Archive for 12月, 2011

Date: 12月 31st, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その7)

私がステレオサウンドを読みはじめたころにはっきりと存在していたものが、いまはいくつもなくなっている。
そのひとつであり、これがオーディオ評論をつまんないものにしていることに連がっていると思うのは、
オーディオ評論家同士の「関係」である。

このことは別項の、『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』でもこれから先書いていくが、
私が夢中になってステレオサウンド(だけではない、ほかのオーディオ雑誌)を読んでいたころは、
それぞれのオーディオ評論家が、オーディオ評論家としての役目とともに、それぞれの役割をきちんと果していた。
表現をかえれば、ステレオサウンドに執筆していたオーディオ評論家のあいだにはライバル関係が成り立っていた。

このことはステレオサウンドを数号読んでいれば、すぐに気がつくことであった。
中学生の私でも、すぐに気がついたことであり、それゆえにひとりひとりの「言葉」が鮮明になっていた。
いまは、どうだろう……(これに関しては上記の別項で書いていくので、このへんにしておく)。

瀬川先生と菅野先生がライバルであること、は、中学生の私にもすぐにわかった。
菅野先生自身、ステレオサウンド 61号に
「僕にとって瀬川冬樹という男の存在は、後輩どころか、最も手強いライバルであると同時に、
相互理解のもてる仲間同士であったと思う。」
と書かれている。

ほんとうにそのとおりだと思う。
だが後になって気づくのは──それもずいぶん後になってなのだが──、
瀬川先生と岩崎先生も、
菅野先生が瀬川先生について語られたのと同じ意味でのライバル同士であった、ということだ。

相互理解のもてる仲間同士であり、最も手強いライバル──、
岩崎千明にとって瀬川冬樹がそうであった、瀬川冬樹にとって岩崎千明がそうであった、
と、いまは強く確信している。

Date: 12月 30th, 2011
Cate: 十牛図

十牛図(その1)

2010年9月22日、京都に川崎先生の講演をききに行った。
十牛図についての講演だった、から、USTREAMでの中継があるにもかかわらず、京都に出かけていった。

十牛図の牛が、何を表わしているのか。それを深く考えさせてくれる内容の、川崎先生の話だった。
牛を悟り、だとか、人の心の象徴だ、という意見もあるようだが、
川崎先生の話をきいて約1ヵ月経ったころ、牛は「死」だと思った。
そこから半年ほどたった今年の夏、やはり十牛図の牛は、「死」であると強く感じていた。
さらに半年経ち2011年が終ろうとしている──、牛は「死」である。

Date: 12月 29th, 2011
Cate: ベートーヴェン, 挑発

挑発するディスク(余談・その4)

「ベートーヴェン(動的平衡)」の項で書いたように、
ベートーヴェンの音楽、それも交響曲を音の構築物、それも動的平衡の音の構築物であるからこそ、
それに気がついたからこそ、できればモノーラルではなくステレオの、
それも動的平衡の音の構築物であることをとらえている録音で聴きたい、と変ってきたわけだ。

この心境の変化のつよいきっかけとなったのは、
菅野先生のリスニングルームで聴いたケント・ナガノ/児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番である。

このケント・ナガノ/児玉麻里のディスクを買ってきたから、といって、
すぐに誰にでも、動的平衡による音の構築物としてのベートーヴェンの音楽を再現できるわけではないものの、
このディスクが、そういえる領域で鳴ってくれることは確かななことである。
そういうことを考え、感じさせる音で録音・再生できる時代に──それはたやすいことではないにしても──、
いまわれわれはいる。

ベートーヴェンの音楽が音の構築物であることは、以前から思っていた、感じていた。
けれど「音の構築物」というところでとまっていた。
それが福岡伸一氏の「動的平衡」ということばと菅野先生のところで聴けたピアノ協奏曲第1番があって、
動的平衡の音の構築物という認識にいたることができた、ともいえる。

そうなってしまうと、むしろマーラーの交響曲に求める以上に、優れた録音でベートーヴェンの交響曲を聴きたい、
という欲求が強くなってきている。
それも細部までしっかりととらえた録音ではものたりない、
あくまでも動的平衡の音の構築物としてのベートーヴェンの交響曲をとらえたものであってほしい。

今日、シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェンの第九番を聴いた。
来年早々にはティーレマン/ウィーンフィルハーモニーのベートーヴェンが聴ける。
楽しみである。
そして、これらのディスクを聴いて、フルトヴェングラーのベートーヴェンへ戻りいくことが、
さらなる深い楽しみである。

Date: 12月 29th, 2011
Cate: 挑発

挑発するディスク(余談・その3)

シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン。
発売になってすぐに購入していたので、約2ヵ月、毎日聴いていたわけではないが、くり返し聴いてきたが、
第九番だけは、せっかくだから年末までとっておこう、と思い、今日まで聴かずにいた。

年内に発売予定だったティーレマン/ウィーンフィルハーモニーによるベートーヴェンは、発売が何度か延期になり、
来年になってしまった。
ティーレマン/ウィーンフィルハーモニーによる第九番も、この時期聴いておきたかった仕方がない。
ただ国内盤に関しては既に発売になっていて、輸入盤ではなく国内盤にしてしまおう、と思っているけれど……。

交響曲といっても、ベートーヴェンとマーラーとでは、交響曲そのものもの音楽としての性格のつくられ方、
そういうものが大きく違っている。
ベートーヴェンの交響曲にはいま鳴っている、響いている音が次の音を生み出す、
ベートーヴェンにしかないといいたくなる推進力ともいえるものがあるけれど、
マーラーの交響曲(別にマーラーに限ったことではないけれど)には感じとりにくい、というより感じとれない。

そういうことも作用してのことだと思っているが、
ベートーヴェンの交響曲よりもマーラーの交響曲が、オーディオを介して聴く場合には、
微妙な響きのニュアンス、色調の再現性がより重要となってくる、ともいえよう。
もちろんそれだけではないけれど、ベートーヴェンの交響曲はモノーラルの古い録音でも、
聴きはじめは多少録音の古さを感じることもあるものの、さほど気にならなくなる。

マーラーの交響曲となると、すこし違ってくる。
できれば優秀録音とよばれるもので聴きたくなる欲求がこちら側につよく出てきてしまう、
そういうことを要求するところがある。

マーラーの音楽が聴かれるようになってきたのは、決してオーディオ(録音・再生)の進歩と無関係ではないはずだ。
録音さえよければそれでよし、とするわけではないが、
すくなくともマーラーの交響曲はベートーヴェンの交響曲以上に、
モノーラル録音ではなくステレオで聴きたい欲求は強い。

それがこの数年間のあいだに、私の中では変化してきた。
ベートーヴェンの交響曲こそ最新の録音で聴きたい、と思うようになってきている。

Date: 12月 29th, 2011
Cate: audio wednesday

第12回公開対談のお知らせ

毎月第1水曜日に行っています公開対談は、新年4日(水)です。
三が日があけて仕事始めの方もいらっしゃるでしょうが、新年早々ということを考えると、
何人の方が来て下さるのか、まったく予想できず、対談をお願いするのもすこし気が引けるということもあって、
11月につづいて、また私ひとりで行います。

夜7時から、始めます。
場所はいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 28th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その55)

SUMOのアンプがステレオサウンドにはじめて取り上げられたのは52号。
The Goldではなく、The Powerが井上先生と山中先生による新製品紹介のページに出ている。

そこで井上先生が語られている。
     *
たとえばマーク・レビンソンのコントロールアンプと組み合わせた場合は、それほど魅力は発揮されなかったと想うのですが、テァドラで鳴らしたら、途端に音の鮮度や躍動感が出てきたのです。このことからいっても、組み合わせるコントロールアンプをかなり選ぶと思います。
     *
山中先生はつづいて、次のように語られている。
     *
このパワーアンプ本来の魅力を発揮させるためには、かなりのエネルギーをもったコントロールアンプが必要でしょうね。ザ・パワーにマッチしたコントロールアンプの発表が待たれます。
     *
ほんとうにそのとおりなのである。
Thaedraにした途端、The Goldはさらに活き活きと、それこそ水を得た魚のように、
これこそThe Goldの本領である、といいたげな、なんとも魅力あふれる、表情豊かな音楽を聴かせてくれる。

私が手に入れたThaedraは、初期のモノだから古い。
にもかかわらず、そんなことは微塵も感じさせない音を、The Goldから引き出してくれた。
唸るしかなかった。

そしてボンジョルノの凄さを、思い知らされた。

Date: 12月 28th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その54)

私ととしては、ジェームズ・ボンジョルノの最高傑作は、SUMOのThe Goldだ、といまでも思っている。
それは音だけではなく、特許取得の、バイアス回路を省略した出力段、
電源トランスを中央に配して、重量バランスへの配慮も十分で立体的なコンストラクション。
The Goldを使う前に、各部をクリーニングするために一度バラしてたとき、つくづくそう感じた。
これで、もう少し丁寧な造りであったならば、と想いはしたものの、
ボンジョルノのひらめきがこれほどつまっているアンプはない、と断言できる。

The Goldはバランスアンプなのでフォーンジャックによるバランス入力がメインであり、
コンシューマー用パワーアンプとしての互換性からアンバランス入力も設けている。
アンバランス信号だとバランス信号と比較すると、反転用のOPアンプをよけいに通るようになっている。

バランス出力をもつコントロールアンプのほうが、その意味では音質的には有利になる。
だから、というわけでもないが、
当時は930st(トーレンス 101 Limited)を使っていたからバランス出力は簡単に取り出せる。
それでバランスのアッテネーターを用意してバランス接続していた。
CDプレーヤーは、
まだスチューダーのA727が登場する以前のときはトライアッドのトランスを介してバランスに変換していた。

その一方で、マークレビンソンのJC2を筆頭にいくつかのコントロールアンプも接続していた。
当然アンバランス出力しか装備していない、これらのコントロールアンプだと、
使い勝手はアッテネーターより当然いいものの、音質的には満足できるところもある反面、やはりそうでない面もあった。
そんなとき、GASのThaedraの初期モデル、それもひじょうに程度のいいモノを手に入れることができた。
Thaedraが欲しかったのは、実はフロントパネルの白で、ツマミが黒の、
いわはパンダThaedra(勝手にそう名づけている)のユニークさに惹かれるものがあって、
ボンジョルノのファンとしては、パンダThaedraを手もとに置いておきたかった、それだけの理由だった。

パンダThaedraは無理だったが、代わりというわけではないが、同じ初期のThaedraが入手できたわけだ。
そういう理由だったので、正直期待はさほどしていなかった。
それに前述しているとおり、アンバランス接続だとOPアンプを余計に信号が通ることになる。
Thaedraのラインアンプは、スピーカーを直接鳴らせるほどの出力段をもっている。
けれどThe Goldのアンバランス入力のインピーダンスは1MΩと、ひじょうに高い値に設定されている。
となると、コントロールアンプに、Thaedraのようなものは必要としなくなる……。

なのに、Thaedraを接いで出てきた最初の音に、もう驚くしかなかった。

Date: 12月 27th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(この項について)

毎日書いていくためには、テーマが必要で、しかも複数のテーマがあったほうが書いていきやすい。
それだけでなく、複数のテーマが互いに関係し合っていくこともある。
だからあれこれ、いくつもテーマをつくってはそれについて書いているわけで、
新たなにテーマをつくったときには、そのことに関する結論、もしくはそれに近いものは同時に私の中にあって、
それに向って書いていっている。

ただその結論に向って書いていく途中で、書き手自身が気づくこともあるし、
細かく説明しておきたいこともでてきて、
テーマをつくったときに考えていたものよりも、ずっと長くなってしまっている。
書けば書くほど、結論へなかなか到達しない、というか、より遠くなっている気もしないではない。

それに結論は最初にあっても、そこに至るまでのプロットをつくっているわけではない。
私のなかでは自然な結びつきで、そこ(結論)に至っていることでも、
いざ言葉にしてみると、埋めていかなければならないことが、ある。

実は、この、「オーディオ」考に関しては、結論、もしくは結論に近いものは、何も私の中にはなかった。
どういうことを書いていくのかも、まったく考えていなかった。
ただただ、「オーディオ」考、というタイトルだけが思い浮んだだけで、とりあえず書き始めてしまった。

そういう始まりかたをしたものだから、私自身、これから先、どうなって、どういうところに行き着くのか、
まったくわからないし、だからこそ興味があり、書いていて面白い。
(書き手が面白いことが読み手にとって必ずしもおもしろいわけではないことはわかっている)

いま、家具という見方でオーディオを、あえて捉えている。
こういうオーディオの捉えかたもできる、という意味でも書いているが、
書いていて、この捉えかたから見た場合の、オーディオの進歩についても書いていけることに気がついた。

オーディオ機器の性能は、基本的には向上してきている。
それは進歩といえることなのだろうが、オーディオを家具として捉えた場合、
さらに、オーディオは何モノかをいろいろと考え、そこから捉えていったときに、
いまのオーディオの、進歩と広く(それだけに漠然となのかもしれない)認識されているものは、
ほんとうに進歩と呼べるものなのだろうか、という疑問が出てくる。

とにかくオーディオが何モノなのかを、考えられるだけ考え抜いた上で、
それらの立場からのもう一度見直していかなければ、実のところ、進歩については語れないであろうし、
まして進化については語れないし、真価もわからないはずだ、と思えてきたところだ。

Date: 12月 26th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その12)

田中一光氏のハークネスについては以前も書いている。
くり返しになるとわかっていても、氏のハークネスの使い方については何度も書きたくなる。
私が言葉を尽くすよりも、ステレオサウンド 45号に載っている写真を見ていただく方が、
その使い方の見事さを伝えてくれる。

オーディオ関係の雑誌には、昔から読者訪問記事がある。
ステレオサウンドにも、いまはなくなってしまったが、
菅野先生によるベストオーディオファイルがあり、レコード演奏家訪問があった。
その前には五味先生によるオーディオ巡礼があった。
ほかの雑誌にも、定期的だったり不定期だったりするが、
オーディオマニアのリスニングルームは記事になることが多い。

それにインターネットが普及して、ウェブサイトやブログをつくり公開することがそれほど難しいことではなくなり、
リスニングルームの実例をみようと思えば、いくつも見ることができる。

古くからあるオーディオマニア紹介(読者訪問)の記事だが、
以前といまとでは、読者の興味の対象が変って来つつあるのかもしれない、と思うこともある。

昔は、この人はこういうオーディオ機器を使い、こういう使い方をしているんだ、
といったことに関心が向いていたのではないだろうか。
いまは、この人はこういう使いこなしをしているんだ(それはあくまでも写真でわかる範囲のことではあるが)、
そのことに読者の関心は向きつつある、もしくは向いているし、
編集者側の発信の仕方としても──記事の内容とももちろん関係していてのこともある──、
使いこなし方にまでふれるようになってきているようにも感じることがある。

ステレオサウンド 45号の田中一光氏のリスニングルームの写真が伝えてくれるのは、
田中一光氏の使い方であるからこそ、当時中学3年だった私は憧れたのだ。

Date: 12月 25th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その6)

ステレオサウンド 43号に載っている岡先生の文章は、最初に読んだとき以上にいま読み返すと胸にほんとうに響く。
     *
岩崎千明さんとふかいおつき合いできるという機会にはついに恵まれなかった。彼が、どんなにものすごい大音量で鳴らすかということも伝聞でしか知らない。しかし、どこで会っても、いつもにこにこしているけれど口数がすくない岩崎さんと大音量ということが、ぼくのイメージでは最後までむすびつかなかった。オーディオ仲間の撮影会でも二、三度一緒になったことがある。彼のとった写真は、そういう角度と構図の発想がよくもできるものだとおもわせるような雰囲気をもった抒情がただよっていて、びっくりするとともに、これも大音量とむすびつかないものだった。だから、ぼくの知っている限りの岩崎さんは、とてもセンシティブで心優しい感じだった。いつか彼のジープに乗せてもらったことがある。寒い冬の曇り日に吹きっさらしのジープで風を切ってぶっとばされて心身ともに凍りついてしまったのだけれど、そのとき運転している彼の表情をみていると、大音量で鳴らしているときもそんな顔をしているのだろうとおもった。岩崎さんの生甲斐をそこにかい間みた感じだった。岩崎さんとオーディオは心優しいひとが生甲斐のありたけを噴出させたような執念と壮烈さがあったとおもう。
     *
今日は、二度、岡先生の文章を読んだ。
読んだあとで書き写すときにもう一度読み、最後の数行、ほんとうにじーんと胸を打つものがあった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その5)

マランツのModel 7のパネルデザインに言及していた人が、もうひとりいたのを知ったのが、
ほんの2年ほどの前のことである。
書かれていたのは岩崎先生だった。
シンメトリーをほんの少し、絶妙といえるバランスでくずしているからこその美しさ、と書かれていた。
正直驚いた。瀬川先生よりもずっと前に、同じことを書かれていた。
岩崎先生はデザインの専門家ではなかったはず。
(いまのところ瀬川先生がマランツModel 7のパネルデザインについて書かれた、古いものはまだ見つけていない。)

岩崎先生の文章を見つけたとき、驚きだけでなく、なぜ? もあった。
そして、そういえば、と思い返すことがあった。
岩崎先生は大音量というイメージがあるため、そのためのスピーカーとしてJBLのD130、パラゴン、
ハーツフィールド、ハークネス、エレクトロボイスのパトリシアンなどが結びついているけれど、
D130の前に使われていたのは、グッドマンのAXIOM80である。

ここから、岩崎先生と瀬川先生の共通点が、じつはあることに気づいたわけである。

瀬川先生といえば、リスニングルームを横長に使われる。
つまり長辺の壁側にスピーカーシステムを設置される。
私も、ずっとこのやり方をとおしている。
実は岩崎先生も、この設置方法の良さを古くから説かれている。

また、えっ、と思う。

そして、ステレオサウンド 43号の岡先生が書かれた追悼文にもどる。
そこには、こうある。
「とてもセンシティブで心優しい感じだった」と。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その4)

マランツのModel 7のパネルデザインについて語るとき、
多くの人が、シンメトリーのバランスをほんのちょっとくずしているところに、絶妙さがある、という。
こう語る人は、私も含めて、おそらくステレオサウンドから1981年夏に出た
「別冊セパレートアンプ ’81」の巻頭に載っていた
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」を読まれた方のはず。

こう書かれている。
     *
そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
これを読んだとき、なんと見事な表現だろう、と感心していた。
そして工業デザイナーだった瀬川先生だから指摘できる、
マランツModel 7のパネルデザインのことだな、とも思っていた。
ずーっとそう思っていた。ほんの2年ほど前まで、こういう指摘ができるのは瀬川先生だけだな、と思っていた……。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その3)

「オーディオ彷徨」を読んだときは、ステレオサウンドで働いていた。
試聴のあいまに、ときどきではあったが、岩崎先生のことが話題になることもあった。
「オーディオ彷徨」を読んでもわかるが、
とにかく強烈な印象の人であったことが、少しずつではあるが実感できてきた。
それでもジャズをあまり熱心な聴かないことがあってか、
「オーディオ彷徨」の面白さにのめり込むには、もう少し時間を必要とした。
いわば「遅れてきた読者」であった。

だから2000年にaudio sharingをつくったときに、「オーディオ彷徨」を公開した。
じつはこのとき、岩崎先生のご家族と連絡がとれずに、無断公開だった。
でも、しばらくしてご家族の方からメールをいただいた。許諾を得られた。

audio sharingを公開したとき、私の手もとにあった本で、岩崎先生の文章が載っているのは、
ステレオサウンド 41号と「オーディオ彷徨」だけだった。
もっともっと岩崎先生の文章を公開したいと思っていても、すぐにはどうすることもできなかった。

けれどaudio sharingを公開していると、本を提供して下さる方がいらっしゃる。
その方たちのおかげで、岩崎先生の書かれた文章をここ数年まとめて読むことができた。
そして気づくのは、意外にも瀬川先生と共通するところが多い、ということだった。

ジャズを大音量で聴く岩崎先生と、
クラシックを小音量で聴かれていた瀬川先生。
以前ならば、ふたりに共通性をみつけることは、ほとんどできなかった。
というよりも、できる、とは思っていなかった。

共通するところといえば、JBLのスピーカーを愛用されていたこと、であっても、
岩崎先生のJBLといえばD130でありパラゴンである。
瀬川先生は4341、4343、4345といった4ウェイのスタジオ・モニターだし、
レコードの扱いもふたりは対照的だった、ときいていた。

でも、それは、私が岩崎先生の書かれたものをほとんど読んでいなかったから、であった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その2)

私が初めて手にした(買った)ステレオサウンドは、1976年12月に出た41号と、
ほぼ同時に出ていた「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
つまり、私が岩崎先生が書かれたものを同時代に読むことができたのは、
ステレオサウンド 41号に掲載されたものだけである。

41号には、JBLのパラゴン、アルテックの620A、クリプシュのK-B-W、SAEのMKIBとMark2400、
アキュフェーズのT100とM60、アムクロンのDC300A、オーディオリサーチのD76A、ダイナコのMKVI、
ダイヤトーンDA-A100、デンオンPOA1001とDH710F、ラックスCL32、マランツの150、
デュアルCS721Sと1249、トーレンスTD125IIAB、マイクロのDDX1000について書かれている。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」には書き原稿はない。

1977年3月のステレオサウンド 42号には岩崎先生の文章は載ってなかった。
そして6月発売のステレオサウンド 43号には、岩崎先生への追悼文が載っていた。

このころはまだ中学生だったから、新しく出るステレオサウンドやその他のオーディオ雑誌、
それにレコードを買うのがせいいっぱいで、ステレオサウンドのバックナンバーを購入する余裕はなかった。
だから、岩崎先生の文章をまとめて読むことになるのは、もうすこし先のことになる。

そうであっても、ステレオサウンド 43号に載っていた「故岩崎千明氏を偲んで」は何度か読み返しては、
井上先生、岡先生、菅野先生、瀬川先生、長島先生、山中先生による追悼文と、
パラゴンの前で椅子の上で胡座を組んで坐っている岩崎先生の写真をみて、なにか強烈なものを感じていた。

岩崎千明という人がどういう人であったのかは、亡くなられたときにはほとんど何も知らなかった。
ジャズを大音量で聴く人、というぐらいでしかなかった。
そのせいか、遺稿集「オーディオ彷徨」が出てもすぐには買わなかったし、買えなかった。
私が「オーディオ彷徨」を手にしたのは、復刊されてからである。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その1)

まず、この文章をお読みいただきたい。
     *
 8月のまだ暑さの厳しい、ある日の昼下り、SJ試聴室にふと立寄った時、見なれぬブランドのパワー・アンプが眼に入った。〝Stax〟と小さく、しかし、鮮やかな文字がパイロット・ランプ以外に何もない、そのスッキリとしたパネルにあった。知る人ぞ知る個性派ナンバー・ワンのメーカー、スタックス・ブランドのアンプということで、大いにそそられ、聴きたくなったのも当然だろう。
 SJ試聴室の標準スピーカーJBLスタジオ・モニター4341が接続され、音溝に針を落してボリュームが上がると、響きが空間を満たした。その時のスリリングな興奮は、ちょっと口では言えないし、まして、こうして文字で表わすことなどできない。なんと言ったらよいのだろうか、まず4341が、JBLがこういう音で鳴ったことは今までに聴いたことがない。それは、やわらかな肌触わりの、しなやかな物腰の、品の良いサウンドであった。いわゆるJBLというイメージの、くっきりした鮮明度の高い強烈さといった、いままでの表現とまったく逆のものといえよう。だからといって、JBLらしさがなくなってしまった、というわけでは決してない。そうした、いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ。まったく逆な方向からのアプローチであっても、それが極点に達すれば、反対側からの極点と一致するのではないだろうか。ちょっと地球の極点のように、南へ向っても北へ向っても、ひとまわりすれば極点で一致するのと同じ考え方で理解されようか。
 スタックスのアンプのサウンド・クォリティーを説明するのは、むづかしい。本当は今までになく素晴しい、といい切っても少しも誇張ではないが.それならば、どんなふうにいいのか。少なくとも、音溝のスクラッチ音が極端に静かになる。JBLのシステムで聴くと、レコードのスクラッチはきわめてはっきりと出てくるが、その同じスピーカーでありながら、スタックスのアンプでは、驚くほど耳障りにならなくなってしまう。さらに演奏者の音が、そのまわりの空間もろとも再現されるという感じで鳴ってくれる。ステージでの録音ならばそれは、良い音としての必要条件ともなるが、スタジオでのオンマイク録音においてでさえも、こうした演奏現場の音場空間がスピーカーを通して聴き手の前にリアルに表現される。優れた再生というものの重要なるファクターであるこうした音場再現性が、スタックスのこのパワーアンプDA80でははっきりと感じられる。もし聴きくらべることができる状態ならば、おそらくそうした事実は、誰もが非常にはっきりと感じとることができるのではないだろうか。それは、ちょっときざっぼい、言い方をすれば、再生音楽の限界の壁を越え得たといえる。または、生(なま)へ大きく一歩前進したともいえよう。
 さて、こうした、かってない未知の再生効果の衝撃的体験をしたときから、このアンプDA80は、私に新たなる可能性を提示し拡大してくれたのである。その製品の、オリジナリティーおよびクォリティーの高さは、スタックス・ブランドの最も誇りとするところであり、これはごく高いレベルのマニアの間でこそ常識となっているとはいうものの、「スタックス」というブランドは必らずしもよく知られているわけではない。だからSJ読者の中にも、このページの登場で初めて意識される方も多いことと思われる。スタックスは、国内オーディオ・メーカーの中でも、もっとも永いキャリアーと他に例のないユニークな技術とで知られる、今や世界にもまれになったコンデンサー・カートリッジとコンデンサー・スピーカーからそのスタートを切り、アーム、さらにヘッドフォン、そのためのアダプター・アンプと順次に作ってきて分野を序々に、しかし確実に拡げてきたのち、1年前に、パワー・アンプDA300を発表した。150/150ワットのA級アンプは、ごく一部のマニアの間で、話題になったが商品としては、高価格のため必らずしも大成功とまではいかなかったようだ。今回、このDA300を実用型として登場したのが、このDA80だ。しかし、DA80は、兄貴分たるDA300を、性能的にも再生品位の上でも一歩前進したといって差支えないようだ。AクラスDC構成アンプというその回路的な特長による技術的な優秀性だけが、決してそのすばらしさのすべてではないのだ。おそらくオーディオも商品としてもまた兄貴分DA300は、一歩を譲るに違いあるまい。
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今日、もうひとつのブログ、the Review (in the past)で公開した、
岩崎先生が、スイングジャーナルの1976年10月号に書かれた、スタックスのパワーアンプDA80の製品評だ。
最初は、リンクするだけにしておこうと思ったが、確実に読んでほしい、と思ったので、
まるごと、こちらでも公開した。

私は、この岩崎先生の文章を読んで、やっぱりそうだったんだ、という感を深くした。
そして、ひとりで、うんうん、と首肯いていた。