オーディオと青の関係(その27)
いまJBLのS9900のサイトを見ていたら、
ブルーのエンクロージュアのS9900があった。
木目だけだと思っていた。
青もあるのか。
ただそれだけのことなのだが、それだけのことでなんだかわくわくしてくる。
いまJBLのS9900のサイトを見ていたら、
ブルーのエンクロージュアのS9900があった。
木目だけだと思っていた。
青もあるのか。
ただそれだけのことなのだが、それだけのことでなんだかわくわくしてくる。
(その13)に、facebookにコメントがあった。
そこに妄想アクセラレーターとあった。
十年ほど前に、何度か使っている。
今回のセレッションのDitton 15のユニットたちは、
まさにこの妄想アクセラレーターをONにした。
妄想アクセラレーターは、ちょっとしたきっかけがあれば、
わりと簡単にONになってしまう。
場合によっては、そのままON状態がずーっと維持されることもあるけれど、
妄想をどこまでも細かくあれこれ考えていると、それで落ち着くことがある。
今回はDitton 15のネットワークの写真が、
妄想アクセラレーターをONにした、といえる。
そのDitton 15のスピーカーユニット群は、誰かが落札していた。
私は入札しなかったので、惜しいとか、そういう感情はわいてこない。
あれこれ妄想するだけで何が楽しいのか、と思われるかもしれないが、
実際にDitton 15のスピーカーユニットを手に入れたとして、
どうやってスピーカーシステムとしてまとめて仕上げるのか。
そのことを自分の製作の力量の範囲内でどうやるのか、
予算はどの程度にするのか、
自分の力量、予算も無視するとしたら、どこまでやれるのか、
そんなふうにいくつものパターンで妄想していく。
実際の工程ももちろん細かなことまで妄想していく。
そうすることで勉強になることは、意外に多い。
いまはiPhoneがあれば、あれこれ、いろんなことをすぐに検索していける。
エンクロージュアの作り方にしてもそうだ。
実際の木工をどうやるのか。
そのことに関しても、インターネットの検索結果が妄想をさらにふくらましていく。
それで数時間。充分におなかいっぱいになる。
昨晩、ヤフオク!を眺めていたら、
セレッションのDitton 15が出品されていた。
Ditton 15は割と出品されている。
今回のは、エンクロージュアなしである。
ユニットとネットワーク、銘板だけである。
欲しくなった。
Ditton 15は、20cm口径のウーファー、同口径のパッシヴラジエーター、
それにHF1300(トゥイーター)である。
Ditton 15はこれまでも何度か落札しようかな、と思った。
けれど、これ以上スピーカーを増やすほど、スペースの余裕がない。
なので見送ってきている。
そこに今回のユニット中心の出品である。
これならば、とりあえず手に入れて──、そんなことを考えてしまった。
ヤフオク!の写真には、ネットワークも写っている。
コイルが二個、コンデンサーが一個だけである。
ウーファーが6dB/oct.、トゥイーターが12dB/oct.なのだろう。
トゥイーターにアッテネーターはない。
ここから妄想が始まった。
ネットワークを直列式にして、ウーファー、トゥイーターともに6dB/oct.にする。
自分で鳴らすスピーカーなのだから、音量に気をつけていれば、
トゥイーターも6dB/oct.で特に問題はないはず。
これだけでも、かなり面白い結果が得られるのではないだろうか。
さらにスーパートゥイーターをつけてみたい。
候補はすでに考えている。
HF1300をトゥイーターにして、ウーファーは20cm口径、
そこにスーパートゥイーターという構成は、そのままスペンドールのBCIIである。
BCIIにはパッシヴラジエーターはついていないけれど、
このパッシヴラジエーターをどう取り扱うか。
エンクロージュアの形状は──。
内部配線材、吸音材、その他、こまかなところを含めて、
かなり具体的に、昨晩、数時間妄想して過ごしていた。
ならば落札するのか、となると、たぶんしない。
エンクロージュアがないから、置いておくスペースはある。
けれど、その前にやりたいことがたまっているからだ。
とはいえ、昨晩の数時間は楽しい時間だった。
(その1)を書いたのは、約六年前。
いまだ、なぜ青なのか、と考えている。
結局のところ、はっきりした答は出ていない。
ただ思うのは、青は空間をあらわす色だ、とどこかで認識しているからなのか、だ。
空の青、海の青などという。
空も海も空間である。
広い空間である。
だからこその青なのだろう……
BBCモニターの復刻を手がけているのは、グラハムオーディオばかりではない。
他にも何社かある。
そのうちの一つ、台湾のBestVoxは、
LS3/5A、LS5/9、LS3/6を復刻モデルとしてラインナップしている。
音は聴いていないし、実物も見ていない。
インターネット上の写真だけの判断なのだが、
外観のそっくり度はなかなかのレベルである。
ここは、いまではあまりに驚きに値しないのだが、
私が注目したのは、LS3/6に搭載されているユニットである。
HF1300そっくりなのである。
いまのところ外観についてしか、そっくりとはいえない。
構造や材質も同じなのかは、はっきりとしない。
それでもここまでそっくりな外観のHF1300を作るのか、と感心してしまった。
BestVoxのスピーカーは安価である。
AliExpressでも売っている。けれど送料が、けっこうかかる。
スピーカー本体の価格とそう変らない。
聴いてみたい、と思う以上に、
この復刻版LS3/6に搭載されているHF1300そっくりのスピーカーユニットを、
ぜひとも単売してほしい。
マスターテープの音そのままの再生(再現)ということであれば、
音量も聴き手が勝手に調整してはいけない、ということで、本来あるはずだ。
なのにマスターテープの音そのままの再生(再現)を目指している、
大きな目標としていると広言している人も、音量は調整している。
自分の、その行動をおかしいと思わない人が、
マスターテープの音そのままの再生(再現)を謳う。
ここで難しいのは、音量の一致である。
マイクロフォンが拾った音の音圧そのままをスピーカーから再生すればいいのか。
けれど、その音圧にしても、スピーカーの正面からどの程度の距離での音圧なのか。
録音時に楽器とマイクロフォンの距離が1mあったとしよう。
ならばスピーカーの正面から1mの距離のところでの音圧が、
マイクロフォンが拾った音圧とイコールになればいいのか。
それとも録音している最中の、
その録音スタジオにおけるモニタースピーカーと同じ音量に設定すればいいのか。
たとえば生演奏(生音)とのすり替え実験では、
同じ空間での録音と再生であるだけに、音量の設定に難しいことを言う必要はない。
けれど録音と再生の場が一致しない場合は、そうはいかない。
グラハムオーディオのLS5/1の復刻が、
なぜか日本の輸入元のウェブサイトに載っていて、
その価格が3,000,000円なのは高い、と思うけれど、
グラハムオーディオのサイトにLS5/1が載っていないということは、
もしかするとLS5/1の復刻モデルは、日本にある1ペアだけなのかもしれない。
何の確証もないので、他にも存在している可能性もある。
けれど、仮に1ペアだけしか存在してなくて、
その1ペアが日本にある、ということであれば、3,000,000円(税抜き、ペア)も、
希少価値を重視する人にとっては、むしろ安いと感じられるのかもしれない。
(その7)で書いているように、
LS8/1の存在に気づいたのは、LS5/1の復刻版について、
何か知りたくて、グラハムオーディオのウェブサイトを見たからだった。
そこにはLS5/1の文字はなかった。
なのに、今日ふと輸入元の横浜サウンドトレードのウェブサイトを見たら、
LS5/1のページが公開されている。
今年の6月21日に入荷した、とある。
知らなかった。半年ほど前に日本に来ていたのか。
LS5/1の復刻とはいえ、エンクロージュアのプロポーションは違う。
LS5/1はスタンド付きのフロアー型だったのに対し、
復刻版はセレッションのDitton 66を思わせる、ややトールボーイのフロアー型である。
LS5/1(及びLS5/1A)は、二つのトゥイーターを単純に並列接続しているわけではなく、
上側に配置されているトゥイーターに関しては、3.5kHz以上でロールオフさせている。
そのため専用アンプで高域補整を行っている。
復刻版もトゥイーター二基搭載だが、オリジナルのような仕組みは採用していない。
専用アンプなしで使えるようにするためである。
その変更による音の変化、
というよりも私が気になるのは、LS5/1の定位の良さがどの程度再現されているのかだ。
LS5/1が変則的ともいえるトゥイーターの使い方をしているのは、
トゥイーターの複数使用による定位の不明瞭になっていくことを抑えるためである。
音は聴いてみないとなんともいえないのだから、
この点に関しては、これ以上書くことはない。
ただ私が驚いたのは、その価格である。
3,000,000円(税抜き、ペア)となっている。
正直、高い、と思ってしまった。
グラハムオーディオのLS8/1のページには、
いままで以上のパワーハンドリングを可能にした、とある。
BCIIは、確かにパワーハンドリングの面では弱かった。
大音量で聴くスピーカーではなかった。
それでもD40で鳴らすBCIIは、さほど大きくない音量においてでも、
他のアンプで鳴らすよりも、不思議とエネルギー感のある音だった。
BCIIと同世代のイギリスのスピーカー、
BBCモニター系列のスピーカーは、ほとんどがパワーということでは弱かった。
アメリカのスピーカーと同じような感覚では、
ボリュウムをあげていったら、スピーカーの破損にすぐにつながるし、
こわさないまでも、そこまで音量をあげると、良さが失われがちでもあった。
けれど小音量で聴いている時の量感の豊かさが、
これらのスピーカーに共通する良さと、私は感じていた。
簡単にいえば、小音量でも音が痩せない。
クラシックを小音量で聴いていると、その良さをひしひしと実感できる。
この量感の豊かさを、私はいまMQAに感じている。
MQAがイギリスから生れたのは当然だ、とも思っている。
グラハムオーディオのLS8/1の音の量感はどうなのだろうか。
とても気になるところだ。
デレク・ヒューズの名に期待したい理由は、もうひとつある。
別項で書いているD40の存在がそれである。
スペンドールの唯一のプリメインアンプD40は、1977年に登場した。
ステレオサウンド 44号の新製品の紹介記事で取り上げられている。
1977年暮の「コンポーネントステレオの世界 ’78」にもD40は登場している。
D40というプリメインアンプは、優秀なプリメインアンプとは呼べないだろう。
どんなスピーカーからもいい音を出してくれるわけではないからだ。
スペンドールのBCIIを接いだときにおいて、
どちら(BCIIとD40)も真価を発揮する、といえるほどの鳴り方を示してくれる。
このD40を設計開発したのが、デレク・ヒューズである。
ほんとうのところはなんともいえないのだが、
デレク・ヒューズは、BCIIの良さも欠点もよくわかっている男なのだろう。
そうでなければ、あんな造りのアンプで、BCIIから、
D40よりも立派な構成のアンプではどうやっても鳴らせなかった音は出せないだろう。
グラハムオーディオのLS8/1には、HF1300は搭載されていない。
けれど、もしかするとではあるが、
D40で鳴らしたBCIIの音を、LS8/1から聴けるのではないだろうか──、
そんな期待を、つい持ちたくなってしまう。
グラハムオーディオのウェブサイトを、
そういえば、あるスピーカーの開発はどうなっているんだろうか……、と思い出すと、
アクセスしている。
今日も、LS5/1の復刻はどうなっているんだろうか、
発表されたのは2020年春だった。
2020年はコロナ禍で、いろんなことが影響を受けている。
LS5/1の復刻も例外ではないのだろう。
とはいえ一年半以上経つ。
そろそろ途中経過を知りたい。
なのでひさしぶりにグラハムオーディオのウェブサイトを見ていた。
そこにはLS5/1はなく、代りに、といっていいのだろうか、
LS8/1という新型スピーカーが表示されていた。
BBCモニターにLS8/1という型番のモデルはなかった。
いったいどんなスピーカーなのかというと、
サランネット付きの写真から、すぐにスペンドールのBCIIということがわかる。
フロントバッフルの写真を見ると、まさにBCIIの現代版(グラハムオーディオ版)である。
残念ながら、当然ともいうべきか、
トゥイーターにセレッションのHF1300は使われていない。
製造されていないユニットなのだからしかたない。
気になるのは、その音である。
そのことに関連しての興味深いことは、フロントバッフルにレベルコントロールの銘板に、
“Derek Hughes Signature Edition”とあることだ。
デレク・ヒューズは、スペンドールの創設者スペンサー・ヒューズの息子である。
デレク・ヒューズは、2003年からハーベスに参画していた。
ハーベスのHL Compact 7ES-3には、デレク・ヒューズも関っている。
ならばグラハムオーディオのLS8/1も期待できそうである。
マスターテープに記録されている音をそのまま再現できれば、
素晴らしい音が得られるし、音楽的感動も得られる──、
オーディオに興味をもった人ならば、少なくとも一度はそう考えたことがあるだろう。
私もそう考えていたことがある。
再生機器というか再生系において何の色づけもなされず、
そして何の欠落も生じずに、
さらにまったついじることなく、
マスターテープに記録された音そのままを再生(再現)できれば、
それははたして、ほんとうにいい音、
それだけでなく聴いて感動する音が得られるのか。
いまだかつて、誰一人として、その音を聴いているわけではない。
それにマスターテープにどんな音が記録されているのか、
それを正しく把握している人がいるのだろうか。
菅野先生がよくいわれていた。
自分が録音したマスターテープであっても、どんな音が録音されているのか、
はっきりとはわからない、と。
さらにオーディオマニアはマスターテープの音が最上だと思っている人がいるけれど、
きちんとつくられたレコードならば、そっちのほうが音がいい、と。
録音した人ではない者が、マスターテープの音について語る。
それがオーディオの世界といってしまえば、それ以上いうことはないのだが、
オーディオ機器の開発に携わっている者が、大真面目に、
しかもまったく疑うことなく、そう主張しているのをみると、
一つだけ、その人に訊きたくなることがある。
マスターテープの音そのままの再生(再現)ならば、
音量はどうするのか、である。
音量調整をした時点で、音をいじったことになるわけなのだが、
こういう主張をする人にかぎって、そのことを無視している。
そのことに気づいているのか、気づいていないのか、
そこまでは私にはわからないけれど、音量調整は、
音をいじることではない、とでも思っているのだろうか。
「いま、いい音のアンプがほしい」では、最後のところも思い出す。
瀬川先生は、こう書かれていた。
*
私のように、どこか一歩踏み外しかけた微妙なバランスポイントに魅力を感じとるタイプの人間にとってみれば、全き完成に近づくことは、聴き手として安心できる反面、ゾクゾク、ワクワクするような魅力の薄れることが、何となくものたりない。いや、ゾクゾク、ワクワクは、録音の側の、ひいては音楽の演奏の側の問題で、それを、可及的に忠実に録音・再生できさえすれば、ワクワクは蘇る筈だ──という理屈はたしかにある。そうである筈だ、と自分に言い聞かせてみてもなお、しかし私はアンプに限らず、オーディオ機器の鳴らす音のどこか一ヵ所に、その製品でなくては聴けない魅力ないしは昂奮を、感じとりたいのだ。
結局のところそれは、前述したように、音の質感やバランスを徹底的に追い込んでおいた上で、どこかほんの一ヵ所、絶妙に踏み外して作ることのできたときにのみ、聴くことのできる魅力、であるのかもしれず、そうだとしたら、いまのレヴィンソンはむろんのこと、現在の国産アンプメーカーの多くの、徹底的に物理特性を追い込んでゆく作り方を主流とする今後のアンプの音に、それが果して望めるものかどうか──。
だがあえて言いたい。今のままのアンプの作り方を延長してゆけば、やがて各社のアンプの音は、もっと似てしまう。そうなったときに、あえて、このアンプでなくては、と人に選ばせるためには、アンプの音はいかにあるべきか。そう考えてみると、そこに、音で苦労し人生で苦労したヴェテランの鋭い感覚でのみ作り出すことのできる、ある絶妙の味わいこそ、必要なのではないかと思われる。
*
《音で苦労し人生で苦労したヴェテランの鋭い感覚でのみ作り出すことのできる、ある絶妙の味わい》、
これは、はっきりと「色」である。
アンプ・エンジニアのなかには、この「色」を極端に拒否する姿勢の人もいる。
それを間違っているとはいえない。
《全き完成》に近づけることこそ、アンプの正しいあり方であり、進歩である。
でも、それだけで、レコード(録音物)を再生して、
ゾクゾク、ワクワクできる魅力が味わえるだろうか──、と思ってしまうのだ。
瀬川先生が書かれている。
《ゾクゾク、ワクワクは、録音の側の、ひいては音楽の演奏の側の問題で、それを、可及的に忠実に録音・再生できさえすれば、ワクワクは蘇る筈だ──という理屈はたしかにある》、
そうなのだが、これはどこまでいっても理屈だとおもう。
理屈で人は感動しない。昂奮もしない。
だから、別項で書いている「音情」のことをおもうわけだ。
このことも思い出す。
私だけでなく、あのころ瀬川先生の文章に魅了され、
何度もくり返し読んだ人ならば、きっと思い出すはずだ。
1981年夏、ステレオサウンド別冊セパレートアンプのムックの巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」で、
アルテックの604EをマッキントッシュのMC275で鳴らした時のことを書かれている。
*
しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
*
この時の604Eがおさめられていた箱は、銀箱である。
マッキントッシュのC22とMC275と同時代のアンプ、
マランツのModel 7とModel 9、それからJBLのSG520とSE400Sで、このときの音は出なかっただろう。
《滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい》エリカ・ケートの歌声、
それにモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)、
これ以上のカップリングはないように、いまも思う。
そして、この時の音も、アルテックとマッキントッシュによるカラリゼイションである。
割と程度のよいアルテックの604-8Gを持っている。
手に入れたのは十年ほど前である。
ずっと押入れで眠ったまま。
いまのスペースだと、604-8Gに見合うエンクロージュアを置くスペースが確保できない。
銀箱と呼ばれているエンクロージュアにおさめる気はまったくない。
あの小さなエンクロージュアでは、
私がアルテックのスピーカーに求めるカラリゼイションが得られそうにないからだ。
もっともっとゆったりした容積のエンクロージュアに、604-8Gをおさめたい。
私が第一候補として、604-8Gを手に入れる前から考えているのは、
ステレオサウンド 51号掲載のマイ・ハンディクラフトに登場したモノだ。
ジェンセンのバス・ウルトラフレックス型である。
このエンクロージュアなら、
アルテックならではのカラリゼイションを発揮できそうに感じるからだ。
このエンクロージュアそのものは聴いている。
聴いている、といってもエンクロージュア単体の音を聴けるわけはなく、
JBLの2220Bをおさめた状態の音だった。
その音を聴いているからといって、604-8Gをおさめた音が想像できるわけではない。
いいはずだ、という直観でしかないが、朗々と鳴ってくれるはずだ。
LCネットワークはアルテック純正は使わない。
自作する。
UREIの813のLCネットワークを参照に自作する。
バス・ウルトラフレックス型がすぐには無理だから、平面バッフルも考えている。
ブルックナーの音楽にまじっている水っ気を酒にかえてくれる音で、
グレン・グールドのブラームスの間奏曲集を一度聴いてみたい。