Archive for category オーディオ評論

Date: 12月 17th, 2019
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その19)

ステレオサウンド 50号といえば、1979年春号。
もう40年前のステレオサウンドということになる。

50号を記念しての巻頭座談会、
この最後に出てくる瀬川先生の発言は、別項でも引用している。
     *
瀬川 「ステレオサウンド」のこの十三年の歩みの、いわば評価ということで、プラス面ではいまお二方がおっしゃったことに、ぼくはほとんどつけたすことはないと思うんです。ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
 それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
 オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
41号から読みはじめた私にとって、50号はちょうど10冊目のステレオサウンドにあたる。
二年半読んできて、熱っぽく読んでいた時期でもある。

だから瀬川先生の《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》に、
完全に同意できなかったことを憶えている。

《熱っぽく読んでもらう》とは、どういうことなのか。
なぜ、それまでのステレオサウンドを、読者は《熱っぽく読んで》いたのか。

いくつかの理由らしきことが考えられる。
その一つとして、不器用ゆえの熱があったからだ、と、いまは思っている。

Date: 11月 5th, 2019
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その3)

昨晩はAさんと秋葉原にいた。
万世橋の肉の万世の五階で食事をしていた。

窓際の席だったから、秋葉原がよく見える。
Aさんはハタチ前後のころ、秋葉原の光陽電気でアルバイトしていた人だから、
そのころの秋葉原をよく知っている。

私もそのころは秋葉原に足繁く通っていた。

いま秋葉原は街全体の雰囲気が、
ラジオの街からオーディオの街に変り、
そこからパソコンの街、いまではすっかり様変りしている。

それだけでなく、ビルも建て替えられている。
ヤマギワ本店もとっくになくなり、新しいビルが建っている。
石丸電気本店のところもそうだ。

Aさんと二人で、あのころは石丸電気のレコード専門店があって……、
という話をしていた。

ポイントカードなんてなかった時代だ。
石丸電気はポイント券を配っていた。

肉の万世を出て、交叉点のあたりで、また石丸電気のレコード店の話になった。
1981年の12月、この石丸電気の雑誌コーナーで、レコード芸術の1月号を手にした。

石丸電気は、一般の書店よりも音楽、オーディオ関係の雑誌は早く発売されていた。
レコード芸術を手にとって、衝撃を受けたことは、以前に書いている。

瀬川先生が亡くなったことを、当時、新聞をとっていなかった私は、
レコード芸術の記事で知った。
石丸電気で知った。

そのことを思い出しながら話していた。
11月7日が、今年もやってくる。

その2)で、瀬川冬樹賞があるべきではないか、と書いた。
いまもそう思っている。

Date: 9月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その4)

No.1のオーディオ雑誌とは、影響力の大きさで決るのか。
この影響力はわかりやすいようでいて、そうでない面もある。

それに影響力といっても、
それは読者に対しての影響力なのか、
クライアント(広告主)に対しての影響力なのか、ということもある。

もちろん読者に対しての影響力があれば、
それだけクライアントに対しての影響力も大きいはず、ではある。

けれど、それぞれのオーディオ雑誌の読者層は同じなわけではない。

以前、別項「598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その3)」で、
1980年代のオーディオ評論家の、国産メーカーによるランク付け的なことを書いている。

熊本市内のオーディオ店の店主が言っていたことなのだが、
オーディオ評論家でSクラスは長岡鉄男氏ひとり、
Aクラスが菅野沖彦氏と瀬川冬樹氏のふたり、
他の人たちはBクラス、Cクラスにランクされている、ということだった。

このランクづけを行っているのは、そのオーディオ店店主ではなく、
オーディオ業界、もっといえば国内メーカーということだった。
さらにいえば、おそらく営業関係者によるランクづけであろう。

つまり、この時代、国産のオーディオメーカー、
それも598のスピーカーシステムを売っているメーカーにとって、
長岡鉄男氏の存在は大きかったし、
長岡鉄男氏の影響力、
つまり598のスピーカーシステムを買う層に対しての影響力は、
他のオーディオ評論家よりもそうとうに大きかったわけである。

ならば、それだけ影響力のある長岡鉄男氏をメインの書き手として、
必ず毎号、長岡鉄男氏の記事が載っているオーディオ雑誌が、
影響力が大きいといえるかというと、そうとは言い切れない。

Date: 9月 15th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その3)

No.1のオーディオ雑誌とは、いったいどういうものなのか。

発行部数(売上げ)が一番のオーディオ雑誌がNo.1なのか。
収益がNo.1なのが、そうなのか。

広告の量がもっとも多いのがNo.1という見方もできる。

変ったところでは、編集者の学歴(偏差値)の高さというものもできなくはない。
ステレオサウンドにいたころ、
オーディオ専門の広告代理店にKさんがいた。

私より年上だが、ほんとうにオーディオ好きな人で、
なんだかんだいってよくオーディオの話をすることがあった。

Kさんは広告代理店の人だから、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の会社にも行く。
編集者が、どういう人なのかもわかっている人だった。

そのKさんが、ある日、こんなことを言っていた。
オーディオ雑誌を出版している会社のなかでは、
音楽之友社が学歴は一番だよ、と。

Kさんによると、最低でも○○大(有名私大)だし、
○大(旧帝大)卒もあたりまえのようにいる、とのことだった。

音楽之友社と比べると、ステレオサウンドは……、と二人で笑ったことがある。
現在の音楽之友社がそうなのか、それは知らないが、
1980年代は、そうだ、と聞いている。

こういう尺度でみれば、音楽之友社のステレオがNo.1という見方もできよう。

なにをもってNo.1なのか。
誰もが納得するNo.1とは、どういうものなのか。

そして、腐っても鯛は、オーディオ雑誌にもいえることなのか。

Date: 9月 1st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その2)

ステレオが変ってきた(良くなってきた)ことについては、
前々から書こうと思っていた。

ただ、良くなってきた、と書くだけで終ってしまいそうだったし、
一冊も買わずに、良くなってきた、と書いてもなぁ……、という気持もあった。

今回、こういうタイトルで書こう、と思ったのには、
別のきっかけもある。
昨年のことである。

あるオーディオ関係者からきいた話である。

どの会社なのか、社名を出すべきどうかちょっと迷うところもある。
直接きいたことではない、ということもある。
それでも二人のオーディオ関係者からきいたことなので、事実なのだろう。

あるオーディオ関係の出版社の社長が、
「ステレオサウンドを追い抜いた」といわれた、ということだ。

ここでのステレオサウンドが、季刊誌ステレオサウンドを指しているのか、
それとも株式会社ステレオサウンドのことなのか、
二つまとめてのことなのか、そこははっきりとはしない。

それでも「ステレオサウンドを追い抜いた」という発言は、
オーディオ雑誌のNo.1はわれわれだ、ということだろうし、
オーディオ関係の出版社のNo.1はわれわれだ、ということでもあろうか。

私がオーディオ雑誌を読みはじめた1976年、
オーディオ雑誌のNo.1はステレオサウンドだった。
はっきりと、そのことはいえた。

発行部数がどれだけとか、そういうことではなくて、
オーディオ雑誌のNo.1はステレオサウンドだった。

それはずっと続いていいくものだと思ってもいた。

Date: 9月 1st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その1)

昨日、ひさしぶりにステレオ 9月号を買って読んでいた。
ステレオを買うのは、高校生以来だから、ほぼ40年ぶりである。

もちろんステレオサウンドにいたころは毎号読んでいたし、
いまも、書店で表紙を眺めて、面白そうな企画をやってそうだな、と感じたら、
手にとってパラパラめくることはあった。

買ってもいいかな、と思うことは何度かあった。
そう思うようになってきたのは、ここ数年のことで、
ステレオは一時期よりもずいぶん変ってきた(よくなってきた)ように感じている。

9月号の特集は、江川三郎発見伝である。
この特集を読みたくて、ステレオ 9月号を買った。

ステレオは一年前の8月号の特集で、長岡鉄男氏をとりあげている。
長岡鉄男氏とステレオの発行元である音楽之友社との関係からすれば、
ステレオが長岡鉄男氏の特集をやるのは、すんなりわかるけれど、
今回は江川三郎氏である。

江川三郎氏も、ステレオの筆者の一人だった。
それでも特集で、江川三郎氏ということは、広告にまったく結びつかなくなる。

「江川三郎発見伝」が特集ということで、広告を出したところはないはずだ。
それでもステレオは、「江川三郎発見伝」を特集として、そこそこのページ数を割いている。

同じことは、ステレオ時代がそうだ。
昨年、中島平太郎氏の特集を二号続けてやっている。

この特集にしても、広告にはまったく結びつかない。
それでも二号続けてやっている。

ステレオ 9月号の広告は、
オーディオメーカー、輸入元が14、オーディオ店が2、
これだけである。

広告があまり入っていないから、そういう特集がやれる、
そんなことをいう人がいるのかどうかはわからないが、
広告があまり入っていないからこそ、広告目当ての記事をつくることだって、
十分考えられる。

Date: 5月 12th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その8)

測定データは、どこまでいっても解説だ、と私は考えている。
つまり測定データが解釈になることはない、とも考えているわけだ。

オーディオ評論とは解説ではなく、解釈のはずだ、本来は。
ところが現実には解説どまりの、名ばかりのオーディオ評論が多い。

解説はオーディオ評論家の仕事ではないのか、と問われれば、
仕事の一つではある、と答える。

技術は進歩している。
新しい素材や素子が登場してくる。
回路もそうだ。

メーカーは、今回の新技術は……、と謳ってくる。
それは、いったいどういう新技術なのか、新素材なのか、
また、メーカーの謳い文句ははどの程度事実なのかどうか、
それを解説するのもオーディオ評論家の仕事の一つといえば、そうだ。

けれどオーディオ評論家のすべての人たちが解説者である必要はない、とも思っている。
解説者は別にいたほうがいい。

ここで名前を出すべきか迷うところだが、
無線と実験を中心に執筆されている柴崎功氏のことを、
私はオーディオ解説者として捉えている。

私が無線と実験を読み始めた1977年ごろから、
柴崎功氏はメーカーの技術者から、カタログに載っていないことを聞き出しては、
記事を書かれていた。

よくここまで調べられているな、と感心するだけでなく、勉強にもなった。
生意気なことをいうようだけれど、中学生のころから、
柴崎功氏の音の評価については、まったく関心がなかった。

そのころはあまりオーディオ評論家的活動はあまりされていなかった、と記憶している。
いまは無線と実験ではオーディオ評論家の一人である。

無線と実験の巻頭カラーは新製品紹介のページである。
技術解説のページがあり、二人の筆者による試聴記がある。

技術解説のところを、私はすべて柴崎功氏が担当してくれれば、と思う。
現実にはそうはいかなくて、他の方も担当されている。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その7)

K+HのO500Cは、きわめて優秀なだけに留まらぬ魅力ある音を聴かせてくれるかもしれない。
そうだとしたら、私は聴き終ってどう思うだろうか。

測定データの優秀さを、そこで思い出すのかどうか、である。

(その5)へのコメントがfacebookにあった。
そこには、測定データをみていろいろ考えて、
その上でそのことを思わなくなるような音が聴ける、というの素晴らしいことだと思う、とあった。

このコメントがなくても、K+HのO500Cについて書くつもりだった。
O500Cの測定データを見て、当時、私はいろいろ考えていた。
O500Cは聴いていないからこそ、
このコメントはそうなんだよなぁ、とひとりで頷いてもいた。

コメントには、続けて、
素晴らしい音を聴いたあとで測定データをみて、
こんなだったのか、と思うのもまた楽しい、とあった。

これもそのとおりである。

ステレオサウンドは、以前スピーカーもアンプもアナログプレーヤー、カートリッジも測定をやっていた。
長島先生が、他ではやっていない測定方法を考え出しての測定もあった。

それらの測定データをみて、いろいろ考えるのも楽しい。
新技術を採用したモデルの場合だと、いろいろ考える楽しさはさらに増す。

そうなのである。
私の場合、測定データは、いろいろ考えるためにある。
音を判断するためにあるわけではない。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その6)

別項「BBCモニター考(余談・K+Hのこと)」で、
K+HのモニタースピーカーO500Cのことを書いている。

O500Cは残念ながら数年前に製造中止になっているし、
どうも日本には輸入されていないようである。
聴く機会は、おそらくないであろうが、いまでも聴いてみたいスピーカーであるし、
O500Cの後継機をK+Hが出してくれることを期待もしている。

O500Cは、素っ気ない外観のスピーカーシステムである。
写真を見ただけでは、聴いてみたいと思うようなスピーカーではない。

でもO500Cの測定データを、
O500Cが開発された時点で、ここまでの性能をスピーカーで実現していたのか、
と驚くしかない。

どこに驚いたかは、「BBCモニター考(余談・K+Hのこと)」で書いているので、
そちらをお読みいただきたいが、
測定データを見て、ぜひ聴いてみたい、と思ったオーディオ機器はほとんどない。

ここ20年では、O500Cぐらいしか思い浮ばない。
そのくらいO500Cの性能はきわめて優秀である。

オーディオマニアとしては、モノとしての魅力は乏しく感じられるO500Cだが、
測定データを見れば、少なからぬ人が一度聴いてみたい、と思うのではないのか。

このO500Cを聴く機会が訪れた、としよう。
その時、どう思うだろうか。

どんな音がするのか、想像できないところがある。
きわめて優秀な音ではあるはずだ。
外観と同じような素っ気ない音なのかもしれないし、
K+Hのスピーカーといえば、ステレオサウンド 46号の特集で、
瀬川先生がOL10の音について、
《ブラームスのベルリン・フィル、ドヴォルザークNo.8のチェロ・フィル、ラヴェルのコンセルヴァトワル、バッハのザルツブルク……これらのオーケストラの固有のハーモニィと音色と特徴を、それぞれにほどよく鳴らし分ける。この意味では今回聴いた17機種中の白眉といえるかしれない》
と書かれているし、
47号では、《ほとんど完璧に近いバランス》とまで書かれている。

そういうスピーカーだから、つまらない音のスピーカーであるはずがない、とも思っている。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その5)

メリディアンのULTRA DACを2018年9月にはじめて聴いて、
特に通常のCD再生時のDSPによるフィルターの切り替え、
それによる音の変化は、さまざまな録音を聴く音楽好きにとっては有用な機能と感じるとともに、
short、medium、longの三つのフィルターは測定してみると、
いったいどういう特性なのか──、
そのことに関心がわいた。

昨年12月に検索してみると、
海外のオーディオ雑誌のサイトにULTRA DACの測定データが公開されていた。
見つけた時は、おっ、と思ったし、日本とは違うな、とも思っていた。

フィルターの切り替えで特性がどう変化するのかが、おおよそわかった。
けれど、だからといって、その測定データを見て、
聴きなれたディスクを鳴らす際、どのフィルターを選択したらいいのか、
それが聴く前にわかるわけではない。

正直、まったく役に立たない。
結局、short、medium、long、三つの音を聴いて選ぶしかない。

測定データを見たあとでもULTRA DACは聴いている。
フィルターの切り替えもやっている。
その時に、私の頭のなかには、測定データのことはまったくなかった。
フィルターによる音の違いを聴いているときも、測定データのことなんかすっかり忘れていた。

たとえばshortフィルターの音を聴いているときに、
ああいう特性のshortフィルターだから、こういう音になるんだなぁ……、
なんてことは微塵もなかった。

ほとんどの人がそうなのではないだろうか。
測定データが音の何を語ってくれるというのか。

日本のオーディオ雑誌には測定がない──、と不満をいう。
けれど、この時代、インターネットで海外のオーディオ雑誌のサイトもすぐに見ることができる。
そこには測定データがあったりする。

それを見ればいいじゃないか、と思う。

なにも測定する必要がないとはまったく思っていない。
MQA再生時におけるノイズがいったいどうなのか、
どこか測定してくれないか、と思っている。

DSD、MQA、それからWAV、FLACなど、
それぞれの再生時にノイズはいったいどのくらいの量で、どういう分布をしているのか。
いま一番知りたいことである。

それでも、どこかが測定してくれた、としよう。
その結果を見たとしても、そうなのかと納得したとしても、
次の機会に音を聴いた時にはすっかり忘れている。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4のコメントを読んで)

(その4)にfacebookでコメントがあった。
(その4)で、私は「すくっと立ち上って」と書いた。

正しくは「すっくと立ち上って」という指摘だった。
確かにそうである。

ずいぶん前になるが、どこが「すっくと」と「すくっと」について書かれいてることを読んでいる。
勘違いしていた、とその時思ったことを、指摘を受けて思い出した。

思い出した、ということは、いままで忘れていたわけで、
だから「すくっと立ち上って」と書いてしまっていたわけだ。

指摘してくださった方も書かれていたが、
擬態語なので、意図的に使っているのであれば誤用とまではいえない、ともあった。

ここまで読んで、もしかすると、と思い出したことがある。
「すっくと」と「すくっと」としてしまうのは、
おそらく小学生だったころに読んでいたマンガの影響かもしれない。

マンガには吹き出しのなかのセリフの他に、
効果音を文字で表現している。
マンガで立ち上る動作に「すくっと」もしくは「スクッと」といった表現が使われていた──、
のかもしれない。

それでいつのまにか「すくっと」と思い込んでしまっていた。
それに「すっくと」が正しいと知った時、
なんとなくしっくりこない、とも感じていたのも、
マンガの影響下にずっとあったためかもしれない。

といっても、どんなマンガなのかもはっきりと思い出せないのだから、
マンガの影響と思い込んでいるのだけかもしれない。

どちらにしても、私の感覚としては「すっくと」よりも「すくっと」がしっくりくる。
誤用といわれればそうである。

だから「すくっと」ではなく「すっと」にすればいいわけだが、
おそらく今後も、今日書いたことも忘れてしまって、
また「すくっと」と書いてしまう、と思っている。

最後に言い訳がましくつけ加えれば、
大辞林には、こうある。
     *
勢いよく立ち上がるさま。まっすぐ,すっと立つさま。すくっと。「—立ち上がる」
     *
「すくっと」はどうやら誤用とまではいえないのか。
今回の指摘によって、思い出したことがあった。
ありがたく感じている。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4)

海外ドラマが好きで、よく見ている。
医療関係のドラマも好きである。

アメリカのドラマを見ていて気づくのは、
患者が退院する際、必ず病院関係者玄関までが車椅子にのせられていく。

玄関から先ではすくっと立ち上って退院していく。
問題なく歩ける人がなぜ? と疑問に最初は感じていた。

これは病院の建物を出るまでに何かあったら、訴えられるからだと気づいた。
玄関までの通路で、何かが原因で足を滑らせて骨折したとかになったら、
アメリカのことだから、裁判に訴えられて多額の賠償金を支払うことにもなるからなのか。

そのへんの事情に詳しい人に確認したわけではないが、おそらくそうだと思う。
ひとつのドラマだけでそうなのではなく、いくつかのドラマでもそうなのだから。

訴訟大国といわれるアメリカなのだから、さもありなんだ。

もちろん裁判対策だけとはいわないが、
アメリカのオーディオ雑誌における測定は、
ずっと以前からすれば、訴訟されないためという意味あいが強くなってきているのではないのか。

日本でも、オーディオでの裁判、それ第三者からみてばかげた訴訟があった。
以前書いているように、あるオーディオ機器の重量が、カタログ発表値よりも少しだけ重かった。
そのことで輸入元を訴えた人がいる。

この件は、幸にして裁判官がオーディオに理解のあった人のようで、
オーディオ機器は重たい方がよいとされているのでしょう、といって終った、ときいている。

とにかく、アメリカのオーディオ雑誌の測定を、
客観性の担保ということだけで捉えるのは、
時代の変化を無視しすぎのような気さえする。

それにしてもいつの時代も、日本のオーディオ雑誌と海外のオーディオ雑誌を比較して、
なにかあるごとに「測定、測定」という人はいる。

しかし、もう少し考えてほしいのは、
海外のオーディオ雑誌に掲載されているのは、
オーディオ評論なのか、ということだ。
批評と評論を区別せずに、
海外のオーディオ雑誌とくらべて日本のオーディオ雑誌は……、と嘆くのは、
いつになったら変っていくのか。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その3)

facebookへのコメントは三人の方からあった。
二人目のかたは、「わかりやすさ」を求める読者へのサービスもあるのではないか──、
そう書いてあった。

わかりやすさについて、以前書いているし、
読者が求める「わかりやすさ」とは、答でもある。
けれど、私がオーディオ雑誌に、というか、
オーディオ評論に求めているのは、
そして、こうやって毎日書いているのは、
最終的な問いを求めて、である。

このことは別項「毎日書くということ(答えではなく……)」で書いている。

三人目のかたは、海外オーディオ雑誌は客観性を担保するために測定データを載せている──、
そんなことが某匿名掲示板にあったと書かれていた。
測定データがすべてとは思わないけれど、面白い話だと思った、とも。

このことはかなり以前からいわれているし、
なぜ日本のオーディオ雑誌は測定をやらない(やめたのか)にもつながっていく。

測定データは客観性を担保するのか。
客観性を担保するために、海外のオーディオ雑誌は測定をやるのか。

そうともいえるし、そうではないと考えることもできる。
特にアメリカの場合は、
客観性の担保というよりも、ある種の保険的意味あいが強いようにも考えることができる。
訴えられないために、である。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その2)

facebookでのコメントを読んでいて、続きを書く気になったので、
タイトルも少し変更している。

(その1)で、オーディオ評論家はサービス業なのか、と書いた。
facebookでのコメントには、誰にとってのサービス業なのか? とあった。

消費者に対してのサービス業なのか、それともオーディオメーカーや輸入元といったクライアント、
それともオーディオ雑誌の編集部に対してなのか、ともあった。

ステレオサウンド 210号の特集でも、五人のオーディオ評論家の写真が載っている。
Net Audioのvol.34の、私がサービス業なのか、と感じた人の写真とは、対照的である。

Net Audioはカラー、ステレオサウンドはモノクロという違い以上に、
ステレオサウンドの写真は、まったく楽しそうに見えないのだ。

試聴中の写真が楽しそうでなければならない──、とは思っていない。
たとえばアンプやスピーカーの総テストの場合だと、
楽しそうな顔しての試聴中の写真だと、真剣に聴いていないのでは……、と思わせてしまうだろうし、
総テストはけっこうしんどいものである。

けれど210号の特集は、総テストではない。
特集の前書きのところに
《お好みのスピーカーシステムを、制約を設けずに、思う存分鳴らしてもらうことにしたのである》
とある。

ならば、もっと楽しそう、嬉しそうな表情を見せてもいいではないか。
誰とはいわないが、どんよりした空気を漂わせている写真もある。

オーディオの楽しさが伝わってくる写真とはいえない。

Date: 4月 20th, 2019
Cate: オーディオ評論
2 msgs

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その1)

音元出版のNet Audioのvol.34を買った。
たまにはオーディオ雑誌を買って読みたくなる。

買ってからの帰り道、
音元出版のオーディオ雑誌を買うって、これが初めて? とふり返っていた。
買った記憶はない。

Net Audioのvol.34の内容についてはふれない。
書きたいのは、Net Audioのvol.34を眺めていて、
オーディオ評論家はサービス業なのか、と思ったからだ。

そう感じたのは、Net Audioのvol.34に登場されている人の写真を見て、である。

オーディオ評論家のやっていることに、
サービス業的な要素がまったくないとはいわないが、
それがあまりにもあからさまに視覚的に表れてしまうと、
いつからこんなふうになってしまったのか、とどうしても思う。

編集者が要求してのことなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
本人が意識してやっていることなのかそうでないのかもわからない。

けれど写真を見ていると、今日も改めて見直していたけれど、
やっぱりサービス業感が漂っている。