オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その14)
「てばなす」ということ──、
瀬川先生の場合はどうだったのか、とどうしても考えてしまう。
瀬川先生もいくつかのオーディオ機器をてばなされている。
EMTの927Dst、930st、
マランツのModel 7、JBLのSG520などである。
そのへんの事情もきいて知っている。
手放されたのか、手離されたのか。
でも、ここで考えたいのは、それらのオーディオ機器のことではない。
グッドマンのAXIOM 80のことである。
AXIOM 80を、瀬川先生は手放されていない。
きくところによると八本、ずっと所有されていた。
しかもそのうちの四本(と記憶している)は、初期の木箱入りのAXIOM 80である。
瀬川先生は、AXIOM 80をいつの日か鳴らしたい、と思われていたのか。
ステレオサウンド 創刊号に、
《そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる》
と書かれていた。
おそらく、それはずっと変らぬままだったはずだ。
だから、考える。
瀬川先生にとって、AXIOM 80は物理的に手放されていたわけではない。
けれど、その音は手離されてきたのか……、と。