ込んだスピーカーならば、買ってしまうわけだ。

Date: 4月 9th, 2017
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その7)

現在の話ではなく、昔のことだ。
私が熱心にステレオサウンドを読んでいたころのことだ。

ステレオサウンドのライバル誌は、どれだったのか。
同じ季刊誌であった別冊FM fan、オーディオアクセサリーだったのかといえば、
そうではなく、月刊誌のスイングジャーナルであった。

ステレオサウンドはオーディオ雑誌、
スイングジャーナルはジャズの雑誌であり、
同じジャンルの雑誌とはいえない面もあるけれど、
オーディオのことだけに絞っても、スイングジャーナルがライバルてあった、といえる。

おそらくスイングジャーナル編集部も、
ステレオサウンドをライバルとみていたであろう。

ステレオサウンドとスイングジャーナルは、違う。
上に挙げたこと以外にも違いはある。

私がいちばん違うと感じていたのは、読者との関係である。
そのころのスイングジャーナルには、「読者の頁」というのがあった。

交歓室、バンド・スタンド、SJアンテナ、私も評論家、なんじゃもんじゃ博士、質問室、
売買交換室から構成されたページであった。
10数ページあった。

ステレオサウンドには、この手のページは、ほとんどなかった。
オーディオ機器の売買欄はあったけれど、
それ以外の、読者の感想、意見、提案などを語れるページはなかった。

私は「読者の頁」のように読者が積極的に関われる記事があるのを、
毎号、必ずしも必要とは考えていない。
むしろ、当時、読者だったころは必要ない、とも思っていたし、
ステレオサウンドの編集に携わっていたころも、そう考えていた。

けれど、いまになって「読者の頁」について考えている。

Date: 11月 5th, 2016
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(結婚にあてはめれば……・その3)

思い出すから書くのか、
書くから思い出すのか。
たぶん両方なのだろうが、結婚とオーディオということで思い出したことがある。

スイングジャーナル1972年1月号掲載の座談会「オーディオの道はすべてに通ず!だ。
     *
菅野 この間、だれかさんの原稿の穴埋めに急拠「オーディオロジー」の原稿を書かされたんだよ(笑)。そこでぼくは錯覚という言葉を使った。
瀬川 イリュージョンだね。
菅野 錯覚というのは無限の飛翔というか、可能性というか、高まりをもつものだ。これがもっとも大切なものであると書いたわけです。
 つまり、恋愛というものは、精神と感情と肉体の無限の飛翔である。一方結婚は現実の生活である。その恋愛の目的を結婚に置くということは、極めて次元の高いものの目的を次元の低い現実に置くことなので、元来矛盾しているものなのだ、というように展開したわけ。その恋愛というものもやはりイリュージョンなのだよね。イリュージョンなるがゆえに、無限に心の高まりを感じるわけだ。
瀬川 そう、イリュージョンだから美しいんですよ。確かに結婚というものが現実的なものであることは事実なのだけれど、結婚の中での一つの虚構、あるいは錯覚みたいなものを持続させることもできるんだ。だから結婚の中でも結婚以外のものに、逃避であろうと、なんかの一つの理想であろうと、結婚を回避してそっちへ行こうということだけがすべてでないと思うんだ。
菅野 もちろんそうです。
瀬川 もっとそのさきの大事なことは、この世の中で現実に起ることよりも、そういう錯覚の中、あるいはフィクションの中で感じる一つの幻想、イリュージョンの方が人間にとって実感をもっている。いや実感というより人間にとって大切じゃないかと思うんだ。
菅野 そう大切なものですよ。
瀬川 現実というのは、いろんな制約の中での現実なんだよ。つまりさまざまな社会的制約の中でなり立っている。しかし、その中での錯覚というのは、現実の壁を乗り越えた強さをもっている。それが人間にとって人間を味わう、あるいは生きがいというか、ものを味わうための一番大切な何かだな。
菅野 それはあなたがいい奥さんをもっているからいえるんだよ。ぼくはそうじゃなくて、結婚はあくまで現実のものなんだよ。イリュージョンを追いかけて行くから失望するんだ。つまり結婚というものは、恋愛にもない、親子の愛でもない、友情でもない、夫婦愛というものの生まれる可能性のある一つの生活様式なんであると思っている。だからわずかの月日で築けるものではない。
 なぜ、ぼくはここまでいうかというと、つまりオーディオというような趣味のものはイリュージョンですね。そこでぼくもいったことなんだけれども現実の問題でイリュージョンというものによって解決しようとすると、オッチョコチョイにも、趣味を仕事にしようとする者が出てくるんだ。趣味と仕事を合わせるとこのイリュージョンを結婚生活の中へもち込むこともむずかしさがある。趣味というものもこれが仕事になったときには現実になる。
 それじゃわが輩のように仕事にした人間はどうなるのかと。しかしわが輩としては仕事にしたからっといって、趣味というものの次元を低めることはできない。やはり高い趣味の次元をもち続けていかなければならない。そのために、結婚しても女性嫌いにはなれずにね(笑)。つまり仕事と同時にそれを趣味としてイリュージョンの世界に遊ぶだけの余裕をもつべく、涙ぐましい努力をして行くんだ(笑)。
瀬川 前半は不足ない、途中でちょっと異論があって、結論でまた一致したんだよ。途中だけちょっと菅野さんの方法論が違っていただけで、本人がやっていることは仕事ではそれなんだ。
菅野 もちろん認めるけれど、それはたいへんなんだよ。
瀬川 そう二つの至難がある。一つは魔法をかけるに値する石ころを見つけるというむずかしさ、もう一つは手に入れた石ころに常に魔法をかけておくというむずかしさ、この二つのむずかしさを乗りこえたときの至福の喜びというものは何にもたとえられないものなのですよ。
菅野 もちろん、それは理想論としてわかるんですが、なにせ結婚の相手というのは人間ですからな(笑)。
瀬川 さっきからいっているように結婚にたとえるから話が現実的になっちゃうんで、オーディオ・パーツでもいいよ。スピーカーに限ろう。
菅野 いや、スピーカーに限ったら、話はあなたと同じだよ(笑)。
瀬川 スピーカーも女も生活なんだ。
岩崎 たいへん幸せなんでうらやましいです。スピーカーと同じような女房をもらえればこれはいいよね(笑)。
菅野 だからスピーカーにたとえるとあなたと全く同じ考え方だ。スピーカーというものは魔法がかけられるよ。
瀬川 おれはそれを私生活でもやりたいというおめでたい希望があるんだ。
菅野 それはあなたがむずかしい問題に直面していないんだよ。女性をスピーカーにたとえられるというのは幸せというか……。
瀬川 おめでたいのかな(笑)。パーツを愛情をもって使いこなせというのは、本質論で、前提があるわけ。
菅野 それは直感だよね。
瀬川 そう、それだからこそ、さっきから子供の石ころにこだわるわけよ。無心の世界に遊んでいるときの子供の純粋な行動、大人の趣味の世界、ここにあって直感を働かさなくては、人間というのはダメなのですよ。
菅野 われわれも、年の改まった今、いま一度童心を思い起して直感を冴えさせおきたいものですね。
     *
この岩崎千明、菅野沖彦、瀬川冬樹による鼎談は、
菅野先生のこんな発言で始まる。
     *
菅野 われわれのように、いわゆる道楽者が音の話をしていると、よく他の話に取違えられるんだね。この前も、こちらは音の話をしていたのに、バーの女の子がゲラゲラ笑っているんだよ。何を笑っているのかと思ったら、始めから終りまで猥談だと思っていたというんだね。まあ、その道の話というのは必ずすべての道に通じる話になるわけで、逆にそうでなければ、核心をついた話ではないよね。
     *
たしかにそうかもしれない。

Date: 11月 5th, 2016
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(結婚にあてはめれば……・その2)

瀬川先生が浮気について話されたことを、ふと思い出した。

あの話は一般論としてだったのか、それとも瀬川先生の知人にそういう人がいた、という話だったのか。
そのへんははっきりとしないが、こんなことを話された。

浮気をする人は、奥さんとはまったく違うタイプの女性を選んでいるつもりでも、
傍からみれば、奥さんと同じタイプだし、何度も浮気をする人も、また同じタイプの人と浮気している、
スピーカー選びも同じようなもので、
本人にしてみれば以前鳴らしていたスピーカーとはまるで違う音のスピーカーを選んでいるつもりでも、
傍からみれば、どこかに共通するところのある、もっといえば似ている音を選んでいる、と。

高校生のときに聞いた話しだ。
浮気とはそういうものなのか、と思いながら聞いてもいた。

実際の浮気がそういうものかどうかは知らない。
知人で何度か結婚している男をみていると、そう外れていないとは思う。
結婚・離婚のくり返しと浮気は、そもそも同じじゃないけれど、
相手を選択するということでは同じといえる。

主体性をもって、本人は選んでいるつもりである。
結婚相手、浮気相手、そしてスピーカーにしても。
でも、それは結局つもりでしかないのかもしれない。

こんなことを書いているのは、
昨夜「タンノイがふさわしい年齢」を書きながら、
タンノイが、にするか、タンノイに、するかで考え迷っていたからだ。