Archive for category 長島達夫

Date: 1月 18th, 2023
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その14)

別項「編集者の悪意とは(その25)」のために、
ステレオサウンド 69号をひさしぶりにひらいていた。

69号の編集後記でKen氏が、こんなことを書かれている。
     *
 それにしても衝撃だったのは、某氏に聴かせていただいたモディファイドCDプレーヤー。10数万円の機種なのですが、メカニズム部を補強して、ICやLSIへの電源の配線方法をかえ、オペアンプを終段に入れてバッファーとした、ご本人いわく「たったこれだけ。こんなことメーカーがやろうと思ったらすぐできること……」なのだそうですが、その音たるや、今回のテストリポートで音質面でベストに近い評価が与えられた20数万円のものと一対比較しても、明らかにこちらの方が良かったのには驚きました。
     *
某氏とは、長島先生のことで、
10数万円の機種とは、Lo-DのDAD800(159,000円)のことだ。

69号の第二特集は、「最新CDプレーヤーテスト」だった。
なので元のDAD800と長島先生モディファイドDAD800と比較することもできた。

20数万円のCDプレーヤーとの比較もできた。
たしかに、モディファイドDAD800の音は良かった。

明らかにローレベルの明瞭度に優れていた。

Date: 7月 1st, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その13)

ステレオサウンド 50号掲載の「2016年オーディオの旅」に登場するスピーカー。
これは、スピーカーの理想像の一つといえるわけだが、
長島先生は「2016年オーディオの旅」のなかで、
このスピーカーの周波数特性は、20Hzから20kHzまでとされている。
可聴帯域のみに限定している、とある。

空気を磁化して駆動するスピーカーなのだから、
振動板といわれるモノは存在しない。

空気を直接駆動するわけだから、
空気の質量分だけが、駆動部分の質量となる。

つまり、ないに等しいわけで、
高域の周波数特性は100kHzであっても、余裕でカバーできるはずだ。
それでも、あえて20Hzから20kHzまで、とされていることを、
当時読んでいて、どうしてなんだろうと考えていた。

Date: 6月 25th, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その12)

ステレオサウンド 50号掲載の長島先生の「2016年オーディオの旅」。
ここには振動板のないスピーカーが登場する。
     *
 書棚の反対側は壁面となっていて、壁の左右には奇妙な形をした装置がひとつづつ置いてあった。その装置は、高さが2m暗いのスタンド型をしており、直径80cmくらいの太いコイルのようなものが取り付けられていた。スタンドの床に接する部分は安定の良さそうな平たい足になっており、カバーが一部外れて、電子装置のパネルのようなものが顔を覗かせていた。不思議なことに、この装置の他には再生装置らしきものは何も見えなかった。
     *
これが長島先生が1979年に予想された2016年のスピーカーであり、
ポールの中心部の複雑なアンテナ状のところから、
ごく短い波長の電波を出し、周囲の空気を磁化することで、
コイルに音声信号を流すことで磁化された空気が振動する、というものである。

空気の磁化。
これが可能になれば、このスピーカーは実現する。
とはいっても、空気の磁化をどうやって実現するのか。

しかも家庭におさまるサイズで、である。

2020年3月の記事で、昨日、一部加筆されて公開になった記事が目に留った。
「ノーベル賞級!? 壊れた機械によって偶然『核電気』共鳴法が発見される!」
というタイトルの記事だ。

この記事の内容を100%理解しているわけではないが、
この発見こそ、長島先生が思い描かれたスピーカーの実現への第一歩なのではないだろうか。

Date: 1月 7th, 2021
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その11)

長島先生がサウンドボーイの創刊号(だったはずだ)に、
将来、ダイヤモンドが半導体の材料となる、と書かれていた。

それから四十年以上が経って、ようやくそうなりそうである。

ナゾロジーというウェブサイトがある。
昨日(1月6日)の記事に、
「ダイヤモンドを引っ張って延ばす」と高性能の半導体に変化した!未来の半導体はダイヤ製かもしれない。
があった。

これもまた「ほらな、言った通りになっただろう」といわれたはずだ。

Date: 5月 11th, 2019
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その10・余談)

2007年に瀬川先生の二十七回忌をやったことは、以前書いた通り。
そこに瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんが来られた。

この時既にKさんは、CDをリッピングして音を聴かれていた。
CDプレーヤーで聴くよりも、リッピングして聴いた方がいい、と、
いまから十二年前に言われていた。

しかもKさんによると、ハードディスクによって音が変る、ということ。
ハードディスクも、そのころはIDEに主流になっていた。
Kさんは、SCSIのハードディスクが圧倒的に音がよい、といわれた。

SCSI(スカジー)といっても、いまではほとんど通用しなくなっていることに、
ちょっと驚くけれど、1990年代ごろからパソコンを使ってきている人ならば、
周辺機器をパソコンに接続する規格は、SCSIが一般的だった。

SCSI用のハードディスクは、IDE用のハードディスクよりも高価だった。
しかも容量も小さかった。
それでもSCSIのハードディスクを使うメリットが、オーディオマニア的にはあったわけだ。

Date: 5月 9th, 2019
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その10)

その2)で書いていることの数ヵ月後だったか、
長島先生が、ステレオサウンド編集部に立ち寄られた。
秋葉原に行ってきた帰り、ということだった。

カバンの中から、何かを取り出された。
初めて目にするモノだった。

ハードディスクだった。
3.5インチのハードディスクで、
そのころだから容量は20MB程度だっただろう。
それでも薄くはない。
分厚く重かった。

ハードディスクという存在についても、当時はよく知らなかった。
ステレオサウンド編集部には富士通のOASIS 100F(ワープロ)があったけれど、
これは5インチのフロッピーディスクで稼働していた。

長島先生がハードディスクについて説明してくれる。
CDとは違って面ブレを起さない、ともいわれたことを思い出す。

将来、CDに代って、こういうモノで音楽を聴くようになるだろうし、
そうなってこそデジタルの良さが活きてくる、とも話された。
いまから三十数年以上前の話である。

長島先生は、その約十年後の1998年に心不全で亡くなられている。
生きておられたら、「ほらな、言った通りになっただろう」といわれたはずだ。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(図説・MC型カートリッジの研究)

ステレオサウンドから「MCカートリッジ徹底研究」というムックが発売になっている。

この本の後半は、長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」の再録したものである。
ただ完全な再録ではなく、「ほぼ全ページ」ということらしい。

それでも「図説・MC型カートリッジの研究」の復刊は素直に喜びたい。
でも表紙は「図説・MC型カートリッジの研究」の方が文句なしに素晴らしい。

ラックスのPD121にオルトフォンのMC20、
ヘッドシェルはフィデリティ・リサーチのFR-S/4。
撮影は亀井良雄氏。

まだ読んでいない本についてあれこれいいたくはないが、
「図説・MC型カートリッジの研究」のそのままの復刊であってほしかった。

もっとも「図説・MC型カートリッジの研究」には広告もはいっているから、
そのままの復刊が無理なことは理解しているのだけれど……。

とにかく「MCカートリッジ徹底研究」の価値は、「図説・MC型カートリッジの研究」である。
これだけは古くならない。

Date: 3月 20th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その9)

長島先生による「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」、
どちらもCD登場以前に書かれている。

「2016年オーディオの旅」が掲載されているステレオサウンド 50号には、
岡先生による、オーディオのこれまでの歩みと、これからの歩み的な記事があり、
そこでDAD(Digital Audio Disc)のことにふれられている。

アナログディスク全盛の時代はしばらく続いていくものだというふうに、
私は勝手に思っていたし、デジタル化されたディスクが登場するのは、
なにかまだ先のことのようにも思っていた。

これは私だけではなかった、とおもう。
ステレオサウンドの読者の多くが、デジタル化されたディスク(CD)が登場して、
プログラムソースのメインとなっていくのは、もう少し先、
短くても5年、もしかすると10年くらいかかるものだと漠然と思われていたのではないだろうか。

実際には、そんな根拠のない予想よりもずっとはやかった。
ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ているから、
3年半後にCDは世に出てきた。
このはやさも、CD登場に対して、
ある種のアレルギー的な反応を示された方が少なくなかったことにも関係しているのではないだろうか。
単に音だけのことではなかったようにも、いまは思う。

まだまだそんな時代だったときに、長島先生はCDによるデジタル化の先を書かれている。
当然、長島先生も、あと数年でCDが登場することはわかっていたうえで、
CDの次を予測されていたことになる。

その予測が固体メモリーであり、光ファイバーによる配信は、さらにその次の段階ともいえよう。

そして、電子書籍についても書かれている。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(余談)

スイングジャーナルの「オーディオ真夏の夜の夢」は長島先生だけでなく、及川公生氏も書かれている。
長島先生の文章だけを読んで、ほかの方の書かれたものに関しては、今日読んだところ。

及川氏が書かれている──、
「オーディオ評論はちっとも進歩しないであい変らず試聴というのをくり返している」と。

もっとも及川氏は、この先がいまの試聴とは異っている未来を予測されている。
自宅のマイコン(この記事が載った1981年はパソコンではなくマイコンという言葉が一般的だった)の子機を使う。
いわば自宅にMacがあって、iPadを試聴室で取り出して使うようなものだ。
それでマイコンの子機に試聴するオーディオ機器の特性を入力、
さらに試聴室のアクースティック特性も入力後、その日の自分の体調も要素として加えて……、というふうに続く。

そういえば長島先生がステレオサウンド 50号に書かれた「2016年オーディオの旅」で、
未来の本についての記述はあったものの、2016年のオーディオの本がどうなっているかについては、
なにも書かれていなかった。

長島先生も、おそらくいつの時代になってもオーディオ機器の試聴は、
人が試聴室まで出向き、そこで鳴っている音を聴いて判断する、という昔からのやり方はまったく変らない、
と思われていたのだろう。

優秀なマイクロフォンが登場し、高速のデータ通信網があって、
試聴室で鳴っている音をマイクロフォンでピックアップして、
試聴する人たちのリスニングルームへ伝搬し、それぞれのシステムの特性も補正して試聴してもらう、
こんなことは技術的には決して不可能ではないけれど、
これからも先も試聴風景は変っていかない、とおもう。

変っていかないのであれば、あえて未来の予測に書くこともない。
長島先生が「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」で、
未来のオーディオ雑誌についてふれられなかったのは、だから当然のことといえよう。

Date: 1月 19th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その8)

「オーディオ真夏の夜の夢」もステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」同様、
未来の世界にタイムスリップした現代のオーディオマニアの視線から描かれている。

こんな書き出しではじまっている。
     *
あるオーディオ・ファイルという人の家に行き、そこで一番驚いたのは、オーディオ・システムらしきものはあるものの、レコードが1枚も無いことでした。多少スタイルが違っているとは思っていたのですが、1枚も無いとは。そこでその彼に聞くと次のように言うのです。「君達はレコードを買っていただろうけど、それはレコードの中味、つまり音楽を買っていたはずだ。だから聴きたいときに聴きたい音楽が聴ければ何も生活空間を犠牲にしてまで膨大なレコードを持ち込む必要はない。
     *
長島先生が書かれている、このことがどういうことなのかは、
続きを書かなくても、いま(2013年)のオーディオマニアならば容易に想像がつくことだ。

長島先生はレコード会社がマスターとなるソースを所有していて、
それを聴き手のリクエストに応じて、
光ファイバーの利用して提供するというシステムを、1981年の時点ですでに予測されている。
そのためには家庭にコンピューターが当然のモノとしてある、ということもについても、同じである。

「2016年オーディオの旅」では、レコードはLPやCDのようなディスクではなく、
固体メモリーを利用したレコードパックと呼ばれるものを、
タイプライター状のプレーヤーにセットするというものだった。
これが2年後には、光ファイバーによるインターネットという予測の変更をされている。

これに、私は驚いたわけである。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その7)

「2016年オーディオの旅」的な文章を、長島先生が書かれたのは、
他にはない、とずっと思っていた。
すくなくともステレオサウンドには載っていなかった。
だから、ないものと思い込んでいた。

けれどスイングジャーナルの1981年9月号にも載っていたことを、つい先日知った。
なにもスイングジャーナル1981年9月号を手に入れたのが、つい先日というわけでもない。
1年以上前から手もとにはあった。
あったけれど、読み返していたのは岩崎先生、瀬川先生の文章が読めるスイングジャーナルであって、
そうでないスイングジャーナルは積んだままになっていた。

いま、もうひとつのブログ、the Review (in the past)の作業を行っている最中で、
数ヵ月先に大きく更新する予定なのだが、
そのための作業中に1981年9月号を手にして、ぱらぱらとめくっていて気がついたわけである。

「オーディオ真夏の夜の夢」という記事で、
長島先生のほかにも石田善之、及川公生、斎藤広嗣、落合萠の四氏も書かれている。

ページ数はひとりあたり見開き2ページ。
ステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」は扉をふくめて16ページ。
読みごたえということでは、ステレオサウンドのほうが上である。
でも、スイングジャーナル1981年9月号の「オーディオ真夏の夜の夢」に書かれていることは、
いまのオーディオ、これからのオーディオをかなり正確に描かれているだけに、驚きは大きい。

もっとも「2016年オーディオの旅」を読んだときと「オーディオ真夏の夢」を読むまでには、
30年以上が経っている。だから感じ方も違って当然なのだが、
それでも「オーディオ真夏の夜の夢」は、じつにおもしろい。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その6)

ステレオサウンド 50号は、創刊50号記念特集号だった。

巻頭特別座談会として「ステレオサウンド誌50年の歩みからオーディオの世界をふりかえる」と題して、
井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏による座談会を筆頭に、
旧製品のState of the Art賞など、いくつもの記念特集が載っている。

そのなかに「オーディオファンタジー 2016年オーディオの旅」という記事がある。
副題には、本誌創刊200号、とついている。
長島先生が書かれている。

小説仕立てのこの記事は、長島先生による未来のオーディオの予測でもあり、
長島先生によるオーディオへの、こうあってほしいという希望でもある、この記事では、
主人公がある朝目覚めると2016年にタイムスリップしているところから始まる。

ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ている。
37年後の世界を描かれている。
いまは2013年、もう3年後に迫っている。

ここに書かれたことで、現実のほうが進んでいることもあるし、
そうでないこと、まったくそうでないことがある。

当時高校生だった私は、2016年は遠い未来のことにおもえていた。
だから2016年に自分がいくつになっているかなんて、想像もしなかった。
けれど長島先生の「2016年オーディオの旅」は何度か読み返した。
おもしろかったし、あれこれ刺戟されるものも多かった。

ステレオサウンドにはいり実感したのは、
「2016年オーディオの旅」を書けるのは、長島先生だからこそ、ということだった。
長島先生の「豊富で貴重な雑学」があればこその記事である。

Date: 1月 13th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その5)

長島先生は1998年6月5日に心不全で亡くなられている。
その約1週間後にステレオサウンド 127号で出ている。
この127号に掲載されている菅野先生の「レコード演奏家訪問」に、長島先生は登場されている。

128号に「長島達夫先生の悼む」が載っている。
菅野先生と柳沢氏が書かれている。

読み返していた。
いろんなことをおもいだしていた。
おふたりの追悼文は、当時読んだ時いじょうに胸に沁みる。

柳沢氏が長島先生の人柄を示すエピソードとして、このようなことを書かれている。
     *
長島さんとの付き合いは長い。ぼくがまだデザイン学生だったころ、グループ制作で小型の魚群探知機をテーマにしたとき、学校にはあまり来なかったがまだ籍だけあった、故・瀬川冬樹氏が「エレキとメカの雑学に強い奴がいる」と言って紹介してくれたのが長島さんだった。その付き合いから山中敬三さんとも知り合うことになるのだが、みな他界されてしまった。
 瀬川さんが「エレキとメカに強い奴」と言わず「……の雑学に」と言ったのは当を得ていて、結局、魚群探知機でも長島さんから具体的な知識は得られなかったが、やたら何でも知っているおもしろい人だと感心した。
     *
ほんとうにそのとおりであって、柳沢氏はさらに
「何事にも旺盛な興味を示す人」
「長島さんの豊富で貴重な雑学が、試聴方法や測定方法に斬新なアイデアを生み、本誌のアイデンティティの確立をバックアップした」
「長島さんの貴重な雑学が、急成長期の日本のオーディオにさまざまな形で貢献してきた」
とも書かれている。

長島先生と付き合いのあった方ならば、誰しも頷かれることである。

Date: 1月 9th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(CDプレーヤーのサーボのこと)

CDプレーヤーはサーボ回路を停止させてしまうと、
まったく機能しなくなる。音の出なくなる。
このへんが同じデジタル機器でもDATとの違いがある。

DATではサーボ回路を停止しても、すぐには音が出なくなるわけではない。
CDとDATでは16ビットというところは同じだが、サンプリング周波数は44.1kHzと48kHzという違いがある。
この違いが、CDとDATの音の違いに大きく影響している、というよりも、
サーボ回路なしでもほんのわずかとはいえ音を出すことが可能なDATと
サーボ回路なしではまったく音を出すことのできないCDでは、
信号読みとりの安定度に根本的な違いがある、ともいえる。

そんなCDプレーヤーだから、
サーボ回路とその電源部(アースを含めて)が重要となることは容易に想像がつくわけだが、
CDプレーヤーが登場したころ、よくいわれたいわゆるデジタル臭さがどこに起因しているのか、
それを音楽信号と相関性のないサーボ回路電流の変動によるノイズの発生にある、と指摘されたのは、
1980年代後半、ラジオ技術誌において、富田嘉和氏であった。

ここで見落してならないのは、音楽信号と「相関性がない」ノイズが発生している、ということである。
慧眼とは、こういことをいうのだと思ったことを、いまでも憶えている。

Date: 1月 9th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その4)

つまりはディスクの偏芯の問題である。
CDだけでなく、アナログディスクでも偏芯の問題はあり、
ナカミチのTX1000は、この偏芯の度合いを検知して補正するメカニズムを搭載していた。

CDでもアナログディスクでもディスクの中心とスピンドルの中心がぴったり一致していれば、
こんな問題は発生しないわけだが、実際にはどちらにも誤差があって、
そのわずかな誤差があるからこそすっとディスクの中心穴をスピンドルにいれることができるわけだが、
この誤差が音質上問題になることがある。

アナログディスクであれば、偏芯が多いな、と感じたら、すぐにカートリッジを持ち上げて、
ディスクをセットし直せる。
使い馴れたアナログプレーヤーであれば、
自然と偏芯がそれほど大きくならないようにディスクをセットできるようになるものである。
また、そういうふうになれるプレーヤーは、よく出来たプレーヤーともいえる。

ところがCDプレーヤー、それもトレイ式ではトレイにCDを置くまでしか管理できない。
トレイとともにCDがCDプレーヤーに取り込まれてからは手をくだすことはできないわけである。
だからトレイを一度引き出して、もう一度、ということをやることになってしまう。

ほんとうは、こんなことで音が変るのはなくなってほしい、と思っている。
思っていても、現実にはこんなことで音が変化する。
それも使い手が管理てきないところで音が変るわけである。

このディスクの偏芯の問題は、
CDプレーヤーならばクランプの仕方(メカニズムの精度を含めて)と
サーボのかけ方(回路を含めて)を検討することで、そうとうなところまで解消できる。

でも、私がCDの内周と外周の音のニュアンスの違いに気づいた1980年代半ばすぎでは、
まだまだ問題点を残したままだった。