長島達夫氏のこと(その2)
そのころよく聴いていた内田光子のCDで、そのことに気がついた。
内周ではこまかなニュアンスがよく再現されるのに、
外周(ディスクの終り)ではニュアンスの再現があまくなってしまう。
つるんとした表情のピアノの音になる。
ほかのディスクでも同じ傾向の音の変化をみせる。
こうなると、もう気のせいではなく、あきらかに音が変っているわけだ。
実はこのことをステレオサウンドにいたとき編集後記に書いた。
原稿には「内周のほうが、こまかいニュアンスがはっきりききとれる」と書いたけれど、
活字になったときには「はっきりききとれるような気がする」と書き換えられてしまった。
CDは内周でも外周でも音は変らない、ということがまだ信じられていたのだから、
はっきりと断言したかったのだが、
結局「はっきりききとれるような気がする」というおかしな表現のまま載ってしまった。
長島先生は、その私の編集後記を読んでくださっていた。
その編集後記が掲載された号が出てしばらくして長島先生がステレオサウンドに来られたときに、
「なぜ、CDは内周と外周で音が変る(内周のほうが音がいい)と思う?」ときかれた。
長島先生も、CDのその問題点に気づかれていていた。