快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その9)
トロフィー屋としか呼べないようなオーディオ店で、
オーディオ機器を購入する──。
そこで扱っているオーディオ機器は、ひじょうに高価なモノばかりで、
ケーブルにしてもひじょうに高価なモノばかりで、
ケーブルなどのアクセサリーを含めたシステム・トータルの価格は、
数千万円はあたりまえで、ときには一億円前後にもなる。
そういう、まさしくトロフィー屋でオーディオ機器を買う、
買える、ということは、優越感を満たしてくれるはず。
まして、そこの常連ともなれば、まさしく優越感がそうとうに満たされることだろう。
そのこと自体を否定するつもりは、さらさらない。
買える人は、どんどん買えばいい。
けれど、どれだけ優越感をえられたとしても、それは幸福とはいえないはずだ。
どこまでいっても、優越感は幸福にはつながらず、快感でしかない。
快感はどれだけ重ねようと、
どれだけエスカレートさせようと、快感でしかない。
快感を幸福と思える人ならば、それでいい。
けれど、そういう人はオーディオマニアではない。
少なくとも五味先生と同じオーディオマニアではない。
まるで別種のオーディオマニアなのかもしれない。