Archive for category イコライザー

Date: 11月 8th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その15)

BOSE・901が前面ユニット1に対して後面ユニット8なのは、
直接音と間接音の比率が1:8になるようにと説明されてきた。

この比率は、音圧なのだと最初に思った。
実際そうなのだろう。
けれど、901というスピーカーをいま一度捉え直してみていくと、
音圧だけの比率なのだろうか、とも思うようになってきた。

1:8という比率は、ユニットの数でもあり、
振動板の面積の比率でもある。

たとえば前面ユニット1、後面ユニット4にして、
後面ユニットにいくパワーを大きくすることで、
音圧的には1:8にすることもできる。

ユニットのリニアリティが優秀であれば、
もしくはリニアリティがいい範囲を使うかぎりにおいては、
前面ユニット1、後面ユニット8と、少なくとも同じ効果が得られるはずなのだが、
実際にはどうなのだろうか。

これは自分で実験していくしかないのだが、
音圧だけでなく振動板の総面積の比率を、無視できなくなる結果になる予感がある。

よく「世の中に登場するのが早かった……」という言い方がされる。
オーディオではスピーカーに、それが使われることが多い。

この表現をみかけると、ほんとうにそうだろうか、と思うことの方が多い。
たとえばQUADのESL。
このスピーカーも、登場するのが早かった、といわれがちなスピーカーであるが、
ESLは周辺機器の性能向上につれて、その能力を発揮するようになっていた。

つまりその時代まで製造中止されることなく生き残ってきたモデルである。
そうなる前に消えてしまったスピーカーは、ほんとうに「世の中に登場するのが早すぎた」といえるのか。

Date: 11月 7th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その14)

BOSEの901に関しての妄想はまだある。

レオ・L・ベラネクの「音楽と音響と建築」には、こうある。
     *
聴くことによくならされた人──たとえば眼意外の感覚によって自分のまわりの環境についてすべての手掛りを得る盲目の人は、直接音と最初の反響音との時間の長さによって部屋の寸法を測ったり、自分の後の壁までの距離を判断し得る。部屋の寸法を判定する盲目の聴き手の能力は、1795年に書かれたE. ダーウィン著のズーノミア(第2巻、487ページ)に次のように記述されている。盲目の故フィールディング判事が、初めて私の家を訪れたとき、私の部屋に歩み入り、二言三言話した後、「この部屋は奥行き約6.7m、幅5.5m、高さ3.7mありますね」と言ったが、これらはすべて耳でもって大変正確に推定されたものである。聴くことによってホールの寸法を判定するこの能力は盲人に限られていない。
 経験の深い音楽の聴き手は、その中で演奏される音楽の音によってつまり初期到達音の時間遅れの大きさで、ホールの大体の大きさを感じ取ることができるだろう。
     *
どこまで正確なのかは人によっても訓練によっても違ってくるだろうが、
反響音によって、いまいる空間の大きさはある程度は把握できる。

ならばBOSEの901のような構成のスピーカーシステムであれば、
後面のユニットから放射される音に在る一定の時間遅れを生じさせれば──と思ってしまう。

正面のユニットの音の一部も壁に反射して耳に入ってくるわけで、
ことはそう簡単にうまくいかないかもしれないが、
スピーカーの設置、ディレイのかけ方、正面と後面のレベル差、イコライゼーションなど、
複数のパラメーターをうまく調整することで、意外な効果が得られる可能性はあると思う。

901の前身といえる、BOSE最初のモデル2201が登場したが1966年。
ちょうど50年前。901は1968年に最初のモデルが登場している。
2018年で50年になるのだが、残念なことに日本では901の輸入は終ってしまっていたし、
アメリカでもその後に製造中止になっている(ようだ)。

BOSEの901はきわもののスピーカーではない。
私は幸運にも、ステレオサウンド試聴室で井上先生が鳴らされる901の音を何度も聴いている。
この経験がなかったから、901に対して間違った印象を抱えたままだったかもしれない。

それまでも、901という形態のもつ可能性には、それほど気づいていなかった。
ここ数年、901というスピーカーのおもしろさに目覚めた、といってもいい。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その13)

BOSEの901は、前面に1、後面に8つのフルレンジユニットを持つ。
つまり直接音1、間接音8という比率に基づいたユニット配置である。

専用イコライザーを使うにしても、
グラフィックイコライザー、デジタル処理のイコライザーを持ってくるにしても、
前面のユニットと後面のユニットの補正は同じである。

パワーアンプ一台で九本のユニットを鳴らしているわけだからなのだが、
これを前面と後面とでパワーアンプを独立させたら……、と考える。

そうすれは前面のユニットと後面のユニットに、それぞれのイコライジングが可能になる。
さらにいえば後面の八本のユニットも、
内側にある四本と外側にある四本が同じイコライジングでいいのか、とも考える。

理想はユニット一本に一台のパワーアンプで、それぞれにイコライジングなのかもしれない。
そこまでいかなくともパワーアンプ三台用意して、
前面、後面内側、後面外側に独立したイコライジングを行う。

ただ現実にはユニットのインピーダンスが一本あたり0.9Ωなので、
後面のユニットに関しては0.9Ω×4=3.6Ωでいいとしても、前面はそうはいかない。

0.9Ωはほとんどショートに近い。
BOSEが前面のユニットのみ4Ω、もしくは8Ω仕様で提供してくれなければ、
実験を行うことは無理であるから、その音は想像するしかない。

私は901のイメージがずいぶん変ってくると思っている。
同時にBOSE博士が実現したかったのは、そこにあるのではないだろうか、とも思う。

製品化のためには九本のユニットを直列接続して、
専用イコライザーという形にまとめることが必要だったはずだが、
BOSE博士が頭で描いていた901の本来の姿は、もしかする……、と思わずにいられない。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(妄想篇・その12)

BOSEの901には専用イコライザーが付属する。
セパレートアンプではコントロールアンプとパワーアンプ間に挿入すればいい。
プリメインアンプだったら、TAPE OUT/IN端子を使う。

いまのプリメインアンプで、TAPE OUT/IN端子をそなえたモノはどれだけあるだろうか。
901をグレードの高いプリメインアンプで鳴らすことは十分にある。
けれど、TAPE OUT/IN端子がなければ専用イコライザーの接続が難しい。

CDしか聴かないという人ならば、
CDプレーヤーとプリメインアンプ間に挿入すれば済むが、
他のプログラムソースも聴くとなると、そうもいかない。

それに最近ではデジタル処理のイコライザーも、興味深いモデルがいくつも登場している。
これらを使うには、セパレートアンプでなければならないのたろうか。

プリメインアンプにデジタルのTAPE OUT/IN端子がついていてれば、
すんなり接続可能になる。

けどいわゆるTAPE OUT/IN端子はなくなりつつある。
なにかいびつなものを感じるのだが……。

少し話が逸れてしまったが、901は専用イコライザーがなければ、
まともな音にならない。
いまはどうなのだろうか、専用イコライザーのクォリティも高くなってきたのだろう。

以前、専用イコライザーをグラフィックイコライザーに置き換えて、
井上先生が調整していった音を聴いている。
901に搭載されているフルレンジユニットは、
こんなに素直な音だったのか、と認識を改めるほど音は変った。

いまならば専用イコライザー、グラフィックイコライザーを使わずに、
デジタル処理のイコライザーをもってくることが考えられる。

デジタル処理によって、
アナログのグラフィックイコライザーでは無理だったパラメータも調整できる。
その音を聴いてみたい、と思うとともに、
さらにもう一歩すすめたイコライジングを施した901の音はどう変化するのか──、
そう思うことがひとつある。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その11)

マーク・レヴィンソンという男の評価は、人によって違うし、
私の中でも時代(私の年齢)とともに変化してきている。

それでも……、と思うのは、マーク・レヴィンソンは録音に携わっている。
演奏者としても、レコード制作者としても、である。

もしマーク・レヴィンソンにまったく録音の経験がなかったら、
オーディオパレットを、果してミュージックレストアラーと呼んだだろうか。

オーディオパレットの元にあたるモノをつくったのはディック・バウエンであり、
それをレヴィンソンが望むクォリティにまで高めたのがオーディオパレットでもあるわけだから、
ミュージックレストアラーという発想は、もしかするとバウエンが考えたものかもしれない。

どちらにしろマーク・レヴィンソンは、
イコライザーの本来の意味をどこかに置き忘れていたわけではない。

でも中には、置き忘れている人、イコライザーの意味が頭の中にない人もいる。
そんな人がグラフィックイコライザー、パラメトリックイコライザーを使ったら……、
踏み外してしまった例を私は何度となく聴いている。

イコライザーは、自分勝手な音をつくるための道具では、本来ない。
もちろんそういう使い方を完全否定はしないが、
そういう場合はイコライザーという言葉を使うのはやめたほうがいいとは思う。

こうやって書いていると、dbxが20/20に自動補正機能を搭載したのかが理解できる。
dbxは、イコライザーとしてふさわしい機能としての開発・搭載だったといえよう。

Date: 7月 30th, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その10)

オーディオ機器で、イコライザーと付くモノは、
グラフィックイコライザー、パラメトリックイコライザー、フォノイコライザーなどがある。

イコライザー (Equalizer)とは、イコール(equal)から来ている。
イコール、すなわち等しいこと、同じもの、という意味であり、
イコライザーとは本来そういう目的のためのものだから、イコライザー (Equalizer)なのである。

フォノイコライザーを考えてみてほしい。
こまかな説明は省くが、アナログディスクでは新古ヴ処理をせずにそのままカッティングすれば、
低域になるほど大振幅の溝になってしまい、溝のピッチを大きくすることになる。
そうなればアナログディスクの収録時間はそうとうに短くなってしまう。

それに低域のそういう大振幅をカートリッジはトレースできない。
結果カッティング時に録音イコライザーをかけて、可聴帯域においては振幅が同じになるように、
低域にいくにしたがってレベルを下げる。

再生時にはその逆のイコライザーカーヴ(低域を上昇させ、高域を減衰させる)によって、
元の録音状態と同じにする(イコールにする)から、
イコライザー(イコライゼーション)なのである。

ところがグラフィックイコライザーやパラメトリックイコライザーの普及とともに、
イコライゼーションは広汎な意味を持たせれるようになってしまった。

マーク・レヴィンソンがチェロ創立時に発表したオーディオパレット。
簡単にいってしまえば6バンドのパラメトリックイコライザーなのだが、
マーク・レヴィンソンは、オーディオパレットのことをミュージックレストアラーと呼んでいた。

おそらくマーク・レヴィンソンのイコライゼーションに対する感覚は、
言葉本来の意味のイコライズ(等比)がしっかりとあったのかもしれない。
そうでなければレストアラーとはいわないはずだ。

Date: 6月 12th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その9)

この項の(その3)で、
ブルーノ・ワルターのデジタルリマスターのLPを買った、と書いた。

LP(アナログディスク)なのに、デジタルリマスター。
いうまでもなくワルターの録音はすべてアナログ方式によるもの。
それを一旦デジタル信号に変換して信号処理。
それをまたアナログ信号に変換する。

多くの人が、ソニーはなんてバカなことをするんだろう、と思っていたはず。
私だってそう思っていた。
そんなことをすれば音の鮮度、純度といったところは明らかに劣化する。

しなくてもいい処理を、なぜソニーはやるのか。
そんな疑問をもちながらも、当時ブラームスの交響曲第四番を、
とにかくいろんな人の指揮で聴いてみたかった私は、
ワルターの四番はもっていなかったので、
廉価盤で安いということもあって、とにかく買って聴いてみよう、と思った。

音がどうしようもなく悪かったら、
編集後記に書こう、などと思いながら、音を聴いた。

聴いてみると、悪くないどころか、むしろいい音に聴こえる。
日をあらためて聴いてみても、悪くない。

ワルターのブラームスの四番のオリジナル盤は聴いたことがないから、
それとはどの程度の音の違いがあるのかは知らないが、
とにかく国内盤、アナログ録音なのにデジタルリマスター。

私にとって、いい音がするとは思えない組合せのレコードなのに、
予想に反する音が鳴ってきた。

実は、このことも、私の中では、いま書いている「冗長と情調」に関係してくることがらである。

Date: 4月 7th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その8)

グラフィックイコライザーの使いこなしは、はっきりいって難しい。
そう簡単にうまく調整できるようになるとは思わない方がいい。

グラフィックイコライザーの有用性について書いている私にしても、
菅野先生のレベルにたどり着けるのだろうか……、と思ってしまう。

適当な使い方で、ひとり悦にいっているレベルで満足できるのであれば、
グラフィックイコライザーの使いこなしはそう難しくない、とはいえる。
けれどグラフィックイコライザーの本当の有用性は、そんなレベルのずっと先にある。

だから、グラフィックイコライザーを導入しても、最終的に外すことになっても、
それでいいではないか、とも思う。
ただ導入を決めたのなら、最低でも一年間はグラフィックイコライザーをシステムから外すことなく、
こまめに調整(いじって)みていただきたい。
最初から、うまくいくはずはない。

だから一年間は諦めずにとにかくグラフィックイコライザーと正面からつきあうしかない。
うまくいく日もあればそうでない日もある。そうでない日の方が多いだろう。

ひとついえるのは最初からいい音に調整しようと思わないことである。
まずは音の変化に耳を傾ける。
どんなふうに音が変化するのかを、身体感覚として得られるようになりたい。

そして、コントロールアンプにモードセレクターがあったほうが調整には役立つ。

もうひとついえるのは、好きな音に仕上げていくためのツールではない、ということだ。
正しい音とはなにか? を思考していくツールであり、
「正しい音」ということをつねに意識しておくことが重要だと、私は考えている。

Date: 4月 6th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その7)

グラフィックイコライザーの使用に否定的な人の中には、
専用のリスニングルームを建てるだけの経済的余裕のない者が頼る機器、
それがグラフィックイコライザーである──、そんなことをいう人もいる。

またこんなことをいう人もいる。
グラフィックイコライザーに頼る人は、指先だけで処理しようとする──、
確かにそういう人がいないわけではない。

いまでは各社から整音パネル、調音パネルなどと呼ばれるモノがいくつも出ている。
専用リスニングルームを建てられなくとも、
これらのモノを駆使することでグラフィックイコライザーは不要である──、
ほんとうにそうなのだろうか。

音響的に条件を整えていった上で、グラフィックイコライザーを使えば、
各周波数における補正量は抑えられるはずである。
ならばどちらかだけでなく、積極的にそれぞれの良さを認めて採り入れてみることを考えはどうだろうか。

私がグラフィックイコライザーの使いこなしの見事な例として挙げるのは、菅野先生の音である。
菅野先生の音を聴けば、グラフィックイコライザーは必要になる、と思える。

その菅野先生のリスニングルームだが、音響的には特別なことはされていないように見える。
左右のスピーカーの中央にある扉のガラスの一部にソネックスが貼られているくらいにしか見えないが、
ステレオサウンド、スイングジャーナルのかなり古いバックナンバーには、
昔の菅野先生のリスニングルームの写真が載っている。
それらを見較べてほしい。

壁の表面、それから天井と壁が交わるところなどを特に見較べれば、
菅野先生がグラフィックイコライザーだけに頼られているわけではないことがはっきりする。

整音パネル、調音パネルと呼ばれているモノの中には、なかなか効果的なモノはある。
けれどそれらをリスニングルームに林立させることに、音が良くなるのだから、といって、
ためらうことのない人もいれば、
できるだけ視覚的にそういったモノが目につかないようにしたい、
専用リスニングルームという感じをできるだけ抑えたい、という人だっている。

そういう人にとって、菅野先生のリスニングルームのいくつかの変化とグラフィックイコライザーの併用は、
良き参考例となるはずだ。

Date: 3月 27th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その6)

グラフィックイコライザーは、その評価がほかのオーディオ機器よりもはるかに難しいところをもつ。

グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人がいる。
その人が書く文章を読んで、グラフィックイコライザーに興味をもつ人がいる。
数人だが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人のところに連れていったことがある。

みんな期待していた。
使いこなしは難しいかもしれないが、
きちんと使いこなすことで、どれだけのものが得られるのか。
それを知りたがっていたし、自分の耳で確認したかったのだと思う。

グラフィックイコライザーにはON/OFF機能があるから、
簡単にグラフィックイコライザーを調整した音とそうでない音を切り替えられる。
当然のことだが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、
自信をもって切り替え操作を行ってくれる。

帰途、彼らは「グラフィックイコライザーの使いこなしって、ほんとうに難しいんですね……」といった。
あれだけ積極的にグラフィックイコライザーを使ってきた人でも、あのレベルなのか、という落胆からであった。

私が連れていった数人は、彼のところではグラフィックイコライザーなしの方がいい音だと感じていた。

このことはグラフィックイコライザーの調整が難しいということとともに、
グラフィックイコライザーの使い方に関する問題も含んでいる。

私はグラフィックイコライザーにこれから取り組もうという人には、
楽器の音色の違いがより自然に再現されることを目指して調整したほうがいい、という。

私がこれがグラフィックイコライザーの使い方だと考えているからだ。
だがグラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、そうではなかった。
彼好みの音にするための道具としてのグラフィックイコライザーの使い方だった。

そんなふうに使うのはまったく認めないわけではないが、
誰かにグラフィックイコライザーの使用を薦めるのであれば、そうではないだろう、とひとこといいたくなる。

Date: 3月 20th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その5)

音の透明度を高めていくことが、再現する楽器の音色の正確さを高めていく。
そう思い込んでいる人にとっては、
グラフィックイコライザーを挿入することによる音の純度の低下が(それがわずかであっても)、
楽器の音色の再現性を低下させる、ということになっているようだ。

確かにそれまでなかったグラフィックイコライザーを挿入すれば、
音の純度は低下するのは事実である。
だがそれはあくまでも、グラフィックイコライザーを挿入しただけで、
挿入していない音と単純に比較した場合のことでしかない。

グラフィックイコライザーは使いこなしてこそ判断すべきモノであることが、
ここでは忘れられて、音の純度の低下が論じられる。

ただやみくもにグラフィックイコライザーをいじっても、音は良くならない。
それでもやってみなければ何も始まらない。
根気のいる作業ではある。

それでもこつこつと調整をしていけば、音は整っていく。
そうして初めてグラフィックイコライザーを挿入した音、挿入しなかった音を比較すべきなのだ。

適切にグラフィックイコライザーによる調整がなされていたら、
楽器の音色の再現性はどちらが上になるのか。

100%と断言したいところだが、
理想的なリスニングルーム、理想的なオーディオシステム、そして理想的なプログラムソース、
そういった環境下では逆転する可能性もあるので、
ほとんどということにしておくが、
グラフィックイコライザーを適切に調整したほうが楽器の音色の再現性は高い。

もっといえば、個々の楽器の音色の違いが、より自然にはっきりと出てくるようになるし、
そこまで調整してこそグラフィックイコライザーを使いこなしている、ということになる。

つまりグラフィックイコライザーを挿入したときの音が、
挿入していない音よりも楽器の音色の再現性が劣っていれば、
まだまだ調整が適切になされていない、となる。

だからグラフィックイコライザーの調整に必要なのは、絶対音色感ということになる。

Date: 10月 22nd, 2014
Cate: イコライザー, 純度

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その4)

オーディオマニアを揶揄するのに、絶対音感がないのに……、というのがある。
そう多くみかけるわけではないが、これまでに数度目にしたことがある。

これを言う人は楽器を演奏する人で、絶対音感を持っている人であった。
オーディオで音を追求する上で、絶対音感はあればあったほうがいいくらいにしか、私は思っていない。

それよりも必要なのは、絶対音色感だと思っている。
この絶対音色感、あるミュージシャンが言っていたのを、何かでみかけた。
この人も絶対音感は持っていない、ということだった。
けれど、絶対音感を持っている人以上に、自分は絶対音色感を持っている、と。

絶対音感と絶対音色感。
どちらも高いレベルでもっているのがいいのはわかっているが、
どちらかひとつということになれば、絶対音色感であろう。

それほどに音色は重要であり、ここで言っている音色は、オーディオ機器固有の音色も含まれるが、
それ以上に重要なのは楽器の音色である。

いつごろからか「音色より音場」といわれるようになってきた。
音色を大事にする聴き方は、いかにも古い聴き方であるかのようにいう人がいる。

オーディオ機器固有の音色だけの話であれば、同意できなくはないが、
楽器の音色となると、「音色より音場」に同意できない、というより、
理屈としておかしいことに気がつかないのか、と返したくなる。

Date: 10月 17th, 2014
Cate: イコライザー, 純度

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その3)

そのころブラームスの交響曲第四番をよく聴いていた。
だからワルターのデジタルリマスターのLPも、ブラームスの四番を買った。

五味先生、瀬川先生の書かれたものを読んできた私にとって、
クラシックのLP=輸入盤ということになる。
国内盤は海外盤が廃盤になっているもの以外は買わないことにしていた。
買わない、ということは、クラシックのLPとして認めていない、ということに近かった。

そのくらい国内盤の音と輸入盤の音は、当時違っていた。
楽器の音色が特に違う。ここで失われた「音色」は、ほとんどとり戻せないことはわかっているから、
輸入盤にこだわっていた。

そういえば、と、トリオの会長であった中野氏の著書「音楽・オーディオ・人びと」に出てくる話を思い出す。
     *
デュ・プレのエジンバラ・コンサートの演奏を収めた日本プレスのレコードは私を失望させた。演奏の良否を論ずる前に、デュ・プレのチェロの音が荒寥たる乾き切った音だったからである。私は第三番の冒頭、十数小節を聴いただけで針を上げ、アルバムを閉じた。
 数日後、役員のひとりがEMIの輸入盤で同じレコードを持参した。彼の目を見た途端、私は「彼はこのレコードにいかれているな」と直感した。そして私自身もこのレコードに陶酔し一気に全曲を聴き通してしまった。同じ演奏のレコードである。年甲斐もなく、私は先に手に入れたアルバムを二階の窓から庭に投げ捨てた。私はジャクリーヌ・デュ・プレ——カザルス、フルニエを継ぐべき才能を持ちながら、不治の病に冒され、永遠に引退せざるをえなくなった少女デュ・プレが可哀そうでならなかった。緑の芝生に散らばったレコードを見ながら、私は胸が張り裂ける思いであった。こんなレコードを作ってはいけない。何故デュ・プレのチェロをこんな音にしてしまったのか。日本の愛好家は、九九%までこの国内盤を通して彼女の音楽を聴くだろう。バレンボイムのピアノも——。
     *
デュ・プレの国内盤は聴いたことがない。
聴こうとも思っていない。
でも、よくわかる。

デュ・プレのエルガーの協奏曲を聴いたことがある人ならば、
EMIの英国盤できいたことがあるならば。

Date: 10月 15th, 2014
Cate: イコライザー, 純度

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その2)

日本では、昔から、余計なことをするな、余分なものを加えるな、というのが、
オーディオにおけるピュアリストアプローチだったような気がする。

たとえばアナログディスクの製作過程においても、
マスターテープのままカッティングしろ、というのが以前からある。
カッティング時に音をいじるのはけしからん、というやつである。

これはCDが登場してからも同じである。
何もいじらずにマスターテープのままCDにしろ、と主張する人たちがいる。

いまCDの規格(16ビット、44.1kHz)よりもハイビット、ハイサンプリングのソースが増えはじめている。
ハイレゾと呼ばれている。
ここでも、せっかくの器の大きな規格なのだから、
その良さを最大限に活かすためにも何もいじるな、という人たちが表れている。

そういう人たちからすれば、アナログ録音のものをアナログディスクにする際に、
デジタルリマスターするなど、もってのほかとなる。

CDが登場してから、CD化のためにデジタルリマスターが行なわれるものがあった。
そのデジタルリマスターをアナログディスクのマスターとして使ったレコードが出ていた。
CBSソニーから出ていたブルーノ・ワルターえコロムビア交響楽団がそうだった。

頭だけで考えれば、アナログ録音をアナログディスクで供給するのに、
途中でデジタル処理(デジタル機器)を通すのは、音を悪くするだけのことにしか思えない。

それでも買って聴いてみた。

Date: 10月 15th, 2014
Cate: イコライザー, 純度

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その1)

ステレオサウンド 74号の拍子はチェロのAudio Paletteである。
プロトタイプの撮影だった。
74号には、チェロを興したマーク・レヴィンソンのインタヴュー記事が載っている。

レヴィンソンはMLAS(マークレビンソン)時代のアプローチ、
つまりモノーラル構成のコントロールアンプで、入力セレクターとレベルコントロールだけのML6、
消費電力が片チャンネルで400Wながら出力25WのAクラス・パワーアンプのML2を、
非常にピュアリストのオーディオマニアのための製品、と呼んでいる。

確かにそうだった。
これらのアンプに憧れた時期が私にもあった。
そして、これがピュアリストのオーディオマニアのためのモノだと思い込んでいた。

けれど、Audio Paletteは6バンドのイコライザーである。
Audio Paletteがなくとも音は再生できる。
いわばピュアリストのオーディオマニアからみれば、非常に高価な不要物ということになる。

けれどレヴィンソンは「ピュアリストアプローチを忘れたわけではない」ともいっている。

ML6、ML2を開発したのもピュアリストアプローチからであって、
Audio Paletteを開発したのもAudio Paletteからである。

矛盾ではないか、詭弁ではないか、と思われるかもしれない。
だがピュアリストアプローチとは、いったいどういうことなのか。