Archive for category 930st

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その14)

五味先生は、こう書かれている。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプ〝MC三五〇〇〟が発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
(五味オーディオ教室 より)
     *
MC275の音について
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ》
と表現されている。
瀬川先生が書かれていたことと、表現が違うだけで同じともいえる。

だから対極といえるマッキントッシュのC22+MC275、
マークレビンソンのLNP2+SAEのMark 2500、
なのにアナログプレーヤーは930stなのは、やはり音の構図の確かさゆえだ、と私はおもっている。

《マッキントッシュの風景は夜景》であり、
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかして》あるからこそ、
音の構図は確かなものでなければ、その美しさは成り立たない。

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その13)

私がここまで930stに入れ込むことになったきっかけは、
いうまでもなく五味先生と瀬川先生の影響である。

ふたりの930stについて書かれたものを読んで、
興味をもたないほうが不思議におもえるくらいである。

音の入口である930stは同じであっても、
アンプは五味先生はマッキントッシュの管球式のC22とMC275のペア、
瀬川先生は世田谷の新居に引っ越されるまでは、
マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500という、
最新トランジスター式のペアである。

音の傾向は対極といえる。
     *
 JBLと全く対極のような鳴り方をするのが、マッキントッシュだ。ひと言でいえば豊潤。なにしろ音がたっぷりしている。JBLのような〝一見……〟ではなく、遠目にもまた実際にも、豊かに豊かに肉のついたリッチマンの印象だ。音の豊かさと、中身がたっぷり詰まった感じの密度の高い充実感。そこから生まれる深みと迫力。そうした音の印象がそのまま形をとったかのようなデザイン……。
 この磨き上げた漆黒のガラスパネルにスイッチが入ると、文字は美しい明るいグリーンに、そしてツマミの周囲の一部に紅色の点(ドット)の指示がまるで夢のように美しく浮び上る。このマッキントッシュ独特のパネルデザインは、同社の現社長ゴードン・ガウが、仕事の帰りに夜行便の飛行機に乗ったとき、窓の下に大都会の夜景の、まっ暗な中に無数の灯の点在し煌めくあの神秘的ともいえる美しい光景からヒントを得た、と後に語っている。
 だが、直接にはデザインのヒントとして役立った大都会の夜景のイメージは、考えてみると、マッキントッシュのアンプの音の世界とも一脈通じると言えはしないだろうか。
 つい先ほども、JBLのアンプの音の説明に、高い所から眺望した風景を例として上げた。JBLのアンプの音を風景にたとえれば、前述のようにそれは、よく晴れ渡り澄み切った秋の空。そしてむろん、ディテールを最もよく見せる光線状態の昼間の風景であろう。
 その意味でマッキントッシュの風景は夜景だと思う。だがこの夜景はすばらしく豊かで、大都会の空からみた光の渦、光の乱舞、光の氾濫……。贅沢な光の量。ディテールがよくみえるかのような感じは実は錯覚で、あくまでもそれは遠景としてみた光の点在の美しさ。言いかえればディテールと共にこまかなアラも夜の闇に塗りつぶされているが故の美しさ。それが管球アンプの名作と謳われたMC275やC22の音だと言ったら、マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない。だが現実には私にはマッキントッシュの音がそう聴こえるので、もっと陰の部分にも光をあてたい、という欲求が私の中に強く湧き起こる。もしも光線を正面からベタにあてたら、明るいだけのアラだらけの、全くままらない映像しか得られないが、光の角度を微妙に選んだとき、ものはそのディテールをいっそう立体的にきわ立たせる。対象が最も美しく立体的な奥行きをともなってしかもディテールまで浮び上ったときが、私に最上の満足を与える。その意味で私にはマッキントッシュの音がなじめないのかもしれないし、逆にみれば、マッキントッシュの音に共感をおぼえる人にとっては、それがJBLのように細かく聴こえないところが、好感をもって受け入れられるのだろうと思う。さきにもふれた愛好家ひとりひとりの、理想とする音の世界観の相違がそうした部分にそれぞれあらわれる。
(「いま、いい音のアンプがほしい」より」
     *
C22とMC275について、瀬川先生は、
《マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない》
と書かれている。

けれどほんとうにそうだろうか、とおもう。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その12)

フィリップスのLHH2000は、確かにプロフェッショナル用CDプレーヤーだった。
その数年後に登場したLHH1000は、型番の上ではプロフェッショナル用ということになるし、
トランスによるバランス出力を備えていた。

一見すればプロフェッショナル用と見えなくもない、このCDプレーヤーは、
音を聴けば、コンシューマー用CDプレーヤーであると断言できる。

LHH2000はフィリップスの開発、
LHH1000はブランド名こそフィリップスであっても、開発はマランツである。
でも、そういうこと抜きにしても、
この項でくり返し書いている音の構図という、この一点だけで、
少なくとも私の耳には、LHH1000はプロフェッショナル用とは聴こえなかった。

ことわっておくが、LHH1000の音がダメだ、といいたいのではなく、
プロフェッショナル用かコンシューマー用かを、
型番やブランドではなく、音で判断するのならば、コンシューマー用ということだけである。

LHH1000だけではない。
その後に登場したLHHの型番がつくCDプレーヤーのすべて、
プロフェッショナル用とは私は思っていない。

プロフェッショナル用が、コンシューマー用より優れている、といいたいわけではない。
このころまでのプロフェッショナル用機器には、
少なくとも優れたプロフェッショナル用機器には、
音の構図の確かさがあった、といいたいだけであるし、
私はそのことによって、
プロフェッショナル用かコンシューマー用かを判断している、ということである。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その11)

同じことはCDプレーヤーに関しても、いえた。

スチューダーのA727を買う時に、気になっているCDプレーヤーがあった。
アキュフェーズのDP70だった。

DP70は430,000円だった。
A727とほぼ同じだった。
どちらもバランス出力を持っている。

片やプロフェッショナル用CDプレーヤー、
もう片方はコンシューマー用CDプレーヤーと、はっきりといえた。

ステレオサウンドで働いていたから、じっくりと試聴室で聴き比べた。
DP70にかなり心は傾いたのは事実だ。

情報量の多さでは、DP70といえた。
けれど、A727に最終的に決めたのは、音のデッサン力、音の構図の確かさである。

瀬川先生がステレオサウンド 59号で、
ルボックスのカセットデッキB710について書かれていることは、ここでも当てはまる。

国産カートリッジと海外製カートリッジ、
国産カセットデッキ、テープと海外製カセットデッキ、テープの音の描き方の根源的な違い、
それはDP70とA727にもあり、
そこにコンシューマー用とプロフェッショナル用の違いが加わる。

何を優先するのかは人によって違う。
だから、DP70とA727を比較して、DP70を選ぶ人もいてこそのオーディオの世界である。

A727に感じた音の構図の確かさは、フィリップスのLHH2000にもあったし、
A727の後に登場したA730も、まったくそうだ。

Date: 11月 26th, 2017
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その10)

EMTの930stとガラードの301+オルトフォン、
ふたつのアナログプレーヤーを比較試聴して、顕著な違いとして感じたのが、音の構図である。

音のデッサン力の確かさ、といってもいい。
この音の構図がしっかり描くのは930stであり、
ガラード+オルトフォンでは、正直心許ない印象を受けた。

ここのところに、
プロフェッショナル用とコンシューマー用の違いを意識させられる。

こう書くと、
ガラードの301もBBCで使われていたから、プロフェッショナル用ではないか、
と反論がありそうだが、
私はガラードの301をプロフェッショナル用だとはまったく思っていない。

プロフェッショナル用だから、素晴らしいわけではないし、
コンシューマー用のほうが素晴らしいモノは、けっこうある。

それなのにこんなことを書いているのは、
私が以前から感じているプロフェッショナル用機器の音の良さとは、
930stの音の良さと、共通するからである。

くり返しになるが、それが音の構図であり、音のデッサン力の確かさである。
アナログプレーヤーだけでなく、スピーカーシステムに関しても同じだ。

JBLのスピーカーシステムに感じる良さのひとつに、同じことが挙げられる。
いまやJBLのスピーカーシステムのラインナップは拡がりすぎているが、
少なくともJBLのプロフェッショナル用は、930stと同じで、確かな音の構図を描く。

すべてのプロフェッショナル用機器がそうだとまではいわないが、
優れたプロフェッショナル用機器に共通する良さは、ここにあった、といえる。

過去形で書いたのは、私がここでプロフェッショナル用として思い出しているのは、
往年のプロフェッショナル用機器ばかりであるからだ。

Date: 7月 24th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その9)

アナログディスク再生でカートリッジを交換すれば、音の表情が変る。
ひとつひとつにそれぞれの音の表情があり、ひとつとして同じ音(表情)で音楽を鳴らすモノはない。
だからオーディオマニアはカートリッジをひとつでは満足できずに、いくつも持ち、
レコードによってカートリッジをつけ替え調整して聴く、ということも苦とすることなくやっている。

特に人の声の表情は、よくわかる。
もちろんどんな楽器の音(表情)であろうとカートリッジを替えれば変るわけだが、
人の声、それも気に入っている歌手の声であるならば、その変りようは、より敏感に聴き分けられる。

音の表情は大事なことである。
けれど、そこばかりに気をとらえすぎてはいないだろうか。
音には音の構図がある。

まず音の構図がある程度きちんと再現されているべきだと私は考える。
そのための音のデッサン力の確かさを、
私はガラード301+オルトフォンSPUよりもEMT930stにはっきりと感じた。

なにもガラード+オルトフォンと比較して気づいたことではない。
EMTのアナログプレーヤーの音の良さは、この音のデッサン力の確かさにあることは、
初めてEMTのプレーヤー(930st)を聴いたときから感じていた。

EMTのプレーヤーがもつ音のデッサン力の確かさは、
演奏者ひとりひとりのデッサンが確かなのもそうだが、
それ以上に全体の音の構図、そしてその構図の中でのそれぞれの演奏者の提示の仕方も含めて、
音のデッサン力が確かだといえる。

その3)で書いている、それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、
という感じとは、この音のデッサン力の確かさによるものである。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その8)

たまたま松田聖子のディスクで、EMTの930stとガラードの301+オルトフォンSPUとを聴き比べたから、
松田聖子について書いてきたわけだが、
これが私自身が熱心な聴き手であるグラシェラ・スサーナだったら、
930stと301+SPUのどちらを選ぶかとなると、これもためらうことなく930stを選ぶ。

前回、親密感について書いた。
私は熱心な松田聖子の聴き手ではないから、そこでは親密感を求めない、とした。
だから930stをとる、と。

グラシェラ・スサーナに関しては熱心な聴き手だ。
彼女の歌い方からすれば、そこに親密感はあってほしいとは思う。
けれど、親密感というよりも、もっと求めるのは、私ひとりのために歌ってほしい。

このことは女性ヴォーカル、それも気に入っている女性ヴォーカルのレコードを鳴らす場合に、
多くの聴き手(男ならば)が求めていることだろう。

ならば親密に鳴ってほしいのかといえば、私はそうではない。
グラシェラ・スサーナにしても松田聖子にしてもプロの歌い手である。

私が望むのは、あくまでもプロの歌い手が私ひとりのために歌っている、
そういう感じで鳴ってきてくれたらうれしいのであって、
プロの歌手が聴き手に媚びているような親密感で歌ってほしいとは思っていない。

親密より濃密に歌ってほしい。
そしてなによりも930stと301+SPUの聴き較べてあらためておもったのは、
930stの音のデッサン力の確かさである。

Date: 3月 22nd, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その7)

たしかに松田聖子の声の質感はガラードとオルトフォンによる音のほうが、滑らかだった。
それでも気になるのは、松田聖子の歌手としての力量をどちらのプレーヤーがより正確に伝えてくれるか、
正確に再現してくれるか、という視点に立てば、私には930stのほうが、より正確に感じられる。

ガラードでの声の滑らかさはよかった。
それでもガラードでの松田聖子は、EMTでの松田聖子ほど歌手として堂々としているようには感じられなかった。

このへんは松田聖子に対する思い入れによっても評価は分れるかもしれない。
松田聖子の声・歌に何を求めたいのか。

松田聖子の熱心な聴き手であれば、親密感を求めるのかもしれない。
930stでの松田聖子は、人によっては立派すぎると感じるかもしれないところもある。
その意味では、親密感は稀薄ともいえよう。

それでもひとりのプロの歌手として松田聖子を聴きたいのであれば、やはり930stを私はとる。
私は松田聖子のレコードをかけたときに、そこに親密感を求めてはいないからである。

ガラードとオルトフォンでの松田聖子は声の質感だけでなく、
930stほど、各演奏者の距離感が適切には表現されていない。
そのため、こじんまりとしたスタジオで録音している雰囲気が漂う。

これもまた親密感ということではうまく働いてくれるのかもしれない。

Date: 3月 19th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その6)

EMT・930stで松田聖子の歌が鳴ってきたとき、
少しばかり粗いところが残っている気もした。

でも、聴く前にしばらく930stを使っていなかったことを聞いていたし、
自分でも使っていたアナログプレーヤーであるから、
細かな調整を行うことで、そして通常的に使っていくことで、
いま気になっている点は解消できるという確信があったので、
松田聖子に特に思い入れをもたない聴き手の私は、その点はまったく気にしていなかった。

けれど私の隣で聴いていた松田聖子の熱心な聴き手は、
その点がとても気になっていた、そうだ。

930stからガラード301のターンテーブルの上に松田聖子のLPが載せかえられ、
301とSPUの組合せでの音が鳴った時に、熱心な聴き手の彼は、満足していたようだった。

つまり彼は930stの松田聖子の歌に関しては評価していなかった。
だから、両者の音を聴いた後で、私が「やっぱり930st」といったのをきいて、
「なぜ?」と思ったらしい。

930stがなぜ良かったのかについて、前回書いたことを話すと、彼もそのことには同意する。
それでも松田聖子の歌(声)の質感がどうしても930stのそれはがまんできない、とのこと。

私も彼のいうことは理解できる。
互いに相手のいうこと・評価を理解していても、
松田聖子の熱心な聴き手の彼はガラード301とオルトフォンSPUの組合せによるシステム、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私はEMT・930stというシステムを、ためらうことなくとる。

Date: 3月 15th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その5)

930stのあとに、ガラード301のシステムで松田聖子を聴いていて、すぐに感じて思い出していたのは、
五味先生が930stについて書かれていた文章だった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
     *
ガラード301にはオルトフォンのSPUがついていた。
SPUもシリーズ展開が多過ぎて、ぱっと見ただけでは、SPUのどれなのかはわかりにくい。
少なくともSPU Classicではなかった。もっと高価なSPUだった。
それにフォノイコライザーに関しても、
930stは内蔵の155stで、ガラード301のほうはコントロールアンプ内蔵のフォノイコライザーであり、
301のほうのフォノイコライザーの方が155stよりも新しい設計である。

155stには昇圧用と送り出しの二箇所にトランスが使われている。
ガラードの301のシステムにはかなり高価な昇圧トランスが使われていた。
このトランス自体も155stに内蔵のトランスよりも新しいモノだった。

だからというわけでもないが、周波数レンジ的にはガラード301+オルトフォンSPUのほうがのびていた。
けれど五味先生が書かれているように、
シュアーのV15での三十人の合唱がEMTでは五十人に聴こえるのと同じように、
私が聴いていたシステムでも、930stの方が広かった。

三十人が五十人にきこえる、ということは、それだけの広い空間を感じさせてくれるということでもある。
その意味で930stは、録音に使われた空間が広く感じられる。

こう書いていくと、930stが完璧なアナログプレーヤーのように思われたり、
私が930st至上主義のように思われたりするかもしれない。

けれど930stは欠点の少ないプレーヤーではないし、私自身、930st至上主義ではない。
ガラード301とSPUで聴けた松田聖子の声は、実にしっとりとなめらかだった。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その4)

松田聖子は、CBSソニーというレコード会社にとって稼ぎ頭であったはずだ。
であれば、松田聖子のレコーディングには、それなりのお金も手間もかけていたように思う。

昔既オーディオ雑誌で、CBSソニーのスタジオが記事になったことがある。
そこで、かなり広いスタジオがあった、と記憶している。

930stで松田聖子を聴いていて、実はそんなことを思っていた。
CBSソニーは、松田聖子をアイドル歌手としてではなく、稼ぎ頭の歌手として扱っている。
だから録音も丁寧に行っているし、贅沢にも行っている。

930stでの松田聖子では、広いスタジオで歌っているように聴こえるのだ。

だからといって、ここで書いたことが事実なのかどうかは知らない。
松田聖子がどういうスタジオで録音していたのかの詳細は何も知らない。

知らないけれど、そこで鳴っていた音は、そう感じさせてくれたし、
このことがガラード301を中心としたシステムとの、いちばんの音の違いでもあった。

Date: 3月 6th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その3)

EMTの930stで聴いた松田聖子のレコードは、
それぞれの演奏者が適切な位置関係で鳴っている、という感じがあった。

松田聖子がアカペラで歌っていたら、
930stとガラードの301を中心としたプレーヤーシステムのどちらがいいのかを判断する時には、
松田聖子の熱心な聴き手ではない私でも、松田聖子の声のみにフォーカスすると思う。

けれどこの時聴いた松田聖子のレコードは、そんなアカペラのレコードではなかった。
(松田聖子にアカペラの曲があるのかも実は知らない)

当然楽器の演奏者が複数いる。
松田聖子は歌手だから、中央に位置しているし、しかも横一列の中央ではなく、
バックの演奏者、という表現がすでに示しているように、
彼らよりもすこし前に位置している。

その上で、松田聖子のバックにそれぞれの演奏者がいる。
この位置関係が、そしてそれぞれの距離関係が、930stで聴いていると、実に適切であるように聴こえる。

実際のレコーディング風景を知っているわけではないから、
930stが提示する松田聖子のレコードでの位置関係が、ほんとうに正しいものかどうかは断言はできない。
それでも930stが示す位置関係を聴いていると、そこに不自然さは感じないどころか、
くり返しになるが、適切な位置関係と感じられる。

そしてこのことと関係して、広いスタジオで歌っている感じが伝わってくる。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その2)

先月もあるところで松田聖子を聴いたことは、別項でも書いているとおりだ。
実は今回も松田聖子を聴いてきた。

前回はCD、今回はアナログディスクで松田聖子を聴いた。
この松田聖子のディスクを930stで聴いた後、
ガラード301のシステムでかけたわけだ。

どちらが私には良かったのかは、先にも書いたように930stだった。
けれど、おもしろいのは松田聖子が好きな人は、ガラード301の方が良かった、という。

930stでの松田聖子とガラード301での松田聖子はどう違っていたのか。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない、
松田聖子の歌といえば、テレビで聴くくらいの聴き手でしかない私には、
ガラード301での松田聖子は、歌の上手なアイドル歌手というふうに感じられた。

930stで聴く松田聖子は、アイドル歌手という面影は感じさせず、
あくまでもプロの歌手としての松田聖子であった。

松田聖子のディスクを一枚も持っていない私は、松田聖子のファンではない。
でも松田聖子の熱心な聴き手である人は、松田聖子のファンであり、
その人にとっては、松田聖子はアイドルという存在でもあるのかもしれない。

私にとって松田聖子はアイドルでもなんでもなかった。
この思い入れの違いが、930stなのかガラード301なのかの違いにつながっているのではないだろうか。

Date: 2月 11th, 2014
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その1)

EMTの930stは何度も聴いたことのあるアナログプレーヤーであり、自分でも使っていた。
ガラードの301は、何度か聴いたことはあるけれど、その回数は930stのそれよりもずっと少ないし、
自分のプレーヤーとして使ったことはない。

つまり同じ空間で同時に聴いたことは、これまで一度もなかった。

930stの音は、かなり身にしみ込んでいる。
930stの他のプレーヤーとの音の差もある程度は掴んでいて、
そういったプレーヤーと比較することによって、ガラード301の音をなんとなく掴んでいたつもりであった。

今回、機会があって930stとガラード301(トーンアームはオルトフォンRMG309で、カートリッジはSPU)を、
同時に聴くことができた。

ガラード301といってもプレーヤーベースをどうするのか、
組み合わせるトーンアーム、カートリッジによっても結果として出てくる音は違ってくるわけで、
システムとして構築されている930stと同列で比較するのが難しいのはわかっている。

それでも同じ条件で聴きくらべられるのはこれまでなかったし、ありがたい体験でもあった。

どちらが良かったのか。
結果を先に書いてしまうと、私には930stだった。

けれど、こうやって比較試聴して得られたものはそれだけではなく、
ここにオーディオの面白さがある、と感じられることも得られた。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(続余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」が出た1978年でのDT440の価格は14800円。
ベイヤーのラインナップではいちばん安価なヘッドフォンだったし、
高価なヘッドフォンはこの当時もいくつかあった。

それにDT440は瀬川先生が書かれているように、
《ユニット背面の放射状のパターンなどみると、決して洗練されているとは言えず見た目にはいかにも野暮ったい》
外観だった。およそ高級ヘッドフォンとはいえない、見た目の印象だ。

それから30年が経過して、DT440 Edition2007になっているわけだが、
DT440の放射状のパターンはなくなっている。野暮ったさはなくなっているが、
高級ヘッドフォンという趣は感じないし、買う前から予想していたことでもあるのだが、
ドイツで製造しているわけではないようだ。

現在のベイヤーのラインナップで、より上級機はドイツ製を謳っているモノがある。
DT440 Edition2007はオープンプライスになっているが、実質30年前の定価とほぼ同じである。

そんなこともあって、ほとんど期待せずにiMacのヘッドフォン端子に接いでみた。
きちんとしたヘッドフォンアンプで鳴らしたわけではない。
おそらく中国で製造しているであろう、普及価格帯のヘッドフォン。

鳴ってきた音を聴いて、まず私が思っていたのは930stの帯域バランスと同じだ、ということだった。

瀬川先生がステレオサウンド 55号で書かれている文章そのものの帯域バランスがここにあった。
     *
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     *
もちろん930stの音そのものがDT440 Edition2007で聴けるわけではない。
だが、少なくとも930stの美点ともいえる、瀬川先生が書かれているとおりの帯域バランスは聴ける。