Archive for category 快感か幸福か

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その10)

ヴァイタヴォックスについて書いてきていて、やっと気づくことがあった。

瀬川先生がステレオサウンド 47号に書かれていることだ。
47号(1978年夏)だから、40年ほど前のことの真意が、やっとわかったような気がした。
     *
コーナー型オールホーン唯一の、懐古趣味ではなく大切に残したい製品。
     *
短い文章だ。
ほんとうにそうだ、と首肯きながら読める。

Date: 7月 24th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その9)

ステレオサウンド 9号は1968年12月発売なので、
ステレオサウンドで働いている時に読んだ。

《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
という表現は、瀬川先生自身、楽器をいじる人の感想をきいて気づかれたのだろう。

このことは実際に楽器を演奏する人にアルテックのスピーカーを含めて、
他のスピーカーも聴いてもらい確認したい、と思いつつもその機会はなかった。

9号を読んでから何年か経ったころ、
グレン・グールドの録音風景のビデオをみた。

録音スタジオにはふたつのスピーカーがある。
ひとつはミキシングエンジニアが聴くモノで、いわゆるスタジオモニターと呼ばれる。
もうひとつは演奏家が、演奏しているブースで聴くためのププレイバックモニターである。

コロムビアのプレイバックモニターは、アルテックのA7だった。
少し意外な感じがした。

それからしばらくしてマイルス・デイヴィスの録音風景のビデオもみる機会があった。
当然だけれども、そこでもプレイバックモニターはアルテックのA7だった。

A7はいうまでもなく劇場用のスピーカーシステムである。
これをプレイバックモニターとして使うのか、という疑問があった。

グールドとマイルスのビデオを見てから、また月日が経った。
二年前の夏、「ナロウレンジ考(その15)」で、
美空ひばりとアルテックのA7のことについて書いた。

美空ひばりがアルテックのA7を指して、
「このスピーカーから私の声がしている」という記事を何かで読んだことがある、ということだった。

ステレオサウンド 9号を読んだのは1980年代なかごろだった。
それから30年ほどして、ようやく納得がいった。

Date: 7月 23rd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その8)

ヴァイタヴォックスの名を出したあたりから、
本来書こうと考えていたところからすこし外れてきてしまっていると思いながらも、
もうすこしヴァイタヴォックスのことを書きたい、という気持がある。

ステレオサウンド 9号で、
《JBL、タンノイとくらべると、アルテックは相当変った傾向の音といえる。楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》
と瀬川先生が書かれている。

このころの瀬川先生はJBLの自作3ウェイの他に、
タンノイのGRF Rectangular、
アルテックの604Eを最初はラワン単板の小型エンクロージュア、
その後612Aのオリジナル・エンクロージュアに変更されているモノを鳴らされていた。

9号で、JBLとタンノイについて、
《音の傾向はむろん違うが、どちらも控え目な渋い音質で(私の場合JBLもそういう音に調整した)》
と書かれている。

瀬川先生の好まれる音の傾向からすると、
アルテックだけが毛色が違うんだろうな、と納得しつつも、
《楽器をいじる人にきいてもらうと、演奏のテクニックがいちばんよくわかるという》、
この部分は、そうなのか、と思った。

アルテックのすべてのスピーカーがそうであるといえないまでも、
少なくとも、ここでのアルテックとは604Eのことのはず。

604が、JBLよりも演奏のテクニックがよくわかる──、
ということは、このときから常に頭の片隅にいつづけていた。

ここでの演奏のテクニックとは、どの楽器のことなのだろうか、
アルテックの他のスピーカー、たとえばA7、A5もそうなのか、
さらにヴァイタヴォックスも、アルテックとは違う楽器については、
演奏のテクニックがいちばんよくわかるのか、
こんなことを漠然とおもっていた。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その7)

「スピーカーユニットのすべて」に「わが社のスピーカーユニット」というページがある。
オンキョー、コーラル、テクニクス、パイオニア、フォステクス、国内メーカー五社、
アルテック(エレクトリ)、エレクトロボイス(テクニカ販売)、タンノイ(ティアック)、
ジョーダンワッツ、ヴァイタヴォックス(今井商事)、海外メーカー五社の、
ユニット、エンクロージュア、ネットワークを含めての解説が載っている。

今井商事によるヴァイタヴォックスのユニットの使い方とその例が、
なかなか衝撃的といえた。

ユニット、ホーン、エンクロージュアの組合せの紹介記事である。
まずBitone Majorが紹介されている。
基本的なBitone Majorの構成である。

次はBitone MajorのホーンをマルチセルラホーンのCN121に換えた構成。
その次は、JBLのバックロードホーン・エンクロージュア4530に、
ヴァイタボックスのユニットとホーンをおさめた構成である。
さらにウーファーを二基おさめられる4520のシステムも紹介されていた。

この時期のヴァイタボックスからは、ヴァイタボックスのドライバーをJBLのホーンに、
JBLのドライバーをヴァイタボックスのホーンに取り付けるためのスロートも出ていた。

ヴァイタヴォックスがJBLのユニットを自社のユニットに置き換えることを、
なかば推奨していたのか。そう受け取ることもできる。

ならばパラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに置き換えるのもあり、
この時から、ずーっと頭に片隅に居つづけている妄想である。

LE15AをAK157に、375をS2にする。
トゥイーターの075をどうするかは難しいところだが、
まずはAK157とS2の2ウェイでも、なんとかなりそうな気もする。

パラゴンの中古を手に入れて、ユニットをヴァイタヴォックスに置き換える。
すんなりいきそうに思えるが、
パラゴンの中域(375+H5038P)の取り付けを図面で確認すると、
375の後にはあまりスペースの余裕がない。

375とS2の奥行きは13.6cmと13.7cmでほぼ同じ。
ただS2とH5038Pの組合せにはスロートアダプター分だけに奥行きが伸びる。
その分を収納できない可能性がある。

それでもヴァイタヴォックスのユニットがおさまったパラゴンの音は、
私にとっては150-4C搭載のパラゴンの音よりも聴いてみたい。

Date: 7月 11th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その6)

そんなことはパラゴンに対する冒瀆だ、といわれそうだが、
高校生のころから想像(妄想)していることがある。

パラゴンのユニットをヴァイタヴォックスに換えてみたら……、である。

パラゴンのウーファーはLE15Aだった。
LE15Aは、どうみてもパラゴンのエンクロージュア向きのウーファーとは思えないところがある。
もともとのパラゴンに搭載されていたのは150-4Cである。
1964年にLE15Aになっている。

この時点で150-4Cが製造中止になったわけではなく、
同時期にハーツフィールドもユニット変更を受け、
075を加えた3ウェイモデルとなっている。
ハーツフィールドのウーファーは変更なく150-4Cのままだった。

中古市場では150-4C搭載のパラゴンのほうが高価だ。
どこまでほんとうなのかは確認していないが、
150-4C搭載のパラゴンの程度のいいモノが出ると、高価であってもすぐに売れてしまうが、
LE15A搭載のパラゴンは、在庫になってしまうこともある、とか。

LE15Aはホーンロードに向くユニットではない。
そのことも関係のしてのことだろうが、
そんなことはJBLがいちばんよくわかっていて、にも関わらずパラゴンにLE15Aを搭載しているのは、
何か理由があるはずだが、はっきりとはわからない。

LE15A搭載のパラゴンの音は聴いている。
150-4C搭載のパラゴンの音は聴いたことがない。
後者のパラゴンこそパラゴンである、とはいわないが、その音は気になる。

ホーンロードに向くウーファーのパラゴンの音、
そんなことを想像していたころに、あるオーディオのムックが出た。
電波新聞社の「スピーカーユニットのすべて」である。
1979年に出ている。

Date: 6月 22nd, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その5)

ここ数年、私の中でヴァイタヴォックスの存在が少しずつ大きくなっているようだ。
ちょっとしたことがきっかけで、ヴァイタヴォックスのことを思い出すことが増えている。

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く)」を書いてるから、ということも、
喫茶茶会記でのaudio wednesdayで、アルテックを鳴らすようになったことも、
それに齢をとったことも、そんなことが関係してのことなのだろう。
とにかくヴァイタヴォックスのことが気になる頻度が、今年は増えている。

そうなると思い出すことも増えてくる。
ヴァイタヴォックスに直接関係のないことでも、思い出す。
たとえば、こんなこともだ。
     *
 そこで再びアルテックだが、味生氏の音を聴くまでは、アルテックでまともな音を聴いたことがなかった。アルテックばかりではない。当時愛読していた「ラジオ技術」(オーディオ専門誌というのはまだなくて、技術専門誌かレコード誌にオーディオ記事が載っていた時代。その中で「ラ技」は最もオーディオに力を入れていた)が、海外製品ことにアメリカ製のスピーカーに、概して否定的な態度をとっていたことが私自身にも伝染して、アメリカのスピーカーは、高価なばかりで繊細な美しい音は鳴らせないものだという誤った先入観を抱いていた。
 味生氏の操作でシュアのダイネティックが盤面をトレースして鳴り出した音は、そういう先入観を一瞬に吹き払った。実に味わいの深い滑らかな音だった。それまで聴いてきたさまざまな音の大半が、いかに素人細工の脆弱な、あるいは音楽のバランスを無視した電気技術者の、あるいは一人よがりのクセの強い音であったかを、思い知らされた。それくらい、味生邸のスピーカーシステムは、とびきり質の良い本ものの音がした。
 いまにして思えば、あの音は味生氏の教養と感覚に裏づけられた氏自身の音にほかならなかったわけだが、しかしグッドマンとアルテックの混合編成で、マルチアンプで、そこまでよくこなれた音に仕上げられた氏の技術の確かさにも、私は舌を巻いた。その少し前、会社から氏の運転される車に乗せて頂いたときも、お宅の前の狭い路地を、バックのままものすごいスピードで、ハンドルの切りかえもせずにグァーッとカーブを切って門の中にすべりこませたそれまで見たことのなかった見事な運転に、しばし唖然としたのだが、音を聴いてその驚きをもうひとつ重ねた形になった。
 使い手も素晴らしかったが、アルテックもそれに勝とも劣らず、見事に応えていた。以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた。最上の御馳走を堪能した気持で帰途についた。
     *
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のアルテック号掲載の、
瀬川先生の文章「私のアルテック観」からの引用だ。

瀬川先生が味生氏の音を聴かれたのは、昭和三十年代早々、とある。
モノーラルのころだ。

私が、この文章を思い出したのは、
《以前聴いたクレデンザのあの響きが、より高忠実度で蘇っていた》、
ここのところである。

アルテックがクレデンザならば、
ヴァイタヴォックスはさしずめHMVではないか、
そんなことを思って、である。

Date: 5月 15th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その4)

四年前の2013年、ヴァイタヴォックスのスピーカーがふたたび輸入されるようになった。
その時点では情報がほとんどなくて、なぜ? いまになって、と思った。

その後の情報では、イギリスのOctave Audio Woodworkingが、
ヴァイタヴォックスのコンシューマー用部門を買収して、ということだった。

オクターヴ(Octave)といえば、ドイツの真空管アンプメーカーのオクターヴがよく知られているが、
何の関係もなさそうである。

Octave Audio Woodworkingは、
十数年前から、タンノイのオートグラフとGRFのエンクロージュアを復刻している。
復刻にあたっては、元タンノイの一員であったテレンス・リビングストンが監修している。

このOctave Audio Woodworkingが、ヴァイタヴォックスのHi-Fiスピーカー、
つまりコンシューマーオーディオ用スピーカーを復刻(復活)させた。

Octave Audio Woodworkingはタンノイの次に、
ヴァイタヴォックスを選択したわけである。

ここがなんとも日本的とでもいおうか、
五味先生のタンノイがあり、
五味先生のオーディオ巡礼に登場されるH氏のヴァイタヴォックスがある。
その系譜を、五味先生の文章を読んできた者にとって、
親近感に似た感情を、Octave Audio Woodworkingに対しおぼえる。

Date: 2月 14th, 2017
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(改めて……)

この項の(その1)を書いたのは2008年9月。
かなり時間をかけて書いている。

時間をかけているからといって、書きたい結論に変りはないことのほうが多い。
でも、「快感か幸福か」については、少し迷っている、といえるところが出てきた。

《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》

この言葉を噛みしめていると、
自らの運命を成就したと思える時が来たならば、
そのでの歓喜は、快感なのかと思いはじめたからである。

《神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出》という快感とは別の次元の快感。
それがあるのではないか、と考えた時、結論に迷いが生じている。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その3)

アルテックのイギリス版といえるヴァイタヴォックス。
CN191、Bitone Majorがよく知られていた。

1970年代では、アルテックのA5、A7の音と同じで、
いくぶん古めかしいが、響きの豊かで暖かい音だ。

Bitone Majorは、システム構成からしてアルテックのMagnificentと同じといえる。

ヴァイタヴォックスの名も、1980年代以降あまりきかなくなった。
そしてカタログからも消えていった。

ヴァイタヴォックスという会社は、
軍需用を含めた業務用スピーカーメーカーとしてもいまも健在だが、
いわゆるトーキー用、コンシューマー用といわれる部門からは撤退していた。

ヴァイタヴォックスの製品ラインナップは、アルテックよりも少なかった。
ユニットの数も少ないし、スピーカーシステムの数はさらに少ない。
新製品はずっと登場していなかった。

しかもイギリスのオーディオ関係者からも存在を忘れられている──、
そんなことを瀬川先生が、ステレオサウンド 49号に書かれている。

そんなヴァイタヴォックスのスピーカーが消えてしまったのは、
会社がなくなったわけではなく、収支があわなくなった故の、その分野からの撤退なのだろう。

そうなっていったのは、新製品が発表されないから、でもあろうし、
時代にそぐわないから、なのかもしれない。

時代にそぐわない音、といえば、そうかもしれない。
だが必要とされない音ではないと思う。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その2)

1980年前後は、スピーカーのマグネットが、
アルニコからフェライトへと全面的と移行せざるをえなかった時期と重なる。

アルテックもユニットをフェライト化していった。
同軸型ユニットの604-8Hは604-8KSになっていった。
ウーファー、ドライバーもフェライトになった。

タンノイもそうだが、同軸型ユニットはアルニコとフェライトの違いは、
ユニットの設計を全体でやり直すことが必要となる。

マグネットの磁気特性の違いから、アルニコとフェライトでは最適な形状が異り、
そのためフェライトにすることでユニットの奥行きはアルニコよりも短くなる。
そうなると同軸型ユニットの場合、中高域のホーン長が短くなるということに直結する。

604シリーズ中、フェライトになった604-8KSを傑作と評価する人がいるのは知っている。
その人が、アルテックに精通している人であることも知っている。

その評価を疑うわけではないが、アルテック全体として見た場合、
JBLがフェライト化に成功したのに、アルテックはお世辞にもそうとはいえない。
むしろ失敗したように映った。

アルテックは没落していく。

アルテックもJBLも元を辿ればウェスターン・エレクトリックに行き着く。
このふたつのスピーカーメーカーは浅からぬ縁もある。
JBLは生き残り、アルテックは消失した(といっていいだろう)。

アルテックが没落した理由について書きたいわけではない。
その理由は、ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」を読めばわかる。

アルテックという会社が消失したことで、アルテック・サウンドと呼べる音も消えつつある。

Date: 11月 12th, 2016
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その1)

1970年代後半くらいまではアルテックは健在だった、といえる。
私がオーディオに興味をもちはじめてステレオサウンドを読みはじめたころ、
A7、A5といった古典的なモデルの他に、Model 15、Model 19といった、
コンシューマー用モデルも登場したばかりで、Model 19の評価は高かった。

Model 15は写真で見ても、いい恰好とはいえず興味をもてなかったが、
Model 19はずんぐりむっくりしたプロポーションが、
安定感を感じさせるとともに、そのことがアルテックの音を表しているようにも思えた。

数年前、中古を扱うオーディオ店にModel 19があった。
ひさしぶりに見たな、と思いながら、
やっぱり、このカタチは好きだな、と思い出していた。

Model 19のころ、アルテックは2ウェイでありながら、高域のレンジを延ばそうとしていた。
専用トゥイーターに比べればまだまだといえても、
従来のアルテックよりはワイドレンジになって、成功している、といわれていた。

実は私が最初に聴いたアルテックはModel 19だった。
A5、A7も現役モデルだったし、より有名ではあっても、
オーディオ店に置いてあるかどうかによって、
歴史の長いブランドにおいては、最初に聴いたモデルは、
世代によっても、どこに住んでいるのかによっても、違ってくる。

私はModel 19であり、好感をその時からもっていた。
その後、604-8Gが604-8Hになる。
620Aも620Bとなる。
そして604-8Hを中心に4ウェイ・モデル6041が登場した。

JBLの新製品の数からすればアルテックは少なかったが、
アルテック健在と思わせてくれた。

けれど1980年代にはいると、あやしくなってくる。
9861、9862のころからである。

それ以前にもA7にスーパートゥイーターを加えて3ウェイ化したA7XSを出していた。
音は聴いたことがないけれど、成功作とは決していえない。
すこし迷走しはじめた感じもあったけれど、6041の登場がそれを吹き消していた。

私は9861、9862にA7XSと同じにおいを感じていた。

Date: 8月 20th, 2015
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(夢の中で……)

数年前にある人からいわれたことがある。
ステレオサウンドから去ったことについて、「負け組だね」と。

その人に悪気があったとは感じなかったし、
オーディオマニアにとって、
ステレオサウンド編集部という仕事場、いい環境といえる(そうでないともいえるけれど)。

オーディオ好きにとって、ステレオサウンドという仕事場は、おもしろくおかしくやっていけるところである。
そういうところから去って、生活的にもしんどくなった時期があるわけだから、
その人が「負け組だね」というのも、私が反対の立場だったら……、と考えると、腹も立たない。

たしかにステレオサウンドにいたほうが、おもしろおかしくオーディオをやっていけるのだから、
それは快感である。
快感が持続できる生活を幸福と思える人にとっては、幸福なことなのかもしれない。

けれど、あのままステレオサウンドにいたとして、
瀬川先生に何を報告できただろうか、とおもうのだ。

実際の生活にはなんら影響しない夢の中で瀬川先生に会えたところで、
何になるの? と思う人にとっては、
たとえ夢の中でも、瀬川先生になんら報告することがない生き方をなんとも感じないのだろう。

あのままステレオサウンドにいて、いま瀬川先生が夢の中にあらわれてくれたとして、
胸を張って報告できることがなかったら、それはどんなにオーディオをおもしろくおかしくやっていけてても、
私は幸福だとは思わない。

Date: 4月 16th, 2015
Cate: 快感か幸福か, 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(ある映画の、あるシーン)

「復讐捜査線」という映画がある。
日本公開は2011年だった。メル・ギブソン、数年ぶりの主役の映画だった。

昨晩、(その11)を書いていて、この映画のあるシーンを思い出していた。
メル・ギブソン演じる刑事、トーマス・ブレイクンの髭剃りのシーンだ。
傍には愛娘が彼を眺めている。

これ以上はどんなシーンなのかは書かない。
興味のある方は、ぜひ見てほしいからだ。

このシーンを観ながら、これが幸福なんだろうな、と思ったことを思い出していた。

Date: 3月 13th, 2015
Cate: 快感か幸福か

オーディオレコード的という意味でのオーディオ機器(その4)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 1で、瀬川先生が書かれていることが、
この項を書いてみようと思ったきっかけになっている。
     *
音を聴き分ける……と書いたが、現実の問題として、スピーカーから出る「音」は、多くの場合「音楽」だ。その音楽の鳴り方の変化を聴き分ける、ということは、屁理屈を言うようだが「音」そのものの鳴り方の聴き分けではなく、その音で構成されている「音楽」の鳴り方がどう変化したか、を聴き分けることだ。
 もう何年も前の話になるが、ある大きなメーカーの研究所を訪問したときの話をさせて頂く。そこの所長から、音質の判断の方法についての説明を我々は聞いていた。専門の学術用語で「官能評価法」というが、ヒアリングテストの方法として、訓練された耳を持つ何人かの音質評価のクルーを養成して、その耳で機器のテストをくり返し、音質の向上と物理データとの関連を掴もうという話であった。その中で、彼(所長)がおどろくべき発言をした。
「いま、たとえばベートーヴェンの『運命』を鳴らしているとします。曲を突然とめて、クルーの一人に、いまの曲は何か? と質問する。彼がもし曲名を答えられたらそれは失格です。なぜかといえば、音質の変化を判断している最中には、音楽そのものを聴いてはいけない。音そのものを聴き分けているあいだは、それが何の曲かなど気づかないのが本ものです。曲を突然とめて、いまの曲は? と質問されてキョトンとする、そういうクルーが本ものなんですナ」
 なるほど、と感心する人もあったが、私はあまりのショックでしばしぼう然としていた。音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断することだ、と信じているわたくしにとっては、その話はまるで宇宙人の言葉のように遠く冷たく響いた。
 たしかに、ひとつの研究機関としての組織的な研究の目的によっては、人間の耳を一種の測定器のように──というより測定装置の一部のように──使うことも必要かもしれない。いま紹介した某研究所長の発言は、そういう条件での話、であるのだろう。あるいはまた、もしかするとあれはひどく強烈な逆説あるいは皮肉だったのかもしれないと今にして思うが、ともかく研究者は別として私たちアマチュアは、せめて自分の装置の音の判断ぐらいは、血の通った人間として、音楽に心を躍らせながら、胸をときめかしながら、調整してゆきたいものだ。
 そのためには、いま音質判定の対象としている音楽の内容を、よく理解していることが必要になる。少なくともテストに使っている音楽のその部分が、どういう音で、どう鳴り、どう響き、どう聴こえるか、についてひとつの確信を持っていることが必要だ。
     *
まったくそのとおりであり、
音の聴き分けの判断で大事なのは、音楽の鳴り方がどう変化したのかを聴き分けることである。

けれど50をこえて思うのは、音楽をまったく聴き手に感じさせない音もあってもいいじゃないか、だ。
以前から、そしていまもオーディオマニアは音楽ではなく音を聴いている、といわれる。

そういう人もいるけれど、そういう人でさえ、
100%音だけを聴いているとはいえないはずだ。
どこかで音楽を聴いているのではないか。

純粋に音を聴くという行為は、オーディオマニアとはいえ、可能なのだろか。

もちろん、それは音楽をおさめたLPなりCDを再生してのことである。
戦車やジェット機、蒸気機関車などの音をおさめたディスクを再生してのことではない。

「音楽は聴いていない」と言い切れるのだろうか。
そうでなければ、音楽を聴いている、ともいえないのではないか。

Date: 3月 8th, 2015
Cate: 快感か幸福か

オーディオレコード的という意味でのオーディオ機器(その3)

はっきりとドンシャリ型といえる音は、下品である。
けれど、ドンシャリすれすれといえる音を出すオーディオ機器(特にスピーカーにおいては)が、
魅力的に聴こえることがあるのも事実である。

たとえばイギリスのスピーカー、フェログラフのS1。
     *
 聴きようによっては、いわゆるドンシャリすれすれのような特異なバランスだが、音像定位のシャープさ、音色の独特の魅力、デザインの美しさ、ともかく捨てがたい製品。
(ステレオサウンド 35号)
     *
瀬川先生が書かれたものだ。
S1は初期のモノと後期のモノとでは音のバランスに違いがあるといわれている。
ドンシャリすれすれなのは、おそらく初期のS1のことだろう。

人によっては、S1の音のバランスはあきらかにドンシャリだと感じるかもしれない。
けれど瀬川先生にとっては、あくまでもドンシャリすれすれであり、ドンシャリではない。

それはやはり下品な音かそうでないかによって、その境界線は決ってくるからである。
総じてフェログラフのS1と同時代のイギリスのスピーカーシステムの音のバランスは、
ドンシャリすれすれまでいかなくとも、ドンシャリ的傾向のモノがいくつかあった。

ステレオサウンド 36号「実感的スピーカー論 現代スピーカーを展望する」の中で、
瀬川先生は書かれている。
     *
数年前からイギリスの新しい世代のスピーカー、KEFやB&Wやスペンドールやフェログラフなどの新顔が少しずつ入ってきた。その新顔たちにまず顕著だったのが、先にも書いたハイの強調である。B&WのDM2など、13キロヘルツから上にスーパートゥイーターをつけて、あくまでも高域のレインジを延ばす作り方をしている。この方法論はスペンドールにも受け継がれている。ハイを延ばすことの割合に好きなはずの日本でも、12~13キロヘルツ以上にトゥイーターのユニットを一個おごるという作り方は、かつてなかった。
 しかしレインジを延ばしたことが珍しいのであるよりも、その帯域をむしろ我々には少しアンバランスと思えるくらい強調した鳴り方におどろかされ、あるいは首をかしげさせられる。イギリス人の耳は、よっぽど高音の感度が悪いんじゃないかと冗談でも言いたくなるほど、それは日本人の耳にさえ強調しすぎに聴こえる。同じたとえでいえば、イギリス人は中音域を張らすことをしない。弦や声に少しでもやかましさや圧迫感の出ることを嫌うようだ。そして低音域は多くの場合、最低音を一ヵ所だけふくらませて作る。日本にも古い一時期、ドンシャリという悪口があったように、低音をドンドン、高音をシャリシャリ鳴らして、中音の抜けた音を鳴らしたスピーカーがあったが、イギリスのは、低音のファンダメンタルは日本のそれより低く、高音は日本より高い周波数で、それぞれ強調する。むろん中域が〝抜けて〟いたりはしない。音楽をよく知っている彼等が、中音を無視したりはしない。けれど、徹底的におさえこむ。その結果、ピアノの音が薄っぺらにキャラキャラ鳴ったり、サックスの太さやスネアドラムのスキンの張った感じが出にくかったり、男声が細く上ずる傾向さえ生じるが、反面、弦合奏や女声の一種独特の艶を麻薬的に聴かせるし、楽器すべてをやや遠くで鳴らす傾向のある代りにスピーカーの向う側に広い演奏会場が展開したような、奥行きをともなって爽やかに広がる音場を現出する。
     *
ドンシャリといっても、
ドンとシャリとがどれだけ離れているのか、
そして中音域が抜けていないこと、
これらによって、ドンシャリとドンシャリすれすれの境界線ができてくるのではないだろうか。