Archive for category 十牛図

Date: 11月 26th, 2019
Cate: 十牛図

十牛図と「ゴドーを待ちながら」

「ゴドーを待ちながら」の作家、
サミュエル・ベケットは、十牛図を知っていたのか。

十牛図と「ゴドーを待ちながら」の共通する点を、
強引に見つけながら、関連づけていこう──、なんてことはいまは考えていない。

けれども、まったく関係がない、とも思えないでいる。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: 十牛図

十牛図(その3)

オーディオマニアである以上、十牛図の牛を「音」として、
それが無理なことであっても、そうとらえてみる。

「音」であるとすれば、
その音は、それまでの人生で得たものによる「音」なのか、
失ってきたものによる「音」なのか、
得たものと失ってきたものとが均衡している「音」なのか。

どれがしあわせなことなのか、どれがいい音なのかはわからない。
ふりかえり、自分の音が、どの「音」なのかがわかる日はくればいい、と思う。

Date: 6月 17th, 2015
Cate: 十牛図

十牛図(その2)

その1)を書いてから三年半。
十牛図の牛が何を表わしているのか。

いまも(その1)に書いたことだと思っている。
けれどこの三年半のうちに変ったこともある。
三年半前に思ったことを、別の言葉でいいかえれば、それは「限界」なのかもしれないと。

Date: 3月 4th, 2012
Cate: 十牛図

十牛図とマーラー

十牛図についての川崎先生の話を聴き終ったあと、
東京への新幹線の中で思いついたことが、マーラーは十牛図のことを知っていたのかどうか、だった。
マーラーによる交響曲は9曲に「大地の歌」を加えると、10曲になる。
強引にこじつけることができるような気もするけれど、かなり無理のあることだとも思っている。

それでも、マーラーは十牛図を知っていたのか──、
このことが頭から離れないままになっている。

Date: 12月 30th, 2011
Cate: 十牛図

十牛図(その1)

2010年9月22日、京都に川崎先生の講演をききに行った。
十牛図についての講演だった、から、USTREAMでの中継があるにもかかわらず、京都に出かけていった。

十牛図の牛が、何を表わしているのか。それを深く考えさせてくれる内容の、川崎先生の話だった。
牛を悟り、だとか、人の心の象徴だ、という意見もあるようだが、
川崎先生の話をきいて約1ヵ月経ったころ、牛は「死」だと思った。
そこから半年ほどたった今年の夏、やはり十牛図の牛は、「死」であると強く感じていた。
さらに半年経ち2011年が終ろうとしている──、牛は「死」である。