岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その3)
「オーディオ彷徨」を読んだときは、ステレオサウンドで働いていた。
試聴のあいまに、ときどきではあったが、岩崎先生のことが話題になることもあった。
「オーディオ彷徨」を読んでもわかるが、
とにかく強烈な印象の人であったことが、少しずつではあるが実感できてきた。
それでもジャズをあまり熱心な聴かないことがあってか、
「オーディオ彷徨」の面白さにのめり込むには、もう少し時間を必要とした。
いわば「遅れてきた読者」であった。
だから2000年にaudio sharingをつくったときに、「オーディオ彷徨」を公開した。
じつはこのとき、岩崎先生のご家族と連絡がとれずに、無断公開だった。
でも、しばらくしてご家族の方からメールをいただいた。許諾を得られた。
audio sharingを公開したとき、私の手もとにあった本で、岩崎先生の文章が載っているのは、
ステレオサウンド 41号と「オーディオ彷徨」だけだった。
もっともっと岩崎先生の文章を公開したいと思っていても、すぐにはどうすることもできなかった。
けれどaudio sharingを公開していると、本を提供して下さる方がいらっしゃる。
その方たちのおかげで、岩崎先生の書かれた文章をここ数年まとめて読むことができた。
そして気づくのは、意外にも瀬川先生と共通するところが多い、ということだった。
ジャズを大音量で聴く岩崎先生と、
クラシックを小音量で聴かれていた瀬川先生。
以前ならば、ふたりに共通性をみつけることは、ほとんどできなかった。
というよりも、できる、とは思っていなかった。
共通するところといえば、JBLのスピーカーを愛用されていたこと、であっても、
岩崎先生のJBLといえばD130でありパラゴンである。
瀬川先生は4341、4343、4345といった4ウェイのスタジオ・モニターだし、
レコードの扱いもふたりは対照的だった、ときいていた。
でも、それは、私が岩崎先生の書かれたものをほとんど読んでいなかったから、であった。