Archive for category オーディオ評論

Date: 1月 29th, 2019
Cate: オーディオ評論
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「新しいオーディオ評論」(評論の立ち位置)

オーディオに関係する評論家には、
軸足をどちらにおいているかで、オーディオ評論家と呼ぶか、
オーディオ・ヴィジュアル(もしくはホームシアター)評論家と呼ぶかが決る。

ホームシアターを積極的に取り組まれていても、
山中先生、朝沼氏は、私にとってはオーディオ評論家である。

オーディオ評論家(職能家)、オーディオ評論家(商売屋)と、
このブログで書いていても、どちらにしてもオーディオ評論家と認識のことである。

その人は、その意味ではオーディオ評論家ではない。
どの人なのかは、あえて書かない。

それでも昨晩の川崎先生のfacebookを読んだ人ならば、
伏せ字とはいえ、誰なのかはすぐにわかろう。

川崎先生の投稿からは、川崎先生の強い怒りが感じられる。

その人(ホームシアター評論家と呼ぶべきか、違う呼称もあるけれど)は、
この業界ではもっとも力がある人といえる。

オーディオショウに行ってみればわかる。
国産メーカーの人たちの、その人に対する態度を見ていれば、わかる。

それだけの影響力がある、とメーカー側は見ているのだろう。
その影響力に関しては、長岡鉄男氏と同じくらいではないか、とすら思えてくる。

その人が書いたものは、ずっと以前は仕事柄読んでいた。
いまはまったく読んでいない。

それでもひとつ感じることがある。
その人には、熱心な読み手がいるのだろうか、ということだ。

私は長岡鉄男氏に対して否定的な立場である。
それでも長岡鉄男氏には、熱心な読み手がいたことはわかっている。

長岡ファン、長岡教の信者とはいわれるほどの熱心な読み手がいた。
そういう人たちがいるから、いまでも長岡鉄男氏の本が出版されている。

長岡鉄男氏だけではない、
私自身、瀬川先生、岩崎先生、五味先生、菅野先生の熱心な読み手である。

その人には、熱心な読み手はいないように、私は感じている。
熱心な読み手がついていないのに、影響力があると業界はみているのか。

評論の立ち位置を、その人は変えてしまったのか。

Date: 1月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その4)

二時間ほど前に「「新しいオーディオ評論」(バランサーであること)」を書いた。
ルールブレイカーとバランサーでしることは、私のなかでは矛盾しない。

むしろルールブレイカーでなければバランサーたりえない。

Date: 1月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(バランサーであること)

「ピュアオーディオという表現(バラストなのか)」で、
アキュフェーズの創業者、春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」から、
ピュアオーディオについて書かれているところを引用した。

もう一度引用しておく。
     *
 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。

 純粋オーディオも、人類にとって大切なオーディオ文化を守る重要なバラストの役目をしているのではないだろうか。
     *
その時、オーディオはバラストといえる、と書いた。
いまもそう思っている。

そして、オーディオ評論家はバランサーである、とも思うようになった。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その19)

取材・試聴が大変だった号がよく売れ、
そうでない号はあまり売れないのであれば、話は違ってこよう。

けれど現実は必ずしもそうではない。
その17)で書いているように、
二冊のチューナー特集号の取材・試聴は大変だったはず。
けれど売れない。

チューナー特集号のころは、すでにFM放送がブームになっていた時期のはず。
それでも売れなかったのは、不思議な気もする。
ステレオサウンドの読者は、あまりチューナーに関心がなかったのか。
そのくらいしか理由は思い浮かばない。

そのころの原田勲氏は、
株式会社ステレオサウンドの社長(経営者)であり、
季刊誌ステレオサウンドの編集長であった。

編集者としてやるだけのことはやった、と自負できる号が売れていれば、
社長としての原田勲と編集長としての原田勲は仲良くできただろうが、
現実はそうでもなかった。

雑誌は売れ残れば返本される。
前の号の売行きが芳しくないと、書店に置かれる数にも影響してくる。

それに返本された分に関しても、保管して置くためのスペースが要り、
それには費用も発生するし、売れなかった本とはいえ、それは資産として扱われる。

だから裁断処分されることになる。
これにも費用がかかる。

売行きは安定してほしい。
経営者は誰もがそう考えるはずだ。

そのためにどうするか。

ここまで書けば十分だろう。
つまりステレオサウンドを変えてしまったのは、
特集の内容によって買ったり買わなかったりしていた読者でもある。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その18)

原田勲氏から直接きいたはなしでは、
チューナーの特集号は芳しくなかった、ということと、
不思議なことにトーンアーム、カートリッジが表紙だと、
これもあまり売れない、ということだった。

例えばアンプを買い替えようと考えているオーディオマニアがいたとする。
そこにステレオサウンドの特集がアンプの総テストであったりすると、
そのオーディオマニアは、なんとタイミングがいい、と喜んで、
そのステレオサウンドを買うことだろう。

アンプの買い替えを考えているオーディオマニアに、
チューナーの特集号を渡しても、関心をもってもらえないこともあるだろう。

でも、ステレオサウンドのようなオーディオ雑誌の読み方は、そういうものではないはず。
そう思っていたからこそ、私は中学二年のころから、なんとか小遣いをやりくりしては毎号買っていた。

ステレオサウンドを読みはじめたばかりの中学生にとって、
43号のベストバイは、確かに面白い特集だった。
世の中には、こんなにも多くのスピーカー、アンプ、カートリッジ、プレーヤーがあるのか、
そのことを知ることができただけでも、43号のベストバイの価値はあった。

それに43号のベストバイのやり方は、これまででいちばん良かった。
結局、その後のベストバイは編集経験者からみれば、手抜きでしかない。

43号のあとは、44号、45号、46号と三号続けてのスピーカーの特集である。
ある意味、おなかいっぱいの特集である。
読み応えがあった。

スピーカーの買い替えなどまったく検討していなかった中学生であっても、
無関係な特集とは、まったく思わなかった。

アンプの買い替えを検討しているオーディオマニアで、
チューナーの特集号、スピーカーの特集号だったら買わない、というのは、
その人はステレオサウンドをお買い物ガイドとしかみていないわけだ。

そういう人にはベストバイの号はぴったりだし、
ベストバイの号が売れるのも理解できなくはない。

それでも、ステレオサウンドは、そういうオーディオ雑誌ではないはずだ、
と当時は思っていたが、現実は売行きが変動するわけで、
だからこそ、原田勲氏が、ステレオサウンドを弁当にたとえて、
幕の内弁当でなければ、というのは、株式会社ステレオサウンドの経営者としては、
当然の帰結なのだろう。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ベストバイとステレオサウンドのこと)

ベストバイの号しか買わない読者がいる、と書いているところだ。
私がいたころは確かにいた。

いまもそういう読者がいる(と確信している)。
ただ、昔と現在とでは、ベストバイの号しか買わないの意味あいに違いがあるのでは……、
そんなことも思っている。

ベストバイ以外の号で、スピーカーやアンプの総テストをやったりする。
常に総テストなわけではなく、それ以外にも特集の企画を考えて編集する。

読者のなかには、手っ取り早く結果だけを知りたい、とうい人がいる。
ここでの結果とは、結局のところが、どれがイチバンいいのか、ということだ。

ここでのイチバンいい、ということは、世評が一番いいのはどれか、という意味う多分に含んでいる。
総テストの試聴記を丹念に読むのは面倒。
ベストバイの点数の一番多いのが、イチバンいいスピーカーだったり、アンプなのだろう。

そういう考え、受け止め方をする読者が、昔はベストバイの号だけを買っていた。
いまもベストバイの号だけしか買わないという読者の多くは、こういう人たちかもしれない。

けれど、私のように昔のステレオサウンドは熱心に読んできた──、
そういう人たちが、いまはベストバイの号しか買わない読者になってきているような気もしてくる。

ステレオサウンドがつまらなくなった──、
そうおもっている人たちの多くは、何もいわない。
私のようにブログで書くような人は少ない。
編集部に直接何かをいう人も少ない。

そういう多くの人たちは、黙っている。
そしてステレオサウンドをいつのまにか買わなくなっている。

それでもまったく買わない、
オーディオ雑誌をまったく買わない、というのは、ちょっと寂しい。
何か読みたい、とか、今年一年どんな製品が出たのか、
それらを俯瞰的に把握だけしておきたい──、
そういう人にとっては、
以前ステレオサウンドが出していたHI-FI STEREO GUIDEがぴったりなのだが、
こんなに手間のかかる本は、いまのステレオサウンドは出してくれそうにない。

HI-FI STEREO GUIDE的な号としてのベストバイの号だけは買っておこう──、
そういう人がいてもふしぎではない。

つまり一年四冊の(現在の)ステレオサウンドは要らない、
ベストバイの号(グランプリもやっている)だけで事足りる──、
そういう考え、受け止め方をしている読者が、現在のベストバイの号だけを買っている──、
私の憶測である。
けれどそんなに的外れではないはずだ。

Date: 12月 16th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その17)

いまは冬号がそうだが、以前は夏号がベストバイの特集号だった。
冬号でも夏号でも、どちらでもいいのだが、
その当時でもベストバイの特集号は売れていた。

買わないという読者がいたにも関らず売れていた。
つまりベストバイの特集号だけ買う人が大勢いるということである。

ステレオサウンドにいたとき、編集部の先輩が話してくれたことがある。
ベストバイを始めた理由について、である。

ベストバイの最初は35号(1975年夏)である。
ベストバイの原形といえるいえる特集は、
さらに一年前の31号の「オーディオ機器の魅力をさぐる」といえる。

ベストバイもそうだが、31号の特集も試聴取材はない。
つまりスピーカーやアンプの総テストは編集部の体力的負担がけっこう大きい。
総テストばかりをやっていると、編集者の体力がもたない、
編集者を肉体的に休ませようということで生れたのが、ベストバイという企画ということだった。

こればかりが理由のすべてではないだろうが、なるほどなぁ、と納得したものだった。
別の時にきいた話では、チューナー特集の号は売れなかったそうだ。
24号(1972年秋)、32号(1974年秋)の二冊である。

この二冊を読めば、試聴・取材がどれだけ大変だったかは、
ステレオサウンドの編集経験者であれば容易に想像できよう。

大変だったからといって、その苦労が売行きとして報われるとは限らない。
その反対で、編集者の苦労は少なくとも、ベストバイの特集号は売れるわけだ。

ベストバイが定番の特集企画となったことに納得しながらも、同時に疑問もあった。
41号からステレオサウンドを買いはじめた私は、一号も欠かすことなく買った。
特集がなんであれ、ステレオサウンドは毎号買おうと決めていたし、
中学、高校時代は小遣いをなんとかやりくりしながら、買っていた。

そんな私には、特集記事によって買ったり買わなかったりする読者の存在が理解できなかった。
それでも、これが現実であり、年に四冊しか出ないステレオサウンドでも、号によって売行きが変動する。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その16)

ステレオサウンドにいたころ、オーディオ業界関係者、
それから訳知り顔のオーディオマニアからよくいわれていたことがある。
「ステレオサウンドは、あれだけ広告が入っているから、一冊も売れなくても黒字なんでしょ」と。

いまでも数年に一度くらい、同じことを聞くことがある。
こんなことをいってくる人は、楽な商売していますね──、
そんなことをいいたいようだった。

巻末の広告索引のページをみれば、どれだけの広告が載っているのかわかる。
十年前、二十年前のステレオサウンドと比較してみると、
広告量のどんなふうに変化していったのかもすぐにわかる。

確かに減っている。
それでも他のオーディオ雑誌の広告索引と見較べると、
ステレオサウンドはダントツに多いのはひと目でわかる。

本が売れなくても、広告だけで黒字。
広告料がどのくらいなのかは調べればすぐにわかるから計算してみれば、
一号あたりの広告収入のおおよその目安はつく。

でも、そんなことを計算したところで、実際のところ、
本が一冊も売れなかったら、広告は入らなくなる。

ある程度の部数売れているから広告も入るのである。
こんな当り前のことをいまさらながら書いているのは、
雑誌にとって、ある一定以上の読者数は絶対的に必要である。

いま書店には冬号が並んでいる。
冬号とは、つまりステレオサウンドグランプリとベストバイの特集号であり、
賞の特集号である。

この冬号だけ特別定価でいつもより高い。
冬号は売れる。

売れるけれど、冬号だけは買わない、という読者が昔はいた。
いまはどうなのだろうか。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その3)

カルメンも、ルールブレイカーだといまさらながら気づく。
ルールブレイカーであるカルメンは、自らのルールを持っている。

Date: 12月 13th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その15)

ステレオサウンドは1966年創刊だから52年である。
創刊号を手にとった人は、若い人ならば60代半ばぐらいからいるだろうし、
70代、もっと上の人もいる。

創刊号を小学生の時から読んでいたという人がいるのどうかはわからないが、
私の知る範囲でも、創刊号ではないけれど、
小学五、六年のときにステレオサウンドの読者になった、とうい人は数人いる。

創刊号からずっと読んでいる人もいれば、途中でやめた人もいる。
私のように途中から、という人がもっとも多いだろうし、
その途中からずっと読みつづけている人、途中でやめた人がいる。

もっとも長い人は50年以上ステレオサウンドを読んでいる。
そこまでではないにしろ、20年、30年くらい読んでいる人はけっこういる。

私もずっと読みつづけていれば40年以上の読者となっている。

雑誌というものは、そのようにずっと読みつづけている読者もいれば、
いま書店に並んでいる209号が、最初のステレオサウンドという読者もいる。

創刊数年程度の雑誌なら、こういう問題はまだ先のことだが、
創刊されて数十年経つ雑誌では、難しい問題である。

最初の読者のレベルに合わせてしまえば、数十年読んできている人は満足しない。
後者を満足させるような記事ばかりでは、初めての読者はおいてけぼりになってしまう。
それだけでなく、それだけの内容の記事をつくることの難しさも生じる。

それでも読みつづける初めての読者ももちろんいるけれど、そう多くはない。
初心者は初心者向けの雑誌を読んでいればいい、というのは、いまでは通用しないし、
昔でも、正しい意見とは思わない。

私は初心者向けの雑誌とステレオサウンドを同時に手にして読んできた。
初めての読者に媚びを売るような記事は必要ない、と思っている。

けれど、いまはステレオサウンドとどのオーディオ雑誌を併読すればいいのか。
そういう問題もある。

雑誌が抱える問題に対し、ステレオサウンドは既に答を出しているように感じる。
それが替えの利く読者の量産である。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その14)

2010年暮に、それまでの編集長だった小野寺弘滋氏がステレオサウンドを退社して、
オーディオ評論家となった。
ステレオサウンド専属ともいえるオーディオ評論家と、いまのところいっていいだろう。

現在の編集長の染谷一氏も、何年後か十年後くらいに同じ道を辿る、と私は確信している。
そして染谷一氏の次の編集長もまた同じだろう。

そうやってステレオサウンド編集長経験者をオーディオ評論家としていく。
編集長経験者なのだから、編集部内では有能ということになる。

①なのか②なのかは、それぞれで判断してほしい。
それでも私は①だとは思っていない。

すでにステレオサウンド編集部も、替えの利く人たちだけでかためた方が、
組織として維持存在できる。
①替えの利かない〝有能〟な編集者よりも、
替えの利く編集者の方が使いやすい。

その替えの利く編集者の中で比較的有能な人が編集長となって、
いずれオーディオ評論家となる。
そのための道筋として恒例のステレオサウンドグランプリがある。

ステレオサウンド 49号から始まった賞(この時はSTATE OF THE ART賞だった)。
その後、名称を二度変更していまに到る。

替えの利く人材と賞をうまく組み合わせたものだ、と感心する。
経営者として、これは正しいとはいわないけれど、
決して間違っていない選択と実行なのだろう。

ステレオサウンドという会社も、創刊当時よりもずっと人も多く、大きくなっている。
私がいたころよりも人は多くなっているはずだ。

替えの利かない〝有能〟な人が現れるのは、
期待してどうにかなることではない。
株式会社ステレオサウンドを存在させていくためには、そんなことを期待するのではなく、
必要なやり方をとっていくしかないのだろう。

けれど、そうして替えの利くオーディオ評論家と編集者ばかりになってしまった。
そればかりではない、と私は見ている。
替えの利くの作り手側だけでなく、受け手側もそうなってしまったのではないか。

替えの利く読者。
これを量産していくことが、組織の維持存続にはもっとも有効なのではないか。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その13)

組織を長く維持存続していくには、②替えの利く〝有能〟が、
一番重要であるということは理解できる。

①替えの利かない〝有能〟は、いつかその組織を離れていく。
独立するかもしれないし、この世からいなくなるのかもしれない。
②よりも①のほうが離職率は高いであろう。

そして、ここでいう組織とは会社だけではなく、その業界も含まれている。
つまり株式会社ステレオサウンドとともに、オーディオ業界も含めての組織である。

菅野先生が10月13日に亡くなられた。
少なくともオーディオのジャーナリズム業界に①の人はいなくなった。
残っている人はすべて②か④替えの利く〝無能〟、
つまりどちらも替えの利く人たちばかりだ。

いまのオーディオ評論家を名乗っている人たちのなかに、
①といえる人がいるとは到底思えない。

こんなことを書くと、いや、○○さんはそうではない、と、
個人名を挙げて反論する人がいるかもしれない。
一人か二人は、○○さんである。

ここで具体的に個人名は出さないけれど、
その人であっても、私には②か④であり、替えの利く人である。

それが悪いとはまではいわない。
ステレオサウンド(というより原田勲氏)が求めたことであり、
それに応えた結果であるのだから、いま、オーディオ業界でメシを喰えているのだから。

つまりオーディオ評論家(商売屋)である。
そしてステレオサウンドは、
さらに替えの利くオーディオ評論家を量産しようとしている、と私には見える。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その12)

三ヵ月ほど前に「左ききのエレン」というマンガについて書いた。
毎週土曜に公開される。
このあいだの土曜日に56話が公開になった。

そこにこんなページがある。
あるデザイン事務所で、先輩が後輩に説教する。
サラリーマンには4種類いる、と。
 ①替えの利かない〝有能〟
 ②替えの利く〝有能〟
 ③替えの利かない〝無能〟
 ④替えの利く〝無能〟

この中で、会社に一番必要な人材はどれか、と後輩に質問する。
答は②の替えの利く〝有能〟である。

「左ききのエレン」はマンガだから、
①〜④には、それぞれイラストが付いている(すべてスターウォーズのキャラクター)。
①はダースベイダー、②と④はストームトルーパー(②は武器を所有している)、
③はC3POである。

つまり②は④の上位互換で、④を②のレベルまで育ててくれる、ともある。
②は量産できるというわけだ。

私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドは、
①替えの利かない〝有能〟な書き手たちがいた。

五味先生がまずそうだった。
岩崎先生、瀬川先生、菅野先生、井上先生、
他にも私が先生とつけて呼ぶ人たちがいた。

①替えの利かない〝有能〟な人たちだったから、その喪失感も大きい。
岩崎先生が亡くなり、五味先生、瀬川先生──と続いた。

この時、ステレオサウンドの原田勲氏は何を考えたのか。
替えの利かない〝有能〟な人たちに依存していたら、先はない、ということではないのか。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その11)

ステレオサウンド 209号が出た。

私が編集長だったら、209号の特集は菅野先生のことにする。
けれど、現実は違うわけで、209号の特集は恒例のグランプリとベストバイである。

毎年暮の恒例の、これらの企画。
今回だけは3月発売の210号にまわしてもいいだろうに……、と思うし、
読者の多くは納得する、とも思う。

そういう決断はできないのか。
できないことはわかっていた。
考えもしなかったのだろう。
だから、特に驚きもなかった。

けれど、編集後記は少しばかり驚いた。
編集者全員、そうだ、と思っていたからだ。

瀬川先生の時、61号の編集後記はそうだった。
編集者全員が、瀬川先生へのおもいを綴っていた。

209号の編集後記は違っていた。
書いている人もいた。けれど全員ではなかった。

これも思い入れなさゆえなのか。

菅野先生は2010年ぐらいから書かれていない。
そのあとに入社してきた編集者は、菅野先生と仕事をする機会はなかったのはわかっている。
それでもステレオサウンド編集部にいるということは、
そこにいたるまでに菅野先生の文章をまったく読んでいない、ということがあるのか。

私には考えられないことだが、あるのかもしれない。
そういう人たちにとって、思い入れはなくても仕方ない。

思い入れ──。
いまのステレオサウンドに期待するのは、もう無理なのか、
すること自体無駄なことになるのか。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その10)

音元出版は、PHILE WEBを、いわゆるウェブマガジンとして創刊したのではないだろうか。
だからこそ音元WEBでもなく、オーディオアクセサリーWEBでもないわけだ。

Stereo Sound ONLINEは、株式会社ステレオサウンドのウェブサイトとして公開されたのではないのか。
公開後、試行錯誤しながら、現在の形になっている。

スタートがそもそも違っている、と私は捉えている。

Stereo Sound ONLINEを見ていると、
そして季刊誌ステレオサウンドを見ていると、
ステレオサウンド編集部は、株式会社ステレオサウンドから独立すべきではないか、と思う。

そして株式会社ステレオサウンドは会社名を変更してほしい。
そのうえで季刊誌ステレオサウンドの発売元になればいい、と思う。

Stereo Sound ONLINEのグラビアアイドルの記事を見ていると、
この記事(記事といえるのか)を担当した人は、
ステレオサウンドという名称に、まったく思い入れがないのだろう。
そう感じてしまう。

このブログで、ステレオサウンドに批判的なことを書いている。
それでも、ある時期までは、熱心な読者だった。
それゆえにステレオサウンドという名称にも思い入れはある。

私だけではないはずだ。
ある世代までは、ステレオサウンドを熱心に読んでいた時期がある。
そういう人たちは、少なからず、ステレオサウンドという名称に思い入れがある。
私は、そう信じている。

そんな思い入れをもっているオーディオマニアにとって、
今回のような記事は、その思い入れを無視されたかのように感じているのではないのか。

それにしても季刊誌ステレオサウンド編集部の人たちは、
今回のグラビアアイドルの記事が、Stereo Sound ONLINEに載ることをなんとも思わないのか。

思わないとしたら、彼らもまたステレオサウンドという名称になんら思い入れがないことになる。
それとも、何かを感じているのか。