Date: 11月 25th, 2011
Cate: オーディオ評論
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オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(批評と評論・その4)

ステレオサウンドの古いバックナンバーを読み返せば、
瀬川先生がカセットデッキの試聴をされていたり、カセットデッキについてなにかを書かれている記事が、
ほかの評論家の方々に比べて少ないことに気づかれるだろう。

FM fanに「オーディオあとらんだむ」という連載をされていた。
そのなかで、「本当に性能の向上したカセット」というタイトルで2回記事を書かれている。
こんな出だしではじまる。
     *
別冊FM fanの26号で、カセットデッキのテスト・レポートを担当したところ、本ができてから、ずいぶんいろいろの人たちに、不思議な顔をされた。ひと言でいえば、この私が、カセットに、本当に興味を持っているのだろうか、というのである。
少し前までは、たしかに、私は「カセットぎらい」で通してきた。それは、カセットテープという方式自体がきらいなのではなく、その音質の良くないことに、どうしても我慢がならなかったから、だ。
けれど、いまはもう違う。ここ1〜2年来、新開発されたカセットテープや、新型のデッキを聴いてみれば、その音質が、数年前と比べて、まさに飛躍的に向上していることは、もはや誰の耳にもはっきりわかる。カセットシステムが、本当の意味で、オーディオ装置のプログラムソースの座を確立し始めたことを、私自身もようやく認めてよいという心境になってきた。
     *
ちょうど同じころ、
熊本のオーディオ販売店が定期的に催していた瀬川先生による「オーディオ・ティーチイン」でも、
カセットデッキの取り上げられた回があった。
そのときも、同じことを言われていたのを思い出す。

オーディオ雑誌の編集者からカセットデッキのテストをやってほしい、という依頼があると
「いいよ、だけどおれがテストしたら、カセットについてクソミソに言うが、それでもいいか?」
と聞き返されたそうだ。
編集者は逃げて行ってしまう、とオーディオあとらんだむの99回目に書かれている。

つまり一部の高級クラスのカセットデッキには一応の満足のゆくものはあっても、
一般的な水準という意味では、音の入り口となるレコードプレーヤー、FMチューナーと比較すると、
まだまだのレベルであった。
レコードプレーヤー、FMチューナーだと普及クラスのモノでも、
たとえばJBLの4343と組み合わせても、なかなかの音が楽しめるのけれど、
ある時期までのカセットデッキだと4343と組み合わせると、再生音に本当の美しさが感じとりにくい、と。

このことが瀬川先生にとっての評価のひとつの基準であり、
オーディオあとらんだむの中でも、こう書かれている。
     *
しかし、私自身は、カセットの音質に、これだけは譲れない、というかなり厳格な基準を自分なりにあてはめてきた。ここ数年間の目ざましい向上についても、知らないわけではないが、それでも、私自身の基準には、大半のテープやデッキが、まだ到達していなかった。
     *
そして、レコードプレーヤー、FMチューナーにくらべ、カセット(テープ、デッキをふくめて)、
甘やかされていたのは、少しおかしいのではないだろうか、とも書かれている。

オーディオ機器を試聴して、そのことについてふれていくときの「厳格な基準」、
これは瀬川先生の文章を通して読んでいけば、自然と伝わってくるはずだ。
だから、読んで信じられた。

「これだけは譲れない、というかなり厳格な基準」──、
評論に必要なこと、である。

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